原 ひろ子(はら ひろこ、1934年6月11日 - 2019… 原 ひろ子(はら ひろこ、1934年6月11日 - 2019年10月7日)は、日本の文化人類学者。お茶の水女子大学名誉教授。専門は、文化人類学、ジェンダー研究。女性科学研究者の環境改善に関する懇談会会長、城西国際大学客員教授。 京城府(現:ソウル)生まれ。旧姓・須江。1957年東京大学教養学部文化人類学卒業、同大学院修士課程修了、米国ブリンマー大学大学院博士課程修了、Ph.D。拓殖大学助教授、法政大学助教授、お茶の水女子大学教授、1998年定年退官、名誉教授、放送大学教授、城西国際大学客員教授。日本学術会議連携会員、日本女性監視機構(JAWW)代表、アジア・太平洋地域女性監視機構(APWW)代表、女性と健康ネットワーク副代表・事務局長。
若杉 輝明(わかすぎ てるあき、1934年6月10日 - )… 若杉 輝明(わかすぎ てるあき、1934年6月10日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(投手)。 日大三高ではエースとして活躍。1951年夏の甲子園都予選で準決勝に進むが、荏原高に敗退。同年の秋季東京大会で優勝し、高校地区代表大会に関東代表として出場。準決勝では土佐高の池上武雄(慶大-四国銀行)と投げ合い完封勝ち。決勝でも橋本力を打の主軸とする函館西高を降し優勝。3年生時の1952年には春夏の甲子園に出場。春の選抜は2回戦(初戦)で太田正男、河津憲一がいた長崎商に敗退。夏の選手権は準々決勝に進み、またも長崎商と対戦。太田との投手戦になるが、延長11回の末に0-1で敗れた。同年秋の東北3県国体にも出場。
木村 英俊(きむら ひでとし、1934年6月10日 - 20… 木村 英俊(きむら ひでとし、1934年6月10日 - 2019年7月16日)は、北海道出身の音楽プロデューサー。ジーベック音楽出版代表取締役。 実娘はシンガーソングライターの木屋響子(本名・木村恭子)。妻はマリンバ奏者の安倍圭子。 慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。日東金属鉱山を経て、1963年に日本コロムビア入社。1965年に志願して営業部から学芸部へ移籍し、1977年から学芸部長、1989年から制作本部長を歴任した。アニメーション作品・特撮作品の楽曲や子供向けの楽曲をプロデュースし、日本コロムビアの隆盛期の一分野を担う。 1992年、日本コロムビアが新規設立したグループ会社「フォルテミュージックエンタテインメント」(FME)の社長に就任。
ジェームス三木(ジェームス みき、本名:山下 清泉(やました… ジェームス三木(ジェームス みき、本名:山下 清泉(やました きよもと)、1934年〈昭和9年〉6月10日 - 2025年〈令和7年〉6月14日)は、日本の脚本家、作家、演出家、元歌手。 1934年、満洲国奉天省奉天市(現・中国遼寧省瀋陽市)生まれ。小学生の時に大阪府茨木市に引き揚げる。 中学2年の時、父が心臓病で急死。父の死後、医師である叔父の勧めで医学部を受験する予定だったが、大阪府立市岡高校に入学後は演劇や恋愛に熱中していた。 高校2年の時、演劇部で自ら主演・演出した芝居が大阪府高校演劇コンクールで1位入賞。これを期に俳優志望となり、俳優座養成所の入所試験を受けたところ、12倍の競争率を突破して合格。
浅香 春彦(あさか はるひこ、本名:猪股 稔(いのまた み… 浅香 春彦(あさか はるひこ、本名:猪股 稔(いのまた みのる)、1934年6月10日 - )は、日本の俳優。旧芸名・別名:朝香 春彦(読みは同じ)。 京都府出身。立命館大学卒。1957年にミスター平凡コンテストで準ミスターを受賞。
野村 吉三郎(のむら きちさぶろう、1934年(昭和9年)6… 野村 吉三郎(のむら きちさぶろう、1934年(昭和9年)6月10日 - )は、日本の経営者。元全日本空輸社長・会長。大分県出身。
佐藤 良一(さとう りょういち、1934年6月8日 - 20… 佐藤 良一(さとう りょういち、1934年6月8日 - 2016年11月3日)は、岩手県盛岡市出身のプロ野球選手。 盛岡工業高校から日本石油を経て1955年に近鉄パールスへ入団。 1958年に退団し、盛岡鉄道管理局でプレーを続けた。後に監督になり、宮城建設でも監督を務めた。 2016年11月3日に死去。
