スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
貞包 里穂(さだかね りほ、1996年4月13日 - )は、… 貞包 里穂(さだかね りほ、1996年4月13日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 佐賀県嬉野市に3人兄妹の末っ子として生まれた(5つ上の兄、2つ上の兄がいる)。小学校低学年のとき、年上の従姉妹が佐賀北高等学校で選手として春高バレーに出場している姿に憧れ、小学3年生のときにバレーボールを始める。競技をはじめてからこれまで、バレーボールには「楽しい思い出しかない」という。これまで競技人生の中で、アウトサイドヒッター以外のポジションも経験したが、唯一セッターだけは経験がない。小学生当時の監督からも「下手だな」と評されるほどオーバーパスを不得意としていたものの、貞包自身の「セッターをやりたい」という気持ちは強かった。
石橋 朋美(いしばし ともみ、1992年10月1日 - )は… 石橋 朋美(いしばし ともみ、1992年10月1日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 佐賀県鹿島市出身。鹿島市立東部中学校を経て鹿島実業高校に進学し、3年次の春高バレーでは主将としてベスト8進出を果たした。 卒業後は東海大学に進学し、1年次に全日本バレーボール大学男女選手権大会で優勝を経験した。 2014年12月、PFUブルーキャッツの内定選手となった。2015年7月のユニバーシアード大会に出場した。 2016年11月5日のNECレッドロケッツ戦でプレミアリーグデビューを果たした。 2018年5月の黒鷲旗大会をもって現役引退。 Vプレミアリーグレギュラーラウンドにおける個人成績は下記の通り。
山口 卓也(やまぐち たくや、1985年4月13日 - )は… 山口 卓也(やまぐち たくや、1985年4月13日 - )は、日本の政治家。佐賀県嬉野市長(1期)。 嬉野市出身。佐賀県立鹿島高等学校卒業。九州大学芸術工学部画像設計学科卒業。卒業後は福岡市役所、嬉野市役所に勤務した。2018年の嬉野市議会議員選挙に当選し、2期務める。 2025年10月1日に、翌年1月に行われる嬉野市長選挙に立候補することを表明。2026年1月の市長選挙では現職で自民党が推薦する村上大祐を破り、初当選を果たした。 ※当日有権者数:20,179人 最終投票率:66.78%(前回比: 0.1pts) 2月5日、市長に就任した。
吉冨 博子(よしとみ ひろこ、1983年12月26日 - )… 吉冨 博子(よしとみ ひろこ、1983年12月26日 - )は日本の女子陸上競技(長距離走・マラソン)選手。佐賀県佐賀市出身。メモリード所属。 兄の影響で鹿島実業高校で陸上を始め、卒業後の2002年から実業団のサニックス陸上部に所属。駅伝を中心に競技を行っていたが故障のため2年で退部。その後2006年に監督の重松森雄の呼びかけで復帰したが、半年後の2007年に陸上部が廃部。重松の紹介で結婚・出産により一旦競技を引退後、市民ランナーとしてマラソン復帰を目指していた小鴨由水(重松が監督を務めていた岩田屋陸上部に所属していた)の練習パートナーとしてトレーニングを重ね、さらに小鴨と重松が立ち上げた福岡県のクラブチーム「ファーストドリームAC」の佐賀チームを作り練習を継続した。
山田 全自動(やまだ ぜんじどう、1983年3月4日 - )… 山田 全自動(やまだ ぜんじどう、1983年3月4日 - )は、日本のイラストレーター、ウェブデザイナー。本名は山田 孝之(やまだ たかゆき)。 丁髷、着物姿の江戸時代の町人が現代にタイムスリップしたようなイラストに加えられたシュールなコメントが特徴。 佐賀県鹿島市出身。佐賀県立鹿島高等学校、近畿大学卒業後、ウェブ制作会社に勤務。 2011年に福岡市にウェブデザイン会社「クラウドナイン」を設立した。他社との差別化のため、浮世絵を独学で学び、Instagramへ投稿したところ好評を得て、2016年2月からあるあるネタを盛り込んで笑える俳画の制作を始めたところ、有名人のフォロワーが付いたりメディアの取り上げに注目されるようになった。
