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路木 健(みちき けん、1972年10月16日 - )は、長… 路木 健(みちき けん、1972年10月16日 - )は、長崎県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。実弟は路木龍次。現在は京都サンガF.C.スタッフ。 現役時代はドリブルによるサイドの突破が魅力のミッドフィールダーであった。 国見高校3年時に全国高等学校サッカー選手権大会優勝、大会優秀選手にも選ばれた。 1991年にマツダSC(現、サンフレッチェ広島)に入団。同期は森山佳郎、森秀昭、柳本啓成、笛真人、松山大輔、小倉一浩がいる。その後引き続き、サンフレッチェ広島にも在籍したが、トップ出場はなし。 1993年に京都パープルサンガ(現、京都サンガF.C.)に移籍、2年間プレーしたあと1995年に現役引退。
内田 利広(うちだ としひろ、1972年8月12日 - )は… 内田 利広(うちだ としひろ、1972年8月12日 - )は、長崎県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF(守備的MF)。 小学生時代に多比良少年団で全日本少年サッカー大会準優勝、中学時代に国見中学で全国中学校サッカー大会準優勝、高校時代に国見高等学校で全国高校サッカー選手権大会優勝の実績を持つ。またU-17サッカー日本代表やバルセロナ五輪予選代表にも選出されている。 1995年に入団した名古屋グランパスエイトでは1試合の出場に留まったが、1997年に移籍したセレッソ大阪では運動量の多い、いぶし銀のボランチとして66試合に出場した。 現役引退後はセレッソ大阪ユースのコーチを経て、2003年以降は国見町(現:雲仙市)役場に勤務している。
中口 雅史(なかぐち まさふみ、1972年4月10日 - )… 中口 雅史(なかぐち まさふみ、1972年4月10日 - )は、徳島県徳島市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 長崎県立国見高校時代は決定力の高いFWとして活躍。初の九州勢同士の決勝となった第69回全国高等学校サッカー選手権大会決勝の対鹿児島実業高校戦では、延長後半に決勝点を挙げ、国見高校を優勝へ導いた。 大阪商業大学を経て1995年に入団したガンバ大阪での公式戦の試合出場はなし。1997年からは佐川急便大阪SCに完全移籍。関西サッカーリーグ1部では1998年および1999年にベスト11に選出された。 引退後の2002年から佐川急便大阪SCでコーチを務め、2006年に監督に昇格。
原田 武男(はらだ たけお、1971年10月2日 - )は、… 原田 武男(はらだ たけお、1971年10月2日 - )は、佐賀県出身の元サッカー選手・指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションはMF、DF。 小学校3年生のときに兄二人の影響でサッカーを始める。鹿島東部中学校を経て、高校は長崎県の国見高校に進む。1年次に全国高校サッカー選手権に優勝、3年次はチームの主将を任される。進学した早稲田大学では、4年次に第42回全日本大学サッカー選手権大会で優勝、原田は5得点をあげて最優秀選手賞を受賞した。大学での同期に相馬直樹がいる。大学時代にはユニバーシアード日本代表、オリンピック日本代表に選出され、バルセロナ五輪アジア予選に出場。1991年には日本代表に召集され、試合出場はなかったが韓国代表との国際Aマッチにベンチ入りした。
永井 秀樹(ながい ひでき、1971年1月26日 - )は、… 永井 秀樹(ながい ひでき、1971年1月26日 - )は、大分県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF。 元サッカー選手、サッカー指導者の永井篤志は実弟である。 三浦知良に抜かれるまでのJFL最年長得点記録を持っていた。 長崎県立国見高校を卒業後、国士舘大学に入学しバルセロナオリンピック最終予選に出場するも、本大会の出場権を取れなかったことで大学を中退し、1992年にヴェルディ川崎(現:東京ヴェルディ1969)に入団。 1995年にジャパンフットボールリーグの福岡ブルックス(現・アビスパ福岡)、1996年に清水エスパルスに期限付き移籍後、翌年にV川崎に復帰。その後翌1998年に横浜フリューゲルスに完全移籍。
山木 勝博(やまき かつひろ、1970年4月16日 - )は… 山木 勝博(やまき かつひろ、1970年4月16日 - )は熊本県出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。 長崎県立国見高等学校では1学年上に二宮浩や吉田裕幸、同期に永井秀樹、1学年下に原田武男らがいる。2年時の高校総体では準優勝。冬の高校選手権(第66回)では、決勝の東海大学第一高校戦において決勝点となるボレーシュートを決め、同校の初優勝に貢献した。大会後には優秀選手に選ばれ、日本高校選抜の欧州遠征に参加した。3年時の高校選手権(第67回)ではベスト8に終わったが前年に続き優秀選手に選ばれた。 高校卒業後に駒澤大学へ進学したが、その後中退し、1992年に日本サッカーリーグ2部の住友金属工業蹴球団に加入。
