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中重 真一(なかしげ しんいち、1977年〈昭和52年〉3月… 中重 真一(なかしげ しんいち、1977年〈昭和52年〉3月28日 - )は、日本の政治家。鹿児島県霧島市長(3期)。元鹿児島県議会議員(2期)、霧島市議会議員(2期)。 鹿児島県霧島市出身。鹿児島県立加治木高等学校、早稲田大学法学部卒業。 霧島市議会議員を経て、2007年(平成19年)4月の鹿児島県議会議員選挙に無所属で立候補し初当選。2011年(平成23年)、再選。 2013年(平成25年)11月17日に行われた霧島市長選挙に立候補するも落選。投票率は62.28%。 2017年(平成29年)11月19日に行われた霧島市長選挙に再挑戦し、現職の前田終止との一騎打ちを制し初当選を果たした(中重:29,455票、前田:28,892票)。
笹山 義弘(ささやま よしひろ、1952年(昭和27年)10… 笹山 義弘(ささやま よしひろ、1952年(昭和27年)10月10日 - )は、日本の政治家。鹿児島県姶良市長(2期)、加治木町長(1期)、加治木町議会議員(1期)などを歴任した。 鹿児島県姶良郡加治木町(現姶良市)で生まれ育つ。1971年(昭和46年)3月、鹿児島県立加治木高等学校卒業。1972年(昭和47年)9月、大阪電気通信大学工学部中退。1973年(昭和48年)4月、山口眼鏡株式会社に就職。その後有限会社時計メガネのササヤマに移り、1994年(平成6年)9月に同社の代表取締役に就任。 1999年(平成11年)5月から2002年(平成14年)6月まで加治木町議会議員を務めた。2006年(平成18年)12月、加治木町長に就任。
小里 貞利(おざと さだとし、1930年(昭和5年)8月17… 小里 貞利(おざと さだとし、1930年(昭和5年)8月17日 - 2016年(平成28年)12月14日)は、日本の政治家。衆議院議員(9期)、自由民主党総務会長(第41代)、自由民主党国会対策委員長(第39代)、労働大臣(第55代)、北海道開発庁長官(第61代)・沖縄開発庁長官(第30代)、総務庁長官(第21代)、震災対策担当大臣(村山内閣)、宏池会会長、鹿児島県議会議員(6期)を歴任した。国政進出以来一貫して整備新幹線事業に携わり、「ミスター新幹線」の異名を取った。
村山 喜一(むらやま きいち、1921年〈大正10年〉7月2… 村山 喜一(むらやま きいち、1921年〈大正10年〉7月21日 - 1996年〈平成8年〉8月16日)は、日本の政治家。 鹿児島県議会議員、衆議院議員(10期)、衆議院副議長(第58代)などを歴任した。 鹿児島県姶良郡蒲生町(のちの姶良市)にて生まれた。鹿児島県立加治木中学校 (旧制)卒業。1941年に台南師範学校卒業後、小学校教員、鹿児島県評事務局長、鹿児島県議会議員を経て、1960年の第29回衆議院議員総選挙に日本社会党より立候補し当選、以後当選10回。 党内では和田博雄 – 勝間田清一 – 石橋政嗣の派閥に所属する。1982年2月、飛鳥田一雄委員長の下で国会対策委員長に就任、その後馬場昇書記長下ろしに伴う役員改選により、同年12月副委員長となる。
中馬 辰猪(ちゅうまん たつい、1916年2月27日 - 2… 中馬 辰猪(ちゅうまん たつい、1916年2月27日 - 2010年4月18日)は、日本の政治家。衆議院議員、建設大臣。 現在の鹿児島県霧島市国分に、参議院議員を務めた中馬猪之吉の二男として生まれる。鹿児島県立加治木中学校 (旧制)、第七高等学校 (旧制)を経て、1941年京都帝国大学法学部を卒業。陸軍主計大尉としてインパール作戦に従事し、負傷するものの危機一髪で生還した経験を持つ。帰国後は水産会社役員、鹿児島県煙草耕作連嘱託等を経て、1949年第24回衆議院議員総選挙に吉田茂率いる民主自由党公認で旧鹿児島2区から立候補し当選(当選同期に池田勇人・岡崎勝男・前尾繁三郎・橋本龍伍・麻生太賀吉・小渕光平・西村英一・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・藤枝泉介・木村俊夫・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・床次徳二・有田喜一など)。