青木 幹雄(あおき みきお、1934年〈昭和9年〉6月8日 … 青木 幹雄(あおき みきお、1934年〈昭和9年〉6月8日 - 2023年〈令和5年〉6月11日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲章は旭日大綬章。 竹下登衆議院議員秘書、島根県議会議員(5期)、参議院議員(4期)、内閣官房長官(第64・65代)、沖縄開発庁長官(第38・39代)、自由民主党参議院幹事長、自由民主党参議院議員会長を歴任した。 長男に青木一彦参議院議員がいる。 1934年6月8日、島根県簸川郡大社町の漁師の家に誕生する。実家は網元で、大社漁協の組合長だった。漁師の息子だった青木は稲佐の浜で朝から暗くなるまで勉強もしないで真っ黒になって遊んだ。島根県立大社高等学校を経て早稲田大学に入学。
鈴木 智(すずき とも、1934年6月7日 - 2018年7… 鈴木 智(すずき とも、1934年6月7日 - 2018年7月10日)は、宮城県出身の俳優。劇団民藝所属。 東京都立明正高等学校(現在の東京都立芦花高等学校)出身。1956年、『遠い凱歌』で初舞台を踏み、映画やテレビドラマにも出演した。身長190cm。特技は狂言。2018年7月10日午前11時、両肺の胸膜炎・呼吸不全のため東京・世田谷区内の病院で死去した。享年84歳。
稲垣 繁男(いながき しげお、1934年〈昭和9年〉6月7日… 稲垣 繁男(いながき しげお、1934年〈昭和9年〉6月7日 - )は、日本の実業家。京都近鉄百貨店社長や近鉄百貨店副社長を務めた。 奈良県天理市出身。1957年(昭和32年)に大阪大学経済学部を卒業後、近畿日本鉄道に入社した。入社した時点では「百貨店が直営だと知らなかった」ものの、10日後には当時近畿日本鉄道の直営だった近鉄百貨店に配属された。以降、人事・総務畑を歩む。 近鉄グループには近鉄百貨店以外にも複数の百貨店が存在し、そのひとつが京都市下京区(京都駅前)に立地し、大阪証券取引所第一部に上場している百貨店「丸物」を改称した京都近鉄百貨店だった。同社は本店と岐阜店のみの小さな百貨店であり、増床や草津近鉄百貨店出店などの対策を取っていたが、1997年(平成9年)の開業を目指すジェイアール京都伊勢丹の脅威にさらされていた。
鈴木 敬彦(すずき よしひこ、1934年6月7日 - 202… 鈴木 敬彦(すずき よしひこ、1934年6月7日 - 2022年7月26日)は、日本の実業家。遠州鉄道株式会社の第6代社長。 静岡県浜松市出身。遠州鉄道株式会社の第2代社長の鈴木俊雄氏の次男で、1958年に慶應義塾大学法学部を卒業後、遠州鉄道株式会社に入社。1994年から2005年まで11年間遠州鉄道第6代社長を務めた。社長在任中はバブル崩壊後の厳しい経営環境の中で「お客様第一主義」を掲げ、事業の多角化を推進しグループ経営の礎を築いた。また、1988年の遠鉄百貨店開業の担当役員として準備を主導し、1990年 - 1994年には遠鉄百貨店の社長も務めた。また、遠州鉄道の保険事業を全国有数のアメリカンファミリー販売代理店に育てあげたほか、遠州鉄道社長時代に路線バスの利用促進に向けて浜松市と「オムニバスタウン計画」を展開。
林 瑞枝(はやし みずえ、1934年6月7日 - )は、日本… 林 瑞枝(はやし みずえ、1934年6月7日 - )は、日本の国際政治学者。元駿河台大学教授。専攻はジェンダー、欧州統合、フランス文化。 1934年に東京で生まれる。早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業する。専修大学法学部兼任講師などを経て、1994年に駿河台大学文化情報学部教授となる。また、同大学比較法研究所に所属した。2004年に同大学を退職した。ジェンダーやヨーロッパの政治・文化を研究し、フランス語を駆使して翻訳を手がけた。退職後も著述・翻訳を行っている。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山田 太一(やまだ たいち、1934年〈昭和9年〉6月6日 … 山田 太一(やまだ たいち、1934年〈昭和9年〉6月6日 - 2023年〈令和5年〉11月29日)は、日本の脚本家・小説家。本名:石坂 太一(いしざか たいち)。 松竹で木下惠介の助監督を務めた後、フリーランスとなり、テレビドラマの脚本家に転身。社会的弱者を主題としたり、テレビドラマのタブーに挑戦したりするなど、数々の話題作を次々と生み出した。 小説では『飛ぶ夢をしばらく見ない』『異人たちとの夏』『遠くの声を捜して』の三部作を著し、小説家としても活動した。『異人たちとの夏』では1988年(昭和63年)に山本周五郎賞を受賞し、同作の映画や舞台も手掛けている。 東京市浅草区出身。浅草六区で大衆食堂を経営していた愛知県出身の父親と栃木県真岡市出身の母親の子として誕生。
