スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
藤倉 由貴(ふじくら ゆき、1999年8月27日 - )は、… 藤倉 由貴(ふじくら ゆき、1999年8月27日 - )は、日本の女子バレーボール選手である。 徳島県阿南市出身。姉の影響で小学1年生からバレーボールを始めた。 徳島県立富岡東高等学校、四国大学を経て、クラブチームのビオーレ名古屋に入団。 2023年、V.LEAGUE DIVISION1 WOMEN(V1女子)に所属するPFUブルーキャッツにチーム主催のトライアウトを経て移籍した。入団1シーズン目となる2023-24シーズン、V1女子の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。 四国大学では生活科学部管理栄養士養成課程に在籍し、卒業後はビオーレ名古屋の母体である認定こども園で栄養士として勤務していた。
岩原 紗也香(いわはら さやか、1992年11月4日 - )… 岩原 紗也香(いわはら さやか、1992年11月4日 - )は、元女子競輪選手、フリーアナウンサー。徳島県出身。現役時代は日本競輪選手会徳島支部所属、ホームバンクは小松島競輪場であった。日本競輪選手養成所(以下、養成所)第118期生。師匠は山本宏明(83期)。 小学生時代から徳島至誠館で剣道を始め、中学生時代には主将として全国中学校体育大会で団体優勝。富岡東高校時代にはインターハイに団体出場を果たした。社会人になってから友人の競輪選手を応援するため競輪場に行き、ガールズケイリン選手の活躍を目の当たりにして競輪選手を志した。 2019年1月17日、日本競輪学校(当時)第118回適性試験に合格。養成所での在所中の競走成績は21位(0勝)。
近藤 紗奈(こんどう さな、1988年5月2日 - )は、徳… 近藤 紗奈(こんどう さな、1988年5月2日 - )は、徳島県出身のバスケットボール選手である。ニックネームは「ウミ」。ポジションはフォワード。 牟岐中から富岡東高へ進学。1年生の時、インターハイに出場して2回戦進出。1回戦では14得点。高校卒業後は鹿屋体育大学を経て、2011年に新潟アルビレックスBBラビッツ入団。
藤井 香苗(ふじい かなえ、1986年7月7日 - )は、徳… 藤井 香苗(ふじい かなえ、1986年7月7日 - )は、徳島県吉野川市(旧麻植郡鴨島町)出身のバスケットボール選手である。ポジションはセンター。三菱電機コアラーズ所属。 鴨島第一中学校でバスケを始め、富岡東高校では3年の時にインターハイ出場を果たす。この年にはジュニア日本代表にも選出される。 その後、大阪体育大学に進学。1年よりインカレにも出場。3年で初優勝に貢献。4年で準優勝とともにリバウンド王を獲得する。 2009年、三菱電機に入社。
田中 宣宗(たなか よしとき、1984年12月13日 - )… 田中 宣宗(たなか よしとき、1984年12月13日 - )は日本のミュージカル俳優である。徳島県那賀郡鷲敷町(現・那賀町)出身。劇団四季所属。 神奈川県横浜市で生まれ、その後徳島県那賀郡鷲敷町(現・那賀町)に引っ越した。鷲敷町立鷲敷中学校、徳島県立富岡東高等学校を経て舞台芸術学院卒業後、2006年に劇団四季研究所へ入所し、ライオン・キングのアンサンブル役で初舞台に出演した。 中学時代の同級生には千葉ロッテマリーンズなどで活躍し、現在はロッテの打撃投手を務める中郷大樹がおり、中学時代は共に野球部に所属していた。 四季を目指すきっかけとなったのはキャッツを観劇したことで、2012年5月15日にキヤノンキャッツシアターでマンゴジェリー役でキャッツの初出演を果たしている。
青木 悠人(あおき ゆうと 1984年7月11日- )は日本… 青木 悠人(あおき ゆうと 1984年7月11日- )は日本の陸上競技選手。 小中学校では野球をしていた。中学の時にハードルで四国大会2位となり、高校から陸上競技に転向することを決意、陸上部のある徳島県立富岡東高等学校へ進学した。早稲田大学スポーツ科学部に進学、大学卒業後はMESSIAS TCに所属している。 北京オリンピックの代表選考会である2008年の日本陸上競技選手権大会の110メートルハードルでは準決勝で1位となったが、決勝でハードルを引っかけて転倒、棄権した。同年9月23日に川崎市等々力陸上競技場で行われたスーパー陸上の110メートルハードルでは14秒16で7位となった。 大学卒業後は徳島県で教員となった。
土橋 優貴(つちはし ゆうき、1980年1月16日 - )は… 土橋 優貴(つちはし ゆうき、1980年1月16日 - )は、徳島県阿南市出身の元女子サッカー選手である。ポジションはディフェンダーおよびミッドフィールダー。 小学2年次、父親の影響でサッカーを始める。小学生時代は父親がコーチを務める少年サッカークラブ、FCソシオスでプレーした。小学5年次、徳島県内の少年サッカークラブでプレーする女子選手の選抜チーム、ソシオス・アミーゴに選出され、高校時代まで在籍した。徳島県立富岡東高等学校在学中は校内の陸上部にも所属し、高校3年次には100メートルハードル競争で全国高等学校総合体育大会陸上競技に出場した。 1998年に大阪体育大学に入学して女子サッカー部に入部。
