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広瀬 直幹(ひろせ ちょくかん、1875年(明治8年)1月 … 広瀬 直幹(ひろせ ちょくかん、1875年(明治8年)1月 - 1936年(昭和11年)5月2日)は、日本の内務官僚。官選宮崎県知事。旧姓・豊田。 香川県出身。豊田官吾の二男として生まれ、広瀬トセの養子となる。第三高等学校を卒業。1904年、京都帝国大学法科大学を卒業。1905年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し栃木県属となる。 以後、栃木県警視、北海道庁事務官・第二部長、群馬県事務官、和歌山県事務官・警察部長、内務書記官、長野県内務部長、徳島県内務部長、長崎県内務部長などを歴任。 1919年8月、宮崎県知事に就任。新設の県立中学校について、前堀内秀太郎知事が飫肥町(現日南市)に設置の内定を出していたが、広瀬に引き継がれなかったのか下穂北村(現西都市)に設置を約束した(妻中学校)。
岡田 宇之助(おかだ うのすけ、1872年12月30日(明治… 岡田 宇之助(おかだ うのすけ、1872年12月30日(明治5年12月1日) - 1949年(昭和24年)10月17日)は、日本の内務官僚。官選県知事。旧姓・原。 兵庫県出身。原丈之助の弟として生まれ、岡田家の養子となる。第三高等学校を卒業。1896年、東京法学院(現・中央大学)を卒業。1897年12月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し内務属となる。 以後、島根県参事官、長野県参事官、同事務官・第一部長兼第三部長、愛媛県事務官、同内務部長などを歴任。 1912年12月、茨城県知事に就任。青柳橋の架橋、水海道分署新築、御大礼記念教育館建設、県道整備計画の策定などに尽力。1917年1月、佐賀県知事に転任。
塚本 清治(つかもと せいじ、1872年12月5日〈明治5年… 塚本 清治(つかもと せいじ、1872年12月5日〈明治5年11月5日〉- 1945年〈昭和20年〉7月11日)は、明治から昭和にかけての内務官僚・政治家。 兵庫県揖東郡旭陽村(現在の姫路市)出身。初めは河田姓を名乗っていたが、1884年(明治17年)に塚本家の養子に入った。第三高等学校を経て東京帝国大学法科大学を卒業、1902年(明治35年)11月の高等文官試験に合格した。 初め東京府職員であったが、翌年には内務省に移籍して、以後1915年(大正4年)に神社局長、1920年(大正9年)に地方局長、1922年(大正11年)に社会局長を務め、1923年(大正12年)の第2次山本内閣成立と同時に内務次官に任じられた。
添田 敬一郎(そえだ けいいちろう、1871年10月12日(… 添田 敬一郎(そえだ けいいちろう、1871年10月12日(明治4年8月28日) - 1953年(昭和28年)10月20日)は、日本の内務官僚、政治家。衆議院議員、埼玉県知事、山梨県知事、山形県知事などの要職を歴任した。 小浜県遠敷郡西津村(後の雲浜村西津、現・福井県小浜市)に、旧小浜藩士、福井県大飯郡長[要出典]、滋賀県神崎郡長[要出典]を務めた添田良平の長男として生まれる。第三高等学校を経て、1898年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。東京帝大では一木喜徳郎のもとで学んだ[要出典]。同年7月、内務省に入省し内務属・庶務局地理課勤務となり、同年10月、兵庫県属・内務部第一課勤務に異動。
鈴木 邦義(すずき くによし、1871年6月19日(明治4年… 鈴木 邦義(すずき くによし、1871年6月19日(明治4年5月2日) - 1945年(昭和20年)11月30日)は、日本の内務官僚。官選沖縄県知事。旧姓・石井、旧名・兼次郎。 三重県出身。石井四郎兵衛の二男として生まれ、鈴木九郎の養子となる。第三高等学校を卒業。1896年、帝国大学法科大学を卒業。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し土木局属となる。 以後、佐賀県参事官、長崎県参事官、東京府参事官、岐阜県書記官、千葉県事務官・第一部長兼第三部長、滋賀県事務官、宮城県事務官、神奈川県港務部長、大阪府内務部長などを歴任。 1916年5月、沖縄県知事に就任。織物業などの産業振興に尽力。
佐柳 藤太(さやなぎ とうた、1870年10月14日(明治3… 佐柳 藤太(さやなぎ とうた、1870年10月14日(明治3年9月20日) - 1925年(大正14年)2月24日)は、日本の内務官僚、政治家。官選県知事、熊本市長、小樽市長。 讃岐国多度郡(後に仲多度郡豊原村、現:多度津町)で生まれる。第三高等学校を経て、1892年、東京法学院(現:中央大学)を卒業。1894年、弁護士試験に合格。1895年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1896年、内務省に入り県治局属となる。 以後、新潟県内務部第一課長、山形県内務部長、福岡県事務官・内務部長などを歴任。 1912年12月、滋賀県知事に就任。1914年4月、千葉県知事に転じた。米作、教育、社会教育の振興に尽した。
浜田 恒之助(はまだ つねのすけ、1870年10月13日(明… 浜田 恒之助(はまだ つねのすけ、1870年10月13日(明治3年9月19日) - 1945年(昭和20年)4月28日)は、日本の内務官僚。憲政会系府県知事。 土佐国安芸郡奈半利村出身。浜田愚一郎の三男として生まれる。第三高等学校を経て、1896年7月、帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格した。内務省に入り内務属として警保局に配属された。 1897年4月、茨城県参事官に就任。以後、山梨県警察部長、石川県警察部長、宮城県警察部長、神奈川県警察部長、奈良県事務官、北海道事務官・第三部長などを歴任。 1910年6月、富山県知事に就任。1915年8月、宮城県知事に転任。
折田 彦市(おりた ひこいち、嘉永2年1月4日(1849年1… 折田 彦市(おりた ひこいち、嘉永2年1月4日(1849年1月27日) - 1920年(大正9年)1月26日)は、明治時代に活動した日本の教育者・文部官僚。旧制第三高等学校(三高/現・京都大学)の初代校長として知られている。その前身校も含めれば約30年間にわたって三高の校長を務め、同校の「自由の学風」を築いたとされる。 嘉永2年(1849年)1月4日 、薩摩藩士折田寧剛の四男として薩摩国鹿児島で生まれた。青年期までの名として彦市のほかに三之丞・権蔵があり、諱は年長であった。少年期には家族の縁に恵まれず、父は安政5年(1858年)に没し、母も慶応元年(1865年)に世を去っている。長兄の年昭に子がなかったため、その養子となっている。