ウラケン・ボルボックス(1983年 - )は、日本のイラスト… ウラケン・ボルボックス(1983年 - )は、日本のイラストレーター、漫画家、コンテ・マン。佐賀県鹿島市出身。日本大学芸術学部映画学科(撮影・録音コース)卒業。旧ペンネームはウラケン。 幼少期から絵を描くことが好きで、佐賀県立鹿島高等学校在学中は美術部に所属していた。映画監督を目指して日本大学芸術学部映画学科に進学したが、「映画での『食べ方』が分からず、CMも面白そうだったから」との理由で、卒業後はCM制作会社に就職した。 しかし、映像制作の現場は「性に合わなかった」といい、ストレスから椎間板ヘルニアを患い入院した。入院中にエッセイ漫画を描いてみたところ、「絵の方が性に合っている」と感じ、職場復帰後にコンテ・マンの仕事を奨められたこともあって、入社3年目で退職し独立した。
木原 友香(きはら ゆうか、1972年4月16日 - )は、… 木原 友香(きはら ゆうか、1972年4月16日 - )は、フリーアナウンサー。佐賀県鹿島市出身。元夫は九州朝日放送アナウンサーの近藤鉄太郎。一児の母。 佐賀県立鹿島高等学校を経て、西南学院大学文学部卒業。かつてはエフエム福岡アナウンサーであった。 西南大2回生だった1992年度にRKBラジオ『HiHiHi』のアシスタント集団「象足シスターズ」の第7期生として活躍。当番組のディレクターであった放送作家の種田守倖に見込まれ、1993年より種田が制作とパーソナリティを担当するエフエム佐賀の「ウィークエンド・ストリーツ」でも活躍。 大学卒業後の1995年、エフエム福岡に入社。同局の人気アナウンサーとして『クラシックがいい!!』や『ライヴのじかん』など多くの番組のパーソナリティを務めたが、近藤との結婚を機に2003年に同局を退社。
橋川 和晃(はしかわ かずあき、1971年5月2日-)は、佐… 橋川 和晃(はしかわ かずあき、1971年5月2日-)は、佐賀県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 大学までは選手としてプレー。大学卒業後は筑波大学大学院体育研究科に進んだ。1995年にアビスパ福岡にユースコーチとして入団。その後、福岡のアカデミーの監督を歴任した。 2016年にFC今治に転じてグローバル事業部長に就任、2020年から今治のアカデミー・メソッドグループ長に就任。2021年9月29日、解任された布啓一郎の後任として今治の監督に就任した。 2023年7月3日、WEリーグ・アルビレックス新潟レディースの監督に就任した。
前田 珠子(まえだ たまこ、1965年10月15日 - )は… 前田 珠子(まえだ たまこ、1965年10月15日 - )は、日本の作家。本名も同じ。佐賀県嬉野市出身。佐賀県立鹿島高等学校、佐賀大学農学部卒業。 1988年、「宇宙に吹く風 白い鳥」集英社コバルト文庫で文庫本デビュー。森山櫂という名でも執筆している。 主にコバルト文庫で活動しており、ほか角川スニーカー文庫、新書館ウィングス・ノヴェルス、ウィングス文庫、小学館パレット文庫等でも執筆している。 サークル名:言葉使い師、魔法使いの弟子、名義:前田珠子、森山櫂。
江口 祥一郎(えぐち しょういちろう、1955年12月7日 … 江口 祥一郎(えぐち しょういちろう、1955年12月7日 - )は、日本の実業家。佐賀県出身。株式会社JVCケンウッド代表取締役社長執行役員(最高経営責任者・CEO)。 佐賀県杵島郡白石町生まれ。佐賀県立鹿島高等学校から早稲田大学商学部卒業。 1979年トリオ株式会社(現:株式会社JVCケンウッド)入社。 入社後、アメリカ、イタリア、オランダで通算18年間の海外事業に従事。 2008年のケンウッドと日本ビクターとの経営統合後、海外事業、車載分野の拡大に注力。 江口祥一郎 株式会社JVCケンウッド 代表取締役・社長執行役員 最高経営責任者(CEO) https://shikiho.jp/stocks/6632
