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水町 泰杜(みずまち たいと、2001年9月7日 - )は、… 水町 泰杜(みずまち たいと、2001年9月7日 - )は、日本の男子インドアバレーボール選手およびビーチバレーボール選手である。 中学3年時の2016年、JOCジュニアオリンピックカップ第30回全国都道府県対抗中学大会に熊本県選抜として出場し、失セット0で優勝した。 2017年、鎮西高等学校に進学。1年時に全日本高等学校選手権大会(春高バレー)で優勝を経験。2年時から主将を務め、エースナンバーの背番号3を背負った。2018年にはアジアユース選手権(U-18)にU18日本代表として出場し、チームの優勝に貢献しMVPを受賞した。 2020年、早稲田大学に進学。1年時、2年時と全日本大学選手権大会(全日本インカレ)で優勝を経験。
荒尾 怜音(あらお れおん、2001年5月1日 - )は、日… 荒尾 怜音(あらお れおん、2001年5月1日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。 熊本県菊池市出身。3歳でバレーボールを始める。 菊池市立菊池南中学校時代の2016年、全国都道府県対抗中学大会に熊本選抜として水町泰杜とともに全国優勝を経験。中学校までアウトサイドヒッターとしてプレーしていた。 2017年、鎮西高等学校に進学後、リベロに転向。1年生からレギュラーを獲得し、インターハイ・春高バレーの2冠を達成。春高バレーではベストリベロを受賞した。 2020年に早稲田大学スポーツ科学部に進学。当時全日本インカレ3連覇中のチームであったが1年生からレギュラーを獲得し、全日本インカレの優勝(4連覇)に貢献、自身もリベロ賞を獲得した。
赤星 伸城(あかほし しんじょう、2000年1月19日 - … 赤星 伸城(あかほし しんじょう、2000年1月19日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。 熊本県熊本市出身。姉の影響で小学3年生の頃からバレーボールを始める。 鎮西高等学校、愛知学院大学を経て、2021-22シーズン、V.LEAGUE DIVISION1 MEN(V1男子)に所属する堺ブレイザーズ(現・日本製鉄堺ブレイザーズ)の内定選手となった。 2022年、大学卒業後に、堺ブレイザーズに入団した。入団1シーズン目となる2022-23シーズン、V1の試合に出場しVリーグデビューを果たした。 2024年、契約満了により堺を退団。北海道イエロースターズに移籍した。 2025年5月、2024-25シーズン限りでの退団が発表された。
山田 航旗(やまだ こうき、1999年10月7日 - )は、… 山田 航旗(やまだ こうき、1999年10月7日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。 熊本県八代市出身。親の影響で小学6年生からバレーボールを始める。 鎮西高等学校、福岡大学を経て、2021/22シーズン、V.LEAGUE DIVISION1 MEN(V1男子)に所属するVC長野トライデンツの内定選手となった。 2022年、大学卒業後に、VC長野トライデンツに入団した。入団1シーズン目となる2022/23シーズンにV1の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。
鍬田 憲伸(くわだ けんしん、1999年6月28日 - )は… 鍬田 憲伸(くわだ けんしん、1999年6月28日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。 熊本県出身。兄と姉の影響で8歳の頃からバレーボールを始めた。 高校は鎮西高等学校に進学した。2016年、1学年時の第68回全日本高等学校選手権大会(春高バレー)で準優勝を果たす。3学年となった2017年、U-19日本代表に選出され、ミャンマーで開催されたアジアユース選手権(U-19)に出場した。高校3年時には主将を務め、第70回春高バレーで優勝を果たした。そのときに、監督の厳しい指導のおかげで優勝を果たせたと当時の監督に感謝を示している。 大学は中央大学に進学。1学年時の2018年、U-20日本代表に選出され、バーレーンで開催されたアジアジュニア選手権に出場した。
宮浦 健人(みやうら けんと、1999年2月22日 - )は… 宮浦 健人(みやうら けんと、1999年2月22日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。 熊本県荒尾市出身。8歳の頃、両親と兄の影響を受けてバレーボールを始める。 2014年、鎮西高等学校に進学。 2017年、第11回アジアユース選手権(U-19)の代表メンバーにキャプテンとして選出され、オポジットとして活躍しチームを優勝に導く。なお、そのときのオポジットの控えは、1歳年下で後に日本代表のエースとなる西田有志であった。その後に行われた世界ユース選手権でもチームのキャプテンとして銅メダル獲得に貢献。 同年に進学した早稲田大学では、全日本インカレ4連覇を経験した。 2020-21シーズン、西田が在籍するV.LEAGUE DIVISION1(V1リーグ)・ジェイテクトSTINGSの内定選手となる。
