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後藤 由夫(ごとう よしお、1925年10月3日 - 202… 後藤 由夫(ごとう よしお、1925年10月3日 - 2020年9月3日)は、日本の内科医。東北大学名誉教授。医学博士。専門は、糖尿病学。 山形県松嶺町(現、酒田市)生まれ。1944年旧制第二高等学校卒業。1948年東北帝国大学医学部卒業後、同医学部内科教室(教授 黒川利雄)に入局。1955年東北大学医学博士。1958-1960年米国ペンシルベニア大学医学部内科教室に留学。1968年東北大学医学部同内科助教授。1970年弘前大学医学部教授(内科第三講座)。1976年東北大学医学部教授(内科学第三講座)。1988年定年退官、東北大学名誉教授、東北厚生年金病院院長。 日本糖尿病学会会長、日本体質学会会長、日本臨床栄養学会会長、日本膵臓病学会会長、日本老年医学会会長、日本内科学会会頭、日本糖尿病協会理事長、日本臨床内科医会会長、日本動脈硬化学会会長、日本過酸化脂質学会会長、日本自律神経学会会長、日本肥満学会会長などを歴任。
槙 哲夫(まき てつお、1908年1月23日 -2006年1… 槙 哲夫(まき てつお、1908年1月23日 -2006年12月23日)は、日本の外科医。専門は、消化器外科,胆石症の研究。医学博士。 青森県七戸町生まれ。 第二高等学校 (旧制)から、東北帝国大学医学部卒業。1933年、同医学部第一外科学教室(教授)に入局。1939年、同医学部助教授。1942-44年、中華民国無錫普仁医院へ出張。1945年、秋田県立女子医学専門学校教授。1949年、弘前医科大学(のち、弘前大学医学部)教授。1961年、東北大学医学部第一外科教授。1965年、東北大学医学部付属病院長。1967-70年、東北大学医学部長。1971年、東北大学名誉教授、東北労災病院長。平成18年死去、享年98。
宮崎 吉夫(みやざき よしお、旧姓:伊藤〈いとう〉、1903… 宮崎 吉夫(みやざき よしお、旧姓:伊藤〈いとう〉、1903年〈明治36年〉12月23日 - 1956年〈昭和31年〉10月24日)は、日本の病理学者、医師。医学博士。東京高等歯科医学校病理学教室初代教授、東京大学伝染病研究所病理学研究部長。 新潟県中蒲原郡横越村大字沢海(現 新潟市江南区沢海)の豪農・六代目伊藤文吉の五男として出生。 1920年(大正9年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1923年(大正12年)3月に第二高等学校を卒業、1927年(昭和2年)3月に東京帝国大学医学部医学科を卒業。 1927年(昭和2年)4月に東京帝国大学医学部病理学教室(担任:緒方知三郎教授)副手に就任、1932年(昭和7年)12月に東京高等歯科医学校病理学教室講師に就任、1933年(昭和8年)3月に東京高等歯科医学校病理学教室初代教授に就任、1935年(昭和10年)7月に東京帝国大学から医学博士号を取得、1944年(昭和19年)4月に東京医学歯学専門学校病理学教室教授に就任、1948年(昭和23年)7月に東京大学伝染病研究所病理学研究部部長・教授に就任、東京医科歯科大学歯学部病理学教室講師を兼任、1951年(昭和26年)2月に東京医科歯科大学歯学部病理学教室教授に就任、東京大学伝染病研究所病理学研究部部長・教授を兼任、1956年(昭和31年)6月に東京大学伝染病研究所所長事務代理に就任、東京大学伝染病研究所病理学研究部部長・教授と東京医科歯科大学歯学部病理学教室教授を兼任。
古澤 平作(こさわ へいさく、1897年7月16日 - 19… 古澤 平作(こさわ へいさく、1897年7月16日 - 1968年10月5日)は、日本の医学者、精神科医。東北帝国大学助教授。 日本に精神分析の技法を導入し日本独自の精神分析学を開拓し、力動的な臨床精神医学の基礎をつくることに貢献した。アカデミズムの世界に精神分析学をはじめて導入したのは東北帝大教授であった丸井清泰(1886‐1953)であったとされるが、正統的精神分析療法を習得しこれを広めたのは,丸井の門下であった古沢平作であった。 神奈川県厚木生まれ。旧制第二高等学校、東北帝国大学医学部を卒業。この頃、白内障で二年間の闘病生活を強いられ、右目を失明する。同精神科の丸井清泰の下で助教授を務めたが、丸井と衝突し、1932年-33年にかけてウィーン精神分析研究所に留学、ジークムント・フロイトに学ぶとともに、ステルバ(R.Sterba)の教育分析とフェダーンの指導を受けた。
比企 能達(ひき よしさと、1893年9月22日 - 196… 比企 能達(ひき よしさと、1893年9月22日 - 1968年10月17日)は、日本の医師。専門は、病理学及び内科学。医学博士。長男は比企能樹。 神奈川県中郡旭村(現・平塚市)出身。加藤房吉の三男として生まれ、叔父で開業医・政治家の比企喜代助(1866年~1944年)の養子となる。旧制第二高等学校を経て、東京帝国大学医学部を卒業。1927年、同医学部病理学教室助手(教授緒方知三郎)。1932年、同医学部内科学教室副手(教授島薗順次郎)。1934年、東京大学医学博士、論文の題は「唾液腺の内分泌に就て : 唾液腺條紋部(streifenstuck)の構造竝に機能に就て」。 1945年、日本大学医学部第一内科教授。
佐々木 春作(ささき しゅんさく、1872年4月26日(明治… 佐々木 春作(ささき しゅんさく、1872年4月26日(明治5年3月19日) - 1942年8月13日)は、日本の医師、政治家。衆議院議員(1期)。 山形県山形市五日町出身。1889年、第二高等学校医学部、1893年、東京帝国大学卒。陸軍に入り、三等軍医から一等軍医に進み、日清戦争、日露戦争に参加。山形市会員、山形県会議員、同参事会員、山形市医師会長、山形県産婆試験委員、帝国在郷軍人会山形市連合分会長、専売局顧問医、鉄道嘱託医となる。 1898年、山形市八日町に佐々木病院を開業、院長となる。山形市内のはり師・きゅう師・あんま師らによって1913年に設立された私立山形盲学校の初代校長を勤め、1921年まで任に当たった(のち県立に移管され、山形県立山形盲学校となる)。