矢樹 純(やぎ じゅん、1976年12月4日 -)は、日本の… 矢樹 純(やぎ じゅん、1976年12月4日 -)は、日本の漫画原作者、小説家。青森県青森市出身、弘前大学人文学科卒業。作家のエージェント会社 株式会社アップルシード・エージェンシー契約作家。 ※「」内が矢樹純の作品 芦花公園著『ほねがらみ』に、Kindleで個人出版した自著『或る集落の●』収録の短編「べらの社」との類似点が多数あるとして、幻冬舎担当編集者と作者に説明を求めた。それに対して作者の芦花公園は「べらの社」を過去に読んでいたことを認め、元ネタは別にあるとしながらも、似てしまったことについて謝罪した。しかし、矢樹が求めていた幻冬舎もしくは作者からの事実の公表は行われず、著者本人の意向という説明のみで電子書籍版の修正を行った。
佐々木 中(ささき あたる、1973年8月2日 - )は、日… 佐々木 中(ささき あたる、1973年8月2日 - )は、日本の哲学研究者、作家。京都精華大学国際文化学部人文学科准教授。専門は現代思想、理論宗教学。学位は博士(文学)(東京大学)。
和田 淳子(わだ じゅんこ、1973年 - )は、日本の映像… 和田 淳子(わだ じゅんこ、1973年 - )は、日本の映像作家。青森市出身。 文化服装学院卒。イメージフォーラム付属映像研究所18&19期生。一定のリズムをもったモノローグと、女性ヌードをモチーフにした身体イメージで注目を集め、90年代半ばのガーリー・ムーブメントの一翼をになう存在となる。[要出典] 短編映画「桃色ベビーオイル」でぴあフィルムフェスティバルグランプリノミネート、IFF大賞受賞。初の長編映画「ボディドロップアスファルト」が、バンクーバーを始めとする国際映画祭の正式招待作品となり、日本のアヴァンギャルト・ムービーをリードするフィルムメーカーの一人として紹介される。 ほかにファッションブランド"TOCCA"のDM,ポスターの企画など。
佐々木 俊介(ささき しゅんすけ、1967年9月27日 -)… 佐々木 俊介(ささき しゅんすけ、1967年9月27日 -)は、日本の推理作家、構成作家。 青森県青森市出身、青森県立青森南高等学校から専修大学文学部国文学科へ入学。同校卒業後に小劇団を主宰、演劇活動を経て、ミステリ作家を志す。 1995年、第6回鮎川哲也賞(東京創元社主催)にて佳作入選、同応募作『繭の夏』でデビュー。 寡作な作家であり、第2長編『模像殺人事件』を発表したのはデビューから9年後の2004年末のことである。なお、『模像殺人事件』は『2006本格ミステリ・ベスト10』(原書房)において年間ランキング第10位に選出された。 2016年、第3長編『魔術師』、第4長編『紫蘭の花咲く頃』をブログにて無償公開。
恩田 陸(おんだ りく、1964年10月25日 -)は、日本… 恩田 陸(おんだ りく、1964年10月25日 -)は、日本の小説家。本名は熊谷 奈苗(くまがい ななえ)。青森県青森市生まれ(宮城県生まれとされることもある)。 『六番目の小夜子』(1992年)でデビュー。ホラー、SFなど枠にとらわれず、郷愁を誘う情景描写に定評がある。『夜のピクニック』(2004年)で本屋大賞、『蜜蜂と遠雷』(2016年)で直木賞・本屋大賞を受賞。 1964年(昭和39年)10月25日、青森県青森市生まれ。1966年(昭和41年)頃に愛知県名古屋市へ移住。その後の幼児期と松本市立清水小学校1年まで長野県松本市で過ごした。1972年(昭和47年)に富山県富山市へ移り、小学2年から5年まで富山市立五番町小学校(現:富山市立中央小学校)に通った。
阿部 達二(あべ たつじ、1937年5月7日)は、日本の編集… 阿部 達二(あべ たつじ、1937年5月7日)は、日本の編集者・著作家。本名は達児。 青森県青森市生まれ。1961年、早稲田大学政治経済学部を卒業。同年、文藝春秋に入社し、編集者として勤務。『文學界』編集長、文春文庫編集長、出版局長、編集局長を歴任した。 1999年、文藝春秋を退職。以後、「阿部達二」名義で著述家として活動。江戸川柳や古典芸能に関する造詣が深く、古典文芸に関する作品を多く執筆している。 編集者時代の主な担当作家に藤沢周平がいる。藤沢とはデビュー以来30年以上の交友を持った。後年藤沢やその作品に関する講演を行い、また著作を発表している。
高木 彬光(たかぎ あきみつ、1920年〈大正9年〉9月25… 高木 彬光(たかぎ あきみつ、1920年〈大正9年〉9月25日 - 1995年〈平成7年〉9月9日)は、日本の推理作家。本名は高木 誠一(たかぎ せいいち)。津軽方言詩人・医師の高木恭造の甥に当たる。 青森県青森市生まれ。4代続いた医者の家系だった。幼少時に母親と死別。 旧制青森中学校(現:青森県立青森高等学校)から四修で第一高等学校理科乙類に入学。東京帝国大学理学部化学科の受験に失敗し、京都帝国大学薬学部に進んだが1年で中退、京都帝国大学工学部冶金学科卒。 非嫡出子として生まれ、一高入学の年に父親が亡くなり、家は破産して一家は離散し、親族からの援助で学業を続けた。その暗い生い立ちのせいもあってか、「出身地・青森」には生涯思い入れを見せなかった。
津川 武一(つがわ たけいち、1910年8月2日 - 198… 津川 武一(つがわ たけいち、1910年8月2日 - 1988年9月4日)は、日本の政治家、精神科医、作家である。 青森県南津軽郡五郷村(現青森市浪岡地区)に生まれ、小作人の子どもとして育つ。学業成績が優秀であったため、小学校の教師のすすめで弘前中学校に進学し、その後旧制弘前高等学校に進む。弘前高時代は、石上玄一郎と交友をもつ。なお、太宰治とも同時期に弘前高に在学していたが、そのころは交流はなかったという。なお、津川、石上、太宰は、いずれも旧制中学四修で高校入学組の秀才だった。ただし、太宰は高等小学校1年就学後に中学入学のため津川と石上よりは一歳上だった。 1930年、東京帝国大学医学部に進学。
北畠 八穂(きたばたけ やお 1903年(明治36年)10月… 北畠 八穂(きたばたけ やお 1903年(明治36年)10月5日 - 1982年(昭和57年)3月18日)は日本の作家、児童文学者、詩人。本名、北畠美代。 10人きょうだいの6番目の次女として青森市に生まれる。父は青森大林区署の役人。 1920年、青森県立青森高等女学校(現在の青森県立青森高等学校)在学中、『主婦の友』『婦人倶楽部』に投稿して入選を果たす。1922年、高等女学校卒業後に上京し、実践女学校高等女学部国文専攻科に入学したが、脊椎カリエスを病んだため1年半で中退し、青森に帰郷。 恢復後、1924年から青森県内の複数の尋常小学校に代用教員として勤務。しかし脊椎カリエスが再発したため、1926年に退職。