井手 洋子(いで ようこ、1955年 - 2023年8月13… 井手 洋子(いで ようこ、1955年 - 2023年8月13日)は、日本の映画監督。佐賀県鹿島市出身。 佐賀県立鹿島高等学校卒業。1979年、明治学院大学文学部英文学科卒業。1985年にドキュメンタリー監督の羽田澄子と出会い、1986年、演出アシスタントとして映像制作の仕事に従事。同監督の『安心して老いるために』(1985年度キネマ旬報文化映画部門ベスト・ワン)、『歌舞伎役者 片岡仁左衛門』 で助監督としてつく。その後、独り立ちして、「仕事、君はどう思う?」、「東京のモダニズム建築 学校篇」、布川事件を扱ったドキュメンタリー映画『ショージとタカオ』などを監督。2012年4月に文芸春秋社より、単行本「ショージとタカオ」が刊行された。
松尾 勝利(まつお かつとし、1954年8月5日 - )は、… 松尾 勝利(まつお かつとし、1954年8月5日 - )は、日本の政治家。佐賀県鹿島市長(1期)、元鹿島市議会議員(4期)。 佐賀県鹿島市出身。佐賀県立鹿島高等学校出身。長崎大学水産学部卒業後、鹿島市内の実家に戻り農漁業を継ぎ、2008年からは佐賀県有明海漁業協同組合で監事及び鹿島支所の運営委員長も務めた。2007年に有明海漁協の仲間から「漁業者の声を議会に届けてほしい」と後押しされ、鹿島市議に初当選し、4期務めた。 2021年12月22日、翌年4月の鹿島市長選挙への立候補を表明し、2022年1月11日付で市議を辞職。4月24日の投開票の結果、元市議の稲富雅和を1,412票差で破り、初当選を果たした。
喜多 秀喜(きた ひでき、1952年9月28日 - )は、佐… 喜多 秀喜(きた ひでき、1952年9月28日 - )は、佐賀県鹿島市出身の元陸上競技選手、流通経済大学社会学部教授、陸上競技部監督。 佐賀県立鹿島実業高等学校を卒業後、福岡大学に進学。福岡大学卒業後、神戸製鋼所に入社。武冨豊らと陸上部を引っ張った。 1978年12月の福岡国際マラソンでは優勝した瀬古利彦に次ぐ2位、1979年2月の別府大分毎日マラソンで優勝。日本が不参加となった1980年モスクワオリンピックには、マラソンの選考レースだった福岡国際マラソンは惨敗したものの、5000、10000メートルの代表に選ばれている。1981年には海外の強豪を抑え第1回東京国際マラソンで優勝を果たした。その後北京国際マラソン、青梅マラソンを制した。
今村 雅弘(いまむら まさひろ、1947年〈昭和22年〉1月… 今村 雅弘(いまむら まさひろ、1947年〈昭和22年〉1月5日 ‐ )は、日本の政治家。カンボジア首相顧問。 衆議院議員(9期)、国土交通大臣政務官(第2次森改造内閣)、外務大臣政務官(第1次小泉内閣)、農林水産副大臣(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、衆議院決算行政監視委員長、衆議院国土交通委員長、復興大臣(第6代)等を務めた。 佐賀県鹿島市生まれ。佐賀県立鹿島高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1970年、日本国有鉄道に入社した。国鉄では主に人事・労務関係の部署に所属し、民営化後の九州旅客鉄道では経営管理室長や関連事業本部企画部長を務めた。 1996年、第41回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で佐賀2区より立候補し、新進党新人の横尾俊彦らを破り初当選した。
樋口 久俊(ひぐち ひさとし、1946年〈昭和21年〉2月1… 樋口 久俊(ひぐち ひさとし、1946年〈昭和21年〉2月12日 - )は、日本の政治家、農林水産官僚。元佐賀県鹿島市長(3期)。 佐賀県鹿島市出身。1964年(昭和39年)3月、佐賀県立鹿島高等学校卒業。1969年(昭和44年)6月、東京大学法学部(私法)卒業。そのまま学士入学し、1970年(昭和45年)3月、東京大学法学部(公法)卒業。同年4月、農林水産省に入省。2001年(平成13年)1月、退官。2002年(平成14年)4月から2004年(平成16年)3月まで神田外語大学の客員教授を務めた。 2003年(平成15年)4月13日に行われた佐賀県知事選挙に出馬し落選。 2010年(平成22年)4月11日公示、4月18日投票の鹿島市長選挙で無投票で初当選。
