大沼 竜也(おおぬま たつや、1991年〈平成3年〉4月4日… 大沼 竜也(おおぬま たつや、1991年〈平成3年〉4月4日 - )は、日本の鍼灸師。 ストレス専門のはり師が教える 心と体のコリをほぐすセルフリセット 単行本(ソフトカバー) – 2024/8/8 大和出版 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
職業が鍼灸師:31人
大沼 竜也(おおぬま たつや、1991年〈平成3年〉4月4日… 大沼 竜也(おおぬま たつや、1991年〈平成3年〉4月4日 - )は、日本の鍼灸師。 ストレス専門のはり師が教える 心と体のコリをほぐすセルフリセット 単行本(ソフトカバー) – 2024/8/8 大和出版 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
奈良岡 彩子(ならおか さいこ、1990年2月6日 - )は… 奈良岡 彩子(ならおか さいこ、1990年2月6日 - )は、青森県出身の鍼灸師、タレント(フリー)。元女子競輪選手、元女子ソフトボール選手。競輪選手としては日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第104期生で、日本競輪選手会神奈川支部所属(デビュー当初は青森支部所属)、現役晩年のホームバンクは川崎競輪場。 青森県立弘前実業高等学校を経て、2008年にルネサス高崎に外野手として入団。同チーム在籍時代は上野由岐子らとともに全日本総合女子ソフトボール選手権大会の2年連続優勝などに貢献した。 2010年、女子競輪が2012年に復活することに興味を示したことを理由に、ルネサスを退社。 2011年2月25日に競輪学校第102期試験に合格。
浦部 郁里(うらべ かおり、1987年1月6日 - )は、千… 浦部 郁里(うらべ かおり、1987年1月6日 - )は、千葉県流山市出身の女子競輪選手、鍼灸師。競輪選手としては日本競輪選手会千葉支部所属(一時期は福井支部所属)。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第102期生。師匠は吉川和廣(67期)、弟子は川上いちご(130期)。 順天堂大学時代は陸上競技の短距離種目で活動していたが、同大学卒業後、女子競輪が復活するという話を受け、在住する松戸市の自転車競技連盟が実施している練習会に参加し、訓練を重ねる。 2011年2月25日、競輪学校入学試験に合格。競輪学校時代の在校競走成績は第22位(2勝)。 2012年5月1日、日本競輪選手会千葉支部所属の競輪選手として登録された。
川﨑 真澄(かわさき ますみ、1986年5月14日 - )は… 川﨑 真澄(かわさき ますみ、1986年5月14日 - )は、日本の鍼灸師。学士(鍼灸学)を有し、医薬品登録販売者、温活指導士としても活動している。 グラン治療院東京院長を務める。一般社団法人日本鍼灸協会代表理事、一般社団法人日本温活協会本部指導員。 東洋医学や温活に関する指導を行い、メディア出演や講演活動を通じてその普及に取り組んでいる。 広島県安芸高田市出身。小学生の頃より柔道を始め、広陵高等学校 (広島県)在学中に腰椎椎間板ヘルニアを発症。手術後のリハビリとして鍼灸治療を受けたことを契機に、鍼灸の道を志す。 関西鍼灸大学(現・関西医療大学)に進学。在学中は中医美容研究会の部長、関西中医学ネットワーク(KANSAI TCMN)の実行委員長を務め、東洋医学および美容鍼灸分野に関心を深めた。
カピパラ(1986年1月7日 - )は日本のお笑いタレント、… カピパラ(1986年1月7日 - )は日本のお笑いタレント、鍼灸師。愛称はカピ、カピさん。タレント活動に加えて、「長田英」名義でAman治療院の院長としても活動している。中学校の同級生に元ハンドボール選手の佐藤智仁がいる。 愛知県出身。浅井企画所属。愛知大学卒業。
