今 大介(こん だいすけ、1978年4月10日 - )は、日… 今 大介(こん だいすけ、1978年4月10日 - )は、日本の政治家。青森県黒石市長就任予定者。元黒石市議会議員(3期)。 青森県黒石市出身。青森県立柏木農業高等学校卒業後、建設会社員を経て就農。 2015年に黒石市議会議員に初当選し、3期務める。 2026年4月21日、黒石市長選挙への立候補を表明し、5月1日付で市議を辞職。 6月21日黒石市長選挙が公示され、今ら4人が立候補を届け出た。立候補者のうち今、鳴海恵一郎元県議、大溝雅昭元市議の3人はいずれも自民党籍を持つ保守分裂選挙となり、木村次郎衆議院議員は中立の立場で3陣営全てでマイクを握った。この他、元新聞記者の尾城徹雄が立候補した。28日の投開票の結果、今が鳴海に561票差で競り勝ち初当選した。
鳴海 広道(なるみ ひろみち、1941年(昭和16年)3月1… 鳴海 広道(なるみ ひろみち、1941年(昭和16年)3月10日 - 2020年(令和2年)12月15日)は、日本の政治家。青森県黒石市長(4期)。青森県議会議員(通算5期)。 青森県黒石市出身。日本大学法学部中退。黒石市議会議員を経て、1975年(昭和50年)の青森県議会議員選挙で初当選。1995年(平成7年)まで務める。この間、1991年(平成3年)議長に就任した。 1995年の第17回参議院議員通常選挙において青森県選挙区から自由民主党公認で立候補したが、新進党公認の山崎力に敗れた。 1998年(平成10年)6月の黒石市長選挙に出馬し、元青森県議の高樋憲を破って初当選した。 黒石市長を4期務め、2014年(平成26年)に退任した。
竹内 黎一(たけうち れいいち、1926年8月18日 - 2… 竹内 黎一(たけうち れいいち、1926年8月18日 - 2015年9月5日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲章は勲一等旭日大綬章。 衆議院議員(10期)、科学技術庁長官(第38代)、原子力委員会委員長(第38代)、衆議院外務委員長・環境委員長等を歴任した。 父は青森県知事や衆議院議員を務めた竹内俊吉。 青森県黒石市生まれ。旧制青森中学校、旧制弘前高等学校、東京大学経済学部卒業。東大卒業後、毎日新聞社に入社。毎日新聞の政治記者、運輸大臣秘書官を経て、1963年の第30回衆議院議員総選挙に、青森県知事に転身した父・俊吉に代わって旧青森2区(定数3)から無所属で立候補し、得票数トップで初当選した(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・奥野誠亮らがいる)。
高樋 竹次郎(たかひ たけじろう、1902年(明治35年)8… 高樋 竹次郎(たかひ たけじろう、1902年(明治35年)8月20日 - 1984年(昭和59年)4月27日)は、日本の政治家。青森県黒石市長(4期)。 青森県南津軽郡黒石町(現在の黒石市)出身。1919年(大正8年)陸軍歩兵第52連隊に入隊。1922年(大正11年)に除隊した。除隊後、土木建設業を始める。1927年(昭和2年)津軽実業新報社を開き、社長となる。 1929年(昭和4年)黒石町会議員に当選。1947年(昭和22年)青森県議会議員に当選し、2期務める。1958年(昭和33年)黒石市長に当選。市長を4期務めた。在職中は「交通安全都市」「無雑音都市」を宣言。市民相談室を開設。また、市内に県内初の国民宿舎が開業した。
鳴海 文四郎(なるみ ぶんしろう、1877年(明治10年)1… 鳴海 文四郎(なるみ ぶんしろう、1877年(明治10年)10月1日 - 1933年(昭和8年)2月28日)は、明治から昭和時代初期の政治家、実業家、醸造家。鳴海醸造店第4代当主。衆議院議員(2期)。幼名は明治郎。 青森県南津軽郡黒石町(現黒石市)出身。同郡浅瀬石村(現黒石市)の鳴海久兵衛家の分家で屋号は久〇(きゅうまる)といい、中町で1808年(文化5年)から代々酒造業を営んだ。江戸時代は稲村屋を名乗っていた。別家・鳴海理兵衛の長男として生まれ、のち3代鳴海文四郎の養嗣子となった。 黒石町会議員などを経て、1917年(大正6年)4月の第13回衆議院議員総選挙では青森県郡部から立憲政友会所属で出馬し当選。
宇野 勇作(うの ゆうさく、1871年6月2日(明治4年4月… 宇野 勇作(うの ゆうさく、1871年6月2日(明治4年4月15日) - 1940年(昭和15年)10月8日)は、大正から昭和時代前期の政治家、銀行家、実業家。貴族院多額納税者議員。衆議院議員(1期)。 陸奥弘前藩領津軽郡上十川村(青森県南津軽郡六郷村を経て現黒石市)に生まれる。南黒地方屈指の大地主。南津軽郡立中学校を卒業し、産馬、リンゴ園、酒造業、運送業などを営む。1915年(大正4年)青森県会議員に当選。1920年(大正9年)5月の第14回衆議院議員総選挙では青森県第3区から立憲政友会公認で出馬し、鳴海文四郎を700票余上回り当選する。 1927年(昭和2年)六郷村長となり、1932年(昭和7年)9月には青森県多額納税者として貴族院議員に互選され、同月29日から1939年(昭和14年)9月28日まで在任した。
3代 加藤 宇兵衛(かとう うへえ、1862年1月27日(文… 3代 加藤 宇兵衛(かとう うへえ、1862年1月27日(文久元年12月28日) - 1929年(昭和4年)8月22日)は、明治から昭和時代初期の政治家、銀行家、実業家。大地主。貴族院多額納税者議員。衆議院議員(3期)。 造酒屋「沢成 (さわなり、屋号・沢屋)」の2代・加藤成之助の長男として、陸奥黒石藩領津軽郡黒石上町(青森県南津軽郡黒石町を経て現黒石市)に生まれる。1890年(明治23年)から青森県会議員に5回、1902年(明治35年)から衆議院議員に3回当選する。さらに1906年(明治39年)には青森県多額納税者として貴族院議員に互選され、翌年1月18日から1911年(明治44年)9月28日まで在任した。