大塚 清吾(おおつか せいご、1946年- )は、日本の写真… 大塚 清吾(おおつか せいご、1946年- )は、日本の写真家。 中国ハルビンの満鉄官舎に生まれ同年佐賀県鹿島市に引き揚げる。佐賀県立鹿島実業高等学校商業科卒、1966年東京写真短期大学(現東京工芸大学)卒。代議士三池信の秘書をへて、1967年松竹写真部に入り、歌舞伎や新派などの記録、宣伝の舞台写真を担当する。1969年松竹退社。沖縄へ渡り、伝統工芸の職人たちの探訪取材を始める。木村伊兵衛、吉田千秋に師事。1981年から「NHK特集 シルクロード」取材に同行し多くの写真集を刊行する。
川内 八洲男(かわうち やすお、1945年11月27日 - … 川内 八洲男(かわうち やすお、1945年11月27日 - 2014年7月2日)は、佐賀県藤津郡出身のプロ野球選手。ポジションは投手。 佐賀県立鹿島高等学校では、1962年秋季九州大会県予選準決勝に進むが、佐賀商に敗退。翌1963年夏も県予選準々決勝で龍谷高に敗れ、甲子園には出場できなかった。 1964年に近鉄バファローズへ入団。 1965年のジュニアオールスターに選出された。 1967年には中継ぎとして一軍に定着、初勝利を挙げた。 1968年は39試合に登板、8月20日には初先発で西鉄ライオンズに完封勝利、同年は4勝を記録した。 1970年オフに伊藤竜彦とのトレードで中日ドラゴンズへ移籍。 1971年には、4月から先発陣の一角として起用され、43試合に登板、自己最多勝利となる7勝を記録。
宮崎 昭二(みやざき しょうじ、1943年4月16日 - )… 宮崎 昭二(みやざき しょうじ、1943年4月16日 - )は、佐賀県鹿島市出身の元プロ野球選手(投手)。 鹿島高校では2年次の1960年に投手として夏の甲子園に出場し、熊本商、平安高、明石高を降して勝ち進む。準決勝ではこの大会に優勝した法政二高と対戦するが、同じ2年生エースの柴田勲らに抑えられ完封負けするが、佐賀県勢初のベスト4入りの原動力となった。同年の熊本国体にも出場するが、1回戦で秋田商の今川敬三(早大-秋田商監督)に完封を喫する。3年次の1961年夏には西九州大会準決勝に進出するが、海星高のエース池辺巌を崩せず惜敗、夏の選手権への連続出場はならなかった。 卒業後の1962年に東映フライヤーズへ入団し、1年目の同年から一軍に上がる。
江島 恵教(えじま やすのり、1939年(昭和14年)8月2… 江島 恵教(えじま やすのり、1939年(昭和14年)8月28日 - 1999年(平成11年)5月22日)は、日本の仏教学者。 佐賀県唐津市生まれ。1958年佐賀県立鹿島高等学校卒、1962年東京大学文学部印度哲学梵文学科卒、1966年同大学院博士課程中退、東京大学東洋文化研究所助手、1972-1974年ドイツ・ゲッティンゲン大学で在外研修、1974年助手を退官、1975年「Bhavavivekaを中心とする中観学派の研究 空性論証の論理をめぐって」で東大文学博士。1978年長岡技術科学大学助教授、1982年東大文学部助教授、1987年教授。定年前に病没。没後従四位勲三等瑞宝章受勲。
山口 宗之(やまぐち むねゆき、1928年〈昭和3年〉8月5… 山口 宗之(やまぐち むねゆき、1928年〈昭和3年〉8月5日 - 2012年〈平成24年〉3月21日)は、日本の歴史学者。従四位瑞宝中綬章。学位は文学博士(九州大学・1980年・論文博士)。九州大学名誉教授。専門は幕末政治思想史。陸海軍将校に関する著書もある。 佐賀県藤津郡多良村(現・太良町大字多良)生まれ。1935年(昭和10年)、村立多良尋常小学校入学。1941年(昭和16年)、佐賀県立鹿島中学校(現・佐賀県立鹿島高等学校)入学。1945年(昭和20年)3月、佐賀県立鹿島中学校卒業(4年繰上げ)。同年4月、第七高等学校造士館文科一類(のち文科乙類となる)入学。1948年(昭和23年)3月、第七高等学校造士館文科乙類卒業。
