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米山 正夫(よねやま まさお、1912年〈大正元年〉10月3… 米山 正夫(よねやま まさお、1912年〈大正元年〉10月3日 - 1985年〈昭和60年〉2月22日)は、日本の作曲家、作詞家である。日本コロムビア専属。別名に勝沼久、Jason Albert。生涯に1000曲以上を作曲し、美空ひばりの「リンゴ追分」など昭和のヒット曲を数多く手がけた。 東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町穏田(おんでん、現在の渋谷区)に生まれる。父親の米山正は倉知誠夫(三越会長)、山本留次、益田英作(益田孝の弟)らと東京蓄音機株式会社を設立し、専務取締役を務めた実業家。旧制成蹊高等学校尋常科に進むが、音楽の道を諦めきれずに東洋音楽専門学校(現在の東京音楽大学)へ転入する。 1934年にピアノ科を首席で卒業し、藤原義江のピアノ伴奏などで修行を重ねる。
鹿間 時夫(しかま ときお、1912年6月6日 - 1978… 鹿間 時夫(しかま ときお、1912年6月6日 - 1978年12月12日)は、日本の古生物学者。 1912年、京都府で生まれた。旧制成蹊高等学校を経て、東北帝国大学理学部に進学。1931年から1939年にかけて、栃木県葛生町周辺に広く分布する古生代石灰岩の割れ目にたまった第四紀の堆積物の中から発見された化石を調査。東北帝国大学理学部を卒業。 1942年、満洲国の新京工業大学教授に就任。 戦後は1947年から3年間、長野県飯田高松高校教諭として勤務。このとき直接の影響を受けた卒業生には長谷川善和、鎮西清高、加賀美英雄(海洋地質学)、山田哲雄(岩石学)、松島信幸(日本地質学会名誉会員)がいる。ほか、本多勝一(ジャーナリスト)や富永明夫(仏文学者)、近藤信道(画家)もその時期の教え子であった。
飛田 多喜雄(ひだ たきお、1907年11月15日 - 19… 飛田 多喜雄(ひだ たきお、1907年11月15日 - 1991年2月8日)は、日本の国語教育学者。成蹊大学文学部教授を歴任。 千葉県山武郡豊成村(現・東金市)生まれ。1928年千葉県師範学校卒、市川尋常高等小学校訓導となる。1939年成蹊小学校教諭、1947年成蹊中学校教諭。1949年『実践国語』編集長となる。1963年成蹊高等学校教諭。1970年成蹊大学文学部教授、1978年定年退任。1965年『国語教育方法論史』で垣内松三賞、1974年博報賞、1985年著作集『国語科教育方法論大系』全10巻で石井賞(全国大学国語教育学会賞)受賞。
浅野 孝之(あさの たかゆき、1888年2月3日 - 194… 浅野 孝之(あさの たかゆき、1888年2月3日 - 1948年7月25日)は、日本の教育者、浄土真宗僧侶、旧制成蹊高等学校初代校長。旧制姫路高等学校校長、第七高等学校造士館校長、山口経済専門学校校長等も歴任した。 愛媛県越智郡小西村(後の大西町、現今治市の一部)大字脇生まれ。同地の明専寺(浄土真宗)住職であった浅野聖諦の長男。旧制松山中学校(愛媛県立松山東高等学校の前身)を1907年に卒業後、第一高等学校を経て、1914年7月に東京帝国大学文科大学(現東京大学文学部)哲学科を卒業。1914年12月7日、文部省教育調査会嘱託となる。1917年5月、アメリカ領ハワイ(布哇)における通俗教育に関する状況調査を嘱託され、またホノルル市にある布哇中学校と布哇高等女学校の教諭に任命される。
土田 誠一(つちだ せいいち、1887年〈明治20年〉2月2… 土田 誠一(つちだ せいいち、1887年〈明治20年〉2月21日 - 1945年〈昭和20年〉10月2日)は、日本の論理学者、古神道学者、郷土史家。東京帝国大学助教授、神宮皇学館教授、旧制成蹊高等学校校長。 1887年(明治20年)、秋田県由利郡矢島町(現・由利本荘市矢島町)に生まれる。秋田師範学校では田村徳治・菊地寅七とともにクラスの三羽烏に数えられた。1907年(明治40年)、同校を卒業し、東京高等師範学校英語科を経て、1915年(大正4年)、東京帝国大学文科大学哲学科を卒業した。井上哲次郎の門下生であった。東京帝国大学大学院へと進み、1919年(大正8年)、東京帝国大学文科大学助教授となる。