スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
橋田 和実(はしだ かずみ、1953年〈昭和28年〉1月4日… 橋田 和実(はしだ かずみ、1953年〈昭和28年〉1月4日 - )は、日本の政治家。元宮崎県西都市長(4期)。元宮崎県議会議員(2期)。宮崎県サッカー協会の会長も務める。 宮崎県西都市に農家の長男として生まれる。宮崎県立妻高等学校卒業、宮崎大学農学部卒業、同大学院農学研究科修士課程修了。 1995年、宮崎県議会議員選挙に初当選。1999年に再選。県議時代は自由民主党に所属した。西都市選挙区は当時定数2の選挙区であったが、2003年の県議選では無所属新人の押川修一郎が1位当選し、その結果落選した。 2005年1月23日に行われた西都市長選挙に立候補。自民党・民主党・社民党の推薦を得た現職の日野光幸を破り初当選した。
佐竹 美佐子(さたけ みさこ、女性、1951年1月19日 -… 佐竹 美佐子(さたけ みさこ、女性、1951年1月19日 - )は、元バスケットボール選手である。 宮崎県立妻高等学校から第一勧銀に入社し、タイトル獲得。1974年には日本リーグMVPにも選ばれる。 また、全日本にも選ばれる。1975年世界選手権では準優勝メンバーとなり、モントリオールオリンピックにも出場した。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
伊東 信一郎(いとう しんいちろう、1950年12月25日 … 伊東 信一郎(いとう しんいちろう、1950年12月25日 - )は、日本の経営者、ANAホールディングス最高顧問、フジ・メディア・ホールディングス独立社外取締役監査等委員、フジテレビジョン監査役、三井不動産独立社外取締役。公益財団法人日本交通公社評議員。元経済同友会副代表幹事。2024年4月29日の春の叙勲で旭日重光章を受章した。 宮崎県西都市三納出身。宮崎県立妻高等学校卒業。
安藤 忠恕(あんどう ただひろ、1941年(昭和16年)3月… 安藤 忠恕(あんどう ただひろ、1941年(昭和16年)3月9日 - 2010年(平成22年)4月30日)は、日本の政治家。公選第16代宮崎県知事。 宮崎県西都市出身。宮崎県立妻高等学校、宮崎大学学芸学部(現在の同学教育文化学部)卒業。 1964年に宮崎県に入庁。総務部人事課長、商工労働部長などを歴任。1998年には県庁を退職し翌年の宮崎県知事選に出馬するも落選。2003年には自営業者や主婦層を支持基盤とした「草の根選挙」を展開し、松形祐堯前知事の後継と目されていた民主党、社民党推薦の牧野俊雄を破り初当選を果たした。2005年10月には公約通り、副知事に元体操選手の坂佳代子が起用された。 だが、2006年11月に発覚した宮崎県官製談合事件の責任を問われ、12月1日に県議会が安藤知事の不信任決議案を賛成40票反対なし欠席2人で可決した後、事件への関与を認めることになるとして一旦は議会を解散させず自らも辞職しないという方針を表明したが、その後辞職の意思を表明し12月4日で知事職を辞職した。
森 和風(もり わふう、1939年3月25日 - 別号「日… 森 和風(もり わふう、1939年3月25日 - 別号「日向和風(ひむかわふう)」「槐山人(かいさんじん)」)は、宮崎県西都市生まれの書作家。「現代書道の父」と呼ばれた巨匠・比田井天来門・四天王(桑原翠邦・金子鷗亭・手島右卿・上田桑鳩)の一人で、近代詩文書を提唱して文化勲章を受章した「近代詩文書の開祖」金子鷗亭に師事。書歴60年。1976年より現在に至るまで世界30ヶ国・計80回以上の文化交流を続ける世界的女流書作家。 1939年3月25日、製氷業・食品加工製造業の事業主・森永薫/朝江の長女として宮崎県西都市に生まれる。1945年、6歳で国民学校に入学。1950年、大相撲地方巡業時、佐渡ヶ嶽親方に依頼され、琴錦と弟子を預かり世話をした際に、色紙に書いてもらった書を見て感銘を受け、書の道に進むきっかけとなる。
