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團 勝磨(だん かつま、1904年10月16日 - 1996… 團 勝磨(だん かつま、1904年10月16日 - 1996年5月18日)は、日本の発生生物学者。東京都立大学名誉教授。理学博士。 東京府(現・東京都)生まれ。男爵團琢磨の次男。團伊能の弟。長姉・めいは三井鉱山の社長を務めた牧田環に、三姉・スミは日本石油(現・ENEOS)の社長を務めた小倉房蔵に嫁いだ。父からは跡継ぎに望まれていたが、親の七光りと言われることを嫌い、旧制中学の時に読んだ丘浅次郎『進化論講話』に触発されて生物学の道に進む。 旧制青山学院中学部(現・青山学院中等部・高等部)から旧制第一高等学校入試に失敗、1年浪人後、旧制水戸高等学校理甲に入学。1929年、東京帝国大学理学部動物学科卒業後、発生学の権威ハイルブラン(英語版)を頼ってペンシルベニア大学大学院に留学。
西川 正身(にしかわ まさみ、1904年9月15日 - 19… 西川 正身(にしかわ まさみ、1904年9月15日 - 1988年1月25日)は、日本のアメリカ文学者。 東京生まれ。父は大審院判事となった西川一男。府立四中、第一高等学校を経て、東京帝国大学文学部英文科を1929年に卒業。母校の府立四中勤務ののち、1935年、東京商科大学予科教授、1951年、東京大学文学部英文科教授、62年、アメリカ文学講座初代教授となる。1963年退官後は教授職には就かず、非常勤講師をしながら研究に専念。勤続年数が少なかったが、1987年、東京大学より名誉教授の称号を与えられる。ドイツ現代史研究者の西川正雄は息子。 当初は、ウィリアム・シェイクスピア、サマセット・モームなど英国作家も視野に入れて広く英語文学を研究し、のちアンブローズ・ビアスを生涯の研究対象とした。
松下 一(まつした ひとし / はじめ、1904年(明治37… 松下 一(まつした ひとし / はじめ、1904年(明治37年)9月 - 1986年(昭和61年)4月12日)は、日本の内務・警察官僚。最後の官選愛媛県知事。 大阪府出身。第一高等学校を卒業。1927年12月、高等試験行政科試験に合格。1928年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し長崎県属となる。 以後、長崎県警部、福島県事務官、滋賀県警察部警視、和歌山県警察部警視、千葉県警察部特別高等課長、兵庫県警察部特別高等課長、栃木県書記官学務部長、青森県書記官・警察部長、福岡県内務部長などを歴任。 1947年3月、前任の青木重臣が知事選に出馬のため辞任したことに伴い愛媛県知事に発令された。
与謝野 秀(よさの しげる、1904年7月7日 - 1971… 与謝野 秀(よさの しげる、1904年7月7日 - 1971年1月25日)は、日本の外交官。 1904年、与謝野鉄幹と与謝野晶子の二男として生まれる。学校法人暁星学園、第一高等学校を経て、1928年東京帝国大学法学部政治学科を卒業し外務省入省、在フランス日本国大使館外務書記生となる。 1935年、球磨川電気社長などを歴任した坂内虎次の娘で11歳年下の道子と結婚。その後2男3女に恵まれる。長男に政治家の馨、次男にレジオンドヌール勲章シュヴァリエを叙勲した金融家の達、三女に詩人、美術評論家、フランス文学者の文子がいる。 外務省欧亜局所属時に日独伊三国同盟に反対する見解を示す。第二次世界大戦中は、スペイン、スイス、ドイツなどヨーロッパを中心に駐在。
岡崎 次郎(おかざき じろう、男性、1904年〈明治37年〉… 岡崎 次郎(おかざき じろう、男性、1904年〈明治37年〉6月29日 - 1984年〈昭和59年〉9月30日以降?)は、日本のマルクス経済学者、翻訳家。マルクスの大著『資本論』の翻訳で知られる。 北海道江差生まれ。第一高等学校を経て、1927年(昭和2年)に東京帝国大学文学部、1929年(昭和4年)に同経済学部を卒業。戦後、1950年(昭和25年)より九州大学教養部教授。ついで法政大学経済学部教授となる。1968年(昭和43年)法政大学教授を辞任、以降は著述業に専念した。 1983年(昭和58年)に青土社から出版した『マルクスに凭()れて六十年 自嘲生涯記』という自伝で向坂逸郎を批判。本書を友人・知人らに献本し、さりげなく別れの会を持った岡崎は、「これから西の方へ行く」という言葉を残して、80歳となる直前の翌1984年(昭和59年)6月6日からクニ夫人とともに死出の旅に出た。
大野 連治(おおの れんじ、1904年(明治37年)3月21… 大野 連治(おおの れんじ、1904年(明治37年)3月21日 - 1991年(平成3年)11月16日)は、日本の内務官僚。官選青森県知事。湯沢三千男の娘婿。 千葉県東葛飾郡船橋町九日市で生まれる。第一高等学校を卒業。1927年12月、高等試験行政科試験に合格。1928年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。横浜正金銀行を経て、1929年、内務省に入省し社会局属となる。 1946年1月、内務省文書課長から青森県知事に就任。同年11月24日、仮県庁が全焼した。1947年3月、引揚援護院次長に転じた。その後、全国市長会事務局長、人事院参与、地方公務員災害補償基金理事長を務めた。
