盛風力 秀彦(せいふうりき ひでひこ、1967年3月11日 … 盛風力 秀彦(せいふうりき ひでひこ、1967年3月11日 - )は、青森県西津軽郡稲垣村(現・つがる市)出身で押尾川部屋に所属した元大相撲力士。本名は佐藤 秀彦(さとう ひでひこ)。身長184cm、体重131kg、得意手は左四つ、寄り、上手投げ。最高位は西十両12枚目(1992年3月場所)。 相撲を始めた小学校4年生時点ですでに身長170センチあり地元の相撲大会で次々と優勝し、稲垣村立稲垣中学校では全国大会に出場した。中学時代は山中勝巳(のちの関脇・安芸乃島)が佐藤のライバルと目されていた。高校や複数の相撲部屋からのスカウトの中から親方自らが真っ先に佐藤家を訪れた押尾川部屋を選び、中学卒業と同時に入門した。
旭富士 正也(あさひふじ せいや、1960年〈昭和35年〉7… 旭富士 正也(あさひふじ せいや、1960年〈昭和35年〉7月6日 - )は、青森県西津軽郡木造町(現在のつがる市)出身で大島部屋に所属した元大相撲力士、第63代横綱(平成最初の横綱)。本名は杉野森 正也(すぎのもり せいや)。現役時代の体格は身長189cm、体重143kg。得意技は右四つ、寄り、掬い投げ。現在は年寄・宮城野。 血液型はB型、趣味は音楽鑑賞、映画鑑賞。特技は手品。近畿大学を中途退学して大相撲入門後、現役中に同大学通信教育課程に再度入学し卒業(学位は学士)。 木造町立木造中学校、私立五所川原商業高等学校(現在の下山学園高等学校)在学中は相撲部に所属。高校生時代に長野県で行われた第33回国民体育大会では、少年の部の団体優勝に貢献した。
綾の海 金太郎(あやのうみ きんたろう、1955年8月17日… 綾の海 金太郎(あやのうみ きんたろう、1955年8月17日 - )は、現在の青森県つがる市出身で大鵬部屋に所属した元大相撲力士。本名は黒滝 隆男(くろたき たかお)。現役時代の体格は177cm、107kg。最高位は東十両13枚目(1980年7月場所)。得意手は左四つ、寄り、下手投げ。 小学校から相撲部に所属し、青森県大会でも動きの良さを活かした相撲で大活躍し、この頃から力士を志していた。高校を中退し、家族に無断で上京。寿司屋でアルバイトしていたところを常連客の紹介により、大鵬部屋へ入門した。1973年9月場所にて初土俵を踏み、翌11月場所は序ノ口優勝を果たした。1980年7月場所で十両に昇進するも、5勝10敗と大きく負け越し、十両はこの1場所のみとなった。
出羽ノ花 好秀(でわのはな よしひで、1928年11月1日 … 出羽ノ花 好秀(でわのはな よしひで、1928年11月1日 - 2011年3月3日)は、青森県西津軽郡車力村(現、同県つがる市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は小山内 清三(おさない せいぞう)。最高位は西前頭13枚目(1957年1月場所)。現役時代の体格は176cm、94kg。得意手は突っ張り、右四つ、寄り。 1946年に上京して角界入りし、同年11月、出羽海部屋から初土俵を踏んだ。 当初は本名や「大櫻」を名乗っていたが、幕下時代、同部屋の先輩(出羽ノ花國市)に因んだ「出羽ノ花」の四股名を襲名。 最盛期でも25貫(93キロ強)という軽量であったため、出世は早くはなかった。 1952年1月場所で十両昇進、1954年1月場所で新入幕を果たす。
立汐 唯五郎(たてしお ただごろう、1903年4月11日 -… 立汐 唯五郎(たてしお ただごろう、1903年4月11日 - 1935年4月28日)は、青森県西津軽郡木造町(現在のつがる市)出身で振分部屋に所属した元大相撲力士。本名は藤本 唯五郎(旧姓長谷川)。最高位は西十両5枚目。兄は幕内力士の立汐祐治郎。 浪ノ音の振分部屋に入門。1918年5月場所で「鷹城山」の四股名で初土俵を踏む。1920年1月場所「鷹ヶ汐」に改名。1924年5月場所から兄の四股名の「立汐」を名乗った。1927年5月場所新十両。10月場所では幕下のままのため、東京場所と地方場所では番付の地位が異なるという珍現象を起こした。十両で勝ち越すことはなく、1930年3月場所限り廃業した。十両在位は4場所に終わり、兄に続く入幕は果たせなかった。