西田 寛基(にしだ ひろき、1997年8月15日 - )は、… 西田 寛基(にしだ ひろき、1997年8月15日 - )は、日本の元男子バレーボール選手である。 熊本県出身。9歳のときに兄の影響を受けてバレーボールを始める。 鎮西高等学校、法政大学を経て、2019年、サントリーサンバーズの内定選手となり、2020年入団。 2022年、第70回黒鷲旗全日本選抜大会にて、レギュラーセッターの大宅真樹が日本代表合宿参加で不参加となったため、チーム唯一のセッターとして出場。チームの優勝に貢献し、自身もベスト6を受賞した。 2025年2月、2024-25シーズンでの勇退が発表された。6月2日に引退選手として公示。
福山 汰一(ふくやま たいち、1993年12月20日 - )… 福山 汰一(ふくやま たいち、1993年12月20日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 熊本県熊本市出身。中学1年生の頃、友達に誘われてバレーボールを始める。 鎮西高等学校、早稲田大学を経て2015年11月、V.LEAGUE DIVISION1のジェイテクトSTINGSに内定選手として入団。 2017年、台北で開催された第29回ユニバーシアード競技大会にユニバーシアード日本代表として出場。チームの3位に貢献した。 2020-21シーズン、V1リーグでフェアプレー賞を受賞。 2021年4月、日本代表に初選出された。ネーションズリーグの代表メンバーには招集されず東京オリンピックの代表メンバー入りもならなかったが、アジア選手権のメンバーに招集された。
高橋 駿(たかはし しゅん、1990年1月13日 - )は、… 高橋 駿(たかはし しゅん、1990年1月13日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者である。 熊本県上益城郡山都町出身。先輩に誘われ、母の勧めもあり、中学1年生からバレーボールを始める。 鎮西高等学校、中央大学を経て、2011/12シーズン、V・プレミアリーグ(当時のVリーグ1部リーグ)に所属するFC東京の内定選手となった。内定選手としてV・プレミアリーグの試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。 2012年、大学卒業後に、FC東京に入団した。 2015年、FC東京を退団した。退団後は女子日本代表の指導に携わっていた。 2016年10月、世界クラブ選手権女子で、ホスト国として出場するPSL All-Stars(フィリピンスーパーリーグのオールスターチーム)のコーチを務めた。
冨士田 裕大(ふじた ゆうだい、1988年10月7日 - )… 冨士田 裕大(ふじた ゆうだい、1988年10月7日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 鎮西高校ではチームの主将を務め、春高バレーに出場。ユース代表、ジュニア代表に選出され、世界ジュニアやアジアジュニアなどで経験を積み、2006年アジアジュニアで準優勝を飾った。 高校卒業後の2007年にサントリーサンバーズに入団。2008年に全日本代表の追加登録メンバーに選出され、第1回アジアカップに出場した。 2015年3月、現役引退が発表された。 2019-20シーズン、同じくサントリーOBである岡本祥吾と共に、第10回全国6人制バレーボールリーグ総合男女優勝大会に「博多スポーツクラブ」の選手として出場した。
岡本 祥吾(おかもと しょうご、1987年3月30日 - )… 岡本 祥吾(おかもと しょうご、1987年3月30日 - )は、日本の元男子バレーボール選手である。 熊本県上益城郡出身。兄の影響で中学1年生の頃からバレーボールを始める。 鎮西高等学校、法政大学を経て、2008年、サントリーサンバーズの内定選手になる。2009年正式入団。 2011年、日本代表登録メンバーに選出された。2013年にも選出された。 2019年、2018-19 V.LEAGUE DIVISION1終了をもってサントリーを勇退した。 2020年、「博多スポーツクラブ」の設立者である上竹原聖子から熱心なオファーを受けて同チームに入団し、同じくサントリーOBである冨士田裕大と共に、第10回全国6人制バレーボールリーグ総合男女優勝大会に出場した。
角田 辰徳(かくだ たつのり、1983年5月24日 - )は… 角田 辰徳(かくだ たつのり、1983年5月24日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 熊本県菊池市出身。法政大学卒業後、2006年に東レアローズに入団。2007年のユニバーシアードに出場した。東レではレフトで活躍。 2014年5月の黒鷲旗大会をもって勇退し、社業専念とされたが、同年6月にジェイテクトSTINGSに移籍と発表された。2016年、同年度の黒鷲旗全日本バレーボール選手権大会終了をもって現役引退し社業に専念。 2024年9月、この年に発足した熊本Virexのコーチに就任した。
