スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
山根 航海(やまね わたる、2001年〈平成13年〉10月5… 山根 航海(やまね わたる、2001年〈平成13年〉10月5日 - )は、日本の歌手,ダンサー,エンターテイナー,俳優。日本の男女8人組ダンス・ボーカルグループ「ZILLION」(ジリオン)の元メンバー。Netflix配信番組「timelesz project」(タイプロ)の元候補生。山口県周南市出身。血液型はO型。特技はアクロバット。 2020年3月に山口県桜ヶ丘高等学校の普通科アーティストコースを卒業。 2020年4月東京ダンス&アクターズ専門学校に入学と同時に上京。在学中、ダンスボーカルグループのオーディション「ONE in a Billion」に 5136名の応募者の中から合格。 2021年12月22日に日本の男女8人組ダンス・ボーカルグループ「ZILLION」のメンバーとなり、ソニー・ミュージックアーティスツからデビュー。
大中 元気(おおなか げんき、1981年2月2日 - )は、… 大中 元気(おおなか げんき、1981年2月2日 - )は、日本のプロボクサー。第9代OPBF東洋太平洋ミニマム級王者。山口県徳山市(現周南市)出身。山口桜ケ丘高等学校卒。新日本徳山ボクシングスポーツジム(後に新日本周南と改称)所属。
川口 正(かわぐち ただし、1971年1月1日 - )は、広… 川口 正(かわぐち ただし、1971年1月1日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(内野手)、元競輪選手。 山口県桜ケ丘高から、入団テストに合格し1988年オフにドラフト外で横浜大洋ホエールズに入団。一軍公式戦への出場が無いまま、1993年限りで現役を引退。 その後、日本競輪学校第76期生として競輪選手に転身(日本競輪選手会山口支部所属)。同期に市田佳寿浩、石丸寛之らがいる。1995年8月5日、松阪競輪場でデビューし5着。初勝利は1996年3月30日の一宮競輪場。2014年7月4日に競輪選手登録削除。通算成績1430戦94勝、優勝なし。 その後は、社会人野球のMSH医療専門学校のコーチを務めていた。
喜多川 2tom(、1957年〈昭和32年〉12月21日 -… 喜多川 2tom(、1957年〈昭和32年〉12月21日 - )は、日本の俳優、スタントマンである。本名は喜多川 務(読み同じ)。ジャパンアクションエンタープライズ所属。山口県下松市出身。特技は中国武術。妻は『バトルフィーバーJ』(1979年)で中盤以降ミスアメリカのスーツアクトレスを演じた小野寺えい子。 趣味はイラスト・ギター、特技は武術。 身長161センチメートルの小柄なスタントマン。山口県桜ケ丘高校時代は体操選手で、インターハイの出場経験があり、俊敏でアクロバティックな動きを得意としている。 ウルトラマンになることを目指し、スタントマンの道に進む。高校の体操顧問が千葉真一の先輩であったことから、顧問の紹介でジャパンアクションクラブに6期生として1975年(昭和50年)に入門。
木本 茂美(きもと しげみ、本名:金 茂美(キム・ムミ、ハン… 木本 茂美(きもと しげみ、本名:金 茂美(キム・ムミ、ハングル:김무미)、1954年4月7日 - )は、山口県徳山市櫛ヶ浜出身の元プロ野球選手(捕手)。在日韓国人。 山口桜ケ丘高から1972年ドラフト8位で広島入団。プロ10年目の1982年に1軍初本塁打を記録。 1983年1月、宇田東植と共に韓国のヘテ・タイガースに移籍。韓国での登録名は金 茂宗(キム・ムジョン、김무종)。 韓国ではシリーズ出場3回、球宴出場5回を果たし、1986年には同MVPに選出されるなどの成績を残した。 また、1983年の韓国シリーズで優勝した際の表彰式には、広島時代の同僚で三美スーパースターズに移籍し活躍していた福士敬章が駆けつけ「良かった」「来た甲斐があった」と声をかけ、宇田を交えた3人で泣いたという逸話がある。
山形 和幸(やまがた かずゆき、1953年4月7日 - )は… 山形 和幸(やまがた かずゆき、1953年4月7日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。 山口県桜ヶ丘高等学校では2年生の時、1年上の吉武正成とバッテリーを組み、1970年春季中国大会県予選準決勝に進むが早鞆高に完封負け。同年夏の甲子園県予選でも、準決勝で松崎泰治のいた防府商に惜敗した。その後は新チームとなり、1年下の木本茂美を主戦投手として秋季中国大会県予選準決勝に進むが、柳井高に敗退。 1971年のドラフトに広島から6位指名され入団。強肩強打の捕手として期待されたが、最初の年のキャンプでスライディング・キャッチ練習で肩をケガ、野球選手としての道を断たれた。 一軍公式戦に出場がなく、1973年限りで引退。