茂木 弘人(もぎ ひろと、1984年3月2日 - )は、福島… 茂木 弘人(もぎ ひろと、1984年3月2日 - )は、福島県福島市出身の鍼灸師、元サッカー選手。 元々はDFだったが高校1年の秋に当時聖光学院高の監督だった鋤柄昌宏に勧められFWに転向。 2002年にサンフレッチェ広島に入団。同期入団は、須田剛史、佐田聡太郎、西村英樹。 2005年シーズンは開幕から好調を維持し開幕戦にゴールをあげるなど前半で4得点を挙げたが、後半は出場機会がなく、2006年シーズンからは完全移籍でヴィッセル神戸に移籍した。 2007年シーズンは監督に直訴してサイドバックに転向、レギュラーポジションを獲得した。2008年、グアムキャンプ中にアキレス腱断裂の重傷を負い、ほぼ1シーズンを棒に振った。
吉田 友一(よしだ ともかず、1982年7月9日 - )は、… 吉田 友一(よしだ ともかず、1982年7月9日 - )は、日本の元俳優、鍼灸師、高知市役所職員。新潟県長岡市生まれ、埼玉県さいたま市育ち。埼玉県立浦和東高等学校卒業、青山学院大学卒業、島根大学大学院医学研究科修士課程(病態病理学講座)修了。プロダクション十月一日(文化・芸術)所属。 高校2年の時、洋服を買いに訪れた原宿でモデル事務所にスカウトされた。雑誌のモデルなどを経て、2003年にドラマ『ライオン先生』で俳優デビュー。 2004年、スーパー戦隊シリーズ『特捜戦隊デカレンジャー』で姶良鉄幹 / デカブレイク役として出演し、初のレギュラー出演を果たした。 2011年から2012年までの間に急性咽頭炎・扁桃炎発症による舞台降板、また公演中の末梢性顔面神経麻痺などに見舞われるが、完治。
小林 篤史(こばやし あつし、1975年3月18日-)は、日… 小林 篤史(こばやし あつし、1975年3月18日-)は、日本の実業家で柔道整復師、鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師。株式会社ボディスプラウト代表、一般社団法人日本施術マイスター養成協会代表理事、猫背矯正マイスター®︎。著書は計9冊、累計17万部を超える発売を記録し、NHK「ひるまえほっと」などのテレビ出演も多い。 1975年3月18日、神奈川県横浜市生まれ。2006年川崎市宮前区で整骨院・鍼灸マッサージ院を開業。現代人の8割が猫背かその予備軍と考えており「猫背矯正」を提唱。独自に考案・開発した猫背矯正法で日本施術マイスター養成協会を設立。姿勢の専門家である猫背矯正マイスター®の 育成に尽力。現在、206名の猫背矯正マイスター®︎を擁する。
山本 由紀(やまもと ゆき、女性、1974年4月27日 - … 山本 由紀(やまもと ゆき、女性、1974年4月27日 - )は、日本の元空手家(極真空手)で、鍼灸師・柔整師。愛知県東栄町出身。愛知県立豊橋東高等学校を経て京都女子大学、同大学院修士課程修了。 現役選手時代には、極真館空手の全日本大会で5度優勝、2015年ロシアで開催されたKWU極真空手世界大会では3位入賞し、41歳にして世界大会で悲願の表彰台初登壇を達成している。現在は自身で鍼灸院を開きながら愛知北エフエム放送にてラジオナビゲーターをしている。 愛知県北設楽郡東栄町に生まれる。 27歳の結婚時に夫から護身のために極真カラテを勧められ入門する。豊明市に引っ越し後、33歳で極真館主催の全日本女子で初優勝、以後4連覇を果たしている。
未上 夕二(みかみ ゆうじ、1973年 - )は、日本の小説… 未上 夕二(みかみ ゆうじ、1973年 - )は、日本の小説家、鍼灸師。大阪府生まれ。 駒澤大学文学部英米文学科卒業。大学卒業後は会社員を経て、鍼灸治療院を経営。 2014年3月、『心中おサトリ申し上げます』で第5回野性時代フロンティア文学賞受賞し、兼業小説家デビューする。 文芸評論家の北上次郎は、野性時代フロンティア文学賞受賞作の『心中おサトリ申し上げます』を読み、「奇想天外で軽妙で、そして物悲しくて最後には温かな気持ちになるという物語」と評し、未上自身については「才能豊かな新人」と評している。2作目となる『鍼灸日和』に対しても「元気が出てくる小説」「家族小説のニューウェーブ」と評価する。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
