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木島 始(きじま はじめ、1928年2月4日 - 2004年… 木島 始(きじま はじめ、1928年2月4日 - 2004年8月14日)は、日本の詩人、英米文学者、翻訳家、童話作家、作詞家。本名は小島 昭三(こじま しょうぞう)。 新日本文学会、日本文芸家協会、各会員。 京都府京都市中京区生まれ。第六高等学校在学中に敗戦を迎える。1947年東京大学文学部英文科入学、学生運動に加わり、東京大学新聞を編集する。また在学中から詩誌「列島」などに加わり、発行人もつとめた。 1951年卒業、東京都立北野高等学校教諭として英語を教える。 1953年野間宏の跋文を得て『木島始詩集』を刊行、1954年専修大学講師、1963年法政大学第一教養部講師となり、助教授、教授を務める。
古見 日嘉(ふるみ ひよし、1920年11月4日 - 197… 古見 日嘉(ふるみ ひよし、1920年11月4日 - 1973年1月2日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。主としてジャン・パウルを研究・翻訳した。 東京出身。1943年東京帝国大学文学部独文科卒。第六高等学校教授、埼玉大学助教授、旧・東京都立大学助教授、教授。1965年ジャン・パウル『美学入門』で日本翻訳文化賞受賞。
谷 友幸(たに ともゆき、1911年5月13日 - 1981… 谷 友幸(たに ともゆき、1911年5月13日 - 1981年7月24日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。京都大学名誉教授。 東京市本郷区生まれ。1931年第六高等学校理科乙類卒業、1939年京都帝国大学文学部独文科卒業。戦後京大教養部助教授、1957年文学部助教授、1962年「ヘルダーリーン文学の基礎的研究」(未公刊)で文学博士、1967年教授、1975年定年退官、名誉教授。大谷大学文学部教授。初期にはライナー・マリア・リルケを主として研究、翻訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
大山 定一(おおやま ていいち、1904年4月30日 - 1… 大山 定一(おおやま ていいち、1904年4月30日 - 1974年7月1日)は、昭和期日本のドイツ文学者。京都大学名誉教授。 香川県出身。旧制第六高等学校から京都帝国大学文学部独文科に進み1928年に卒業。学生時代は土井虎賀寿と下宿が同じで、親友であった。旧制第三高等学校講師、京都帝国大学文学部講師、法政大学予科講師などを経て、1946年に京都大学文学部助教授、1950年に同教授となり、1968年に京大を定年退官してからは関西学院大学教授を務めた。 文人気質の外国文学者としてゲーテやリルケをはじめとする多数の翻訳を著した。戦後まもなく出版された『洛中書問』は、中国文学者の吉川幸次郎との往復書簡で、東西古典の翻訳のあり方をめぐる論議である。
宮地 政司(みやじ まさし、1902年10月7日 - 198… 宮地 政司(みやじ まさし、1902年10月7日 - 1986年10月11日)は、日本の天文学者、理学博士。 広島県因島市(現・尾道市)出身。旧制第六高等学校を経て、1925年東京帝国大学理学部天文学科卒業。ジャワ島ボスカ天文台長、東京天文台国際報時所研究主任を経て東京大学教授兼東京天文台技官となり、東京天文台長を務めた。1964年測地学審議会長となり、日本地図センター長も務めた。
西下 経一(にしした きょういち、1898年5月10日 - … 西下 経一(にしした きょういち、1898年5月10日 - 1964年1月17日)は、日本の国文学者、東京教育大学名誉教授。旧姓は岡村。 岡山県西北条郡津山町(現・津山市)出身。1922年東京高等師範学校国漢科卒業後、佐賀中学校教諭。東京帝国大学国文科選科を経て、1927年に本科卒。東大国文学研究室副手として源氏物語などの書誌研究を行う。 第六高等学校教授を経て、1953年「古今集の伝本の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。戦後は岡山大学教授、東京教育大学教授、上智大学教授。平安朝文学、特に古今集の和歌を専門とする。蔵書は没後に国文学研究資料館に収蔵された。
石川 錬次(いしかわ れんじ、1893年1月22日 - 19… 石川 錬次(いしかわ れんじ、1893年1月22日 - 1945年7月8日)は、日本のドイツ文学者。 東京都出身。東京帝国大学独文科卒。 立教大学教授、第六高等学校教授、第八高等学校教授、旧制浦和高等学校教授、1929年府立高等学校教授。
佐々木 順三(ささき じゅんぞう、1890年3月2日 - 1… 佐々木 順三(ささき じゅんぞう、1890年3月2日 - 1976年5月2日)は、日本の教育者、神学者、英文学者。 1890年(明治23年)に東京で三男として生まれる。兄の佐々木邦(慶應義塾大学,明治学院大学教授)は後に作家として業績を残している。東京帝国大学を卒業後、教師となり第六高等学校、第一高等学校などの教授を経て、1943年9月30日に都立高等学校校長となる。同高校校長を1946年6月29日まで務めた後に、立教大学総長に就任した。戦後の再建期において同大学の「建学の精神」を示し、キリスト教一貫教育を進めるべく新制高等学校、中学校、小学校を開設した。1954年にはキリスト教学校教育同盟理事長を務める。