厚谷 襄児(あつや じょうじ、1934年(昭和9年)6月6日… 厚谷 襄児(あつや じょうじ、1934年(昭和9年)6月6日 - )は、日本の官僚、法学者。北海道大学名誉教授。弁護士。専門は経済法・独占禁止法。函館市生まれ。
福井 文雅(ふくい ふみまさ/ぶんが、1934年6月6日- … 福井 文雅(ふくい ふみまさ/ぶんが、1934年6月6日- 2017年5月4日)は、日本の仏教学者および中国学者、僧侶(天台宗勧学で権大僧正)。栃木県日光市、日光山輪王寺内にある唯心院住職、早稲田大学名誉教授。 父の福井康順と、弟の福井重雅も、共に東洋学者であり、天台宗僧侶。
藤本 隆志(ふじもと たかし、1934年6月5日 - )は、… 藤本 隆志(ふじもと たかし、1934年6月5日 - )は、日本の哲学者、東京大学名誉教授。 東京生まれ。1958年国際基督教大学教養学部卒。1960年東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程修了、1961年米国カンザス大学大学院中退、1966年東京大学大学院博士課程単位取得満期退学。1972年北海道大学文学部助教授、1982年東京大学教養学部助教授、1985年教授、1995年定年退官、名誉教授、千葉大学文学部教授、2000年日本大学文理学部・総合文化研究所教授。2005年退職。 1968年および1978年に日本翻訳文化賞受賞。ウィトゲンシュタイン、ホワイトヘッド、カール・ポパーなど英国哲学を研究、翻訳した。
緒方 重威(おがた しげたけ、昭和9年(1934年)6月4日… 緒方 重威(おがた しげたけ、昭和9年(1934年)6月4日 - )は、日本の元検察官、元法務官僚、元弁護士。元公安調査庁長官。東京都目黒区のハーベスト投資顧問株式会社代表取締役。 父は検察官・弁護士の緒方浩、兄は化学者で上智大学副学長・千歳科学技術大学学長の緒方直哉。 父・浩が当時、岡崎検事局に勤務していたため愛知県岡崎市で生まれた。父はその後、名古屋、金沢、東京と転勤し、昭和14年(1939年)、満洲国最高検察庁検事として満州に赴任することになった。昭和14年(1939年)11月初旬、一家5人が満州国へと到着した。緒方と兄は、父に命じられていたこともあり、幼い頃から剣道を習っていた。 終戦後約1ヵ月をかけて母、兄、姉そして緒方の家族4人は無事に日本まで引き揚げてきた。
高沢 武司(高澤 武司、たかさわ たけじ、1934年6月4日… 高沢 武司(高澤 武司、たかさわ たけじ、1934年6月4日 - 2015年5月7日)は、社会福祉学者、日本社会事業大学・岩手県立大学名誉教授。 東京都・田端生まれ。1961年日本社会事業大学卒業、1963年東京都立大学 (1949-2011)大学院社会科学研究科修士課程修了、日本社会事業大学助手、講師、助教授、教授、大学院研究科長、図書館長、常務理事。1998年岩手県立大学社会福祉学部教授、学部長、2002年社会福祉学研究科教授、研究科長。2006年岩手県立大学を病気のため退職、名誉教授。
金子之(かねここれ、1934年6月4日 - 2015年9月1… 金子之(かねここれ、1934年6月4日 - 2015年9月15日)は、画家、イラストレーターである。
田中 克彦(たなか かつひこ、1934年6月3日 - )は、… 田中 克彦(たなか かつひこ、1934年6月3日 - )は、日本の言語学者。専門は社会言語学。モンゴル研究も行う。言語と国家の関係を研究。国際言語として日本語の漢字を批判。一橋大学名誉教授。2009年モンゴル国北極星勲章受章。著書に『言語からみた民族と国家』(1978年)、『名前と人間』(1996年)、『ことばとは何か』(2004年)など。 兵庫県養父郡八鹿町(現養父市)生まれ。兵庫県立八鹿高等学校を経て、1953年、東京都立戸山高等学校卒業。1956年11月、草創期の言語学研究会運営委員となる。1957年、東京外国語大学外国語学部第六部第二類(モンゴル語学)を卒業。同年東京外国語大学言語学研究室副手となる。
