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池尻 浩一(いけじり こういち、1969年4月6日 - )は… 池尻 浩一(いけじり こういち、1969年4月6日 - )は、日本の政治家、元競輪選手、福岡県八女郡広川町の町議会議員(3期)。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第63期生。現役時は日本競輪選手会福岡支部所属。ホームバンクは久留米競輪場。師匠は香月英二。 福岡県立八女高等学校在学中は陸上競技を行ない、熊本大学と長崎大学をいずれも現役合格している。しかし、後に某テレビ番組で紹介されたが、高校時代より競輪選手を志望していた本人にとってみれば、大学入試は「滑り止め」としか考えていなかったようで、1988年に競輪学校の適性試験に合格し入学する。同期には出口眞浩らがおり、在校成績5勝の42位で卒業後、1989年4月14日、豊橋競輪場でデビューし、初勝利も同日。
藏内 勇夫(くらうち いさお、1953年〈昭和28年〉12月… 藏内 勇夫(くらうち いさお、1953年〈昭和28年〉12月7日 - )は、日本の獣医師、政治家。自由民主党所属の福岡県議会議員(10期)、全国都道府県議会議長会会長(第75代)、自由民主党福岡県支部連合会常任相談役、日本獣医師会会長(第12代)、福岡県獣医師会名誉会長。 自由民主党福岡県支部連合会会長、アジア獣医師会連合(FAVA)会長、中央畜産会常務理事、福岡県畜産協会会長、日本空手協会福岡県本部顧問、福岡県馬術連盟会長、筑後市体育協会会長などを歴任。獣医師の立場から「ワンヘルス」の推進などに取り組み、県連会長を務めたほか、内閣総理大臣などを務めた麻生太郎とも関係が近いことから「福岡県議会のドン」と称されている。
服部 征夫(はっとり ゆくお、1943年〈昭和18年〉1月8… 服部 征夫(はっとり ゆくお、1943年〈昭和18年〉1月8日 ‐ )は、日本の政治家。東京都台東区長(3期)。元東京都議会議員(5期)、元台東区議会議員(5期)。父親は福岡県八女市長を務めた服部寅雄。 東京市杉並区荻窪で五人兄弟の末っ子として生まれる。生後、母親の出身地であり、疎開先の埼玉県羽生市で疎開する。戦後、荻窪に戻り、杉並区立桃井第二小学校に入学し、卒業。卒業後に、父親の出身地である、福岡県八女市に転居し、高校卒業まで当市で育った。八女市立岡山中学校、福岡県立八女高等学校、日本大学法学部管理行政学科卒業。日大在学中に、鵜沢義行(政治学)のゼミで副総長をつとめる。 大学卒業後はブリヂストンタイヤ東京販売に勤務。
重富 吉之助(しげとみ きちのすけ、1933年4月20日 -… 重富 吉之助(しげとみ きちのすけ、1933年4月20日 - )は、日本の政治家。元・自由民主党参議院議員(竹下派、1期)。 福岡県出身。1952年福岡県立八女高等学校、1956年九州大学経済学部卒業。1960年防衛施設庁に入る。1981年臨時行政改革推進審議会事務局総務課長。1984年参事官に就任した。1986年中部管区行政監察局長。1987年審議官。1988年行政情報システム参事官を経て、1989年官房審議官。1990年12月に退官。1991年の福岡県知事選に出馬したが落選。同年9月の参院補選に自民党公認で立候補して当選。1992年に落選。1995年の福岡県知事選に再び立候補したが落選。同年の参議院選挙で無所属から立候補したが落選した。
稲富 稜人(稻富 稜人、いなとみ たかと、1902年10月1… 稲富 稜人(稻富 稜人、いなとみ たかと、1902年10月19日 - 1989年11月6日)は、日本の政治家、農民運動家。位階は従三位、勲等は勲一等。衆議院議員(13期)。 福岡県八女郡岡山村(現八女市)出身。代用教員を経て1925年に早稲田大学政経学部を卒業。卒業後は農民運動に身を投じた。平野力三率いる全日本農民組合同盟に加わり、日本農民党を経て社会民衆党に参加。その後赤松克麿・小池四郎らと日本国家社会党に参加するがこれも脱退して皇道会から東方会に移籍、1935年に浮羽郡から福岡県議に当選し2期。 1946年日本社会党から衆議院議員になったが、公職追放を受け同年6月22日に辞職。追放解除後の1953年に右派社会党から返り咲き(福岡3区)、再統一を経て1960年の民主社会党に参加。
矢野 酉雄(やの とりお、1897年(明治30年)10月6日… 矢野 酉雄(やの とりお、1897年(明治30年)10月6日 - 1963年(昭和38年)11月20日)は、大正から昭和期の教育者、雑誌編集者、政治家。参議院議員(1期)。号・孤山。 福岡県三池郡上内村大字上内(銀水村を経て現大牟田市大字上内)で矢野巽の息子として生まれる。福岡県立八女中学校を経て、1917年(大正6年)福岡師範学校を卒業。その後、中央大学法科、日本大学高等師範科で学び、同年、福岡県三池郡内各尋常小学校訓導を務めた。その後、文部省教員検定試験に合格し中等教員免状を取得。以後、沖縄県女子師範学校教諭兼訓導兼同県立高等女学校教諭、鹿児島県第二師範学校教諭兼訓導、福岡県立嘉穂中学校教諭、同県実業補習学校指導員などを務めた。