愛野 興一郎(あいの こういちろう、1928年4月18日 -… 愛野 興一郎(あいの こういちろう、1928年4月18日 - 1998年3月20日)は、日本の実業家、政治家。祐徳自動車3代目社長・初代会長。衆議院議員(9期)、経済企画庁長官(第40代)。 父も実業家・政治家で、祐徳自動車創立者、衆議院議員の愛野時一郎。 1928年愛野時一郎、すみれ夫妻の長男として神奈川県横浜市に生まれる。1945年に旧制鹿島中学校を卒業。 1951年に中央大学法学部を卒業後、農協組合長、1968年佐賀県議会議員、父の時一郎が創立したバス会社の祐徳自動車副社長・社長(議員在任中も社長を務め、後述の経済企画庁長官就任時に辞任し、初代会長に就任)を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙に自由民主党から立候補し初当選。
鈴田 照次(すずた てるじ、1916年10月27日 - 19… 鈴田 照次(すずた てるじ、1916年10月27日 - 1981年9月8日)は、日本の染織家。鍋島更紗を、「鍋島更紗秘伝書」と「見本帖」をもとに復元に着手し、「木版摺更紗」を完成させた。人間国宝であり、染織家である鈴田滋人の父。
山口 良忠(やまぐち よしただ、1913年(大正2年)11月… 山口 良忠(やまぐち よしただ、1913年(大正2年)11月16日 - 1947年(昭和22年)10月11日)とは、日本の裁判官。佐賀県杵島郡白石町出身。太平洋戦争の終戦後の食糧難の時代に、闇市の闇米を拒否して食糧管理法に沿った配給食糧のみを口にし、栄養失調で亡くなったことで知られる。 1913年(大正2年)、佐賀県杵島郡福治村(現在の白石町)に、小学校教師の長男として生まれる(→白石町ホームページ)。鹿島中学校(旧制)・佐賀高等学校(旧制)・京都帝国大学法学部を卒業。大学院に進み宮本英脩・佐伯千仭に師事、高等文官試験司法科試験に合格、判事となる。1942年(昭和17年)に東京民事地方裁判所に転任後、1946年(昭和21年)10月に東京区裁判所の経済事犯専任判事となる。
林 誠之助(はやし せいのすけ、1907年3月 - 1988… 林 誠之助(はやし せいのすけ、1907年3月 - 1988年12月9日)は、日本の俳優である。本名久保 十郎(くぼ じゅうろう)。引退後、実業家となった。 1907年(明治40年)3月、佐賀県杵島郡橘村(現在の同県武雄市橘町)に生まれる。 旧制・佐賀県立鹿島中学校(現在の佐賀県立鹿島高等学校)に進学するも、1923年(大正12年)に中途退学し、二代目市川荒太郎に入門して歌舞伎役者となる。翌1924年(大正13年)、師の荒太郎とともに京都の松竹下加茂撮影所に入社、師の主演映画に「林 誠之助」の名で助演して、映画界にデビューする。同年末、師の荒太郎は同撮影所を退社、それを機に、林は松竹キネマに残留し、東京の松竹蒲田撮影所に異動する。
杉原 荒太(すぎはら あらた、1899年8月28日 – 19… 杉原 荒太(すぎはら あらた、1899年8月28日 – 1982年1月20日)は、日本の政治家、外交官。参議院議員(4期)。防衛庁長官(第3代)。 佐賀県杵島郡中通村(後の山内町、現武雄市)に生まれる。 1917年旧制鹿島中学校卒業。旅順中学校を経て1922年大阪市立高等商業学校(後の大阪市立大学)を卒業後。外務省に入省。アメリカ合衆国ヴァーモント大学に留学、卒業する。 帰朝後は南京総領事、本省法規課長、企画課長、大東亜省総務局長、外務省調査局長、同条約局長を歴任。 戦後、首相となった吉田茂とは何かと対立し、1946年いわゆる“Y項パージ”で外務省を追放され、弁護士となる。 1950年、第2回参議院議員通常選挙に自由党から佐賀選挙区にて立候補し当選を果たす。
