池田 源英(いけだ げんえい、1946年 - 2023年2月… 池田 源英(いけだ げんえい、1946年 - 2023年2月24日)は、日本のはり絵作家、イラストレーター。 神奈川県出身。駒澤大学文学部史学科卒業。大学入学後、日美(日本通信美術学園)の通信教育がきっかけで美術に目覚める。1965年第20回日美展特選、翌1966年日美奨学賞を受賞。卒業後、広告代理店勤務、デザイン会社を経て、はり絵作家として独立。絵本や雑誌に多数の童画を発表。作品は、はり絵ながら光と影の微妙なコントラストを含んで豊かな情感を紡ぎだす。30代で入会した童美連(日本児童出版美術家連盟)では、師と仰ぐ「おぼまこと」をはじめ多くの童画作家と出会い、勉強会やグループ展などを行う。 『ゆきんこのはなし』(チャイルド本社)、『かもとりごんべえ』『ドン・キホーテ』(共に世界文化社)など多数の絵本の他、東海道五十三次、東京タワーのシリーズでは新境地を開き、また、キャラクター商品をはじめレコードジャケットや教科書のイラストを手掛ける。
中村 信幸(なかむら としゆき《しんこう》、1946年 - … 中村 信幸(なかむら としゆき《しんこう》、1946年 - )は、日本の中国語学者、僧侶。杏林大学教授。甲府市の曹洞宗福寿院および韮崎市の曹洞宗松雲寺住職。 山梨県生れ。東京外国語大学中国語学科卒業。駒澤大学大学院文学研究科仏教学専攻修士課程修了。東京外国語大学大学院修士課程修了。 駒澤大学および大正大学、東京薬科大学、中央大学商学部、 山梨医科大学などの非常勤講師、大正大学専任講師などを経て杏林大学外国語学部中国語学科教授。外国語学部開設時の1988年より教鞭をとり、2011年1月18日に最終講義を行い退職。甲府市福寿院ならびに韮崎市松雲寺住職。 著書に「慧能研究」「典座教訓・赴粥飯法」「作る心、食べる心」などの共著がある。
福本 博之(ふくもと ひろゆき、1946年 - )は、日本の… 福本 博之(ふくもと ひろゆき、1946年 - )は、日本の実業家。元十字屋社長。 駒澤大学卒業。ダイエーを経て十字屋。2003年6月、十字屋代表取締役社長に就任。 十字屋は百貨店を初め商業施設などを運営。東証2部から1961年10月に東証1部に指定替え(2005年6月27日まで)。2007年1月16日にダイエーに吸収合併された。
小野 盛司(おの せいじ、1946年 - 2023年11月2… 小野 盛司(おの せいじ、1946年 - 2023年11月23日)は、日本の物理学者、理学博士、進化生物学者、実業家、経済評論家、積極財政を求める運動家と様々な肩書きを持つ。日本ベーシックインカム学会理事。広島県尾道市出身。東京都文京区在住[要出典]。 東京大学大学院博士課程修了、理学博士(東京大学)。 1965年フロイトの『精神分析入門』を読み、彼の考えは間違いであり、人間の行動は性欲ではなく「種の保存」(群選択)で説明できるという説を提唱した。この説に関し心理学者の宮城音弥と議論し、天才的だと言われ自信を得た[要出典]。 専門は物理学であり、1974年東京大学大学院博士課程終了、理学博士(東大)。
坂内 正夫(さかうち まさお、1946年 - 2021年1月… 坂内 正夫(さかうち まさお、1946年 - 2021年1月22日)は、日本の情報学者。東京大学名誉教授。 灘高等学校、東京大学工学部電気工学科卒業。東京大学大学院工学系研究科電子工学専門課程博士課程修了。東京大学生産技術研究所所長、国立情報学研究所所長、情報通信研究機構理事長などを歴任。
白石 顕二(しらいし けんじ、1946年 - 2005年6月… 白石 顕二(しらいし けんじ、1946年 - 2005年6月22日)は、アフリカ文化研究者。 茨城県出身。東京都立大学法学部卒。映画、音楽、美術、スポーツなどアフリカ文化全般の紹介につとめた。 2005年6月22日、急性心筋梗塞のため死去、59歳。 ワガドゥグ全アフリカ映画祭(FESPACO)やカルタゴ映画祭、カイロ国際映画祭などアフリカ各地の映画祭を取材する。その一方、東京アフリカ映画祭の運営に携わり、アフリカの映画人を多数日本へ招いた。 グリオの伝統音楽からターアラブ、ムビラ音楽、ジャズ、レゲエまで論じつつ、マヌ・ディバンゴ、パパ・ウェンバ、アブデル・アジズ・エル・ムバラク、サリフ・ケイタ、トーマス・マプフーモ、ミリマム・マケバなどのミュージシャンを紹介。