吉田 裕幸(よしだ ひろゆき、1969年11月25日 - )… 吉田 裕幸(よしだ ひろゆき、1969年11月25日 - )は、長崎県出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 Jリーグ昇格後はファネンブルクの控えに回ったが、旧JFL時代は背番号10をつけたこともある選手。現役を引退後、静岡県の芥田学園高等学校の体育教員となる。その後、2006年に大分トリニータU-18コーチに就任し、U-15監督、U-18監督と2010年までの5年間で3職に携わった。 2011年にベガルタ仙台へ移り、同年はジュニアユースコーチ、翌2012年から2016年までジュニアユース監督を務めた。2020年までアカデミーダイレクター補佐兼アカデミースカウトを務め、ベガルタ仙台を退団した。
立石 敬之(たていし たかゆき、1969年7月8日 - )は… 立石 敬之(たていし たかゆき、1969年7月8日 - )は福岡県北九州市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 学生時代は、響南中学校で全国3位、国見高校で総体準優勝、1987年度の選手権では、同期のFW二宮浩及び一学年下のMF永井秀樹と共にチームの軸となり決勝戦の無失点勝利に貢献して優勝を果たすなど活躍。創価大学に進むとブラジルやアルゼンチンへの留学で経験を積んだ。 大学卒業後はブラジルのECノロエスチでプレーし、後にベルマーレ平塚、東京ガス(後のFC東京)、大分トリニータと旧JFLでプレー。東京ガスでは岡島清延とドイスボランチを形成し活躍。大分では現役引退後もコーチや強化部長などを歴任、トップ強化とユース育成を同時進行で進める。
中尾 幸太郎(なかお こうたろう、1969年6月8日 - )… 中尾 幸太郎(なかお こうたろう、1969年6月8日 - )は、長崎県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはDF。 国見高校、大阪商業大学を経て、川崎製鉄サッカー部(後のヴィッセル神戸)に入部。1997年には川崎製鉄時代から3人目の生え抜き選手としてJリーグのピッチに立った(他の2人はGKの兼本正光とDFの梶山洋一である)。 ヴィッセルを退団後は佐川急便で働きながら佐川系のサッカークラブを転々。2005年に佐川急便京都サッカー部の選手兼任監督に就任するも、同年限りでサッカー部の廃部が決定。2006年からは佐川急便京都サッカー部を母体として滋賀県に移転したFC Mi-Oびわこ(現・レイラック滋賀FC)にて選手兼任監督を務めた。
村田 一弘(むらた かずひろ、1969年5月12日 - )は… 村田 一弘(むらた かずひろ、1969年5月12日 - )は、大分県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。 国見高校在学中の1987年に第66回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝した。高校卒業後は中央大学に進学するが、父死去に伴って1年で大学を中退する。故郷の長崎に帰り、三菱重工業の下請け会社で勤務していた。また、しばらくして九州リーグの三菱重工長崎サッカー部でプレーした。 Jリーグ入りを目指していたヤンマー(現:セレッソ大阪)のセレクションを受けて合格、1993年よりヤンマーに入団した。その後、C大阪及び大分トリニータでプレーした。 2000年に現役を引退し、翌2001年からは大分で指導者としてのキャリアを開始。
二宮 浩(にのみや ひろし、1969年4月11日 - )は、… 二宮 浩(にのみや ひろし、1969年4月11日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはフォワード(FW)。 小学校3年生の時にサッカーを始める。1985年に進学した国見高校では同期の立石敬之、塚本明正、村田一弘、中尾幸太郎、吉田裕幸と共に2年次に高校選手権準優勝、3年次に優勝を経験。 筑波大学を経て、1992年に浦和レッドダイヤモンズに入団。Jリーグ開幕年である1993年には故障者が相次いだため出場機会を掴み17試合に出場したが、高校時代に見せた突破力溢れるドリブルからのチャンスメークは影を潜め、Jリーグの屈強なDF相手に苦戦した。 1995年、関東リーグ・プリマハムFC土浦(後の水戸ホーリーホック)へと移籍。
