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広瀬 栄一(ひろせ えいいち、1911年〈明治44年〉1月2… 広瀬 栄一(ひろせ えいいち、1911年〈明治44年〉1月23日 - 1988年〈昭和63年〉5月1日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。最終階級は陸軍中佐、陸将。 香川県出身。旧制高松中学(現・香川県立高松高等学校)より広島陸軍幼年学校に転じ、陸軍予科士官学校に進学。44期生の指導生徒も務めたが、そこの区隊長はのちに二・二六事件の首謀者の一人となる村中孝次であった。1931年(昭和6年)7月、陸軍士官学校(43期)を卒業、同年10月、陸軍少尉任官、1938年(昭和13年)5月、陸軍大学校(50期)を卒業。砲兵畑を進む。 第二次世界大戦中、日本とフィンランドの間では暗号解読等の対ソ連情報協力が行われていた。
三木 忠直(みき ただなお、1909年〈明治42年〉12月1… 三木 忠直(みき ただなお、1909年〈明治42年〉12月15日 - 2005年〈平成17年〉4月20日)は、日本の海軍軍人、工学者。最終階級は海軍技術少佐。爆撃機「銀河」、特攻機「桜花」特攻機、新幹線の開発者。 1909年12月15日、香川県高松市生まれ。香川県立高松中学校、第六高等学校を経て、1938年、東京帝国大学工学部船舶工学科を卒業。海軍造船官となって海軍造船中尉に任官し、海軍航空技術廠に配属された。 アジア・太平洋戦争中に陸上爆撃機「銀河」、特攻兵器「桜花」などの機体設計を担当した。 1944年(昭和19年)6月前後、大田正一少尉が航空技術廠長和田操中将に特攻兵器桜花を提案した。三木によれば、和田はもう決めた様子で、大田は「自分が乗っていく」と言うため、研究に協力したという。
原 為一(はら ためいち、1900年(明治33年)10月16… 原 為一(はら ためいち、1900年(明治33年)10月16日 - 1980年(昭和55年)10月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 香川県出身。高松中学校を経て、1921年(大正10年)7月、海軍兵学校(49期)を卒業。翌年5月に海軍少尉任官。海軍水雷学校高等科を卒業し、駆逐艦「秋風」「吹雪」「韓崎」の各水雷長、水雷学校教官などを経て、1933年(昭和8年)11月、海軍少佐に進級。駆逐艦「夕凪」「長月」「綾波」艦長などを歴任し、太平洋戦争を駆逐艦「天津風」艦長として迎えた。 第二十七駆逐隊司令を経て、1943年(昭和18年)5月に海軍大佐となった。水雷学校教官、兼川棚警備隊司令を歴任し、1944年(昭和19年)12月に第二水雷戦隊旗艦軽巡洋艦「矢矧」艦長に就任。
高橋 坦(たかはし たん、1893年(明治26年)1月29日… 高橋 坦(たかはし たん、1893年(明治26年)1月29日 - 1986年(昭和61年)1月8日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 香川県出身。県会議員・高橋彜太郎の二男として生まれる。高松中学校(香川県立高松高等学校)卒、小学校代用教員を経て、1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校(27期)を卒業。同年12月、砲兵少尉に任官し野砲兵第11連隊付となる。1917年(大正6年)11月、陸軍砲工学校普通科を卒業。1920年(大正9年)10月から1922年(大正11年)5月までシベリア出兵に従軍。1926年(大正15年)12月、陸軍大学校(38期)を卒業し山砲兵第11連隊中隊長に就任した。
冨家 政市(ふけ まさいち、1877年(明治10年)8月14… 冨家 政市(ふけ まさいち、1877年(明治10年)8月14日 - 1945年(昭和20年)9月28日[要出典])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。高松市長。 香川県、現在の高松市出身。香川県尋常中学校卒を経て、1898年(明治31年)11月25日、陸軍士官学校(10期)を卒業。1899年(明治32年)6月27日、陸軍工兵少尉に任官し、1924年(大正13年)2月4日に陸軍少将に至った。その間、陸軍士官学校教官、第3軍兵站電信隊長、工兵第5大隊中隊長、陸軍砲工学校教官、教育総監部工兵監部員、陸軍大学校教官、鉄道連隊附工兵第19大隊長、同第13大隊長を歴任した。少将としては対馬要塞司令官、陸軍科学研究所第1部長を務めた。