浜田 尚友(はまだ ひさとも、1909年(明治42年)6月2… 浜田 尚友(はまだ ひさとも、1909年(明治42年)6月29日 - 1988年(昭和63年)3月3日)は、日本の政治家。帝国議会衆議院議員、国分市議会議長。 鹿児島県の国分村(現・霧島市)出身で国分小学校卒業。1927年(昭和2年)鹿児島県立加治木中学校 (旧制)卒業。1932年(昭和7年)早稲田大学政治経済学部政治科卒業。同年東京日日新聞社(現・毎日新聞社)に入社し、社会部・政治部記者。厚生大臣秘書官(1940年(昭和15年))などを経て、1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙)で翼賛政治体制協議会推薦候補として鹿児島県第2区にて当選。1943年(昭和18年)現職議員中より第一号陸軍二等兵として応召、硫黄島戦闘参加。
小山田 政弘(こやまだ まさひろ、1903年〈明治36年〉8… 小山田 政弘(こやまだ まさひろ、1903年〈明治36年〉8月30日 - 1990年〈平成2年〉1月23日)は、日本の政治家。鹿児島県姶良郡蒲生町長(第10代、3期)。元は旧制鹿児島二中教諭を長く務めた教育者。 鹿児島県姶良郡蒲生村(後の蒲生町、姶良市の一部)生まれ。1922年3月鹿児島県立加治木中学校(現鹿児島県立加治木高等学校)卒業。1926年3月東洋大学国文科卒業。鹿児島実業学校(現鹿児島実業高等学校)、鹿児島和洋裁縫女学校(現鹿児島城西高等学校)勤務を経て、鹿児島県立第二鹿児島中学校(鹿児島二中、現鹿児島県立甲南高等学校)で国語・漢文の教諭を1927年8月31日から約20年間務める。1947年4月重富村立重富中学校初代校長に就任。
原口 純允(はらぐち すみちか、1898年(明治31年)1月… 原口 純允(はらぐち すみちか、1898年(明治31年)1月24日 - 1980年(昭和55年)3月23日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、鹿児島県伊佐郡大口町長。 鹿児島県伊佐郡菱刈村(菱刈町を経て現伊佐市)で生まれた。旧制鹿児島県立加治木中学校(現 鹿児島県立加治木高等学校)を経て、1918年(大正7年)旧制第七高等学校造士館卒業。1921年(大正10年)東京帝国大学経済学部商業学科を卒業。 1921年(大正10年)5月、南満州鉄道(満鉄)に入社し、電気作業所に配属された。1926年(大正15年)6月、電気作業所が満鉄から独立し南満洲電気 (株) (のち大連都市交通)に改組し同社員となり、奉天支店長、長春支店長、新京支店長を歴任。
永田 良吉(ながた りょうきち、1886年(明治19年)9月… 永田 良吉(ながた りょうきち、1886年(明治19年)9月14日 - 1971年(昭和46年)5月11日)は、日本の政治家。衆議院議員、旧・鹿屋市長(第2・6・7代)。位階は正四位。 鹿児島県肝属郡大姶良村西俣(現・鹿屋市永野田町)出身。大姶良村会議員、大姶良村長、鹿児島県議会議員を経て、衆議院議員、鹿屋市長を歴任した。通称・飛行機代議士・請願代議士。現在の海上自衛隊鹿屋航空基地を始め、高隈ダムや星塚敬愛園を鹿屋市へ誘致した人物である。 1886年9月14日の午前9時に、永田助太郎の三男、3人兄弟の末っ子として誕生。永田家は西俣の大地主であったが、士族ではなく平民の身分であった。 1893年、西俣簡易小学校へ入学するが、同年中に南小学校に統合され、永野田の者は鹿屋村の田崎尋常小学校へ転校することになった。
逆瀬川 仁次郎(さかせがわ にじろう、1883年(明治16年… 逆瀬川 仁次郎(さかせがわ にじろう、1883年(明治16年)12月8日 – 1930年(昭和5年)10月29日)は、日本の衆議院議員(政友本党→立憲民政党)。ジャーナリスト。 鹿児島県姶良郡敷根村(現在の霧島市)出身。鹿児島県立加治木中学校 (旧制)を卒業して東京高等師範学校に進むが退学。第一高等学校 (旧制)を卒業し、1916年(大正5年)東京帝国大学法科大学政治科を卒業。大阪毎日新聞社に勤務した。 1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙に政友本党で立候補して落選するが、1926年(大正15年)11月1日の衆議院鹿児島7区補欠選挙で当選。