石川 文康(いしかわ ふみやす、1946年 -2013年2月… 石川 文康(いしかわ ふみやす、1946年 -2013年2月10日 )は、日本の哲学者。イマヌエル・カントを研究。東北学院大学教授。 北海道出身。同志社大学大学院博士課程修了後、ハイデルベルク大学、ボン大学に留学、その後ミュンヘン大学、トリーア大学にて客員研究。東北学院大学助教授、教授。日本カント協会の役員も務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
五十嵐 清次(いがらし せいじ、1946年 - 2003年9… 五十嵐 清次(いがらし せいじ、1946年 - 2003年9月2日)は、日本の元バスケットボール選手である。東京都出身。 全日本の一員として1967年世界選手権に出場した。
柴田 浩一(しばた こういち、1946年 - 2020年3月… 柴田 浩一(しばた こういち、1946年 - 2020年3月31日)は、日本のジャズ・プロデューサー。専門はジャズ、イベント企画・構成、ラジオ番組構成。横浜ジャズプロムナードのディレクター。NHKよこはまFM「FMサウンドクルーズ」:水曜パーソナリティ。横浜JAZZ協会常任理事。 横浜市西区出身。1946年、鉄工所経営者の長男として生まれる。横浜市立平沼小学校、日本大学中学校、日本大学高等学校を経て日本大学法学部経営法学科を卒業。 中学時代にジャズと出逢い、高校生になってジャズ・コンサートに通いつめる。1964年、初来日のデューク・エリントンのコンサートに行き衝撃を受けて以来、エリントンの研究及びレコード収集を続け、現在は日本有数のエリントンのコレクターでもある。
千葉 憲昭 (ちば のりあき、1946年 - ) は、日本の… 千葉 憲昭 (ちば のりあき、1946年 - ) は、日本のエレクトロニクス分野の著述家。 1969年福岡工業大学工学部電子工学科卒。1969年北海道総務部電子計算課技師を経て1984年よりエレクトロニクス分野の著術家として独立。 1997年北海道大学工学部非常勤講師兼任 (14年間) この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
丸谷 肇(まるたに はじめ、1946年 - 2016年3月1… 丸谷 肇(まるたに はじめ、1946年 - 2016年3月14日)は、日本の社会学者、鹿児島国際大学福祉社会学部教授を歴任。専門は、雇用・労働問題。 1969年に法政大学社会学部を卒業し、1973年に同大学院修士課程を修了し、1978年に博士課程を満期退学した。 1977年、日本国家公務員労働組合連合会(国公労連)に専従職員として入職し、1989年には調査部長となった。 1993年に鹿児島経済大学社会学部(鹿児島国際大学福祉社会学部の前身)助教授となり、1999年に教授へ昇任、2000年からは改組に伴い鹿児島国際大学福祉社会学部教授となった。 この間、1993年からは行財政総合研究所理事を務め、1994年からは法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員でもあった。
秋山 敬(あきやま たかし、1946年(昭和21年) - 2… 秋山 敬(あきやま たかし、1946年(昭和21年) - 2011年(平成23年)5月23日)は、日本の都道府県職員・歴史学者。専門は日本中世史。武田氏研究会会長、山梨郷土研究会常任理事、山梨県文化財保護審議会・有形文化財部会長などを務める。 山梨県に生まれる。山梨大学で古代史が専門の磯貝正義や吉田孝に学ぶ。1968年に卒業後、山梨県立甲府南高等学校の教員となる。翌年には山梨県職員となり、県社会教育課・文化課(後の学術文化財化)の文化財担当として県内各地の文化財の調査や指定に携わる。また、『山梨県史』をはじめ『甲府市史』、『石和町誌』など自治体史編纂にも携わり、特に1990年から編纂が開始された『山梨県史』の編纂された事務局立ち上げから携わり、1995年には初代室長となる。