其田 秀太(そのだ しゅうた、1969年2月6日 - )は、… 其田 秀太(そのだ しゅうた、1969年2月6日 - )は、長崎県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー(攻撃的MF)。 国見高等学校3年時の高校総体で初優勝、冬の高校サッカー選手権で準優勝に貢献。 卒業後の1988年に日本サッカーリーグ1部の全日空サッカークラブ(後の横浜フリューゲルス)に入団し中心選手として活躍するが、1991年から就任した加茂周監督の掲げたゾーンプレス戦術の中では出場機会を失う。 1994年にジャパンフットボールリーグ所属の藤枝ブルックス(現在のアビスパ福岡)へ移籍。翌1995年のジャパンフットボールリーグ制覇とJリーグ昇格に貢献した。
小島 光顕(こじま みつあき、1968年7月14日 - )は… 小島 光顕(こじま みつあき、1968年7月14日 - )は長崎県出身の元サッカー選手(MF、DF)、サッカー指導者。 東京農業大学卒業後、当時日本サッカーリーグ2部の富士通に加入し、1993年Jリーグ開幕にあわせてサンフレッチェ広島に移籍。記念すべきJリーグ開幕戦に出場、決勝点を決める。本来守備的なMFであったが、そのユーティリティー性をかわれDFや右ウイングなどでも活躍した。1999年出場機会と他チームでのプレー経験を求めアビスパ福岡移籍。ここではセンターバックとして活躍したが、若返りの煽りを受け、戦力外通告により2002年に引退 2005年7月末、神奈川県相模原市にて、整体・リフレクソロジーサロンを開業。
赤澤 昌美(あかざわ まさみ、1968年5月5日 - )は、… 赤澤 昌美(あかざわ まさみ、1968年5月5日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)。 国見高等学校3年生だった1986年度、高校総体の同校初優勝、冬の高校サッカー選手権の準優勝に貢献。 卒業後は、順天堂大学に進む。 その後、住友金属工業蹴球団に入団し、そのまま鹿島アントラーズに1992年と1993年の2シーズン在籍したがJリーグ発足後にトップチームでの出場機会はなかった。 1994年、コスモ石油サッカー部に移籍。 引退後は、会社員として働きながら、FMかしまのアントラーズ・スピリッツ(水曜日午後6時から午後7時)のサッカーコメンテーターをつとめる。 2022年4月から、かみす防災アリーナの定期教室「大人の室内サッカー(ビギナー)」で指導者をつとめる。
岩本 文昭(いわもと ふみあき、1968年4月23日 - )… 岩本 文昭(いわもと ふみあき、1968年4月23日 - )は、長崎県長崎市(旧香焼町)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 国見高校時代のポジションはMF。小嶺忠敏に師事し、3年時にインターハイを制覇し、冬の全国高校サッカー選手権では初出場で準優勝。チームメイトには赤澤昌美、其田秀太、小島光顕がいた。ちなみに、1学年上には、元日本代表FWの高木琢也がいた。 駒澤大学卒業後は地元に帰り長崎銀行に入行、県リーグの有明SCと国見FCでプレーした。2004年3月、有明SCと国見FCが合併し、新生有明FCが発足、コーチとして植木総司監督を支え二人三脚で九州リーグ昇格を決めた。クラブがV・ファーレン長崎に改称した2005年にトップチームの監督に就任した。
古島 清人(ふるしま きよと、1968年4月3日 - )は、… 古島 清人(ふるしま きよと、1968年4月3日 - )は、日本の熊本県八代市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元サッカー選手の古島圭人は息子。 小学生時代・中学生時代から全国的に注目されていた大型GKであった。国見高校卒業後、当時日本サッカーリーグのフジタ工業クラブへ加入。Jリーグ開幕の際、プロ化したフジタの後身のベルマーレ平塚では名良橋晃、岩本輝雄、エジソンらとJリーグ昇格に大きく貢献。昇格した1994年は小島伸幸にポジションを奪われ、1996年にはアビスパ福岡に移籍した。 引退後は大宮のコーチなどを歴任。2016年に河北華夏幸福のGKコーチに就任。
高木 琢也(たかぎ たくや、1967年11月12日 - )は… 高木 琢也(たかぎ たくや、1967年11月12日 - )は、長崎県南島原市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションはフォワード(FW)。元日本代表。大阪商業大学卒業。Jリーグ・V・ファーレン長崎の取締役兼CRO(クラブ・リレーションズ・オフィサー)および監督を務める。 家族は妻と一男一女。第一子の長男はサッカー選手の高木利弥。 現役時代は、184 cm・85 kg(選手時代は188cm・82kgとなっていた)という恵まれた体格を生かしたポストプレーやヘディングを武器に得点を重ねたセンターフォワード。「アジアの大砲」と呼ばれ、ハンス・オフト監督政権下の日本代表におけるキーマンであった。