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諸麥 俊司(もろむぎ しゅんじ、1973年 - )は、日本の… 諸麥 俊司(もろむぎ しゅんじ、1973年 - )は、日本の工学者。博士(Ph.D.)。専門は医用工学、福祉工学、生体工学、生体情報計測。中央大学准教授(2022年度現在)。 鹿児島県姶良市出身。鹿児島県立加治木高等学校を経て、1997年に長崎大学工学部機械システム工学科を卒業。1999年に電気通信大学大学院情報システム学研究科博士前期課程を修了し、修士(工学)の学位を取得。2003年、カリフォルニア大学アーバイン校Dept. of Civil&Environmental Engineering博士課程(Ph.D course)を修了し、Ph.D.(博士号)を取得。 2002年長崎大学工学部助手着任、2007年同学部助教に配置換え。
上脇 博之(かみわき ひろし、1958年7月25日 - )は… 上脇 博之(かみわき ひろし、1958年7月25日 - )は、日本の法学者。憲法学を専門として研究・教育する憲法学者。1994年「政治改革」は日本国憲法の議会制民主主義に逆行する改悪だったとして、その違憲の諸制度により過剰代表されて誕生する政権与党の暴走を監視するために、市民運動にも積極的に取り組んでいる。弁護士の支援を受けて情報公開訴訟を提起したり、政治資金・選挙資金問題を中心に多数の大臣ら政治家を刑事告発してきた。神戸学院大学法学部教授。 鹿児島県姶良郡隼人町(現・霧島市隼人町)の会社員の家庭に生まれた。3人兄弟の次男で、父は九州電力に勤めていた。幼い頃は、父の転勤で姶良郡内を幾度か転居した。
酒匂 一郎(さこう いちろう、1954年-)は、日本の法学者… 酒匂 一郎(さこう いちろう、1954年-)は、日本の法学者。法学博士、九州大学名誉教授。専門は法哲学(法理学)で、法システムの基本構造の他、多文化主義をめぐる現代正義論、情報社会の秩序問題、生命倫理と法、グスタフ・ラートブルフ及び関連の法思想、法的思考の比較思想史などについて研究。 1973年3月鹿児島県立加治木高等学校卒業。同年4月に九州大学法学部へ入学し、1978年3月に卒業。同年4月、九州大学大学院法学研究科基礎法学専攻へ進学し、1980年3月に修士課程修了、1984年3月に博士課程単位取得退学。同年4月から1986年3月まで九州大学法学部助手を務める。1987年3月に論文「全体性の法思想 その構造と展開」で九州大学より法学博士号授与。
朝倉 正昭(あさくら まさあき、1941年3月28日 - 2… 朝倉 正昭(あさくら まさあき、1941年3月28日 - 2020年3月15日)は、日本の教育学者、国士舘大学体育学部名誉教授、元同大学学長。専門分野は体育科教育学。学位は体育学(学士)、経済学(学士)。 鹿児島県姶良郡蒲生町出身。鹿児島県立加治木高等学校卒業。1963年3月、国士舘大学体育学部卒業。1967年3月国士舘大学政経学部二部卒業。 1963年より国士舘大学体育学部助手、1970年より講師、1973年より助教授。1986年より国士舘大学体育学部教授。1992年国士舘大学体育学部教務主任、同年日本体育学会体育科教育学専門分科会理事長、1996年日本体育科教育学会理事長、2000年国士舘大学体育学部附属体育研究所長、2003年全日本学生体操連盟会長、2004年国士舘大学生涯学習センター長、2006年国士舘大学学生部長、2007年国士舘大学就職センター長を歴任し、2009年12月より国士舘大学学長。
山下 欣一(やました きんいち、1929年(昭和4年)2月5… 山下 欣一(やました きんいち、1929年(昭和4年)2月5日 - 2021年(令和3年))は、日本の民俗学者、文化人類学者。奄美の民俗学、ユタ研究の第一人者であった。文学博士、鹿児島国際大学名誉教授。 鹿児島県奄美大島の名瀬町(現・奄美市)に生まれる。名瀬国民学校から旧制鹿児島県立大島中学校に進学。県の土木技師であった父の本土転任にともない、旧制鹿児島県立加治木中学校に転校。旧制加治木中を四年修了して鹿児島農林専門学校獣医畜産科に入学、卒業。一度、新制中学校の英語教師となった後、早稲田大学法学部に編入学するが、母の病気等の事情により中退して鹿児島へ戻り、県立高等学校(英語教師)や県教育庁にて勤務。
川野 洋(かわの ひろし、1925年4月14日 − 2012… 川野 洋(かわの ひろし、1925年4月14日 − 2012年12月18日)は、日本の哲学者、美学者。文学博士(大阪大学、1986年)。東京都立科学技術大学名誉教授、東北芸術工科大学名誉教授。 旧満州国撫順市生まれ。鹿児島県立加治木中学校 (旧制)および第七高等学校造士館 (旧制)卒業。1951年東京大学文学部哲学科卒業、 1955年東京大学助手、1961年東京都立航空工業短期大学講師(1965年助教授)、1971年東京都立工科短期大学教授、1986年東京都立科学技術大学(現・東京都立大学)教授、1990年長野大学教授、1994年東北芸術工科大学教授。 1990年東京都立科学技術大学名誉教授、1996年東北芸術工科大学名誉教授。
竹之下 休蔵(たけのした きゅうぞう、1909年1月30日 … 竹之下 休蔵(たけのした きゅうぞう、1909年1月30日 - 1988年3月20日)は、日本の体育学者。東京教育大学(現筑波大学)名誉教授。体育社会学を研究した。 鹿児島県鹿児島市出身。旧制鹿児島県立加治木中学校(現鹿児島県立加治木高等学校)を経て、1932年に東京高等師範学校体育科を卒業した後、1936年に東京文理科大学教育学科を卒業(東京高等師範、東京文理科大ともに東京教育大学の前身)。1937年、東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)助教授に就任し、その後、神戸商業大学(現神戸大学)予科教授、東京体育専門学校(東京教育大学体育学部の前身)教授を経て、1947年に文部省事務官となる。後に文部省大学学術局視学となり、1949年、学校体育指導要綱、学習指導要領体育編の作成で中心的な役割を果たす。