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山口 卓也(やまぐち たくや、1985年4月13日 - )は… 山口 卓也(やまぐち たくや、1985年4月13日 - )は、日本の政治家。佐賀県嬉野市長(1期)。 嬉野市出身。佐賀県立鹿島高等学校卒業。九州大学芸術工学部画像設計学科卒業。卒業後は福岡市役所、嬉野市役所に勤務した。2018年の嬉野市議会議員選挙に当選し、2期務める。 2025年10月1日に、翌年1月に行われる嬉野市長選挙に立候補することを表明。2026年1月の市長選挙では現職で自民党が推薦する村上大祐を破り、初当選を果たした。 ※当日有権者数:20,179人 最終投票率:66.78%(前回比: 0.1pts) 2月5日、市長に就任した。
松尾 勝利(まつお かつとし、1954年8月5日 - )は、… 松尾 勝利(まつお かつとし、1954年8月5日 - )は、日本の政治家。佐賀県鹿島市長(1期)、元鹿島市議会議員(4期)。 佐賀県鹿島市出身。佐賀県立鹿島高等学校出身。長崎大学水産学部卒業後、鹿島市内の実家に戻り農漁業を継ぎ、2008年からは佐賀県有明海漁業協同組合で監事及び鹿島支所の運営委員長も務めた。2007年に有明海漁協の仲間から「漁業者の声を議会に届けてほしい」と後押しされ、鹿島市議に初当選し、4期務めた。 2021年12月22日、翌年4月の鹿島市長選挙への立候補を表明し、2022年1月11日付で市議を辞職。4月24日の投開票の結果、元市議の稲富雅和を1,412票差で破り、初当選を果たした。
今村 雅弘(いまむら まさひろ、1947年〈昭和22年〉1月… 今村 雅弘(いまむら まさひろ、1947年〈昭和22年〉1月5日 ‐ )は、日本の政治家。カンボジア首相顧問。 衆議院議員(9期)、国土交通大臣政務官(第2次森改造内閣)、外務大臣政務官(第1次小泉内閣)、農林水産副大臣(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、衆議院決算行政監視委員長、衆議院国土交通委員長、復興大臣(第6代)等を務めた。 佐賀県鹿島市生まれ。佐賀県立鹿島高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1970年、日本国有鉄道に入社した。国鉄では主に人事・労務関係の部署に所属し、民営化後の九州旅客鉄道では経営管理室長や関連事業本部企画部長を務めた。 1996年、第41回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で佐賀2区より立候補し、新進党新人の横尾俊彦らを破り初当選した。
樋口 久俊(ひぐち ひさとし、1946年〈昭和21年〉2月1… 樋口 久俊(ひぐち ひさとし、1946年〈昭和21年〉2月12日 - )は、日本の政治家、農林水産官僚。元佐賀県鹿島市長(3期)。 佐賀県鹿島市出身。1964年(昭和39年)3月、佐賀県立鹿島高等学校卒業。1969年(昭和44年)6月、東京大学法学部(私法)卒業。そのまま学士入学し、1970年(昭和45年)3月、東京大学法学部(公法)卒業。同年4月、農林水産省に入省。2001年(平成13年)1月、退官。2002年(平成14年)4月から2004年(平成16年)3月まで神田外語大学の客員教授を務めた。 2003年(平成15年)4月13日に行われた佐賀県知事選挙に出馬し落選。 2010年(平成22年)4月11日公示、4月18日投票の鹿島市長選挙で無投票で初当選。
愛野 興一郎(あいの こういちろう、1928年4月18日 -… 愛野 興一郎(あいの こういちろう、1928年4月18日 - 1998年3月20日)は、日本の実業家、政治家。祐徳自動車3代目社長・初代会長。衆議院議員(9期)、経済企画庁長官(第40代)。 父も実業家・政治家で、祐徳自動車創立者、衆議院議員の愛野時一郎。 1928年愛野時一郎、すみれ夫妻の長男として神奈川県横浜市に生まれる。1945年に旧制鹿島中学校を卒業。 1951年に中央大学法学部を卒業後、農協組合長、1968年佐賀県議会議員、父の時一郎が創立したバス会社の祐徳自動車副社長・社長(議員在任中も社長を務め、後述の経済企画庁長官就任時に辞任し、初代会長に就任)を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙に自由民主党から立候補し初当選。
