スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
古城 隆利(こじょう たかとし、1969年6月3日 - )は… 古城 隆利(こじょう たかとし、1969年6月3日 - )は、大分県日田市出身の元アマチュア野球選手(外野手)、野球指導者。 日田高校卒業後に日本体育大学に進学して硬式野球部に所属した。日体大には一般入試で入学し、1学年に約100人もいた部員の中からレギュラーの地位を勝ち取った。3年秋には明治神宮大会に出場。 大学卒業後は、社会人野球のいすゞ自動車でプレーした。 その後はいすゞ自動車と日本体育大学でコーチを務め、2009年からは日本体育大学の監督に就任し、2017年の明治神宮野球大会ではチームを37年ぶり2度目の優勝に導いた。大学日本代表のコーチも歴任した。同大学のスポーツマネジメント学部の助教授も務めている。
伊藤 勝利(いとう かつとし、1943年7月15日 - )は… 伊藤 勝利(いとう かつとし、1943年7月15日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手。 日田高校から1962年に西鉄ライオンズへ入団。1966年に引退。
梅野 慶志(うめの ちかし、1939年3月18日 - )は、… 梅野 慶志(うめの ちかし、1939年3月18日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手(投手)。 日田高校では1955年秋季九州大会で準決勝まで進むが、鹿児島玉龍高の五代友和に完封を喫する。翌年夏も県予選で敗れ甲子園には出場できなかった。高校同期に外野手の財津守がいる。 1957年に毎日オリオンズへ入団。速球左腕投手として期待されるが、登板は1試合のみにとどまり、同年限りで退団。ドロップ、カーブを武器とした。
財津 守(ざいつ まもる、1938年5月10日 - 1990… 財津 守(ざいつ まもる、1938年5月10日 - 1990年1月14日)は、大分県出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。 日田高校では左腕エース梅野慶志を擁し、1955年秋季九州大会で準決勝まで進むが、鹿児島玉龍高の五代友和に完封を喫する。翌年夏も県予選で敗れ甲子園には出場できなかった。 卒業後は日鉄二瀬に入社し、濃人渉監督の指導を受ける。1957年から4年連続で都市対抗に出場。1958年の都市対抗では井洋雄、田中喜八郎(東洋高圧大牟田から補強)らの好投もあって決勝に進出するが、日本石油の伊藤正敏に完封され準優勝にとどまる。このときのチームメートにはプロで同僚となる江藤愼一がいた。 1961年に中日ドラゴンズへ入団。