前村 直樹(まえむら なおき、1979年11月9日 - )は… 前村 直樹(まえむら なおき、1979年11月9日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。熊本県熊本市出身。ポジションはセッター。 鎮西高校を経て法政大学へ進学。学生時代は世界ユース、アジアユース、アジアジュニアに出場した。 大学卒業後、5年間のブランクを経て、2007年に大分三好ヴァイセアドラーに入団。当時の監督西本哲雄のもと、194cmの大型セッターとしてチームに貢献した。 2009年6月20日を以って大分三好ヴァイセアドラーを退団し、現役を引退した。
村上 龍介(むらかみ りゅうすけ、1979年9月3日 - )… 村上 龍介(むらかみ りゅうすけ、1979年9月3日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 鎮西高校から中央大学を経て、大学在学中にサントリーサンバーズの内定選手となり、卒業後の2002年にサントリーに入団した。左利きながらレフトアタッカーを務め、リリーフサーバーとしての登場も多かった。 2007年、プレミアリーグ開幕直前の練習で重度の捻挫を負い、手術をした。 2009年の第58回黒鷲旗大会を最後に現役引退。アナリスト・アシスタントコーチとして2016年まで在籍した。
諸隈 直樹(もろくま なおき、1978年6月19日 - )は… 諸隈 直樹(もろくま なおき、1978年6月19日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。元バレーボール全日本男子監督代行。 1978年6月19日、佐賀県佐賀郡大和町出身。双子の兄である諸隈秀東(諸隈英人)も元バレーボール選手。第7回さわやか杯で佐賀県選抜として準優勝し、鎮西高等学校時代には春の高校バレー、インターハイなどで優勝を経験している。全日本ユースにも選出され、世界ユース選手権ではベストスコアラーを獲得した。 その後、法政大学(経営学部経営学科)を経て、富士フイルムプラネッツに入団。2002年、豊田合成トレフェルサに移籍。2000年から2005年まで全日本メンバーに登録されていた。2008年に現役を引退した。
鈴木 孝政(すずき たかまさ、1977年7月18日 - )は… 鈴木 孝政(すずき たかまさ、1977年7月18日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 熊本県菊池郡菊陽町出身。先生の勧誘を受けて中学1年次よりバレーボールを始める。 全国都道府県対抗中学バレーボール大会「さわやか杯」の第6回大会で準優勝し、オリンピック有望選手を受賞。鎮西高等学校時代には主将を務め、1995年のインターハイで、同校初の全国優勝を成し遂げる。その後法政大学に進学し、旭化成に入社。2002年アジア競技大会(The 14th Asian Games XIV Asiad)で、全日本代表に選出され銅メダルを獲得。2003年3月に半月板を損傷し手術。復帰を果たすが、2006年スパーキッズの休部により社業に専念。
脇戸 新之助(わきと しんのすけ、1975年11月2日 - … 脇戸 新之助(わきと しんのすけ、1975年11月2日 - )は、日本の男子バレーボール選手。 熊本県宇土市出身。鎮西高等学校、法政大学を経て、1998年4月、NECブルーロケッツに入団。 2001年、全日本代表に初選出。 2008年5月、NECブルーロケッツを退団。 2010年、東京ヴェルディに入団し、現役復帰。2012年9月、同チームを勇退。
朝日 健太郎(あさひ けんたろう、1975年〈昭和50年〉9… 朝日 健太郎(あさひ けんたろう、1975年〈昭和50年〉9月19日 - )は、日本のバレーボール・ビーチバレーボール選手、政治家。自由民主党所属の参議院議員(2期)。 NPO法人日本ビーチ文化振興協会理事長。一般財団法人日本スポーツ振興会代表理事。公益財団法人日本バレーボール協会事業本部運営委員・ビーチバレーボール事業本部企画競技部長。株式会社フォーバル男子バレーボールチーム監督。 熊本県熊本市北区出身。 熊本市立楠中学校でバレーボールを始める。バレーボールの名門の鎮西高等学校で春の高校バレーとインターハイの準優勝を経験。法政大学時代には1995年に全日本大学選手権で優勝、1997年にはユニバーシアードに出場。
濱口 純一(はまぐち じゅんいち、1973年12月26日 -… 濱口 純一(はまぐち じゅんいち、1973年12月26日 - )は、日本のバレーボール選手・指導者。 熊本県天草市出身。先輩に誘われて中学1年次よりバレーボールを始め、鎮西高校に進学。1991年の春高バレーにおいて敢闘賞、同年のインターハイでも優秀選手賞を獲得した。 1992年法政大学に進学すると、全日本インカレにおいて、1992年・1993年と連続準優勝し、1995年には優勝の原動力となり自らもMVP・レシーブ賞を獲得した。同年、福岡で開催されたユニバーシアードに出場した。 1996年にVリーグ富士フイルム・プラネッツに入部し、2002年の廃部まで所属した。その後富士フイルムでサラリーマンを続けながら、東京ヴェルディに参加。