杉原 荒太(すぎはら あらた、1899年8月28日 – 19… 杉原 荒太(すぎはら あらた、1899年8月28日 – 1982年1月20日)は、日本の政治家、外交官。参議院議員(4期)。防衛庁長官(第3代)。 佐賀県杵島郡中通村(後の山内町、現武雄市)に生まれる。 1917年旧制鹿島中学校卒業。旅順中学校を経て1922年大阪市立高等商業学校(後の大阪市立大学)を卒業後。外務省に入省。アメリカ合衆国ヴァーモント大学に留学、卒業する。 帰朝後は南京総領事、本省法規課長、企画課長、大東亜省総務局長、外務省調査局長、同条約局長を歴任。 戦後、首相となった吉田茂とは何かと対立し、1946年いわゆる“Y項パージ”で外務省を追放され、弁護士となる。 1950年、第2回参議院議員通常選挙に自由党から佐賀選挙区にて立候補し当選を果たす。
山口 喜久一郎(やまぐち きくいちろう、1897年 <明治3… 山口 喜久一郎(やまぐち きくいちろう、1897年 <明治30年> 5月11日 - 1981年 <昭和56年> 5月6日)は日本の政治家、第52代衆議院議長(在任期間・1965年12月20日 - 1966年12月3日)。長崎県佐世保市出身(選挙区は和歌山県)。栄典は勲一等旭日大綬章、正三位、佐世保市名誉市民。 1915年旧制鹿島中学(現佐賀県立鹿島高等学校)卒業。1920年早稲田大学専門部中退。株式ブローカー、岡崎邦輔秘書を経て、1930年和歌山県会議員に当選。1937年の第20回衆議院議員総選挙に当時の旧和歌山1区から立憲政友会公認で立候補するが落選。同年より県会議長を2期務めた後、1942年の第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙)に前回と同じく旧和歌山1区から非推薦で立候補し衆議院議員に初当選。
相川 勝六(あいかわ かつろく、1891年(明治24年)12… 相川 勝六(あいかわ かつろく、1891年(明治24年)12月6日 - 1973年(昭和48年)10月3日)は、日本の内務及び厚生官僚、政治家、弁護士。宮崎・広島・愛知・愛媛各県官選知事。大政翼賛会実践局長、小磯内閣厚生大臣(第10代)、衆議院議員(8期)。 佐賀県藤津郡嬉野村(現嬉野市)出身。農業・相川定蔵の二男として生まれた。1911年、佐賀県立鹿島中学校卒業。1912年、第二高等学校入学。1915年、第二高等学校卒業。1919年7月、東京帝国大学法学部法律学科(独)卒業。 同年、内務省入省。千葉県属1926年、徳島県労務課長から警視庁刑事部長に就任。神奈川県警察部長などを歴任。1934年、内務省警保局保安課長となり第二次大本教弾圧などを指導。
井上 徳命(いのうえ とくめい、1887年(明治20年)6月… 井上 徳命(いのうえ とくめい、1887年(明治20年)6月11日 - 1966年(昭和41年)5月3日)は、明治末から昭和期の僧侶、教育者、政治家。衆議院議員。旧姓・岡。 佐賀県藤津郡、のちの七浦村(現鹿島市)の関家で生まれる。1904年(明治37年)鹿島中学校(現佐賀県立鹿島高等学校)を卒業後、すぐに鹿児島市和田の妙行寺のおじを頼って来鹿し第七高等学校造士館に入学。1910年(明治43年)7月、東京帝国大学文科大学哲学科(教育学)を卒業した。 佐賀の龍谷中学校(現龍谷中学校・高等学校)で勤務後、のちの出水市、西照寺・井上尽済の養子となる。鹿児島別院副輪番などを務め、出水高等女学校教員、伊作高等女学校長に在任。
田澤 義鋪(たざわ よしはる、1885年(明治18年)7月2… 田澤 義鋪(たざわ よしはる、1885年(明治18年)7月20日 - 1944年(昭和19年)11月24日)は、大正期及び昭和初期の社会教育家、政治家、思想家。佐賀県鹿島市出身。 青年教育と政治教育そして選挙粛正に一生を捧げた。とりわけ青年団運動及び青年教育に尽力した活動が知られており、「青年団の父」と称されている。 1885年(明治18年)7月20日、佐賀県藤津郡鹿島村(現鹿島市)大字高津原434番地に、父義陳・母みすの長男として生まれる。4歳で鹿島小学校に入学。幼少時は、旧鹿島藩主鍋島直彬の薫陶を受ける。1901年(明治34年)旧制佐賀県立鹿島中学校(現佐賀県立鹿島高等学校)卒業。熊本第五高等学校 (旧制)を経て1909年(明治42年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。