朝錦 利則(あさにしき としのり、1934年7月27日 - … 朝錦 利則(あさにしき としのり、1934年7月27日 - 没年不明 )は、現在の青森県平川市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は工藤 利則(くどう としのり)。身長179cm、体重87kg。最高位は西十両12枚目。得意技は左四つ、寄り。 1951年9月場所初土俵、1956年5月場所十両昇進。連続16場所務めたのち、1959年5月場所限りで廃業した。
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朝錦 利則(あさにしき としのり、1934年7月27日 - … 朝錦 利則(あさにしき としのり、1934年7月27日 - 没年不明 )は、現在の青森県平川市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は工藤 利則(くどう としのり)。身長179cm、体重87kg。最高位は西十両12枚目。得意技は左四つ、寄り。 1951年9月場所初土俵、1956年5月場所十両昇進。連続16場所務めたのち、1959年5月場所限りで廃業した。
柏農山 勝栄(はくのうざん しょうえい、1923年7月6日 … 柏農山 勝栄(はくのうざん しょうえい、1923年7月6日 - 1958年5月16日)は、青森県南津軽郡大光寺町(現役当時、現・同県平川市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は高木 勝栄(たかぎ しょうえい)。最高位は西前頭21枚目(1948年5月場所)。現役時代の体格は173cm、86kg。得意手は左四つ、寄り、吊り。 16歳の時上京し、元大関・朝潮が率いる高砂部屋へ入門。1940年1月場所で初土俵を踏んだ。因みに、当初より四股名は、「柏農山」であった(以後は「國錦」を名乗った事もあったが、すぐに元の「柏農山」へ再改名している)。 体重90kgに満たない小兵で、身長もあまり高くなかったが、そうした身体上のハンディを克服して順調に出世。
陸奥錦 秀二郎(むつにしき しゅうじろう、1906年1月25… 陸奥錦 秀二郎(むつにしき しゅうじろう、1906年1月25日 - 1974年2月19日)は、振分部屋に所属した大相撲力士。引退後は12代玉ノ井を襲名し、年寄として後進の指導に当たった。本名は鎌田 修二郎(旧姓今井)。青森県南津軽郡平賀町(現平川市)出身。170cm、95kg。最高位は西十両筆頭。 1920年5月初土俵、1933年5月十両昇進。13場所在位し同部屋の鷹城山と長く十両を務めた。筆頭まで上がるも入幕はならず、1940年1月に引退、浪ノ音健藏の養子になり12代玉ノ井を襲名した。一時振分部屋を引き継ぎ玉ノ井部屋を経営したがすぐに弟子を返した。 その後は木戸主任などを務め、1971年1月定年退職。
浪ノ音 藤美(なみのおと ふじみ、1903年4月 - 193… 浪ノ音 藤美(なみのおと ふじみ、1903年4月 - 1934年)は、青森県南津軽郡平賀町(現平川市)出身で振分部屋に所属した元大相撲力士。本名は奈良岡 藤美。最高位は十両10枚目。 同郷の浪ノ音健蔵の振分部屋に入門し、師匠の四股名の「浪ノ音」の名で1920年5月序ノ口に就く。1928年5月十両昇進。この場所と翌場所2場所続けて負け越した。幕下に落ちた1929年3月に廃業。1934年死去。
綾錦 由之丞(あやにしき よしのじょう、1892年5月25日… 綾錦 由之丞(あやにしき よしのじょう、1892年5月25日 - 1963年2月21日)は、青森県南津軽郡尾上町(現在の平川市)出身で追手風部屋所属の元大相撲力士。本名は斎藤 由之丞(さいとう よしのじょう)。身長173cm、体重90kg。最高位は張出前頭筆頭格。得意手は右四つ、吊り、投げ。 1913年1月に追手風部屋に入門して、同年1月場所に前相撲で初土俵を踏んだ。1916年1月場所には部屋付き親方であった湊川親方(関脇・綾浪源逸)の独立に伴い湊川部屋に移籍した。1919年1月場所に新十両、1922年1月場所で新入幕を果たした。右四つからの吊りや投げを得意とした相撲巧者だったが、取り口は地味だった。
緑川 兼吉(みどりかわ けんきち、1878年〈明治11年〉1… 緑川 兼吉(みどりかわ けんきち、1878年〈明治11年〉11月26日 - 1906年〈明治39年〉6月1日)は、青森県平川市(旧南津軽郡)出身で高砂部屋、中村部屋(大坂相撲時代)に所属した元大相撲力士。本名は一戸 兼吉。身長173cm、体重89kgと小兵だった。 1894年1月初土俵(序ノ口)。1899年1月新十両。十両では順調に勝ち星を重ね、1900年1月には6勝2敗の成績で優勝相当成績を挙げた。 しかし、翌1900年5月新入幕を果たすも、突然脱走。大坂相撲に加入して相撲を取っていたが、1904年5月にまたも脱走し、源氏山頼五郎一派に加わって各地を巡業した。1906年5月になって漸く帰参を許されたが、脳充血に罹り、6月1日に27歳で急死した。
北海 大太郎(ほっかい だいたろう、1862年7月6日(文久… 北海 大太郎(ほっかい だいたろう、1862年7月6日(文久2年6月10日) - 1934年(昭和9年)5月19日)は、陸奥国津軽郡(現在の青森県平川市)出身で高砂部屋に所属した元力士。本名は岩渕 大次郎。164cm、88kg。最高位は東前頭筆頭。 相撲の盛んな青森県で草相撲に励んでいたが、1884年1月に21歳で高砂部屋に入門。低い重心からの腰投げを得手とした。1888年5月に新十両昇進を果たした後、1890年1月に新入幕。以後連続27場所幕内を務め、1896年1月には東筆頭の地位まで番付を上げた。40歳で十両に陥落してからも現役を続け、1910年1月に47歳を以て引退した。江戸時代の生まれで両国国技館の土俵にあがった力士のひとりである。