スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
野元 浩輝(のもと ひろき、1998年5月16日 - )は、… 野元 浩輝(のもと ひろき、1998年5月16日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 同郷の佐世保市出身の城島健司の活躍をMLB中継で見て「俺もああなりたい」と野球を始めた。中学時代は軟式野球部で捕手と投手を兼任した。 佐世保工業高校時代の2016年7月の第64回NHK杯長崎県高校野球大会では1回戦の長崎北高校戦で10奪三振を奪うも、2回戦で敗れる。同年夏の長崎県大会では、大会が始まってから体調を崩していたこともあり3回戦の長崎商高校戦で5回までに4失点して敗退。 同年のプロ野球ドラフト会議にて東北楽天ゴールデンイーグルスから7巡目で指名され、契約金2000万円、年俸500万円(金額は推定)で契約した。
黒木 健孝(くろき やすたか、1982年1月9日 - )は、… 黒木 健孝(くろき やすたか、1982年1月9日 - )は、日本の元プロボクサー。長崎県佐世保市出身。第21代日本ミニマム級王者。第13代OPBF東洋太平洋ミニマム級王者。ヤマグチ土浦ボクシングジム所属。長崎県立佐世保工業高等学校定時制卒業。 中学卒業後地元のボクシングジムでボクシングを始める。会長の紹介で高校卒業後の19歳の時、ヤマグチ土浦ボクシングジムへ移籍した。 2001年9月29日、プロデビュー、加藤和之に4回判定負け。 2006年4月15日、元IBF世界ミニマム級王者ニコ・トーマス(インドネシア)と対戦し、初回KO勝ち。この勝利により日本ランキング2位から1位へ上昇し、以後1位を保持。
香田 勲男(こうだ いさお、1965年5月29日 - )は、… 香田 勲男(こうだ いさお、1965年5月29日 - )は、長崎県東彼杵郡東彼杵町出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者、野球解説者・野球評論家。 現役時代には、読売ジャイアンツ(巨人)と近鉄バファローズに在籍。2001年に大阪近鉄バファローズで現役を引退してからは、日本プロ野球(NPB)の3球団(巨人・近鉄・阪神タイガース)や韓国プロ野球(KBO)・斗山ベアーズの投手コーチを経て、2022年1月4日から佐世保市の九州文化学園高等学校で硬式野球部の監督を務めている。 1982年、佐世保工業高校の2年生エースとして第64回全国高等学校野球選手権大会に出場。翌年の春夏まで3季連続で甲子園出場を果たし、3回とも初戦を突破。
白武 佳久(しらたけ よしひさ、1960年5月6日 - )は… 白武 佳久(しらたけ よしひさ、1960年5月6日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(投手)。 4人兄弟の末っ子として生まれる。佐世保市相浦中在学中、当初は陸上部に所属していたが、同校軟式野球部監督から勧誘を受け転部。本格的に野球を始める。 中学卒業後は自衛隊入隊の進路希望だったが、佐世保工OBで野球経験者である8歳上の次兄の説得を受け、佐世保工機械科に進学。次兄の口利きもあり同校硬式野球部に入部。 佐世保工業高では、エースとして1978年夏の甲子園に出場。しかし2回戦(初戦)で栗岡英智のいた中京高校に敗れた。 高校卒業後は首都大学野球連盟の伝統校日本体育大学へ進学。当時の首都大学野球リーグは原辰徳、津末英明らの強打線とエース井辺康二を擁する東海大学が席巻していたが、これを圧倒し2年の秋季リーグから3季連続優勝。
垣野 多鶴(かきの たづる、1951年6月15日 - 202… 垣野 多鶴(かきの たづる、1951年6月15日 - 2021年4月4日)は、野球選手(内野手)・監督。元社会人野球・NTT東日本硬式野球部監督。第15回アジア競技大会野球日本代表監督。 長崎県佐世保市出身。長崎県立佐世保工業高等学校では、1968年の2年次に右翼手、一番打者として夏の甲子園県予選決勝に進むが、海星高に敗退。翌1969年夏も県予選準決勝で長崎工に敗れ、甲子園には届かなかった。 1970年に卒業後、東海大学に進学し内野手として活躍。首都大学野球リーグでは、いずれも秋季に4回の優勝を経験。リーグ戦通算82試合出場、297打数95安打、打率.320、12本塁打、52打点。ベストナイン6回(遊撃手1回、二塁手5回)受賞。
浦 敏明(うら としあき、1947年 - )は、日本のラグビ… 浦 敏明(うら としあき、1947年 - )は、日本のラグビー指導者。現在長崎北陽台高校ラグビー部のFWコーチを務めている。現役時代のポジションはフランカー(FL)。 高校からラグビーを始めた。 佐世保工業高校、日本体育大学を経て、1969年、大村園芸高校ラグビー部の監督に就任。なお日本体育大学時代、副将を務めた。 1980年、長崎北陽台高校ラグビー部の監督に就任。22年間監督を務めて第74回全国高校ラグビー大会では準優勝になった。 2007年、長崎北陽台高校ラグビー部のコーチに復帰。