川上 徹(かわかみ とおる、1940年 - 2015年1月2… 川上 徹(かわかみ とおる、1940年 - 2015年1月2日)は、日本の編集者、社会運動家。全日本学生自治会総連合中央執行委員長を経て、日本民主青年同盟中央常任委員を務めたが、新日和見主義事件により解任。のち同時代社を創業、代表取締役。 1940年、東京・亀戸生まれ。1944年、長野県東筑摩郡に疎開し、1949年に上京するまで暮らした。1960年、東京大学教養学部入学とともに日本共産党に入党。1964年、全日本学生自治会総連合再建大会で中央執行委員長。1966年に退任、東京大学教育学部教育行政学科卒業。同年より日本民主青年同盟(民青)本部に勤務、中央常任委員。 1972年5月、分派活動により査問を受け(新日和見主義事件)、同年秋、党員権停止1年の処分が決まり民青本部を退職。
干鯛 眞信(ひだい まさのぶ、1940年 - 2023年4月… 干鯛 眞信(ひだい まさのぶ、1940年 - 2023年4月5日、83才)は、日本の化学者、東京大学名誉教授。専門は有機金属化学、生物無機化学、窒素固定であり、特に、窒素分子が錯体に配位した窒素錯体、硫黄架橋多核錯体。工学博士。兵庫県出身。
藤井 威(ふじい たけし、1940年〈昭和15年〉- 202… 藤井 威(ふじい たけし、1940年〈昭和15年〉- 2020年〈令和2年〉5月12日)は、日本の大蔵官僚。 長野県出身。灘高等学校、東京大学法学部卒業。1962年、大蔵省入省。大蔵省主計局次長、経済企画庁官房長、大蔵省理財局長、内閣内政審議室長、駐スウェーデン大使兼ラトビア大使、地域振興整備公団総裁、みずほコーポレート銀行常任顧問、佛教大学特任教授、啓明社理事長、長寿社会文化協会理事長、ポピンズサービス国際乳幼児研究所所長を歴任。
加納 重文(かのう しげふみ、1940年 -2018年8月1… 加納 重文(かのう しげふみ、1940年 -2018年8月11日)は、日本の国文学者、京都女子大学名誉教授。 広島県福山市生まれ。1967年東京教育大学文学部卒、71年同大学院博士課程単位取得退学。秋田大学講師、平安博物館、78年京都女子大学助教授、教授。1994年大阪大学文学博士。2006年に定年退職、名誉教授。
山村 順次(やまむら じゅんじ、1940年(昭和15年)- … 山村 順次(やまむら じゅんじ、1940年(昭和15年)- 2021年(令和3年)11月22日)は、日本の地理学者、元城西国際大学観光学部客員教授、千葉大学名誉教授。日本温泉地域学会名誉会長。日本における観光地理学の草分けであり、おもに温泉観光地域を対象とした観光地域論を専門としている。
加地 永都子(かじ えつこ、1940年 - 2009年4月1… 加地 永都子(かじ えつこ、1940年 - 2009年4月13日)は、日本の翻訳家、編集者。 東京都生まれ。東京女子大学文理学部卒業。卒業後は日本YWCAに7年間勤務。アジア太平洋資料センター理事、季刊『世界から』編集者のほか、日本ネグロス・キャンペーン委員会(JCNC)運営委員、ピープルズ・プラン研究所運営委員を務めた。
山内 眞(やまうち まこと、1940年 - 2025年7月6… 山内 眞(やまうち まこと、1940年 - 2025年7月6日)は、日本の聖書学者。 1940年大阪市に生まれる。東京神学大学大学院で学んだ後、1967年から2年間日本基督教団吉祥寺教会の竹森満佐一牧師の下で伝道師を勤める。その後、エディンバラ大学大学院に学び哲学博士号を取得、テュービンゲン大学に留学して帰国後、1973年から2年間日本基督教団鎌倉雪ノ下教会伝道師を経て、東京神学大学の新約聖書神学の教授になる。2009年退職後生活の本拠をスコットランドに移し、2025年7月6日、ダンディーの自宅で死去。84歳没。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。
高野達男(たかの たつお、1940年(昭和15年)? - 2… 高野達男(たかの たつお、1940年(昭和15年)? - 2005年(平成17年)8月22日)は日本の社会運動家、実業家。三菱樹脂事件の原告。株式会社ヒシテック(現三菱樹脂インフラテック株式会社)代表取締役社長、常勤顧問を歴任。 1940年(昭和15年)頃に広島県で出生。 学生時代は学生運動に身を投じていたことがある。1963年(昭和38年)に東北大学法学部を卒業。 同年に三菱樹脂株式会社に入社するが、学生運動での活動歴を秘匿していたことを問題視され、経歴詐称を理由に本採用を拒否される。 採用拒否は被用者の思想・良心の自由を侵害するものとして法廷で会社と争った末、1976年(昭和51年)に東京高等裁判所で和解が成立し、現職に復帰する。
中野好文(なかの よしふみ、1940年 - 2008年6月2… 中野好文(なかの よしふみ、1940年 - 2008年6月26日)は、日本の建築行政職、都市計画家で東京都足立区助役。一級建築士。建築主事。 1958年日本大学旧工学部建築学科卒業。足立区まちづくり課長、同都市計画課長、同建築部長、同都市環境部長を経て、現職。 著書に『市民生活と自治体責任』(共著、学陽書房)、『あなたのまちをデザインする61の方法』(共著、日本コンサルタントグループ)、『都市の計画と防災』(共著、地域科学研究会)など。