楢橋 進(ならはし すすむ、1934年6月3日 - 1990… 楢橋 進(ならはし すすむ、1934年6月3日 - 1990年1月11日)は、昭和期の政治家。元運輸大臣、元衆議院議員の楢橋渡は実父。 福岡県久留米市に生まれる。慶應義塾大学経済学部卒業後、三井物産勤務を経て、父・楢橋渡秘書。1973年に父・渡が死去し、父と荒木万寿夫の死去に伴う空席を埋める衆議院議員補欠選挙(福岡3区)に自民党公認で立候補。当選を果たし以降衆議院議員を4期務め、中曽根派に属した。この間、第2次大平内閣で運輸政務次官・第1次中曽根内閣で農林水産政務次官に就任している。 1983年総選挙では保守乱立の煽りから次々点で落選。返り咲きを目指した1986年総選挙では党の公認を得られず、日本共産党の公認候補の得票をも下回った法定得票数にも満たない惨敗に終わった。
安丸 良夫(やすまる よしお、1934年〈昭和9年〉6月2日… 安丸 良夫(やすまる よしお、1934年〈昭和9年〉6月2日 - 2016年〈平成28年〉4月4日)は、日本の歴史学者。専門は近世・近代の日本思想史、宗教史。一橋大学名誉教授。 1934年6月2日、富山県東礪波郡高瀬村(現:南砺市)に生まれる。高瀬小学校(現:南砺市立井波小学校)、井波中学校、富山県立福野高等学校を経て、1957年に京都大学文学部史学科を卒業(国史学専攻)、1959年に京都大学大学院文学研究科修士課程修了(国史学専攻)。1962年、同大学院文学研究科博士課程単位取得退学(国史学専攻)。 同年、名城大学法商学部に専任講師として赴任し、1966年に同大学助教授。1970年、一橋大学社会学部助教授に転じ、1977年に教授となる。
芦尾 長司(あしお ちょうじ、1934年〈昭和9年〉6月1日… 芦尾 長司(あしお ちょうじ、1934年〈昭和9年〉6月1日 - )は、日本の政治家、自治官僚。 元自由民主党所属の参議院議員(1期)。無派閥。 兵庫県神戸市に生まれる。1953年 滝川高等学校卒業。1959年京都大学法学部卒業。自治省に入省。 1975年 北海道財政課長。1977年 自治省財政局財務調査官。1979年 静岡県知事公室長。1982年 自治省財政局公営企業第一課長。1983年 宮崎県副知事。1987年 自治省行政局公務員部長。 1989年 総務審議官。1990年 国土庁地方振興局長。1992年 兵庫県副知事。 1996年 参議院兵庫補欠選挙で当選。1997年 自民党に入党。1998年 第18回参議院議員通常選挙で落選する。
加藤 多一(かとう たいち、1934年6月1日 - 2023… 加藤 多一(かとう たいち、1934年6月1日 - 2023年3月18日)は、日本の児童文学作家。 北海道紋別郡滝上町生まれ。北海道大学教育学部卒業。在学中に砂沢喜代次、斎藤秋男が顧問を務める北大童話会「童話研究」創刊に参加する。 札幌市役所に入庁し、広報課長、市民文化室長などを歴任。札幌芸術の森オープンの実務責任者となる。1986年に市役所を退職し、稚内北星学園短期大学教授に就任(1992年に退任)する。 1976年に『白いエプロン白いヤギ』が日本童話会賞A賞、『ふぶきだ走れ』が第10回北海道新聞文学賞佳作を受賞し、童話作家としてデビュー。以後、主に北海道農村部を舞台とした児童小説を多く手がける。
堀川 馨(ほりかわ かおる、1934年6月 - )は、日本の… 堀川 馨(ほりかわ かおる、1934年6月 - )は、日本の実業家。シャルマングループの会長。 1934年福井県に生まれる。1959年に滋賀大学経済学部を卒業。繊維商社勤務を経て1961年、兄が経営する堀川製作所(現ホリカワ)に入社。1968年社長就任。1975年に眼鏡フレームの販売会社シャルマン眼鏡(現シャルマン)を設立。1995年シャルマングループの会長に就任。2002年、チタン製眼鏡フレームを国際市場に普及させたことを評価され世界的権威スター・オブ・ビジョン賞を受賞。2005年には福井県経済調査協会理事長に就任。2007年4月シャルマン代表取締役会長就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