篠永 正道(しのなが まさみち、1946年 - )は、日本の… 篠永 正道(しのなが まさみち、1946年 - )は、日本の医学者、脳神経外科医。2005年より国際医療福祉大学熱海病院脳神経外科教授。2021年7月31日国際医療福祉大学退職。2021年8月1日よりふれあい平塚ホスピタル勤務。 1946年(昭和21年)福島県生まれ。1972年に横浜市立大学医学部を卒業。1981年から1982年にかけてアメリカ合衆国・ノースカロライナ大学神経外科に留学。 1985年に横浜市立大学脳神経外科講師、1992年平塚共済病院脳神経外科部長、平塚共済病院救急センター長を歴任。 日本脳神経外科学会専門医・評議員、日本脳卒中学会専門医、日本脊髄外科学会専門医、日本頭痛学会専門医、日本ニューロモデュレーション学会評議員。
柴崎 徳明(しばざき のりあき、1946年〈昭和21年〉 -… 柴崎 徳明(しばざき のりあき、1946年〈昭和21年〉 - 2017年〈平成29年〉7月26日)は、日本の天文学者・宇宙物理学者。理学博士。主な専門は中性子星の物理学。 1946年福島県生まれ。1962年平工業高等専門学校機械工学科(1967年に福島工業高等専門学校と改称)に1回生として入学。1967年福島工業高等専門学校機械工学科卒業(1回生)。1971年立教大学理学部物理学科卒業。同大学大学院理学研究科博士課程単位取得退学。ワシントン大学、イリノイ大学、NASAで研究員を務めた後、1988年立教大学理学部講師及び同助教授を経て1998年より立教大学理学部教授。2017年7月26日没(満70歳)。
三木 随法(みき ずいほう、1946年(昭和21年) - 2… 三木 随法(みき ずいほう、1946年(昭和21年) - 2002年(平成14年)12月14日)は、日本の日蓮宗の僧侶。インドの仏教遺跡への巡礼のほか、日本各地で布教・講演・研修指導などを行い、仏教の普及に努めた。次男は三木大雲。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
大村 幸弘(おおむら さちひろ、1946年 - 2025年5… 大村 幸弘(おおむら さちひろ、1946年 - 2025年5月20日)は、日本の考古学者。アナトリア考古学研究所名誉所長。 中近東文化センター主任研究員、アナトリア考古学研究所長、カマン・カレホユック遺跡調査隊長を歴任。 岩手県盛岡市出身。盛岡藩の火業師(砲術師)で、エトロフ島事件に遭遇し帝政ロシアの捕虜となった大村治五平の子孫。兄・大村次郷は写真家。作家の森荘已池は伯父(母親の兄)。父の大村次信は元満州国協和会職員で、終戦直後に満州国から一家での命がけの引き揚げを経験しており、幸弘は一家が盛岡の実家に帰り着いた3日後に生まれている。 早稲田大学第一文学部西洋史科卒業。トルコ給費生としてアンカラ大学言語・歴史・地理学部ヒッタイト学科に留学。
坂井 宏先(さかい ひろゆき、1946年 - 2014年4月… 坂井 宏先(さかい ひろゆき、1946年 - 2014年4月18日)は愛知県新城市出身の編集者、出版社経営者。ポプラ社元代表取締役社長。 家具屋の家庭に生まれる。本来は小説家志望で、早稲田大学教育学部卒業後に女子美術大学付属高等学校で1年間教鞭を執りつつ小説を書いたが、作家の道を断念し、1972年、ポプラ社に中途入社。 初めは倉庫に配属され、砂埃の舞う劣悪な環境に憤りを感じて「オレが社長になって、この会社を変えてやる」と宣言。1974年、「同族会社の悲劇」と題する意見書を経営陣に提出し、同族経営だったポプラ社の体質を批判したために当時の社長から解雇されそうになった。また、労働組合のない同社で「社員の会」を結成し、労使交渉に乗り出して「代表取締役ヒラ社員」と呼ばれた。