安宅川 佳之(あたいがわ よしゆき、1940年-2011年8… 安宅川 佳之(あたいがわ よしゆき、1940年-2011年8月26日)は、日本の経済学者である。 1940年、和歌山県田辺市に生まれる。1962年、和歌山大学経済学部卒業後、日本生命、ニッセイBOT投資顧問株式会社、ニッセイアセットマネジメント株式会社の役員を務め、2001年、日本福祉大学経済学部経営開発学科通信教育部特別任用教授として赴任。2007年、日本福祉大学大学院福祉経営専攻専攻長。2011年8月26日、死去。 長期波動論や年金・保険などに関わる社会保障制度を専門とした。 コンドラチェフ波動に関する研究者は国・内外に多いが、コンドラチェフ波動を経済システムの変化に加え、社会的変動なかでも社会的階層対立によって生じる政治思想との関連で捉えている点に特色がある。
面高 昌義(おもだか まさよし、1940年 - 2006年1… 面高 昌義(おもだか まさよし、1940年 - 2006年1月2日)は、元日本テレビ放送網のディレクター・リポーター・テレビ番組制作会社「モンド」代表取締役社長。 フリー・制作会社時代 レポーターで出演した番組
松田 輝雄(まつだ てるお、1940年 - 2025年5月9… 松田 輝雄(まつだ てるお、1940年 - 2025年5月9日)は、東京都出身のアナウンサー・樹木医。 高校時代まで東京都杉並区で育ち、早稲田大学卒業後、1963年NHK入局。宮崎局から高松局・名古屋局を経て1979年に放送センターアナウンス室に勤務。総合テレビ「にっぽん列島朝いちばん」「趣味の園芸」などの司会や、キャスターを担当した。 1996年以降はフリーランスとなり、NHK「私のガーデニング」「バロックの森」(土日のリクエストコーナーの案内役)やTBSテレビの「TBS特集『定年』」などの司会を務め、NHKで国際放送を含むラジオニュース・気象通報などを担当。また、芸能プロダクション『松田輝雄事務所』を設立した。
白倉 敬彦(しらくら よしひこ、1940年 - 2014年1… 白倉 敬彦(しらくら よしひこ、1940年 - 2014年10月4日)は、日本の民俗学者、浮世絵研究家、文筆家。とくに春画の発掘と研究で知られる。 北海道空知郡北村(現・岩見沢市)に生まれる。早稲田大学文学部を中退した。現代美術のプロデュースを始め、広く美術の企画・編集に従事する。国際浮世絵学会常任理事。2000年の『浮世絵春画を読む』以来、田中優子との協同作業で春画や近世遊里に関する著作が多い。田中の『芸者と遊び』は田中著となっているが、中に、半分は白倉が書いた、とある。1999年の田中の著書『張形 江戸をんなの性』でも資料蒐集など協力し、田中が共著を申し出たが固辞されたという。 『浮世絵春画を読む』で、タイモン・スクリーチの説に反論し「春画はポルノグラフィーではなく、純粋な芸術として評価すべき」と主張したが、ポルノグラフィーの定義が曖昧だと批判を受け、次の『江戸の春画』では、ポルノグラフィーかどうかには興味がない、と書いた。
佐々木 隆二 (ささき りゅうじ、1940年 - )は、… 佐々木 隆二 (ささき りゅうじ、1940年 - )は、日本の写真家。宮城県生まれ。 気仙沼市出身。 仙台市在住。東北と宮澤賢治をモチーフに撮影活動を続けている。「仙台文学館ニュース」の表紙や仙台市市民文化事業団発行の季刊「まちりょく」などの写真を担当するほか、「仙台クラシックフェスティバル」のボランティアカメラマンなど、被災地での音楽活動を多く撮影している。 2015年9月15日から10月31日まで、仙台文学館において、「梶原さい子歌集『リアス/椿』―短歌と写真― 」と題し、写真と短歌のコラボレーション展示が行われた。 2017年8月13日から16日まで、気仙沼市の水梨文化館にて、戦後70年の写真展「いのち」を開催 。
小堀 啓爾(こぼり けいじ、1940年 - 2003年9月1… 小堀 啓爾(こぼり けいじ、1940年 - 2003年9月10日)は、囲碁の観戦記者、ライター。 徳島県徳島市出身。1969年から日本棋院職員として勤務し、のち退社してフリー。1981年から約22年にわたり、毎日新聞の囲碁本因坊戦の観戦記を担当した。 2003年9月10日、間質性肺炎のため死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
京藤 敦子(きょうとう あつこ、1940年 - )は、日本の… 京藤 敦子(きょうとう あつこ、1940年 - )は、日本のファッションモデル。1961年、ミス・インターナショナル日本代表。 1940年、福井市に生まれる。 和江商事(のちのワコール)の下着モデルとして活動したこともある。作家の北康利によると、有名だから抜擢されたのではなく、当初は無名だったが和江商事のモデルとなったことでステップアップしていった。伊東絹子(1953年、ミス・ユニバース第3位入賞)、松本千都子(1964年、ミス・ユニバース日本代表)、団令子(映画女優)や山口富美子(ミス京都)も和江商事のモデル出身である。 1961年6月14日、大阪市北区中之島のフェスティバルホールで開催された「1962年度ミス日本コンテスト」で、ミス・インターナショナル日本代表に選出される。