木村 晃之助(きむら こうのすけ、本名:小島 俊明(こじま … 木村 晃之助(きむら こうのすけ、本名:小島 俊明(こじま としあき)、1965年4月21日 - )は大相撲の三役格行司である。岩手県一関市出身。九重部屋所属。血液型はO型。 1981年3月場所、木村俊明の名で初土俵。その後、晃之助に改名。 歴代の行司と比べても三本の指に入るほど、立合いには滅法厳しく、手をつかない力士に何度も手つきを促す様子が窺える。 時間いっぱいでの立合い前の姿勢は、他の行司と違い左足を前に出し、右足を後ろにして構えるという独特の所作を持っている。甲高く、リズミカルでテンポのよい、鋭い掛け声が特徴であるが、一時期はゆっくりとした掛け声もあった。十両格の時は高い声も出していて、独特の印象であった。
高田山 惠助(たかだやま けいすけ、1917年3月25日 -… 高田山 惠助(たかだやま けいすけ、1917年3月25日 - 1983年12月7日)は、岩手県東磐井郡千厩町(現・一関市)出身の昭和時代の元大相撲力士。白玉部屋→芝田山部屋→高田川部屋→高砂部屋所属。本名は金野 恵助。最高位は東十両8枚目。得意技は右四つ、寄り。 同郷の横綱宮城山が引退直後に部屋を興した白玉部屋(のち芝田山部屋)に入門。1931年5月場所に初土俵を踏んだ。当初の四股名は師匠が以前名乗った「岩手川」。幕下時代の1940年1月場所に「高田山」と改名した。1941年5月場所に十両に昇進。この場所8勝7敗と勝ち越した。翌1942年1月場所には東十両8枚目まで番付を上げたが、右膝を捻挫して途中休場。
宮城山 福松(みやぎやま ふくまつ、1895年2月27日 -… 宮城山 福松(みやぎやま ふくまつ、1895年2月27日 - 1943年11月19日)は、岩手県西磐井郡(現:岩手県一関市)山目町出身で出羽ノ海部屋、高田川部屋(大坂)に所属した大相撲力士。第29代横綱。本名は佐藤 福松(さとう ふくまつ)。大阪相撲最後の横綱でもある。 1895年2月27日に岩手県西磐井郡(現:岩手県一関市)山目町五代で生まれる。幼少期から大きな体格で、馬車が溝に落ちて動かなくなると、やすやすと持ち上げて父を助けたという。家業だった乗合馬車と農業を手伝いながら村相撲で活躍していたところ、1909年に常陸山谷右エ門の一行が岩手へ巡業に来た際に力士に憧れ、志願して入門した。 同年6月場所において、故郷・岩手県に因んだ「岩手川」の四股名で初土俵を踏んだ。
関ノ戸 億右エ門(せきのと おくえもん、元文元年〈1736年… 関ノ戸 億右エ門(せきのと おくえもん、元文元年〈1736年〉 - 天明2年4月17日〈1782年5月28日〉)は、陸奥国(現在の岩手県)出身の大相撲力士。 現在の岩手県一関市花泉町永井出身。 初代伊勢ノ海(幕内・伊勢ノ海五太夫)が開いた伊勢ノ海部屋に入門。頭書は「仙台」。宝暦7年(1757年)10月場所にいきなり前頭筆頭に附け出される形で初土俵を踏む。その後小結から関脇を務め、三役力士としての貫禄を示した。 安永3年(1774年)、初代伊勢ノ海が没すると、2代伊勢ノ海を襲名し、二枚鑑札で現役のまま部屋を経営。安永6年(1777年)10月場所限りで現役を引退、年寄専務となり、初代同様仙台藩の後ろ盾を得て勢力を維持する。