藤田 恒郎(ふじた つねお、1934年(昭和9年)5月31日… 藤田 恒郎(ふじた つねお、1934年(昭和9年)5月31日 - 2025年(令和7年)7月7日)は、日本の財務官僚。大蔵省証券局長、北海道銀行頭取、学校法人札幌学院大学理事長等を歴任した。山口県防府市生まれ。
隠岐ノ島 惠一(おきのしま けいいち、1934年5月31日 … 隠岐ノ島 惠一(おきのしま けいいち、1934年5月31日 - 1986年8月10日)は、島根県知夫郡(現隠岐郡西ノ島町)出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名:鋤谷 惠一(すきたに けいいち)。最高位は東十両7枚目(1959年5月場所)。得意技は右四つ、寄り。 1954年1月場所で初土俵を踏む。新序で好成績を残したため、翌場所は序ノ口を飛び越えて序二段に上がり、そこでも好成績を残すと、9月場所では序二段優勝、1955年3月場所では三段目優勝を果たして翌5月場所には早くも幕下へ昇進した。幕下では苦戦することもあったが、初土俵から4年経った1958年9月場所に十両へ昇進。1960年5月場所限りで引退。
今田 寛(いまだ ひろし、1934年5月30日 - )は、日… 今田 寛(いまだ ひろし、1934年5月30日 - )は、日本の心理学者。関西学院大学名誉教授。文学博士。専門分野は、学習心理学、基礎心理学、感情心理学。関西学院大学文学部教授、同大学学長(1997年4月から2002年3月まで)を歴任した。父は今田恵。 1934年、兵庫県西宮市生まれ。関西学院中学部・高等部、関西学院大学文学部心理学科卒業。同大学院文学研究科修了(心理学専攻)。1959年に同大学心理学科助手に就任、1963年アイオワ大学でPh.D.取得。1964年に関西学院大学心理学科専任講師、1968年に助教授、1975年に同大学教授に昇任した。1977年に関西学院大学で文学博士を取得。論文の題は「恐怖・不安の実験心理学的研究」。
橘 康太郎(たちばな こうたろう、1934年5月30日 - … 橘 康太郎(たちばな こうたろう、1934年5月30日 - 2012年6月1日)は、日本の政治家、実業家。自由民主党所属の衆議院議員(4期)。日本野球富山県連盟名誉会長。富山県高岡市出身。 実業家で、民主党の参議院議員・衆議院議員を務めた橘直治の息子として生まれた。早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了後、富山県議会議員(1期)、伏木海陸運送社長を務めた。その後旧富山2区より無所属で第38回総選挙に立候補し落選。続く第39回総選挙でも自由民主党の公認を得ながら落選、3度目の立候補となった第40回総選挙で初当選した。 地元には地盤の強固な綿貫民輔がいたため、小選挙区制に移行してからの富山3区(範囲は旧富山2区と同じ)からの立候補は叶わず、比例北陸信越ブロックへと転出して、第41回総選挙以降3回連続して比例区からの単独立候補で上位当選したが、衆院比例73歳定年制・比例連続2回規定という当時の自民党規定のため、第44回総選挙では自民党公認を得られずに、立候補を断念した。
堤 義明(つつみ よしあき、1934年(昭和9年)5月29日… 堤 義明(つつみ よしあき、1934年(昭和9年)5月29日 - )は、日本の実業家。西武鉄道グループの元オーナー。父は西武グループの基礎を一代で築き上げた堤康次郎であり、兄は元西武百貨店会長・小説家の堤清二(辻井喬)。フォーブス誌で一時は総資産額で世界一となったこともあるが、西武グループの度重なる不祥事の責任を取って一線を退き、その後にインサイダー取引疑惑で有罪判決を受けた。
北原 進(きたはら すすむ、1934年5月29日 - )は、… 北原 進(きたはら すすむ、1934年5月29日 - )は、日本の歴史学者、立正大学名誉教授。近世民衆史が専門。 東京市杉並区生まれ。東京大学教育学部付属高校、立正大学経済学部卒、1961年同大学院修士課程修了、同経済学部助手。立正大学助教授、教授。2005年、定年退任、名誉教授。江戸東京博物館都市歴史研究室長を務めた。 日本歴史学協会会員で、家永三郎の教科書検定訴訟の支持者。