宮脇 倫(みやわき りん / ひとし、1904年(明治37年… 宮脇 倫(みやわき りん / ひとし、1904年(明治37年)3月5日 - 1963年(昭和38年)3月28日)は、日本の内務・警察官僚。最後の官選埼玉県知事。長男は元皇宮警察本部長・元内閣広報官の宮脇磊介。孫は日本フェンシング協会元専務理事の宮脇信介。曽孫はフェンシング(フルーレ)選手の宮脇花綸。 長野県下伊那郡上郷村(現飯田市)に宮脇金一郎の二男として生まれる。第一高等学校を卒業。1926年12月、高等試験行政科試験に合格。1927年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し、警視庁に配属された。 以後、神田万世橋警察署長、三田警察署長、久松警察署長、警視庁特別警備隊長、新潟県商工水産課長、兵庫県警察部経済保安課長、石川県学務部長、秋田県内務部長、兼秋田県警察部長、茨城県内務部長、厚生省国民保険課長、同錬成体練課長などを歴任。
池田 欽三郎(いけだ きんざぶろう、1904年〈明治37年〉… 池田 欽三郎(いけだ きんざぶろう、1904年〈明治37年〉1月24日 - 没年不詳)は、日本の内務・商工官僚。官選秋田県知事。旧姓・木戸。 三重県出身。木戸吉太郎の三男として生まれ、池田龍一の養子となる。第一高等学校を卒業。 1925年11月、高等試験行政科試験に合格。1926年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。 内務省に入省し都市計画課属となる。 以後、青森県商工課長、同庶務課長、埼玉県社会課長、同庶務課長、神奈川県建築課長、同工場監督官、福岡県学務課長、大阪府労務課長、厚生省衛生局指導課長、同資材課長、茨城県書記官・経済部長、神奈川県書記官・学務部長、物価局部長、北海鉱山局長などを歴任。
早田 晧(はやた ひろし、1903年12月 - 1985年8… 早田 晧(はやた ひろし、1903年12月 - 1985年8月19日)は、ハンセン病患者を治療した日本の医師。医学博士。 1903年12月東京港区に生まれる。私立ハンセン病施設身延深敬園を設立した縁戚にあたる僧侶綱脇龍妙に説得され、ハンセン病医学に進むことを決意した。第一高等学校(現東京大学教養部)を経て、金沢医科大学(旧制)(現金沢大学医学部)卒業。1930年から、福岡の生(いき)の松原にある身延深敬病院分院に勤務しハンセン病の患者の診療にあたる。九州大学で研究し1935年医学博士の学位を得た。論文名は「癩血清化学反応(MHH反応) 」。この反応は指導教授皆見省吾らの研究によるもので、癩、非癩の区別ができるが、操作が極めて煩雑で外に行う人はいなかった。
吾妻 光俊(あづま みつとし、1903年11月9日 - 19… 吾妻 光俊(あづま みつとし、1903年11月9日 - 1973年4月21日)は、日本の法学者。専門は民法・労働法・社会保障法。一橋大学名誉教授。末弘厳太郎門下。弟子に蓼沼謙一、横井芳弘など。 東京で横田秀雄(大審院院長・民法学者)の子として生まれる。1925年第一高等学校卒業。1928年東京帝國大學法学部法律学科卒業。同法学部助手。1930年東京商科大学附属商学専門部専任講師。1935年東京商科大学附属商学専門部教授。1936年東京商科大学商学部助教授。1936年労働法研究のためドイツ・イタリア・アメリカ合衆国に留学( - 1939年)。1940年東京商科大学学生主事( - 1941年)。1941年東京商科大学商学部教授。
田中 楢一(たなか ならいち、1903年9月13日 - 19… 田中 楢一(たなか ならいち、1903年9月13日 - 1973年7月25日)は、日本の内務官僚。兵庫県出身。 第一高等学校および東京帝国大学法学部を経て、1929年に内務省に入省。全国の特別高等警察の総元締めである警保局保安課に勤務し、その後は特高官僚としてのキャリアを歩んだ。 第二次世界大戦後は、大阪市警察本部長、日本住宅公団大阪支所長、大阪府副知事を歴任。
岩本 常次(いわもと つねじ、1903年 <明治36年> 8… 岩本 常次(いわもと つねじ、1903年 <明治36年> 8月28日 - 1993年 <平成5年> 10月8日)は、日本の経営者。北海道電力社長を務めた。位階は従三位。 兵庫県出身。開成中学校や第一高等学校を経て、1927年に東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、同年に上毛電力に入社。片品川水系の丸沼発電所などの水力発電所の建設に携わる。 日本発送電への統合後は藤波収建設局長の下で九州や北海道での土木部長を務め、戦後は藤波の推薦を得て1951年9月に北海道電力に転じ理事・土木部長となり、1952年11月に取締役に就任。常務、副社長を経て、1966年5月に社長に就任した。1974年5月に会長に就任し、1983年6月に取締役相談役を経て、1985年6月から相談役を務めた。
増田 福太郎(ますだ ふくたろう、1903年6月25日 - … 増田 福太郎(ますだ ふくたろう、1903年6月25日 - 1982年11月15日)は日本の法学者。第二次世界大戦前に台北帝国大学の助教授をつとめた頃に得た知見をもとにした台湾研究で知られる。法学のみならず、台湾における宗教関連の著作もある。 1903年6月25日に新潟県中頸城郡高田町に生まれた。第一高等学校文科甲類を経て、1927年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業。1929年3月に同大学院を満期退学(法理学)。 大学院を卒業後、台湾総督府嘱託として台湾へ渡った。どういうわけか法学ではなく、現地の宗教調査を任務とした。ただし、この調査は早々に中断され、1930年5月からは台北帝国大学講師となった。