山口 喜久一郎(やまぐち きくいちろう、1897年 <明治3… 山口 喜久一郎(やまぐち きくいちろう、1897年 <明治30年> 5月11日 - 1981年 <昭和56年> 5月6日)は日本の政治家、第52代衆議院議長(在任期間・1965年12月20日 - 1966年12月3日)。長崎県佐世保市出身(選挙区は和歌山県)。栄典は勲一等旭日大綬章、正三位、佐世保市名誉市民。 1915年旧制鹿島中学(現佐賀県立鹿島高等学校)卒業。1920年早稲田大学専門部中退。株式ブローカー、岡崎邦輔秘書を経て、1930年和歌山県会議員に当選。1937年の第20回衆議院議員総選挙に当時の旧和歌山1区から立憲政友会公認で立候補するが落選。同年より県会議長を2期務めた後、1942年の第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙)に前回と同じく旧和歌山1区から非推薦で立候補し衆議院議員に初当選。
小野 十生(おの じゅっせい[要出典]、1896年(明治29… 小野 十生(おの じゅっせい[要出典]、1896年(明治29年) - 1974年(昭和49年))は、日本の剣道家。段位は範士九段。流派は小野派一刀流。 佐賀県生まれ。佐々木正宜、納富教雄らに剣道を学び、佐賀県立鹿島中学校を卒業。京都の大日本武徳会本部講習生を経て、大日本武徳会滋賀支部、滋賀県警察部、朝鮮慶尚北道大邱警察、国士舘専門学校、警視庁の剣道師範を歴任。笹森順造から小野派一刀流剣術を学ぶ。
相川 勝六(あいかわ かつろく、1891年(明治24年)12… 相川 勝六(あいかわ かつろく、1891年(明治24年)12月6日 - 1973年(昭和48年)10月3日)は、日本の内務及び厚生官僚、政治家、弁護士。宮崎・広島・愛知・愛媛各県官選知事。大政翼賛会実践局長、小磯内閣厚生大臣(第10代)、衆議院議員(8期)。 佐賀県藤津郡嬉野村(現嬉野市)出身。農業・相川定蔵の二男として生まれた。1911年、佐賀県立鹿島中学校卒業。1912年、第二高等学校入学。1915年、第二高等学校卒業。1919年7月、東京帝国大学法学部法律学科(独)卒業。 同年、内務省入省。千葉県属1926年、徳島県労務課長から警視庁刑事部長に就任。神奈川県警察部長などを歴任。1934年、内務省警保局保安課長となり第二次大本教弾圧などを指導。
井上 徳命(いのうえ とくめい、1887年(明治20年)6月… 井上 徳命(いのうえ とくめい、1887年(明治20年)6月11日 - 1966年(昭和41年)5月3日)は、明治末から昭和期の僧侶、教育者、政治家。衆議院議員。旧姓・岡。 佐賀県藤津郡、のちの七浦村(現鹿島市)の関家で生まれる。1904年(明治37年)鹿島中学校(現佐賀県立鹿島高等学校)を卒業後、すぐに鹿児島市和田の妙行寺のおじを頼って来鹿し第七高等学校造士館に入学。1910年(明治43年)7月、東京帝国大学文科大学哲学科(教育学)を卒業した。 佐賀の龍谷中学校(現龍谷中学校・高等学校)で勤務後、のちの出水市、西照寺・井上尽済の養子となる。鹿児島別院副輪番などを務め、出水高等女学校教員、伊作高等女学校長に在任。
大川内 傳七(大川内 伝七、おおかわち でんしち、1886年… 大川内 傳七(大川内 伝七、おおかわち でんしち、1886年〈明治19年〉9月2日 - 1958年〈昭和33年〉2月13日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。佐賀県塩田町出身。 軍歌『比島決戦の歌』で「海に鉄血大川内」と歌われていることで知られる。 旧制佐賀県立鹿島中学校より海軍兵学校37期入校。大川内の奉職履歴で他の海軍将校と際立って異なるのは、自身を含め練習艦隊に4度参加していることである。 1936年(昭和11年)、上海の日本租界の警備にあたる上海海軍特別陸戦隊の司令官に就任。在職中の翌1937年(昭和12年)に日中戦争が勃発した。国際都市である上海を重視する中国国民党軍は、上海駐留の日本軍が手薄な状態なのに乗じて攻撃をかけた(第二次上海事変)。