東海林 のり子(しょうじ のりこ、旧姓:青羽 のり子(あおば… 東海林 のり子(しょうじ のりこ、旧姓:青羽 のり子(あおば のりこ)、1934年5月26日 - )は、日本の女性芸能リポーター、フリーアナウンサー、著述家で元ニッポン放送アナウンサー(ニッポン放送の第3期アナウンサー)。埼玉県浦和市(現在の埼玉県さいたま市浦和地区)生まれ。埼玉県師範学校附属小学校(現在:埼玉大学教育学部附属小学校)、埼玉県立浦和第一女子高等学校、立教大学文学部英文学科卒業。 埼玉県浦和市(現在の埼玉県さいたま市)生まれ。4姉妹の末っ子。 1957年立教大学文学部英米文学科卒業、ニッポン放送入社。1970年(昭和45年)退社し、以後はフリーランスの芸能リポーターとして『小川宏ショー』、『3時のあなた』、『おはよう!ナイスデイ』(上記3番組は、フジテレビ)など多くのワイドショーに出演。
山口 あかり(やまぐち あかり、1934年5月26日 - 2… 山口 あかり(やまぐち あかり、1934年5月26日 - 2007年5月10日)は、日本の作詞家。長野県上田市出身。日本社会事業大学卒業。本名は山崎 裕世(やまざき ひろよ)。 2007年5月10日、大腸癌のため死去。72歳没。
松石 勝彦(まついし かつひこ、1934年5月26日 - 2… 松石 勝彦(まついし かつひこ、1934年5月26日 - 2017年10月24日)は、日本のマルクス経済学者、一橋大学名誉教授。専門は経済理論、現代資本主義論。 大阪生まれ。1960年一橋大学経済学部卒業、1968年京都大学大学院経済博士課程単位取得退学、1995年「資本論の解明」で経済学博士。カリフォルニア大学バークレー校、ケンブリッジ大学に学ぶ。 1968年一橋大学経済学部専任講師、1971年助教授、1978年教授、1999年定年退官、名誉教授、大妻女子大学社会情報学部教授。中国河南大学名誉教授。 指導学生に一橋大学名誉教授 福田泰雄、一橋大教授 石倉雅男、立教大学名誉教授 北原徹、法政大学名誉教授 屋嘉宗彦など。
亀井 宏(かめい ひろし、1934年(昭和9年)5月26日 … 亀井 宏(かめい ひろし、1934年(昭和9年)5月26日 - )は、日本のノンフィクション作家、小説家。東京都葛飾区堀切出身。 日中戦争中の1938年9月、父は陸軍伍長として召集された。母子家庭となった一家は母方実家の三重県南牟婁郡五郷村(現・熊野市五郷町)に移住する。1943年初、母は結核より病没、父の再婚ともに、勤務先の福井県福井市、そして再出征より義母方実家の三重県南牟婁郡飛鳥村(現・熊野市飛鳥町)に移り住んだ。1964年、文芸雑誌『新潮』に創作を発表する。1970年、『弱き者は死ね』で第14回小説現代新人賞受賞。 30代の半ば頃から太平洋戦争に関心を抱き、生き残りの人々に戦争の証言を聞くために日本中を回った。
米倉 健司(よねくら けんじ、1934年5月25日 - 20… 米倉 健司(よねくら けんじ、1934年5月25日 - 2023年4月20日)は、日本の元プロボクサー。元日本フライ級王者。元OBF(現OPBF)東洋太平洋バンタム級王者。ヨネクラボクシングジム会長。日本プロボクシング協会常任相談役。日本ボクシングコミッション役員実行委員。本名は米倉 健治、プロボクサー時代のリングネームは米倉 健志(いずれも読みは同じ)。福岡県直方市出身。 福岡県立福岡高等学校在学中にアマチュアボクシングを始めインターハイ出場、明治大学経営学部在学中、全日本アマチュアボクシング選手権大会フライ級制覇、メルボルンオリンピックに日本代表選手として出場。3回戦まで進んだ。 卒業後の1957年、米国シアトルで行われた世界ゴールデングローブに日本代表として出場。
桝井 寿郎(ますい としろう、1934年5月24日 - 20… 桝井 寿郎(ますい としろう、1934年5月24日 - 2011年6月19日)は、日本文学研究者、作家、梅花短期大学名誉教授。 大阪市に生まれる。1953年大阪府立清水谷高等学校卒。川端康成の指導を受ける。1957年甲南大学経済学部から文学部国文科に転じ、1958年卒業。朝日新聞大阪本社嘱託、淀川製鋼所勤務を経て、寿屋代表取締役。1985年受洗、1987年梅花短大教授、2002年定年退職。 1967年西鶴文学会を創設。95年井原西鶴賞を創設。西鶴のほか大阪出身の文学者を広く研究している。川端康成生誕の地も確定した。 2011年6月19日、心不全により死去。