関 之(せき いたる、1903年3月19日 - 2001年4… 関 之(せき いたる、1903年3月19日 - 2001年4月25日)は、検事、弁護士。 長野県諏訪郡湖南村(諏訪市)出身。小学校卒業後、専門学校検定試験(専検)合格。第一高等学校を経て、1932年東京帝国大学法学部卒。1934年検事となり、東京控訴院検事などをへて、1948年発足した人権擁護局の第一課長。1949年東京高検検事、1952年公安調査庁総務部長となり、破壊活動防止法や人権擁護委員法の草案を作成する。1963年最高検察庁検事、1966年総務部長。同年弁護士に転じ、中央学院大学教授。1974年定年退任。墓所は多磨霊園(17-1-8)
山添 利作(やまぞえ りさく、1903年2月14日 - 19… 山添 利作(やまぞえ りさく、1903年2月14日 - 1979年7月7日)は、日本の農林官僚。農林事務次官を務め、退官後は農林漁業金融公庫総裁や日銀政策委員などを歴任した。長女・祥子の夫は参議院議員・衆議院議員を務めた藤井裕久。 京都府与謝郡岩滝町(現与謝野町)で父・山添小三郎、母・たかの次男として生まれる。1920年、京都府立宮津中学校を卒業し、第一高等学校仏法学科へ入学。1923年、一高を卒業し、東京帝国大学へ進学。在学中に高等試験行政科を合格し、1926年に農林省へ入省した。戦前から戦後に至るまで、蚕糸局での勤務が長く蚕糸行政には最も長く関与している。また戦後の農地改革では、その立案と実施に行政の責任者として取り組んだ。
大野 俊一(おおの しゅんいち、1903年1月29日 - 1… 大野 俊一(おおの しゅんいち、1903年1月29日 - 1980年3月26日)は、ドイツ文学者、比較文学者。 1903年、東京・浅草に生まれた。第一高等学校を経て、東京帝国大学独文科に入学。1927年に卒業。1931年に渡欧し、パリとベルリンで独仏語ならびに文学を学び、1935年帰国。 帰国後は様々な翻訳を行った。1936年に外務省嘱託となり、1937年に応召。1941年からは情報局嘱託として勤務。1943年に再び応召、1945年に帰国した。 戦後は翻訳に従事するとともに、非常勤講師や研究に従事。1957年、慶應義塾大学文学部教授に就任。1963年、『ゲーテとフランス』を慶応大学に提出して文学博士号を取得。
伊藤 清(いとう きよし、1903年(明治36年)1月28日… 伊藤 清(いとう きよし、1903年(明治36年)1月28日 - 1980年(昭和55年)2月16日)は、日本の内務官僚、国会職員。官選島根県知事。位階は従三位。 東京府出身。伊藤徳次郎の三男として生まれる。第一高等学校を卒業。1925年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年11月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し兵庫県属となる。 以後、和歌山県課長、大阪府課長、京都府課長、東京府課長、厚生省児童課長、和歌山県総務部長などを経て、兵庫県部長・内政部長となる。 1945年9月、島根県知事に就任。戦後の復興に尽力。1946年1月、東京都次長に転じた。後に公職追放となる。 その後、特別調達庁契約局長、参議院事務局内閣委員会調査室長、東京家庭裁判所参与を務めた。
高橋 健二(たかはし けんじ、1902年9月18日 - 19… 高橋 健二(たかはし けんじ、1902年9月18日 - 1998年3月2日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。中央大学名誉教授。ヘルマン・ヘッセやエーリッヒ・ケストナー作品の翻訳者として知られる。 東京・京橋生まれ。第一高等学校在籍時代は尾崎秀実と親しかった。1925年東京帝国大学文学部ドイツ文学科を卒業、成蹊高等学校のドイツ語教師となる。1931年ドイツに留学し、スイスでヘルマン・ヘッセに会った。ヘッセやエーリッヒ・ケストナーの翻訳・紹介につとめたほか、ゲーテやグリム兄弟やハンス・カロッサなどドイツ文学に関する著書・翻訳多数。 大日本帝国がナチスドイツと1936年に日独防共協定、1937年に日独伊防共協定、1940年に日独伊三国同盟を締結し、枢軸国を形成していくなか、高橋は大政翼賛会宣伝部長に就任し、1942年に『文学と文化 評論と随筆』、 1943年に日独文化協会からヘルマン・シエーファー共編『大独逸に関する優良日本図書短評付撰集 第1』、『戦争生活と文化』(大政翼賛会宣伝部) 、1945年には 『美しい日本への道 反省と発足』(大日本飛行協会)などを刊行し、ナチ文学紹介も行った。
佐伯 敏男(さえき としお、1902年(明治35年)9月1日… 佐伯 敏男(さえき としお、1902年(明治35年)9月1日 - 1963年(昭和38年)4月8日)は、日本の内務・厚生官僚。官選三重県知事。 東京府出身。佐伯頴雄の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1925年11月、高等試験行政科試験に合格。1926年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し、東京府属となる。 以後、富山県経済部長、厚生省職業部課長、福井県総務部長、内務省監査官、厚生省勤労局動員部長、同勤労局長などを歴任。 1946年1月、三重県知事に就任。1947年3月、同県知事選挙に出馬のため知事を辞するが落選した。その後、配炭公団理事兼東海亜炭支団長、関西鉱燃社長を務めた。