黒木 靖夫(くろき やすお、1932年10月2日 - 200… 黒木 靖夫(くろき やすお、1932年10月2日 - 2007年7月12日 )は、日本の工業デザイナー。 ソニー株式会社宣伝部長・意匠部長・クリエイティブ本部長・取締役、ソニー企業代表取締役社長を歴任した。 1993年にソニーを退職後、株式会社黒木靖夫事務所を設立し独立。富山インダストリアルデザインセンター(現富山県総合デザインセンター)所長を務める。 東北芸術工科大学客員教授、成安造形大学客員教授、立命館大学客員教授。 宮崎県西都市に生まれる。宮崎県立妻高等学校(第5回生)、千葉大学工学部工業意匠学科卒業。 学科推薦でそごうへ入社し広告を担当。3年後に新聞でソニーの求人広告を見つけ中途入社する。
西山 広喜(にしやま こうき、1923年(大正12年)3月3… 西山 広喜(にしやま こうき、1923年(大正12年)3月31日 - 2005年(平成17年)2月24日)は、日本の右翼で、政財界をつなぐフィクサーとして知られた。財団法人日本政治文化研究所理事長。西山広喜事務所代表。 宮崎県出身。宮崎県立妻中学校(後の宮崎県立妻高等学校)、明治大学を卒業。 部落解放同盟初代執行委員長・松本治一郎の養子・松本英一と親交があった縁で、日本社会党宮崎県委員会青年部長を経て、社会党青年部の本部役員となり上京、治一郎の秘書となる。治一郎の紹介で大物右翼の三浦義一の知遇を受け、三浦の片腕である関山義人の興論社で活動。1961年(昭和36年)に興論社から独立して昭和維新連盟を発足させ、初代会長になる。
黒木 正憲(くろき まさのり、1922年 - 2008年5月… 黒木 正憲(くろき まさのり、1922年 - 2008年5月4日)は東京出版創業者。 宮崎県西都市出身。広島高等師範学校を経て東京大学法学部卒業。予備校で数学講師をしていたが、母校である妻中学の数学授業の内容に危機感を覚えたことがきっかけで、都市圏以外に在住する学生が受験関連の情報にアクセスしやすくなることを目的に出版界に入った。1957年、東京出版を創業し、受験雑誌「大学への数学」を創刊。日本数学オリンピックにも携わった。 2008年5月4日、肺炎のため死去。 弟は工業デザイナーの黒木靖夫。「大学への数学」の表紙デザインを担当した。 20世紀日本の実業家
弥勒 祐徳(みろく すけのり、1919年2月20日 - 20… 弥勒 祐徳(みろく すけのり、1919年2月20日 - 2024年5月16日)は、宮崎県内で活動した日本の画家。西都市にて生まれ、在住も死没地も同市であった。珍しい名前だが、本名である。宮崎県立都農高等学校講師、宮崎県美術協会理事。息子はテレビ宮崎役員の弥勒猛。 精力的に活動を続け、350回を越える個展を開いた。自宅の近くに展示室『神楽館』を設けており、作品を見ることができるほか、アートカフェや美術館で作品展示を行った。主に神楽や桜をテーマにする画家として有名。代表作に、銀鏡神楽(しろみかぐら)で舞われた「山の神」を描いた百二十号の大作など。
折小野 良一(おりおの りょういち、1919年1月25日 -… 折小野 良一(おりおの りょういち、1919年1月25日 - 1986年10月20日)は、昭和期の地方公務員、政治家。衆議院議員(2期)、延岡市長(2期)。 鹿児島県薩摩郡宮之城町(現さつま町)出身。1935年旧制宮崎県立妻中学校(現:宮崎県立妻高等学校)卒業。1938年第七高等学校造士館(現:鹿児島大学)卒業。1941年京都帝国大学法学部卒。延岡市総務課長を経て、同市長三浦虎雄によって助役に起用。1960年の延岡市長選挙に立候補。現職の青木善祐を1139票差で破り初当選。延岡市長を戦後初めて2期務める。1965年、助役に房野博(後に延岡市長)を起用。1966年、衆議院議員総選挙立候補のため延岡市長退任。
黒木 利克(くろき としかつ、1913年(大正2年)9月28… 黒木 利克(くろき としかつ、1913年(大正2年)9月28日 - 1978年(昭和53年)9月24日)は、昭和期の厚生官僚、政治家。参議院議員、法学博士(明治大学・論文博士・1962年)(学位論文「日本社会事業現代化論」)。 宮崎県、現在の西都市で生まれた。妻中学校(現宮崎県立妻高等学校)、第五高等学校を経て、1940年(昭和15年)東京帝国大学法学部を卒業。1939年(昭和14年)10月、高等試験行政科に合格。1940年、厚生省に入り衛生局属に任官。秋田県産業課長。1948年厚生省社会局厚生課長、翌年まで米国に学ぶ。1949年社会局生活課長、庶務課長、保護課長、1956年厚生大臣官房企画室長。