山岡五月(やまおか・さつき、1978年12月13日 - )は… 山岡五月(やまおか・さつき、1978年12月13日 - )は、徳島県阿南市出身の元バスケットボール選手。ポジションはSG。背番号32。 徳島県立富岡東高等学校、大阪体育大学出身。大学卒業後は、トヨタ自動車アンテロープ(現・トヨタ自動車アンテロープス)に入団。 2006年、デンソーアイリスに移籍。身長171cm、体重60kg。得意プレイはレッグスルー。 2008年オフに結婚。 2009年引退。主婦業に専念する。 2015年徳島県阿南市立加茂谷中学校で教員として働く。
岩佐 義弘(いわさ よしひろ、1971年6月29日 - )は… 岩佐 義弘(いわさ よしひろ、1971年6月29日 - )は、日本の政治家。徳島県阿南市長(1期)。前徳島県議会議員(2期)。 徳島県那賀郡羽ノ浦町(現・阿南市羽ノ浦町岩脇)生まれ。阿南市立岩脇小学校、阿南市立羽ノ浦中学校、徳島県立富岡東高等学校卒業。1994年、広島大学理学部卒業。 2012年から2015年6月にかけて、JA東とくしま理事を務めた。 2015年に行われた徳島県議会議員選挙に阿南市選挙区(定数4)から無所属で立候補し、トップで初当選した。2019年の県議選は自民党公認で立候補し再選。 2023年1月28日、任期満了に伴う阿南市長選挙に出馬の意向であることがメディアで報じられた。同年4月の県議選は不出馬。
椿本 真恵(つばきもと さなえ、1966年12月11日 - … 椿本 真恵(つばきもと さなえ、1966年12月11日 - )は、日本の女子バレーボール指導者、元選手。 徳島県那賀郡上那賀町出身。 ダイエー、久光製薬で活躍し、1999年に、当時V1リーグの東北パイオニア(後のパイオニア)に移籍。2002年にビーチバレーに転向した。 2008年3月に地域リーグのJAぎふ(現・JAぎふリオレーナ)コーチに就任し(初年度は選手兼任)、その後、監督に昇格した。チームは2012年にチャレンジリーグ昇格を果たした。2021年、監督を退任し総監督に就任。
小川 かず子(おがわ かずこ、1957年2月4日 - )は、… 小川 かず子(おがわ かずこ、1957年2月4日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 徳島県那賀郡出身。富岡東高校を卒業するといったん就職するが、池坊短期大学へ進学しバレーボールを続けた。短期大学卒業後は実家に戻る予定だったが、1978年ユニチカに入部する。 入部直後の都市対抗バレー(現黒鷲旗大会)からチームのレギュラーセッターを務め、全日本に抜擢される。同年の世界選手権では銀メダルを獲得した。 1980年、モスクワオリンピック日本代表に選出されたが、西側諸国が同大会をボイコットしたためにオリンピック出場はならなかった。 国内では日本リーグのベスト6を3年連続獲得、第13回・14回の日本リーグ2連覇、第15回のチーム準優勝に大きく貢献し、敢闘賞を獲得した。
松浦 孝治(まつうら こうじ、1938年5月6日 - )は、… 松浦 孝治(まつうら こうじ、1938年5月6日 - )は、日本の政治家、参議院議員(2期)。徳島県議会議員(4期) 徳島県那賀郡那賀川町(現・阿南市)生まれ。1957年、徳島県立富岡東高等学校卒業。1962年、和歌山大学経済学部卒業。同年、商工組合中央金庫に入った。1971年、徳島県議会議員選挙に当選し4期務めた。 1986年、第14回参議院議員通常選挙に徳島県選挙区で自由民主党から立候補し、初当選。1990年に第2次海部改造内閣労働政務次官となる。1992年の第16回参議院議員通常選挙で再選。1998年の第18回参議院議員通常選挙で高橋紀世子(三木武夫の娘)に敗れ、落選。2008年に秋の叙勲で旭日重光章を受章。
藤倉 皓一郎(ふじくら こういちろう、1934年5月18日 … 藤倉 皓一郎(ふじくら こういちろう、1934年5月18日 - 2024年5月)は、日本の法学者(英米法・民法)。東京大学名誉教授。アマースト大学名誉法学博士。純粋の私立大学出身者としては初めての東京大学法学部教授。 大阪府出身。東京大学教授、早稲田大学教授、同志社大学法学研究科教授、帝塚山大学法政策学部教授などを歴任。1980年の伊藤正己教授の最高裁判事就任により、その後任に招かれ、純粋の私立大学出身者(学部は私学出身で大学院のみ東大出身の前例としては経済法の松下満雄教授がいる)としては初めての東京大学法学部教授となった。 なおアメリカ留学時代に環境法を学び、それが後に東京大学教授に招かれる一因となったと言われる。