川井 章知(かわい あきとも、1902年(明治35年)8月1… 川井 章知(かわい あきとも、1902年(明治35年)8月16日 - 1987年(昭和62年)11月2日)は、日本の内務官僚、国会職員。最後の官選静岡県知事。位階は正四位。 神奈川県出身。川井立の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。内務省に入省し、茨城県属となる。 1935年、山口県書記官・経済部長に就任。以後、千葉県労務部長、内務省計画局庶務課長、同省監査官、京都府内政部長、中国地方行政事務局次長などを歴任。 1947年3月、前任の小林武治が知事選に出馬のため辞任したことに伴い静岡県知事に就任。
小川 一平(おがわ いっぺい、1902年(明治35年)5月1… 小川 一平(おがわ いっぺい、1902年(明治35年)5月16日 - 1982年(昭和57年)8月8日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 政治家小川平吉の長男として長野県諏訪郡富士見村(現富士見町)に生まれる。東京高等師範付属小学校、旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学政治学科卒業。昭和4年(1929年)三菱銀行に入行、同17年(1942年)に退社、同年戦時生活相談所常任理事に就任し、岡谷市に支所を設けて、首都圏から諏訪地方への工場疎開を推進した。 同21年(1946年)第22回衆議院議員総選挙に長野県から出馬し当選。同26年(1951年)後楽園スタヂアム取締役、同32年(1957年)常務、同42年(1967年)副社長、同46年(1971年)花月園観光社長を歴任した。
稲田 周一(いなだ しゅういち、1902年(明治35年)2月… 稲田 周一(いなだ しゅういち、1902年(明治35年)2月26日 - 1973年(昭和48年)2月5日)は、日本の内務・宮内官僚。侍従長、官選滋賀県知事。位階は従二位。 現・東京都出身。政治学者・稲田周之助の長男として生まれる。開成中学校、第一高等学校を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年3月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し佐賀県属となり内務部産業課兼地方課に配属された。 1927年4月、地方事務官・群馬県工場監督官兼社会課長に就任。拓務事務官を経て、1931年12月、内閣官房に転じ内閣書記官・内閣官房総務課勤務となる。以後、内閣官房会計課長、同総務課長、兼同会計課長などを歴任。
田中 不破三(たなか ふわぞう、1901年(明治34年)12… 田中 不破三(たなか ふわぞう、1901年(明治34年)12月28日 - 1994年(平成6年)3月8日)は、日本の鉄道官僚・政治家。衆議院議員、内閣官房副長官。 宮崎県南那珂郡飫肥町(現日南市)で生まれた。田中猛の養子となる。第一高等学校を卒業。1926年12月、高等試験行政科試験に合格。1927年(昭和2年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。鉄道省に入省し広島駅助役となる。 以後、鉄道省事務官、広島鉄道局経理部長、鉄道省監督局総務課長、同総務局主計課長、大臣官房文書課長、情報局情報官、技術院参技官、鉄道監、門司鉄道局長、鉄道総局総務局長などを歴任。 1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙で宮崎県第2区に民主党から立候補し当選。
風間 道太郎(かざま みちたろう、1901年6月6日 - 1… 風間 道太郎(かざま みちたろう、1901年6月6日 - 1988年8月25日)は、日本の平和運動家、伝記作家。 東京出身。暁星中学、第一高等学校、1928年東京帝国大学法学部法律学科卒業。太陽生命保険株式会社、谷村製鉄鉄工所、東京商工会議所、大政翼賛会、長野県鉄商工経済会などで勤めた。戦時中は大政翼賛会文化部副部長を務めるが、ほどなく退き農村生活を送る。戦後は、世界画報社や志摩書房の編集者、日本学園高等学校教諭などを歴任した。 大学で尾崎秀実と親しく、1946年尾崎の『愛情はふる星のごとく』を出版。新日本文学会に属し、平和運動家として活動しつつ、伝記などを書いた。
古在 由重(こざい よししげ、1901年5月17日 - 19… 古在 由重(こざい よししげ、1901年5月17日 - 1990年3月6日)は、日本の哲学者。元名古屋大学教授。元日本共産党員。 東京帝国大学総長を務めた農芸化学者・古在由直と、作家・清水紫琴の次男として東京府(現・東京都)に生まれる。兄・由正は東洋史学者・幣原坦の次女・澄江と結婚している。千葉大学学長を務めた農芸化学者・古在豊樹は由重の息子であり、国立天文台初代台長を務めた天文学者・古在由秀は由重の甥(由正・澄江夫妻の長男)にあたる。 旧制第一高等学校、東京帝国大学文学部哲学科卒業。1932年、戸坂潤らと唯物論研究会を設立し、1933年および1938年の二度、治安維持法違反で検挙される。出獄後は上智大学でカトリック文献の翻訳や、四王天延孝の回教協会に勤務して、戦時下を過ごした。
