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橋田 和実(はしだ かずみ、1953年〈昭和28年〉1月4日… 橋田 和実(はしだ かずみ、1953年〈昭和28年〉1月4日 - )は、日本の政治家。元宮崎県西都市長(4期)。元宮崎県議会議員(2期)。宮崎県サッカー協会の会長も務める。 宮崎県西都市に農家の長男として生まれる。宮崎県立妻高等学校卒業、宮崎大学農学部卒業、同大学院農学研究科修士課程修了。 1995年、宮崎県議会議員選挙に初当選。1999年に再選。県議時代は自由民主党に所属した。西都市選挙区は当時定数2の選挙区であったが、2003年の県議選では無所属新人の押川修一郎が1位当選し、その結果落選した。 2005年1月23日に行われた西都市長選挙に立候補。自民党・民主党・社民党の推薦を得た現職の日野光幸を破り初当選した。
安藤 忠恕(あんどう ただひろ、1941年(昭和16年)3月… 安藤 忠恕(あんどう ただひろ、1941年(昭和16年)3月9日 - 2010年(平成22年)4月30日)は、日本の政治家。公選第16代宮崎県知事。 宮崎県西都市出身。宮崎県立妻高等学校、宮崎大学学芸学部(現在の同学教育文化学部)卒業。 1964年に宮崎県に入庁。総務部人事課長、商工労働部長などを歴任。1998年には県庁を退職し翌年の宮崎県知事選に出馬するも落選。2003年には自営業者や主婦層を支持基盤とした「草の根選挙」を展開し、松形祐堯前知事の後継と目されていた民主党、社民党推薦の牧野俊雄を破り初当選を果たした。2005年10月には公約通り、副知事に元体操選手の坂佳代子が起用された。 だが、2006年11月に発覚した宮崎県官製談合事件の責任を問われ、12月1日に県議会が安藤知事の不信任決議案を賛成40票反対なし欠席2人で可決した後、事件への関与を認めることになるとして一旦は議会を解散させず自らも辞職しないという方針を表明したが、その後辞職の意思を表明し12月4日で知事職を辞職した。
折小野 良一(おりおの りょういち、1919年1月25日 -… 折小野 良一(おりおの りょういち、1919年1月25日 - 1986年10月20日)は、昭和期の地方公務員、政治家。衆議院議員(2期)、延岡市長(2期)。 鹿児島県薩摩郡宮之城町(現さつま町)出身。1935年旧制宮崎県立妻中学校(現:宮崎県立妻高等学校)卒業。1938年第七高等学校造士館(現:鹿児島大学)卒業。1941年京都帝国大学法学部卒。延岡市総務課長を経て、同市長三浦虎雄によって助役に起用。1960年の延岡市長選挙に立候補。現職の青木善祐を1139票差で破り初当選。延岡市長を戦後初めて2期務める。1965年、助役に房野博(後に延岡市長)を起用。1966年、衆議院議員総選挙立候補のため延岡市長退任。
黒木 利克(くろき としかつ、1913年(大正2年)9月28… 黒木 利克(くろき としかつ、1913年(大正2年)9月28日 - 1978年(昭和53年)9月24日)は、昭和期の厚生官僚、政治家。参議院議員、法学博士(明治大学・論文博士・1962年)(学位論文「日本社会事業現代化論」)。 宮崎県、現在の西都市で生まれた。妻中学校(現宮崎県立妻高等学校)、第五高等学校を経て、1940年(昭和15年)東京帝国大学法学部を卒業。1939年(昭和14年)10月、高等試験行政科に合格。1940年、厚生省に入り衛生局属に任官。秋田県産業課長。1948年厚生省社会局厚生課長、翌年まで米国に学ぶ。1949年社会局生活課長、庶務課長、保護課長、1956年厚生大臣官房企画室長。