龍村 光峯(たつむら こうほう、1946年〈昭和21年〉 -… 龍村 光峯(たつむら こうほう、1946年〈昭和21年〉 - 2019年3月5日)は、織物美術家。 1946年宝塚市生まれ、元の名は龍村順。祖父は初代龍村平蔵(号・光波)、父は二代龍村平蔵(号・光翔)。早稲田大学文学部卒業。国際交流基金勤務後、1976年(昭和51年)に後継者として京都に戻り、(株)龍村平蔵織物美術研究所を設立。1982年(昭和57年)に、「(株)龍村光峯」に改称し代表取締役。日本伝統織物保存研究会理事長。 2000年(平成12年)に財団法人日本文化藝術財団より、日本伝統文化振興賞を受賞、2002年(平成14年)に財団法人全国税理士共栄文化財団より、全税共地域文化賞受賞。 錦織美術の第一人者として錦織額、タペストリー、緞帳などを制作。
増田 久雄(ますだ ひさお、1946年 - )は日本の映画プ… 増田 久雄(ますだ ひさお、1946年 - )は日本の映画プロデューサー。東京都出身。 早稲田大学政治経済学部卒業。在学中に石原裕次郎と出会い、大学卒業後石原プロモーションで映画製作に携わる。その後、石原プロの映画製作中止に伴い退社しフリーランスの映画プロデューサーとして活動を開始する。 1976年、ドキュメンタリー映画「永遠なる武道」製作のために、自身の会社「プルミエ・インターナショナル」を設立する。その後、次々と話題作を手がける。 映画プロデュースの傍ら、「北原陽一」のペンネームで脚本を書いたり、小説・舞台の英訳・プロデュースも行う。 石原プロとの交流は依然続いており、1997年には石原まき子からの奨めで、「石原裕次郎への私信のつもりで書きためた手紙を公開する」形での回顧録『太平洋の果実』(パルコ出版刊)を上梓した。
溝下 秀男(みぞした ひでお、1946年〈昭和21年〉 - … 溝下 秀男(みぞした ひでお、1946年〈昭和21年〉 - 2008年〈平成20年〉7月1日)は、福岡県北九州市を本拠地とする指定暴力団・工藤會の三代目会長、四代目総裁ならびに四代目名誉顧問。『極道一番搾り』や『愛嬌一本締め』などの自著を世に出したことからも知られた。 1946年(昭和21年)、福岡県嘉穂郡頴田村小峠(現:飯塚市)に出生。実家は極貧の母子家庭だった。 24歳で溝下組を結成し、同組織を率いて1979年(昭和54年)に草野一家へ合流。当時、草野一家と対立関係にあった工藤会傘下の「田中組」の組長・田中新太郎が射殺された1979年12月23日時点で、溝下は草野一家傘下の「極政会」初代組長だった。
高岡 和子(たかおか かずこ、1946年(昭和21年) - … 高岡 和子(たかおか かずこ、1946年(昭和21年) - 1964年(昭和39年))は、日本の詩人。子供のころから詩作に関心を持ち、中学1年からひそかに詩人をめざして高校2年まで抒情詩をひたすら書き続けた。遺されたノートから死後に才能が評価されるようになった。神奈川県茅ヶ崎市出身。 神奈川県茅ヶ崎市で育つが後に横浜に転居する。父親は貿易を営む。兄と妹のいる3人兄妹。中学時代から詩人になることを夢見て、自分が感じたことを抒情詩として書き続けた。横浜にあるミッション系の高校に進学し新聞部に所属した。1964年2月17日の放課後、横浜から東海道線に乗車し、藤沢市の辻堂駅で下車。そのまま、湘南海岸まで歩き、夕方6時頃に最後の日記を書き、砂浜にノートを置いて消息を絶った。
貝澤 耕一(かいざわ こういち、1946年 - )は、NPO… 貝澤 耕一(かいざわ こういち、1946年 - )は、NPO法人 ナショナルトラスト チコロナイ理事長 1946年に生まれる。父親は、平取町議会議員も務めた貝澤正である。北海道日高支庁沙流郡平取町二風谷出身。 地元の小学校、中学校、高校に通い、酪農学園大学短期大学部に進学する。 父親より、二風谷にある農地を受け継ぎ、農業を営む。シケレペ農場を経営している。萱野茂や貝澤正と共に、二風谷ダム建設反対運動に取り組む。平取アイヌ文化保存会の事務局長に就任している。1992年3月2日の貝澤正の死去後、二風谷ダム建設差し止め訴訟の原告となる。1997年3月27日、二風谷ダムの撤去という主張をはねたものの、裁判費用は国と北海道収用委員会が負担する内容の、札幌地方裁判所の判決が実現する。