橋本 乾三(はしもと けんぞう、1901年(明治34年)5月… 橋本 乾三(はしもと けんぞう、1901年(明治34年)5月14日 - 1983年1月21日)は、日本の検事。東京市渋谷区出身。 大日本麦酒(現・サッポロビール)の常務を務めた橋本卯太郎の三男で、首相を務めた橋本龍太郎、高知県知事を務めた橋本大二郎兄弟の伯父にあたる。 1901年(明治34年)5月14日、日本麦酒社員・橋本卯太郎とマツの三男として生まれた。旧制第一高等学校を経て、1926年(大正15年)6月に東京帝国大学法学部を卒業。 1927年(昭和2年)3月司法官試補、東京地方裁判所詰。1928年(昭和3年)12月検事 東京地方裁判所予備検事。秋田地方裁判所予備検事。 1929年(昭和4年)12月秋田区裁判所検事。
吉富 滋(よしとみ しげる、1901年〈明治34年〉4月15… 吉富 滋(よしとみ しげる、1901年〈明治34年〉4月15日 - 1946年〈昭和21年〉10月18日)は、日本の内務・厚生官僚。官選高知県知事。 山口県出身。吉富瀬兵衛の二男として生まれる。第一高等学校を卒業。1928年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1929年、東京帝国大学法学部英法科を卒業。内務省に入省し、神奈川県属となる。 以後、福島県教育課長、同地方課長、島根県警察部特別高等警察課長、兵庫県警察部外事課長、内務省社会局事務官、厚生事務官、軍事保護院書記官、同業務局業務課長、厚生省大臣官房会計課長などを歴任。 1946年1月、高知県知事に就任。県立学校の統合、四国配電株式会社重役陣の改組、県内の復興などに取り組んだ。
伊藤 庸二(いとう ようじ、1901年3月5日 - 1955… 伊藤 庸二(いとう ようじ、1901年3月5日 - 1955年5月9日)は、日本の海軍軍人、工学者、無線技術者。ドレスデン工科大学Doctor、東京帝国大学工学博士。最終階級は海軍技術大佐。 1901年(明治34年)3月5日、千葉県夷隅郡御宿村(現・御宿町)に、御宿尋常高等小学校長伊藤鬼一郎の次男として誕生。伊藤家は御宿郷の名主の家系だった。旧制第一高等学校を卒業後、東京帝国大学の1年生の時に海軍委託学生になり、1924年(大正13年)3月、同大学工学部電気工学科を卒業。翌月、海軍造兵中尉(技術科士官第13期)に任官する。当時、欧米で電波技術が顕著に発展していたことから海外に技術者を留学させることとなり、1926年8月、箕原勉の推薦によりその候補に選ばれた。
野田 清武(のだ きよたけ、1901年2月15日 - 196… 野田 清武(のだ きよたけ、1901年2月15日 - 1963年5月13日)は、日本の農林官僚、満州国官吏。徳島県知事。 佐賀県出身。野田清種の二男として生まれる。第一高等学校を経て、1924年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年、農商務省に入り食糧局属となる。1925年4月、農商務省が農林省と商工省に分割され、農林属となる。以後、営林局山林事務官、同局事務官、農林事務官、産業組合事務官、農林書記官などを歴任。 その後、満州国に転じ、国務院実業部理事官に就任。以後、農務司農政科長兼墾務科長、地籍整理局事務官、実業部理事官、総務庁参事官などを歴任。
戸沢 盛男(とざわ もりお、1901年(明治34年)2月 -… 戸沢 盛男(とざわ もりお、1901年(明治34年)2月 - 1954年(昭和29年)7月12日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。佐賀県知事、陸軍司政官。 秋田県出身。戸沢清蔵の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1927年12月、高等試験行政科試験に合格。1928年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。大阪毎日新聞社を経て、1929年、内務省に入省し、北海道庁属となる。 以後、北海道庁社会課長、香川県警察部特別高等警察課長、長崎県警察部特別高等警察課長、大阪府警察部経済保安課長、宮崎県書記官・警察部長、福島県書記官・警察部長、同県部長・警察部長、陸軍司政官、静岡県内務部長などを歴任。 1946年7月、佐賀県知事に就任。
沖野 悟(おきの さとる、1901年〈明治34年〉1月 - … 沖野 悟(おきの さとる、1901年〈明治34年〉1月 - 1964年〈昭和39年〉5月1日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。 広島県出身。沖野広松の長男として生まれる。第一高等学校を首席で卒業。1924年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し土木属となる。同年11月、高等試験行政科試験に合格。 以後、地方警視として秋田県、兵庫県、神奈川県で勤務。さらに、都市計画地方委員会事務官兼地方事務官、大阪府工場監督官、宮崎県書記官・警察部長、茨城県書記官・警察部長、内務書記官・警保局防犯課長、埼玉県書記官・総務部長、福岡県総務部長などを歴任。 1942年7月、高知県知事に就任し、戦時下の対応に尽力。