乾 緑郎(いぬい ろくろう、1971年1月18日 -)は、日… 乾 緑郎(いぬい ろくろう、1971年1月18日 -)は、日本の小説家、劇作家、鍼灸師。東京都目黒区出身。 東洋鍼灸専門学校卒業。10代の頃から演劇を志す。小劇場を中心として活動し、俳優活動も行っていた。その一方で小説も執筆し、24歳の頃から各文学賞に投稿していた。演出家、脚本家を経て36歳で鍼灸師の資格を修得し、鍼灸師となる。その傍ら、劇作家として小劇場の演劇や舞台の脚本を手掛け、2008年、「SOLITUDE」が日本劇作家協会の主催する第14回劇作家協会新人戯曲賞の最終候補に残り、同協会により刊行された『優秀新人戯曲集2009』に収録される。2010年、小説でも39歳の時に『忍び外伝』で第2回朝日時代小説大賞、『完全なる首長竜の日』で第9回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞した。
高柳 信也(たかやなぎ しんや、1970年4月23日 - )… 高柳 信也(たかやなぎ しんや、1970年4月23日 - )は、福井県吉田郡出身の鍼灸師・柔道整復師。元トヨタ自動車女子バスケットボール部コンディショニングコーチ。 現在は福井市にて鍼灸整骨院を開業。仕事の傍らトレーニング指導もしている 北陸高校バスケットボール部で、佐古賢一東野智弥、らとともに全国大会優勝に貢献。 その後 日本大学を経てクレーマージャパンに入社(1993-94)、脱サラ後、明治東洋医学院専門学校鍼灸科に入学。日本大学ではレバンガ札幌折茂武彦と同級生である。
大和 一朗(大和 イチロウ、やまと いちろう、1968年 -… 大和 一朗(大和 イチロウ、やまと いちろう、1968年 - )は、日本の食文化研究家、元鍼灸師。現在はインスタントラーメン専門店「やかん亭グループ」代表取締役を務める。 広島県尾道市因島生まれ、大阪府寝屋川市出身。大阪府立枚方高等学校、帝京大学卒。 2008年、インスタントラーメン専門店「さくら大阪」開店。(現在は移転し「やかん亭さくら日本橋総本店」となっている)。 2014年、「マヨらーめん」監修。2019年、「偏愛的インスタントラーメン図鑑」(世界文化社)執筆。 2020年、フジテレビ系列「超逆境クイズバトル!! 99人の壁」突破。 2022年、サンヨー食品「大和イチロウおすすめ! 鳥中華どんぶり 和風そばつゆ味」「大和イチロウおすすめ! 赤龍ラーメンどんぶり 辛子みそ味」「マヨらーめん とんこつマヨネーズ味 カップ麺」監修。
岩本 光弘(いわもと みつひろ、1966年12月27日 - … 岩本 光弘(いわもと みつひろ、1966年12月27日 - )は、視覚障害を抱える日本の鍼灸師、ヨットマン、ライフコーチ。 熊本県牛深市(現・天草市)出身。幼年期は弱視を持っており、小学校から野球部に入部しプレーしていたが、13歳の時に内野守備のゴロが捕球出来なくなり、その後日常生活でも支障を来たし、先天性弱視と診断され残存視力を失い始める。16歳で全盲となり、人生を悲観し自殺も試みたが、「目が見えなくなったのには意味があり。健常者でも、生きる目的を逸してる人間は沢山存在している」と岩本を気に掛けてくれた伯父の言葉を思い出し、熊本県立盲学校に進学。 在学中に理科担当教諭の影響を受けてアマチュア無線にハマり、アマチュア無線から聞こえる英語に興味を持ち、健常者の一般の高校生と交流したいと願望し、YMCAの英会話スクールに通った。
山崎 一夫(やまざき かずお、1962年8月15日 - )は… 山崎 一夫(やまざき かずお、1962年8月15日 - )は、整体師、鍼灸師、タレント、元男性プロレスラー。血液型B型。YouTuber。東京都港区出身。愛称は山ちゃん。ワールドプロレスリングの解説を務めていた。 東京都港区麻布十番生まれ。しばしば、山崎は「『いいところに住んでいたんだね』と言われるが、チンチン電車が走っているぐらいで何もなかった。唯一、これっていうのは東京タワーが近くに見えるぐらい」と生育環境を語っている。父親はパイプ加工企業に勤めていた会社員であった。5歳の時、世田谷区の九品仏に引っ越している。中学時代に友人にプロレスラーになりたいと言ったところ、新日本プロレスの道場を勧められ、そこで練習生としてトレーニングを始めた。