田澤 義鋪(たざわ よしはる、1885年(明治18年)7月2… 田澤 義鋪(たざわ よしはる、1885年(明治18年)7月20日 - 1944年(昭和19年)11月24日)は、大正期及び昭和初期の社会教育家、政治家、思想家。佐賀県鹿島市出身。 青年教育と政治教育そして選挙粛正に一生を捧げた。とりわけ青年団運動及び青年教育に尽力した活動が知られており、「青年団の父」と称されている。 1885年(明治18年)7月20日、佐賀県藤津郡鹿島村(現鹿島市)大字高津原434番地に、父義陳・母みすの長男として生まれる。4歳で鹿島小学校に入学。幼少時は、旧鹿島藩主鍋島直彬の薫陶を受ける。1901年(明治34年)旧制佐賀県立鹿島中学校(現佐賀県立鹿島高等学校)卒業。熊本第五高等学校 (旧制)を経て1909年(明治42年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。
田中 鉄三郎(たなか てつさぶろう、1883年(明治16年)… 田中 鉄三郎(たなか てつさぶろう、1883年(明治16年)1月20日 - 1974年(昭和49年)12月2日)は、大正時代から昭和時代の日本の銀行家、実業家。満州中央銀行や朝鮮銀行の総裁を務めた。 旧鹿島藩士で沖縄県学務課長や師範学校長、佐賀県藤津郡郡長などを務めた田中馨治の三男として佐賀県藤津郡高津原村(後に南鹿島村、現在は鹿島市高津原)に生まれる。1907年(明治40年)、東京帝国大学政治学科を卒業する。1909年(明治42年)に日本銀行に入行し、1917年(大正6年)から1920年(大正9年)にかけてロンドン代理店監督役付を務め、第一次世界大戦の賠償会議に委員として参加する。1929年(昭和4年)ロンドン代理店監督となる。
中村 なぎさ(なかむら なぎさ、8月8日 - )は、福岡県と… 中村 なぎさ(なかむら なぎさ、8月8日 - )は、福岡県と佐賀県を拠点に活動している日本のフリーアナウンサー。パインズ所属。 佐賀県出身。佐賀県立鹿島高等学校卒業。2001年4月にサガテレビ (sts) に入社し、2014年まで同局のアナウンサーを務めていた。在籍中にはアナウンス業務と並行して、記者、番組ディレクター、編成部の主任も務めていた。 入社年に『FNS27時間テレビ』でテレビデビューした後、2003年 - 2005年のFNSの日にサガテレビ代表として出演した。このうち、2004年放送の回には応援中継リポーターとして出演し、FNS全国一斉期末テストに参加した[出典無効]。 サガテレビを退社してからは、九州北部で日本朗読検定協会のプロフェッサーやこどもアナウンス発声協会の講師として活動している。
平石 直之(ひらいし なおゆき)は、テレビ朝日のアナウンサー… 平石 直之(ひらいし なおゆき)は、テレビ朝日のアナウンサー。 大阪府松原市生まれ。小学3年時に佐賀県鹿島市に転居。佐賀県立鹿島高等学校、早稲田大学政治経済学部を卒業。 1997年、テレビ朝日に入社。主に報道・情報番組のキャスターとして活動しているが、入社当初は『内村プロデュース』などのバラエティ番組にも時おり登場した。 『ニュースステーション』、『スーパーJチャンネル』、『サンデー・フロントライン』『報道ステーション』などで全国各地を飛び回り、47都道府県すべてに訪れたことがあるという。 2004年6月から丸川珠代に代わって1年間ニューヨーク支局に勤務し、イチローの年間最多安打記録やアメリカ大統領選挙などを取材。
宮崎 寛(みやざき ひろし)は、日本の元アマチュア野球選手(… 宮崎 寛(みやざき ひろし)は、日本の元アマチュア野球選手(投手)。 佐賀県立鹿島高等学校では、1967年夏の甲子園県予選2回戦で佐賀東高に敗れた。1967年のドラフト会議で西鉄ライオンズから14位指名を受けたが、入団を拒否し、住友金属に入社した。山中正竹に次ぐ主力投手として1972年の都市対抗に出場。2回戦では先発として起用され、リッカーミシンに完封勝ちを飾る。準々決勝に進むが、三菱自動車川崎に敗退。1973年の第10回アジア野球選手権大会日本代表に選出され、オーストラリア戦では先発として、フィリピン戦では中継ぎとして活躍した。1975年の社会人野球日本選手権でもリリーフとして活躍、準決勝に進むが鐘淵化学の宮田典計に抑えられ完封負け。