小沢 久太郎(小澤 久太郎、おざわ きゅうたろう、1900年… 小沢 久太郎(小澤 久太郎、おざわ きゅうたろう、1900年〈明治33年〉12月19日 - 1967年〈昭和42年〉9月18日)は、昭和期の日本の内務官僚、政治家。参議院議員(3期)、郵政大臣(第19代)。 千葉県市原郡加茂村(現在の市原市)出身(出生地は東京府東京市芝区愛宕下町)。第一高等学校を経て、1927年に東京帝国大学工学部土木工学科を卒業、内務省に入り、土木畑を歩む。特別調達庁促進局次長・近畿地方建設局長・経済安定本部建設交通局長、経済審議庁審議官などを歴任した。 1953年の第3回参議院議員通常選挙に於いて自由党公認候補として全国区に立候補して初当選、保守合同以後は自由民主党に属する。
小林 千秋(こばやし ちあき、1900年(明治33年)11月… 小林 千秋(こばやし ちあき、1900年(明治33年)11月 - 1949年(昭和24年)7月)は、日本の内務官僚。官選県知事。 東京府出身。小林龍三郎の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1925年11月、高等試験行政科試験に合格。1926年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し土木局属となる。 以後、内務省復興局勤務、福島県地方事務官、兵庫県地方事務官、内務省社会局事務官、同省地方局事務官、同局監督課長、同局財政課長、大臣官房会計課長などを歴任。 1944年8月、和歌山県知事に就任。県立医学専門学校の設立、東南海地震・和歌山大空襲の救援活動に尽力。1945年10月、三重県知事に転任。
宮田 為益(みやた ためます、1900年(明治33年)10月… 宮田 為益(みやた ためます、1900年(明治33年)10月11日 - 1955年(昭和30年)7月2日)は、日本の内務・厚生官僚。官選岩手県知事。 島根県能義郡広瀬町(現・安来市)出身。第一高等学校を卒業。1925年11月、高等試験行政科試験に合格。1926年、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。内務省に入省し佐賀県属となる。 以後、高知県警察部警務課長、山口県警察部保安課長兼工場課長、和歌山県学務課長兼社寺兵事課長、兵庫県商工課長、同知事官房主事兼秘書課長、同人事課長、茨城県学務部長、厚生省書記官・薬務課長、山梨県書記官・総務部長兼経済部長、神奈川県官房長、厚生省大臣官房会計課長、同衛生局資材課長などを歴任。
山田 幸男(やまだ ゆきお、1900年8月14日 - 197… 山田 幸男(やまだ ゆきお、1900年8月14日 - 1975年7月6日)は日本の藻類学者である。 京都に生まれた。家族と東京に移り、東京府立一中、第一高等学校から東京帝国大学植物科で学んだ。早田文蔵に藻類の研究をすることを薦められ、海草の研究に取り組み、岡村金太郎の指導を受けた。1928年から2年間欧米留学の後、1930年に北海道大学に新たに設立された理学部の教授となった。日本における藻類研究のパイオニアとして働いた。1952年に設立された日本藻類学会の初代会長となり1965年まで会長を務めた。1962年に北海道大学理学部長も務めた。 1960年に北海道新聞文化賞、1964年に北海道文化賞を受賞した。
湯地 孝(ゆち たかし、1900年6月26日 - 1973年… 湯地 孝(ゆち たかし、1900年6月26日 - 1973年3月10日)は、日本近代文学研究者。 第一高等学校を経て、1925年東京帝国大学文学部国文科卒。1926年、卒業論文を『樋口一葉論』として刊行し、以後片岡良一とともに近代文学研究に先鞭をつける。「たけくらべ」の末尾における美登利の変貌を、初潮ゆえと論じたのは孝が最初である。1950年4月、開学して間もない山梨大学に着任。同大学の近代文学文庫は湯地の提案により設立された。1961年(昭和41年)退官。その後は、青山学院大学教授、淑徳大学学長を務めた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
平山 洋三郎(ひらやま ようざぶろう / ようさぶろう、19… 平山 洋三郎(ひらやま ようざぶろう / ようさぶろう、1900年(明治33年)6月22日 - 1970年(昭和45年)10月11日)は、大正から昭和期の農林官僚、政治家、華族。貴族院男爵議員。 貴族院勅選議員・平山成信の三男として生まれる。父の死去に伴い、1929年(昭和4年)12月2日、男爵を襲爵した。 第一高等学校を経て、1925年(大正14年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。1924年(大正13年)11月、高等試験行政科試験に合格し、1925年、農林省に入省し農林属に就任。以後、山林事務官、農林事務官、営林局事務官、農林書記官、東京営林局長、日本高等女学校長事務取扱、日本高等家政女学校長事務取扱、帝国女子専門学校長(現相模女子大学)などを務めた。