潮ヶ濱 義夫(しおがはま ぎふ、1897年12月8日 - 1… 潮ヶ濱 義夫(しおがはま ぎふ、1897年12月8日 - 1937年11月6日)は、青森県西津軽郡木造町(現・つがる市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は長谷川 義夫。現役時代の体格は身長170cm、体重90kg。最高位は西前頭11枚目(1930年1月場所・3月場所)。得意手は突っ張り、左四つ、寄り、足癖。 旧制函館中学校(現・北海道函館中部高等学校)を卒業し、小学校の代用教員をしていたという、角界では異色の経歴を持つ。遠縁に幕内力士立汐祐治郎・立汐唯五郎の兄弟がいた。3代高砂(元大関2代朝潮)に入門して1917年1月場所で初土俵。6年後の1923年5月場所に十両昇進、1928年3月場所で入幕した。
立汐 祐治郎(たてしお すけじろう、1888年4月2日 - … 立汐 祐治郎(たてしお すけじろう、1888年4月2日 - 1972年11月7日)は、青森県西津軽郡木造町(現つがる市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は長谷川 祐治郎。身長170cm、体重86kg。最高位は西前頭13枚目。立汐唯五郎は実弟。 浪ノ音健藏に見出され入門。1906年5月に初土俵を踏み、1910年6月十両昇進した。1911年10月、岐阜県内での巡業中に八甲山純司が締めていた化粧廻しを見て「そんな化粧廻しはみっともないぜ」と言ったのに対し、八甲山は「お前に言われる筋合いはない」と反論されたのに腹を立て、取組で土俵に上がった八甲山に剃刀を手にした立汐は土俵に乱入してその場で八甲山のマゲをつかんで切り落とし、さらに右腕に長さ10cmの切り傷を負わせるトラブルを起こした。
千年川 亀之助(ちとせがわ かめのすけ、1884年1月21日… 千年川 亀之助(ちとせがわ かめのすけ、1884年1月21日 - 1936年3月4日)は、青森県西津軽郡木造町(現・つがる市)出身で高砂部屋、立田山部屋に所属した力士。本名は小嶋 佐兵衛。6代立田山。170cm、94kg。最高位は東小結。得意技は左四つ、寄り、掬い投げ。 1900年5月場所で初土俵。入門当初は体質が弱く病気勝ちで、当時の高砂親方に出世の見込みが無いと諭されて一旦は帰郷させられたが、力士への思いを断ち難く再び上京し、同郷の立田山部屋に入門した。そのため番付表に自身の名が初めて現れたのは1902年5月場所のときで、その場所は序二段であった。1907年1月場所で十両昇進。1908年1月場所で新入幕、1911年6月場所には小結に昇進した。
雲竜 辰五郎(うんりゅう たつごろう、1880年3月 - 1… 雲竜 辰五郎(うんりゅう たつごろう、1880年3月 - 1919年12月30日)は、青森県つがる市出身で追手風部屋、高砂部屋、草風部屋(京都相撲)、藤島部屋(大坂相撲)、再度追手風部屋に所属した力士。本名は野宮 辰五郎。165cm、98kg。最高位は東前頭7枚目。7代千賀ノ浦。 1900年1月初土俵を踏むが、三段目の時に脱走、大坂相撲、京都相撲に在籍した。1909年6月の三都合併相撲で好成績を残し、1910年6月東上して幕内格付出で入幕した。1911年2月6勝2分1預1休で優勝旗手。侠気に富みもめ事の仲裁をよく務めていた。1916年1月に引退して千賀ノ浦を襲名したが1919年、風邪をこじらせ39歳で急死。
千年川 政吉(ちとせがわ まさきち、文久元年7月25日(18… 千年川 政吉(ちとせがわ まさきち、文久元年7月25日(1861年8月30日) - 明治45年(1912年)7月4日)は、青森県つがる市出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は奈良 安吉(なら やすきち)。身長170cm、体重94kg。最高位は小結。 一ノ矢藤太郎を頼って津軽から上京。小結を5場所務めた。腸を患っていたため思うような活躍ができなかったが、技量も土俵態度も優れ、三役の風格を持っていた。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。