横山 卓(よこやま たく、1961年 - )は、日本の鍼灸師… 横山 卓(よこやま たく、1961年 - )は、日本の鍼灸師、東洋医学研究者。「ネッシン療法」の提唱者であり、日本ネッシン協会の創設者および会長。経絡に基づく温熱刺激療法「横山式熱鍼療法」を確立した。 1961年生まれ。北里大学衛生学部を卒業後、臨床検査技師として勤務。その後、イトオテルミー学院および日本鍼灸理療専門学校を卒業し、東洋医学の道へ進む。 現在は順鳳堂鍼灸院を主宰するとともに、日本ネッシン協会会長として熱鍼やネッシン療法の普及と後進の育成に尽力している。 横山が確立したネッシン療法は、温めた金属の棒を用いて皮膚表面を点状・線状・面状に優しく刺激し、経絡の流れを整えることで自然治癒力を高める温熱刺激療法である。
白石 宏(しらいし ひろし、1956年5月20日 - )は、… 白石 宏(しらいし ひろし、1956年5月20日 - )は、多くのトップアスリートのサポートで知られるアスレティックトレーナーのパイオニア、鍼灸師。山口県生まれ、広島県広島市育ち。元ゴールドウイン・ナイキトレナー。日本体育大学卒業。 日本体育大学時代は、棒高跳びの選手であった。オリンピックを目指し1974年、日本体育大学に進学。先輩のマッサージをするうち、当時日本に入ってきたばかりのテーピング技術に興味を持ち勉強を始める。在学中何度か渡米しUCLAほか、アメリカのトレーナーの仕事に魅了され競技生活を終え帰国後、大学陸上部内にスチューデント・トレーナー制度を創設し本格的にトレーナー業に取り組む。卒業後はゴールドウイン、その後ナイキジャパンの企業トレーナーとして雇われ、昼間働きながら夜カイロプラクティック、あん摩、マッサージ・鍼灸の学校に通い資格を取得。
きくち 教児(きくち きょうじ、1953年9月4日 - )は… きくち 教児(きくち きょうじ、1953年9月4日 - )は、中京圏を拠点に活動するローカルタレント、鍼灸師、ふぐ調理師。岩手県釜石市生まれ。愛知県立横須賀高等学校、辻学園日本調理師学校、中和鍼灸専門学校(現・中和医療専門学校)卒業。 国際観光ホテルナゴヤキャッスルに4年間婚礼担当で勤務した後、タレントに転身。1979年から日本テレビ系全国ネット番組『ズームイン!!朝!』で東海地区ローカルキャスターを担当したのを皮切りに、数々のテレビ番組に出演するようになった。中京テレビ製作番組への出演が多いが、全国ネット番組にもいくつか出演した経歴を持ち、1986年には徳光和夫の後任で『歌のワイド90分!』の司会に抜擢されたりもした。
花谷 幸比古(はなたに ゆきひこ、1950年8月9日 - )… 花谷 幸比古(はなたに ゆきひこ、1950年8月9日 - )は、日本の神職、風水師、鍼灸師、柔道整復師。 元大阪府日本中国友好協会副理事長。元大阪府神社庁理事。関西インドネシア友好協会顧問。 現在、鶴見神社宮司・大宮神社宮司・学校法人森之宮医療学園理事・大阪府神社庁参与。 大阪市鶴見区鶴見にて出生。1968年4月 皇學館大学文学部国史学科入学。学生時代より三島由紀夫の楯の会の森田必勝・阿部勉と親交、新右翼の活動家として活動。1972年3月 大学を卒業。大阪市内の神社に奉職。大阪府日本中国友好協会に入会。夜間に鍼灸師柔道整復師の専門学校に入学。 1974年4月 柔道整復師の免許取得。1974年9月 鍼灸師の免許所得。
浅川 要(あさかわ かなめ、1946年 - )は、東洋医学研… 浅川 要(あさかわ かなめ、1946年 - )は、東洋医学研究者、鍼灸師。 東京都生まれ。1971年早稲田大学第一文学部東洋史学科卒、中国通信社勤務。1975年東京高等鍼灸学校卒。横山瑞生に師事。白鬚橋病院、富士見病院勤務を経て浅川鍼灸治療院開業。東京中医鍼灸センター院長、東京医療福祉専門学校教員養成科講師、『中医臨床』誌顧問、日本中医学会理事。1977年『鍼灸学』で日本翻訳出版文化賞受賞。