小野 哲(おの あきら、1900年(明治33年)4月8日 -… 小野 哲(おの あきら、1900年(明治33年)4月8日 - 1978年(昭和53年)9月21日)は、日本の鉄道官僚、政治家。千葉県知事(官選第34代)、参議院議員(1期)。 小野禎一郎の二男として京都府乙訓郡向日町(現:向日市)で生まれる。第一高等学校を経て、1924年、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。鉄道省に入り神戸鉄道管理局書記となる。 以後、鉄道局副参事、鉄道事務官、在外研究員(欧米留学)、門司鉄道局鳥栖運輸事務所長、東京鉄道局運輸部庶務課長、鉄道省運輸監理官、東京鉄道局運輸部長、大臣官房人事課長、門司鉄道局長、運輸通信省鉄道総局勤労局長、運輸省自動車局長、同企画局長などを歴任。
安積 得也(あずみ とくや、1900年(明治33年)2月17… 安積 得也(あずみ とくや、1900年(明治33年)2月17日 - 1994年(平成6年)7月27日)は、日本の内務官僚、社会評論家、詩人。官選県知事。 東京府(現・東京都)出身。安積得時の二男として生まれる。第一高等学校を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年、東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し京都府属となる。 以後、社会局事務官、中央大学講師、地方警視、愛知県経済部長などを経て、東京府経済部長となる。 1943年7月、栃木県知事に就任。1944年11月、内閣綜合計画局部長に転じた。東海北陸地方副総監を経て、1945年9月、岡山県知事に就任。戦後初の県予算を編成したが、1946年1月、公職追放となり知事を辞した。
西尾 寿男(にしお としお、1900年(明治33年)1月8日… 西尾 寿男(にしお としお、1900年(明治33年)1月8日 - 1990年(平成2年)10月29日)は、日本の鉄道省・運輸省官僚。日本交通公社(現・JTB)初代社長。鉄道弘済会や日本ホテル協会理事長を歴任した。 滋賀県彦根市出身。麹町小学校、第一高等学校等を経て、東京帝国大学卒業。高等文官試験行政科に合格し鉄道省(後に運輸省)に入省。仙台鉄道局長、運輸局旅客課長などを歴任した。戦後は財団法人鉄道弘済会理事長を務めるが、在任中の1954年、贈収賄により東京地検特捜部によって元参院議員高田寛と共に逮捕された(いわゆる陸運疑獄に発展)。これを機に運輸省を退官し、1955年に日本交通公社(現・JTB)の株式会社となってから初の代表取締役社長に就任し、後に会長を歴任した。
西村 高兄(にしむら たかえ、1900年(明治33年)1月1… 西村 高兄(にしむら たかえ、1900年(明治33年)1月1日 - 1988年(昭和63年)7月5日)は、昭和時代前期の拓務官僚、台湾総督府官僚。 高知県土佐郡地蔵寺村(現・土佐町西部)に生まれる。東京府立第一中学校、第一高等学校を経て、1924年(大正13年)3月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業する。翌年11月、高等試験行政科に合格し、さらに翌年の1926年(大正15年)2月に樺太庁内務部殖産課に奉職。1927年(昭和2年)7月より同庁警視警察部警察官練習所長を兼任し、同年9月に同庁事務官長官官房調査課長に転じた。 ついで拓務事務官管理局大臣官房会計課勤務を経て、1931年(昭和6年)9月に台湾総督府に転じ、事務官内務局地方課長に就任。
重友 毅(しげとも き、1899年12月25日 - 1978… 重友 毅(しげとも き、1899年12月25日 - 1978年8月11日)は、日本の国文学者。 1899年、山口県吉敷郡山口町で生まれた。1917年に早稲田大学部学部予科に入学するも、同年7月に中退し、第一高等学校に入学。1920年に同校を卒業後、東京帝国大学文学部国文科に進学。1924年に卒業。 同1924年、旅順工科大学予科教授に就いた。1933年、東京体育専門学校教授に転じた(1941年まで)。1938年より武蔵高等学校教授も兼ねた。 1949年に武蔵大学教授となり、法政大学教授を兼任。1952年、学位論文『雨月物語の研究』を東京大学に提出して文学博士の学位を取得。1956年に武蔵大学を辞任し、法政大学および同大学大学院教授のみとなった。
伊藤 泰吉(いとう たいきち、1899年〈明治32年〉12月… 伊藤 泰吉(いとう たいきち、1899年〈明治32年〉12月17日 - 1965年〈昭和40年〉7月31日)は、日本の政治家、朝鮮総督府官僚。川越市長(6期)。 埼玉県入間郡川越町(現川越市)で生まれる。第一高等学校を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。朝鮮総督府に入府し平安南道庁に配属された。 以後、忠清北道学務課長、忠清北道警察部長、慶尚北道警察部長、総督府警務局警務課長、同総督官房人事課長、同司政局勅任事務官などを歴任。その後、1942年10月23日、同府専売局長に就任。1943年12月1日に専売局が廃止され同府事務官に就任。1944年8月17日、同府逓信局長に就任し終戦を迎えた。
鳥羽 正雄(とば まさお、1899年12月13日 - 197… 鳥羽 正雄(とば まさお、1899年12月13日 - 1979年4月18日)は、日本の林業史学者、城郭研究家。 東京市市谷生まれ。高千穂小学校、東京高等師範学校附属中学校、第一高等学校卒、1924年東京帝国大学文学部国史学科卒。農林省林制沿革調査嘱託、神宮皇學館教授、内務省考証官、神祇院考証課長、林業経済研究所研究員。1951年から鹿児島大学教授、1956年から東洋大学教授。1961年、東洋大学にて文学博士の学位を取得。中京大学教授。1974年退任。1966年日本城郭協会設立に参加し、理事。 甲冑研究家の山上八郎とは小学校以来の交友があり、山上が「日本甲冑論考」で東洋大学より文学博士号を取得したのも鳥羽の推薦があったためという。