瀬野 浄(せの きよし、1934年5月23日 - 2008年… 瀬野 浄(せの きよし、1934年5月23日 - 2008年2月17日)は、広島県出身のプロ野球選手。 呉阿賀高校から岡山鉄道管理局を経て、1955年に国鉄スワローズへ入団。1957年に引退。
長谷川 利治(はせがわ としはる、1934年5月23日-20… 長谷川 利治(はせがわ としはる、1934年5月23日-2011年11月28日)は、日本の工学者、京都大学名誉教授、南山大学名誉教授、京都情報大学院大学第二代学長。 オペレーションズ・リサーチ、システム工学、通信方式、道路交通制御が専門であった。交通系ICカードの開発の先駆者であった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
加藤 辿(かとう たどる、1934年5月22日- )は、日本… 加藤 辿(かとう たどる、1934年5月22日- )は、日本のテレビディレクター。 朝鮮京城生まれ。1958年東京大学文学部仏文科卒、NHK科学産業番組班、チーフディレクターとして科学番組を制作。東京ハイビジョン。東京都公害研究所、立教大学非常勤講師を務めた。
堀 秀道(ほり ひでみち、1934年5月21日 - 2019… 堀 秀道(ほり ひでみち、1934年5月21日 - 2019年1月3日)は、日本の鉱物学者。鉱物科学研究所所長、鉱物標本商。理学博士(東北大学)。 東京都台東区出身。中学時代より鉱物を愛好し、櫻井欽一に師事する。1952年都立上野高校卒業後、北里大学化学科助手として就職。モスクワ大学地質学部留学を経て、1970年帰国。シベリアの石油採掘事業に関わった後、1977年に株式会社鉱物科学研究所を設立。鉱物標本の販売、鑑定、研究を行う。 新鉱物の欽一石(kinichilite、1981)を発見した功績により、1986年に櫻井賞を受賞。同年にアンモニウム白榴石(ammonioleucite、1986)、翌年にはストロナルシ石(stronalsite、1987)を発見した。
清水 達雄(しみず たつお、1934年(昭和9年)5月21日… 清水 達雄(しみず たつお、1934年(昭和9年)5月21日 - 2011年(平成23年)6月6日)は、日本の官僚・政治家、元参議院議員。位階は正四位。勲等は旭日重光章。 1957年、東京大学農学部農業経済学科卒。同年、建設省入省。 1957年、建設省九州地方建設局企画部計画検査課 1964年、経済企画庁総合計画局計画官付専門調査員 1967年、鳥取県企画室参事 1970年、鳥取県土木部次長 1972年、経済企画庁総合計画局計画官 1974年、建設省北陸地方建設局総務部長 1975年、建設省計画局不動産業課長 1978年、建設省計画局宅地開発課長 1979年、建設省住宅局住宅総務課長 1980年、建設大臣官房政務課長 1982年、建設大臣官房審議官 1983年、建設省建設経済局長 1984年、国土庁長官官房長 1986年、国土事務次官 1989年、国土庁退官 1990年、地域復興整備公団副総裁に就任。
笠井 昌昭(かさい まさあき、1934年5月21日 - 20… 笠井 昌昭(かさい まさあき、1934年5月21日 - 2013年3月9日)は、日本の歴史学者。同志社大学名誉教授。専門は日本文化史。 1934年、山梨県都留市で生まれた。1953年、同志社大学文学部文化学科に入学し、石田一良の下で学んだ。1957年に卒業し、同大学大学院文学研究科に進んだ。1967年に博士課程を退学。 1962年、同志社大学文学部助手に採用された。1964年に講師、1967年に助教授に昇格。1970年、学位論文『信貴山縁起絵巻の研究』を同志社大学に提出して 文学博士号を取得。1972年、同志社大学文学部教授に昇格。2005年に同志社大学を退職して名誉教授となった。 専門は日本文化史。
岡本 四郎(おかもと しろう、1934年5月20日 - )は… 岡本 四郎(おかもと しろう、1934年5月20日 - )は、日本の俳優・声優。福岡県出身。西南学院大学卒。 1959年に東映と契約し}、『おれたちの真昼』でデビュー。 1964年に東映との契約が終了し劇団民藝に入団。1969年10月に六芸社所属となる。 特技は博多弁。三枚目や朴訥な人物などに扮し、脇役として活動した。