藤本 蓮風(ふじもと れんぷう、 1943年10月5日 - … 藤本 蓮風(ふじもと れんぷう、 1943年10月5日 - )は、日本の鍼灸師。一般社団法人北辰会会長・日本伝統鍼灸学会の顧問・株式会社 藤本漢祥院 院長。 1965年 関西鍼灸柔整専門学校を卒業。鍼灸資格を取得。大阪府堺市にて独立。藤本漢祥院 開業。 1968年 大阪市立大学、医学部解剖学教室助教授藤原知博士に学問的薫陶を受けるとともに、東洋医学の研究会「大阪経絡学説研究会」の代表幹事となる。 1976年 「われわれの診断法」(東方会の「鍼灸医学」)の論文を掲載。 1978年~1986年開業するかたわら母校関西鍼灸柔整専門学校の講師となる 新中国の中医学を理論的基礎とし、そこに日本古来の鍼灸法の優れた点を融合させた治療を実践する。
上野 圭一(うえの けいいち、1941年4月23日 - )は… 上野 圭一(うえの けいいち、1941年4月23日 - )は、日本の鍼灸師・民間医療家・翻訳家。日本ホリスティック医学協会副会長。CAMUNet(代替医療利用者ネットワーク)副代表。 兵庫県宝塚市武庫川町出身。1964年(昭和39年)早稲田大学英文科を経て、東京鍼灸柔整専門学校を卒業する。フジテレビジョンのディレクターを経て、1971年(昭和46年)退社した。
柴田 昌宏(しばた まさひろ、1940年4月22日 - )は… 柴田 昌宏(しばた まさひろ、1940年4月22日 - )は、日本の元俳優、鍼灸師。 俳優の潮万太郎を父に持ち、姉に女優の弓恵子、弟に俳優の柴田侊彦という役者家族に育つ。 早稲田大学文学部卒業。1961年に俳優座の養成所に入所、1964年に劇団雲に参加。役者仲間からは「マーチャン」のあだ名を付けられていた。日本テレビの数ある青春ドラマで出演を重ねるが、家族ほどの役には恵まれず引退したのち鍼灸師となり鍼灸院を開業する傍ら太極拳講師としても活動している。
瓜生 良介(うりゅう りょうすけ、1935年3月3日 - 2… 瓜生 良介(うりゅう りょうすけ、1935年3月3日 - 2012年9月5日)は、日本の演出家、鍼灸師。劇団「発見の会」主宰。「ウリウ治療室」を開設し「快医学」を提唱。発見の会は「最初のアングラ劇団」と言われる。青年劇場の瓜生正美は兄。 1935年(昭和10年)、福岡県若松市(現・北九州市)に生まれる。兄たちの影響で、小中学生のころより劇団や人形劇に携わる。15歳のとき父が死去。1951年、若松高校に入学、演劇部に入部。18歳のとき家が破産。 1954年、19歳で上京。黒雅舎で印刷工として働く。1956年、舞台芸術学院に入学。1958年、劇団「舞芸座」の演出部に所属(23歳)。演出家・土方与志に師事。
岩山光男(いわやま みつお、1927年11月 - 2006年… 岩山光男(いわやま みつお、1927年11月 - 2006年1月16日)は日本の社会事業家、鍼灸師、編集者。視覚障害当事者として名古屋ライトハウス点字図書館を創設。 愛知県名古屋市瑞穂区に生まれる。 1938(昭和13)年、満10歳で愛知県立盲学校初等部に入学。 第二次世界大戦中は日本点字図書館から郵送で借りた明石海人の『白描』を指で読みながらB29の爆音から心を守り精神的飢餓を補っていた。1948(昭和23)年、20歳で4年制の愛知県立盲学校旧制中等部を卒業。 社会に出てマッサージ師として患者を治療する傍ら、南山大学教授の神父が視覚障害者に布教を始めた名古屋のカトリック教会に通う中で、学問を続けたいという気持ちが芽生え、大学進学を決意。
米山 博久(よねやま ひろひさ、1915年5月15日 - 1… 米山 博久(よねやま ひろひさ、1915年5月15日 - 1985年6月9日)は、日本の鍼灸師。大阪府鍼灸師会副会長。 1915年長野県下伊那郡山本村(現・飯田市)に生まれる。高等小学校卒業後、1935年に鍼灸師資格を取得し、1936年に東方医学会(大阪)に所属。1946年に刀根山鍼灸医学会を設立し、1950年から1971年まで日本鍼灸師会代議員を務めた。1958年には明治鍼灸専門学校の講師。1960年から1971年、1974年から1975年の4回に渡って、大阪府はりきゅう師試験委員を歴任。1963年から1975年まで大阪府鍼灸師会理事。このほか、1960年に結成された日本針灸皮電研究会(現・日本臨床鍼灸懇話会)理事、大阪府鍼灸師会副会長、大阪鍼灸専門学校(現・森ノ宮医療学園専門学校)校長などを務めた。