中村 元治(なかむら もとはる、1899年(明治32年)12… 中村 元治(なかむら もとはる、1899年(明治32年)12月3日 - 1982年(昭和57年)9月1日)は、日本の内務・警察官僚。官選大分県知事、陸軍司政長官。位階は従三位。 神奈川県出身。岩本幸八の六男として生まれ、中村元智の養子となる。第一高等学校を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し群馬県属となる。 以後、群馬県社会課長、愛知県工場監督官、山梨県勤務、埼玉県地方課長、京都府勤務、青森県経済部長、広島県学務部長、福井県書記官・警察部長、和歌山県書記官・警察部長、新潟県書記官・警察部長などを歴任。1942年8月、陸軍司政長官に任じられ第16軍軍政部付のジャワ島パティ州長官を1944年9月まで務めた。
竹内 徳治(たけうち とくじ、1899年(明治32年)11月… 竹内 徳治(たけうち とくじ、1899年(明治32年)11月1日 - 1991年(平成3年)5月10日)は、日本の大蔵官僚。官選香川県知事。 群馬県前橋市出身。竹内清次郎の三男として生まれる。第一高等学校を卒業。1922年11月、高等試験行政科試験に合格。1923年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。大蔵省に入省し主計局属となる。 以後、財務書記(英仏駐在)、司税官、主計官を歴任。1935年、対満事務局経済課長に就任。さらに、企画院第五部長、拓務省殖産局長、内務省管理局長、東北興業副総裁を務める。 1946年1月、香川県知事に就任し四国地方行政事務局長官を兼務した。県下の治安維持に尽力。同年6月に知事を辞任。
豊島 章太郎(てしま しょうたろう、1899年(明治32年)… 豊島 章太郎(てしま しょうたろう、1899年(明治32年)11月 - 1981年(昭和56年)10月30日)は、日本の内務・警察官僚。官選愛媛県知事、最後の官選岡山県知事。 広島県出身。第一高等学校を卒業。 1925年、東京帝国大学法学部を卒業。同年11月、高等試験行政科試験に合格。1926年、内務省に入省し、宮城県属となる。 以後、内務事務官、警保局勤務、警保局外事課長、愛媛県書記官・警察部長、岡山県書記官・警察部長、警視庁保安部長、同経済警察部長などを歴任。 1945年10月、愛媛県知事に就任。1946年10月、岡山県知事に転任。地方制度の改正や経済対策に取り組み、知事選挙を執行して1947年4月に退任。
引田 重夫(ひきた しげお、1899年(明治32年)10月 … 引田 重夫(ひきた しげお、1899年(明治32年)10月 - 没年不詳)は、日本の内務・厚生官僚。最後の官選岩手県知事。 北海道出身。引田楳太郎の二男として生まれる。第一高等学校を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年、東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し大分県属となる。 以後、大分県速見郡長、同県社会課長、秋田県学務課長、同地方課長、福島県地方課長、同庶務課長、京都府庶務課長、宮崎県経済部長、厚生省職業部紹介課長、同業務課長、同職業局総務課長、長野県内政部長などを歴任。 1947年1月11日、岩手県知事に就任。県議会議員選挙、知事選挙などを執行して同年4月12日に知事を退任。
宮崎 謙太(みやざき けんた、1899年(明治32年)10月… 宮崎 謙太(みやざき けんた、1899年(明治32年)10月 - 1959年(昭和34年))は、日本の内務・文部官僚。官選佐賀県知事。 福岡県出身。第一高等学校を卒業。1923年、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。同年12月、高等試験行政科試験に合格。東京市に勤務した。 1926年、内務省に転じ石川県事務官となる。以後、愛知県事務官、神奈川県事務官、栃木県書記官・学務部長などを歴任。1939年4月、文部省に転じ同書記官・普通学務局学務課長に就任。その後、文部省大臣官房文書課長を務めた。さらに、岩手県書記官・総務部長、東京都官房長、同長官官房財務課長を歴任した。 1944年8月1日、佐賀県知事に就任。
小島 徹三(こじま てつぞう、1899年9月29日 - 19… 小島 徹三(こじま てつぞう、1899年9月29日 - 1988年1月10日)は、弁護士、日本の政治家。法務大臣。帝国弁護士会理事、 第一東京弁護士会常議員。位階は正三位。 自由党衆議院議員(1946年から10期)。日本自由党では政務調査会理事、司法部部長、民主党では総務委員、政務調査会理事、議員運営部部会長を務めた。自民党では芦田均派→岸信介派→福田赳夫派に所属した。 兵庫県養父郡八鹿町(現・養父市)出身。造り酒屋の小島久右衛門の三男として生まれる。八鹿小、豊岡中、第一高等学校、東京帝国大学法学部仏法科卒業。 1922年(大正11年)、高等文官試験外交科及び行政科に合格。その後弁護士を開業。 1946年(昭和21年)、第22回衆議院議員総選挙に兵庫2区から初当選。