比留間 敏夫(ひるま としお、1934年(昭和9年)5月19… 比留間 敏夫(ひるま としお、1934年(昭和9年)5月19日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元東京都議会議員(5期)。東京都議会議長(第41代)。府中市議会議員(6期)。 東京都府中市出身。東京都立農業高等学校卒業。1971年に府中市議会議員選挙に出馬し当選し、1993年まで6期を務める。その間、府中市議会議長を2期務めた。 1993年の東京都議会議員選挙に自由民主党の公認で出馬し当選。東京都議会警察消防委員会委員長や都議会自民党政務調査会長・幹事長などを歴任。2007年より東京都議会議長に就任。 2013年、東京都議会議員選挙には出馬せず、政界を引退することを公表した。2014年、旭日中綬章を受章。
岡安 辰雄(おかやす たつお、本名:伊藤 辰雄、1934年5… 岡安 辰雄(おかやす たつお、本名:伊藤 辰雄、1934年5月19日 - 2014年5月31日)は、愛知県出身の演劇評論家、元新聞記者 。名古屋タイムズ社を経て、中日新聞社に勤務した。 愛知県西尾市生まれ。1953年愛知県立西尾高等学校卒業、1957年愛知大学法経学部経済学科卒業。同年名古屋タイムズ社入社、報道部長、文化部長、編集局次長を務めたのち、中日新聞社に転職し、2010年放送芸能部退社。新聞記者として「芸能」のほかに「釣り」「囲碁」などの取材執筆も担当した。 2010年からは演劇評論家、フリーランス記者として活動した。御園座・名鉄ホール・中日劇場の興業を軸に半世紀以上、主たる興業の稽古取材・プログラム執筆を手掛けた。
髙嶋 弘之(たかしま ひろゆき、1934年〈昭和9年〉5月1… 髙嶋 弘之(たかしま ひろゆき、1934年〈昭和9年〉5月18日 - )は、日本の音楽ディレクター・プロデューサー。髙嶋音楽事務所代表。「ビートルズの日本での仕掛人」として有名。一男二女の父親で、次女はヴァイオリン奏者の高嶋ちさ子。 兵庫県武庫郡御影町(現:神戸市東灘区御影)生まれ。兵庫県立神戸高等学校を経て、早稲田大学第一文学部(演劇専修)を卒業。1959年東京芝浦電気(株)レコード事業部(のちの東芝音楽工業→東芝EMI→EMIミュージック・ジャパン)入社、洋楽ディレクターとしてスタート。1964年、ビートルズの初代ディレクターとなり、訪日時にも担当。その後、邦楽担当となり和製ポップスで数々のヒットを作る。
藤倉 皓一郎(ふじくら こういちろう、1934年5月18日 … 藤倉 皓一郎(ふじくら こういちろう、1934年5月18日 - 2024年5月)は、日本の法学者(英米法・民法)。東京大学名誉教授。アマースト大学名誉法学博士。純粋の私立大学出身者としては初めての東京大学法学部教授。 大阪府出身。東京大学教授、早稲田大学教授、同志社大学法学研究科教授、帝塚山大学法政策学部教授などを歴任。1980年の伊藤正己教授の最高裁判事就任により、その後任に招かれ、純粋の私立大学出身者(学部は私学出身で大学院のみ東大出身の前例としては経済法の松下満雄教授がいる)としては初めての東京大学法学部教授となった。 なおアメリカ留学時代に環境法を学び、それが後に東京大学教授に招かれる一因となったと言われる。
茅 陽一(かや よういち、1934年5月18日 - )は、日… 茅 陽一(かや よういち、1934年5月18日 - )は、日本の工学者。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授。2007年時点で地球環境産業技術研究機構副理事長および研究所長。元ローマクラブ本部会員。IPCC国内連絡会座長。
森田 一(もりた はじめ、1934年〈昭和9年〉5月17日-… 森田 一(もりた はじめ、1934年〈昭和9年〉5月17日- )は、日本の政治家、官僚。 運輸大臣(第77代)、北海道開発庁長官(第71代)、衆議院議員(8期)を歴任。香川県坂出市出身。 香川県坂出市出身。父は内科の開業医で、森田は3人兄弟の長男であった。地元の坂出高校に入学したが、大学受験を考慮し、香川県内では最難関の進学校である高松高校へ転校した。 森田は東京大学理科二類に入学し、法学部に進んだ。 東京大学法学部第2類(公法コース)卒業後の1957年大蔵省に入省(官房文書課配属)。東海財務局、アジア経済研究所出向(1960年-1961年メルボルン大学留学)、外相秘書官、国際金融局課長補佐、主計局主計官補佐、銀行局保険第二課長、理財局資金第二課長などを歴任。