スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
井 たくま(い たくま、1993年〈平成5年〉5月27日 -… 井 たくま(い たくま、1993年〈平成5年〉5月27日 - )は、日本の医師およびお笑い芸人、YouTuber。 医療に関するショートネタを得意とした『ニート医師』を自称する。2025年7月までは太田プロダクションに所属していたが退所し、2026年現在ではフリーである。『ニート医師』の自称は専業で立派にやっている医師とは違う、という謙遜から自称するものである。 1993年5月27日生まれの熊本県出身で、熊本大学教育学部附属中学校、熊本県立熊本高等学校、佐賀大学医学部卒業。 中学・高校時代共に進学校に在籍しており、医師を志望する友人が多かったことが医師になったきっかけである。また、勉強のしすぎで病んでいた時期に芸人のラジオを聞いて「芸人ってすごい仕事だな」と感じたことからお笑いにも興味を持つ。
稲葉 俊郎(いなば としろう、1979年1月9日 - )は、… 稲葉 俊郎(いなば としろう、1979年1月9日 - )は、日本の医師。医学博士。著作家。熊本県生まれ。東京大学医学部附属病院 循環器内科 助教を経て、2022年より軽井沢町国民健康保険軽井沢病院院長。信州大学社会基盤研究所特任准教授、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員、東北芸術工科大学客員教授(山形ビエンナーレ2020 芸術監督)を併任。2024年より、慶應義塾大学システムデザイン・マネジメント(SDM)研究科 特任教授。
蓮田 健(はすだ たけし、1966年6月18日 - ) は、… 蓮田 健(はすだ たけし、1966年6月18日 - ) は、日本の医師(産婦人科医)。 医療法人聖粒会慈恵病院の理事長兼院長。2021年12月、日本で初事例となる内密出産を受け入れた。 父は、親が育てられない赤ちゃんを匿名で預かる「こうのとりのゆりかご」を、国内で初めて設置した蓮田太二(1936-2020年)。祖父は、三島由紀夫を見出したといわれる国文学者の蓮田善明(1904-1945年)。 熊本県熊本市北区植木町生まれ。1972年、熊本大学教育学部附属小学校入学。熊本大学教育学部附属中学校を卒業後、熊本県立熊本高等学校入学。小学5年時より、空手道に強い関心を持ち、県内の新人戦では個人戦3位に入賞し、ヨーロッパ遠征に参加した。
福島 靖正(ふくしま やすまさ、1959年2月24日 - )… 福島 靖正(ふくしま やすまさ、1959年2月24日 - )は、日本の厚生労働技官、医学博士、眼科医。熊本市副市長や、厚生労働省健康局長、医務技監等を経て、国立保健医療科学院名誉院長、三軒茶屋のコミュニティバー「2940」オーナー、福島眼科医院院長、健康・体力づくり事業財団理事、化学及血清療法研究所理事など。 熊本県玉名市生まれ。熊本県立熊本高等学校を経て、1984年熊本大学医学部卒業。ラグビー部出身。女優の宮崎美子は高校・大学の親友で、福島が撮影した宮崎の写真を週刊朝日の企画「篠山紀信が撮る!キャンパスの春」に送ったことがきっかけとなり、宮崎が芸能人となった。 1986年国立公衆衛生院専門課程修了。
夏苅 郁子(なつかり いくこ、1954年 - )は、日本の精… 夏苅 郁子(なつかり いくこ、1954年 - )は、日本の精神科医。 北海道生まれ。父親の転勤で、幼少期から中学時代まで引っ越しが多かった。10歳のとき、母が統合失調症にかかる。家庭を顧みず収入を家に入れぬ父親とは疎遠であり、病んだ母親と二人の孤立した過酷な少女時代を送る。 両親が離婚した後、実家に引き取られた母と会うことを拒む。父の籍に残ることになったがもともと疎遠な父と暮らすことはなく、孤独と絶望から2度の自殺未遂。友人の仲介により母と再会した。その後イラストレーターの中村ユキ著の「我が家の母はビョーキです」という本を読んで、母の統合失調症を真正面から向き合うことにした。 熊本高校から浜松医科大学医学部卒業後、同精神科助手、共立菊川病院、神経科浜松病院を経て、2000年やきつべの径診療所(静岡県焼津市)を開業。
添島 義和(そえじま よしかず、1936年12月28日、熊本… 添島 義和(そえじま よしかず、1936年12月28日、熊本県玉名郡長洲町-2010年10月2日)は日本の歯科医師、歯学者、開業医。元東京歯科大学臨床教授、元日本口腔インプラント学会副会長・九州支部会長・第37回大会長、元日本審美歯科協会会長(初代)、元九州インプラント研究会会長。 熊本県立熊本高等学校、東京歯科大学卒業後、九州大学医学部歯科口腔外科、熊本大学医学部第一解剖学教室を経て開業。1974年、熊本大学にて医学博士を取得した。 歯科インプラント学の分野で知られる。松元教貢は、日本における即時過重インプラントのパイオニアは、1990年頃より即時加重治療を行っていた添島をおいて他にはいないとしている。
内藤 寿七郎(ないとう じゅしちろう、1906年10月23日… 内藤 寿七郎(ないとう じゅしちろう、1906年10月23日 - 2007年12月12日)は、日本の医学者、小児科医。元日本小児科医会名誉会長、日本小児科医会の初代会長。「育児の神様」と称された。 東京都生まれ。熊本県立熊本中学校(現 熊本県立熊本高等学校)、官立第五高等学校を経て、1931年に東京帝国大学(現 東京大学)医学部を卒業。同大学小児科教室勤務を経て、日本赤十字社中央病院小児科部長。1956年、愛育病院院長ならびに愛育研究所所長に就任。1968年、藍綬褒章。1984年、日本小児科医会初代会長、日本医師会最高優秀功労賞。1985年、毎日出版文化賞。1986年、国際小児科学会賞。1992年、日本人として初めてシュバイツァー博愛賞を受賞。
小畑 惟清(おばた これきよ、1883年〈明治16年〉6月2… 小畑 惟清(おばた これきよ、1883年〈明治16年〉6月2日 - 1962年〈昭和37年〉7月23日)は、日本の医学者(医学博士)、産婦人科医(浜田産科婦人科病院院長)。東京都特別区公安委員、実践女子学園理事長、日本産科婦人科学会会長、東京都医師会会長、日本医師会会長を歴任。 熊本県宇土郡宇土町にて漢方医小畑宗憲の次男として生まれる(長男は夭逝)。宇土尋常小学校卒業後、鶴城学館予科(高等小学科)及び本科(中学科)、さらに熊本市の私立済々黌へ編入。1901年(明治34年)に県立熊本中学校(第二済々黌より改称)、1904年(明治37年)に第五高等学校、1908年(明治41年)12月に東京帝国大学医科大学を卒業。