吉武 正成(よしたけ まさのり、1953年1月2日 - )は… 吉武 正成(よしたけ まさのり、1953年1月2日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 山口県防府市で生まれ、その後は広島県広島市への転居に伴い広島商へ進む。しかしまたも転居により山口県桜ヶ丘高等学校に移った。エースとして1年下の山形和幸とバッテリーを組む。1970年春季中国大会県予選準決勝に進むが、早鞆高に敗退。同年夏の甲子園県予選でも、準決勝で松崎泰治のいた防府商に敗退した。高校時代には完全試合を達成した事もある[要出典]。卒業後は専修大学に入学。当時の専大は東都大学野球リーグ二部に低迷していたが、1年下の大屋好正と投の二本柱を組み、1974年春季リーグに二部優勝。入替戦で青学大を降し一部リーグ昇格に貢献する。
長州 力(ちょうしゅう りき1951年12月3日 - )は、… 長州 力(ちょうしゅう りき1951年12月3日 - )は、日本の元プロレスラー、YouTuber。山口県徳山市(現・周南市)出身。静岡県熱海市在住。北海道猿払村ふるさと納税大使。 在日韓国人2世として生まれ、2016年に日本へ帰化した。韓国名は郭 光雄(かく こうゆう、クァク・クァンウン、곽광웅)。現在の本名(日本名及び旧リングネーム)は吉田 光雄(よしだ みつお)。 ニックネームは「革命戦士」。入場曲は異母犯抄作曲のオリジナルテーマ曲『パワーホール』(後述も参照)。血液型O型。 1951年12月3日、山口県徳山市で四人兄弟の末っ子として生まれる。父親は1939年に韓国の忠清北道から来日し、廃品回収業を営んでいた。
道原 裕幸(みちはら ひろゆき、旧名:博幸、1949年5月3… 道原 裕幸(みちはら ひろゆき、旧名:博幸、1949年5月30日 - )は、山口県柳井市出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)・コーチ、解説者。 山口県桜ケ丘高校では2年上に河村健一郎、2年下に長州力がいた。捕手として2年次の1966年に秋季中国大会県予選で準決勝に進出するが、豊浦高に敗退。3年次の1967年夏は県大会準々決勝でまたも豊浦高に敗れ、甲子園には出場できなかった。 高校卒業後は芝浦工業大学に進学し、東都大学野球リーグでは3年次の1970年春季リーグに優勝。1年上の三塁手・伊原春樹と共にクリーンアップを打ち、リーグ通算79試合出場、264打数75安打、打率.284、8本塁打、32打点。
河村 健一郎(かわむら けんいちろう、1948年2月26日 … 河村 健一郎(かわむら けんいちろう、1948年2月26日 - )は、山口県柳井市出身の元プロ野球選手(捕手、内野手)・コーチ、解説者・評論家。 桜ケ丘高校では、3年次の1964年に秋季中国大会準々決勝に進むが、広島商に敗れ甲子園には届かなかった。 高校卒業後は1965年に芝浦工業大学へ進学し、道原裕幸は高校・大学の2年後輩となる。東都大学リーグでは3年次の1968年、左腕エース池田善吾とバッテリーを組んで秋季リーグに優勝。リーグ通算45試合出場、124打数32安打、打率.258、0本塁打、11打点。大学同期に豊田憲司、片岡新之介(中退)がいる。 大学卒業後は1969年に日本石油へ入社し、1970年の都市対抗では奥江英幸らとバッテリーを組み準々決勝に進むが、三菱重工神戸に敗退。
長谷川 忠男(はせがわ ただお、1944年8月31日 - 2… 長谷川 忠男(はせがわ ただお、1944年8月31日 - 2020年12月20日[要出典])は、日本の政治家。山口県議会議員(柳井市選挙区選出)、同副議長、自由民主党山口県連幹事長を歴任した。
藤井 正彦(ふじい まさひこ、1944年(昭和19年)7月2… 藤井 正彦(ふじい まさひこ、1944年(昭和19年)7月2日 - )は、山口県の政治家。元山口県新南陽市長。元山口県新南陽市議会議長。山口県桜ケ丘高等学校卒。
大田 良充(おおた よしみつ、1944年 - )は、山口県の… 大田 良充(おおた よしみつ、1944年 - )は、山口県の政治家。元山口県熊毛町長。山口県桜ケ丘高等学校電気科卒業。旭日双光章。
金子 功(かねこ いさお、1939年7月15日 - )は、日… 金子 功(かねこ いさお、1939年7月15日 - )は、日本のファッションデザイナー。ファッションブランド「ピンクハウス」(1973年)や自身の名前を冠した「カネコイサオ」(1990年)、ほか「インゲボルグ(INGEBORG)」や「カールヘルム(Karl Helmut)」などのブランドを創業。なかでも「ピンクハウス」はDCブランドやフォークロアのブームに後押しを受ける形で1980年代に一世を風靡した。妻は1970年代に雑誌「an・an」などで活躍したファッションモデルの立川ユリ。 山口県に出生。高田賢三、松田光弘らと共に文化服装学院を卒業後、セツ・モードセミナーを卒業。アドセンターに入社し、広告等の製作に携わる。