間中 喜雄(まなか よしお、1911年4月11日 - 198… 間中 喜雄(まなか よしお、1911年4月11日 - 1989年11月20日)は、日本の外科医、鍼灸師、医学博士。 神奈川県足柄下郡小田原町(現小田原市)出身。 1935年に京都帝国大学医学部を卒業し、同大学病院で外科を習得後、父の開業した間中外科医院を継ぐ。第二次世界大戦に医師として従軍、1946年に復員すると間中外科医院を医療法人温和会間中病院に改組した。 西洋医学の医師でありながら、東洋医学、特に鍼灸医学の普及発展に貢献し1950年には日本東洋医学会の設立に参加した。1957年に京都大学医学部で医学博士号を取得、小田原医師会会長に就任。その後、中国やアメリカ、フランスなどで講演活動を行う。
小林 勝馬(こばやし かつま、1906年(明治39年)11月… 小林 勝馬(こばやし かつま、1906年(明治39年)11月16日 - 1987年(昭和62年)12月23日)は、日本の政治家、実業家、鍼灸師。参議院議員(1期)。 佐賀県佐賀郡鍋島村(現佐賀市)で小林鹿三郎の四男として生まれた。1927年 (昭和2年)鍼灸術営業免許所得[要出典]。熊本逓信講習所を卒業し、さらに1928年(昭和3年)無線電信講習所を卒業した。 1922年(大正11年)通信事務員となり、以後、警視庁技手、国際汽船事務長、無線電信技士、山王工業社長、日本光学兵器社長、自家用自動車組合理事、官立無線同窓会会長などを務めた。 1946年(昭和21年)東京都鍼灸按マッサージ師会理事長及び日本鍼灸按マッサージ師会副会長、全国鍼灸按マッサージ医法制定実行委員会書記長に就任[要出典]。
石井 陶泊(いしい とうはく、1905年 - 1999年)は… 石井 陶泊(いしい とうはく、1905年 - 1999年)は、日本の鍼灸師。日本経穴委員会専門委員。享年94。 栃木県生まれ。下野中学(現:作新学院高等学校)中退。1932年灸術試験合格、1933年鍼術試験合格。1965年から1977年に至るまで栃木県鍼灸師会会長。同心会副会長である藤田六朗医博の指導を受ける。1975年からは、日本鍼灸医学会理事、地方会会長、評議員、日本経穴委員会専門委員を歴任した。1991年までは全日本鍼灸学会栃木地方会会長を務めた。 石井は分娩後のウサギや曲がった若い糸瓜への施灸実験をきっかけにして、経絡を発生学的観点から検討した。
本間 祥白(ほんましょうはく、1904年9月18日 - 19… 本間 祥白(ほんましょうはく、1904年9月18日 - 1962年8月5日)は、日本の鍼灸師であり、また経絡治療家である。柳谷素霊、井上恵理の弟子。バネ式鍉鍼考案者のひとり。 1904年(明治37年)9月18日、山形県東村山郡に生まれる。山形県立農学校を卒業後、2年ほど家業の農業に従事した後に上京して東洋大学文学部哲学科に入学。 卒業後、巣鴨にてパン屋「ホンマベーカリー」を開業した後に電気治療に携わるようになる。 1939年に柳谷素霊の紹介で井上恵理に弟子入りを懇願。一度断られるものの、鍼灸の研究をともに進むことを誓い、弟子入りを許される。以後毎日井上恵理の治療を見学しに行き、1943年9月に独立開業。
竹山 晋民(たけやま しんみん、本名は竹山 晋一郎=たけやま… 竹山 晋民(たけやま しんみん、本名は竹山 晋一郎=たけやま しんいちろう、1900年 - 1969年)は、日本の鍼灸師・ジャーナリスト・政治家。 茨城県真壁郡出身。早稲田実業学校を経て1925年に慶應義塾大学経済学部を卒業、大阪時事新報に入社し社会部記者となる。病を得て一時危篤状態に陥った際に漢方医の治療で一命を取り留めたことから東洋医学に関心を持ち、駒井徳三の紹介で1938年に雑誌『東邦医学』編集部入り。1939年に弥生会(現経絡治療学会)の世話人となる。1941年に漢方医学復興の理論を出版し、1942年に鍼灸師資格を取得。戦後は1953年の第26回衆議院議員総選挙に日本共産党公認で茨城県第3区から出馬したものの落選した。