松林 尚志(まつばやし ひさし、1972年 - )は日本の動… 松林 尚志(まつばやし ひさし、1972年 - )は日本の動物学者。宮城県石巻市生まれ。宮城県石巻高等学校出身。1994年、東京農業大学農学部を卒業。2002年、東京工業大学大学院、生命理工学研究科博士課程を修了。博士(理学)。2010年-2013年、マレーシア、サバ大学熱帯生物学保全研究所准教授。2022年現在、東京農業大学農学部生物資源開発学科教授。2017年4月から、京都大学野生動物研究センター 兼任教授。、京都大学野生動物研究センター兼任教授。 1997年以来、東南アジア・ボルネオ島北部のマレーシア・サバ州の熱帯雨林で、野生動物の生態や生息地保全に関する研究を行う。国内では、宮城県東松島市での「小学生対象の体験学習プログラム」にも関与。
岩渕 明(いわぶち あきら、1949年9月18日 - )は、… 岩渕 明(いわぶち あきら、1949年9月18日 - )は、日本の機械工学者。岩手大学学長や、日本機械学会副会長を務めた。
亀山 紘(かめやま ひろし、1942年(昭和17年)10月2… 亀山 紘(かめやま ひろし、1942年(昭和17年)10月26日 - )は、日本の政治家、元大学教授。元宮城県石巻市長(3期)。工学博士(東北大学)。 宮城県石巻市出身。石巻市立住吉小学校、石巻市立住吉中学校、宮城県石巻高等学校、神奈川大学工学部応用化学科卒業。 2012年(平成24年)、市教育委員会が開いた、児童23人が津波の犠牲になった石巻市立大川小学校の保護者への説明会で「もし自分の子どもが亡くなったら、思いを償っていくという、自分自身に問うということしかない。これが自然災害における宿命だと思っております」と述べ、遺族から批判を受けた。 2016年(平成28年)10月26日、大川小津波訴訟で仙台地裁が宮城県と石巻市に対し損害賠償の支払いを命じる。
三浦 信行(みうら のぶゆき、1942年 - )は、日本の政… 三浦 信行(みうら のぶゆき、1942年 - )は、日本の政治学者。国士舘大学名誉教授、1994年-2003年、2012年-2015年に国士舘大学学長を歴任。専門は政治思想史、国際政治。 宮城県石巻市(旧河北町)出身。南カリフォルニア大学留学を経て、1972年 国士舘大学大学院政治学研究科博士課程修了。博士(政治学)。博士論文審査の主査は、田村幸策、神川彦松。1994年より2002年までと、2012年より2015年まで、通算4期12年、学長を務める。現在は同大学教学顧問。初回在任中の2002年に「21世紀アジア学部」(2022年現在、国士舘大学にしかない)を開設した。みやぎ絆大使、石巻・川の上プロジェクト理事長を務める。
矢口 以文(やぐち よりふみ、1932年(昭和7年)11月1… 矢口 以文(やぐち よりふみ、1932年(昭和7年)11月1日 - )は、日本の詩人、英文学者、北星学園大学名誉教授。 宮城県石巻市生まれ。1955年東北学院大学文経学部英文学科卒業。1962年国際基督教大学大学院博士課程満期退学。1965年米国インディアナ州ゴーシェン大学大学院修了。1966年北星学園大学助教授、教授、1999年退職、名誉教授、北海道文教大学教授。2009年退職。日本現代英米詩学会会長、日本キリスト教文学会北海道支部会会長などを歴任。現代英米詩の翻訳を手がけ、多数日本に紹介した。詩誌「新現代詩」「Aurora」同人 。アナバプテスト・メノナイト教会シャローム集会責任者。 長男の矢口洋生は仙台白百合女子大学学長。
西山 良雄(にしやま よしお、1927年 - )は、日本の英… 西山 良雄(にしやま よしお、1927年 - )は、日本の英文学者、東北学院大学名誉教授。 宮城県石巻市出身。東北大学文学部英文科卒、同大学院博士課程中退、東北学院大学助教授、教授を務め、1998年定年、名誉教授。1991年「憂鬱の時代 文豪ジョン・ダンの軌跡」で東北学院大学文学博士。
和賀井 敏夫(わがい としお、1924年(大正13年)9月2… 和賀井 敏夫(わがい としお、1924年(大正13年)9月21日 - 2020年(令和2年)11月30日)は、日本の医学者である。 宮城県石巻町(現在の石巻市)の生まれ。一浪を経て、旧制の宮城県仙台第二第二高等学校に入学する。1945年(昭和20年)に卒業後、新潟医科大学(現在の新潟大学医学部)に入学し医学の研究に携わる。1949年(昭和24年)に卒業後は上京し個人病院での研修を経て、翌1950年(昭和25年)には石川島播磨重工業(現在のIHI)に勤務していた友人の紹介により、順天堂大学内における外科学者として入局した。 入局後は主に脳内におけるX線検査の研究に携わり、その応用として東北大学電気研究所に勤務していた菊池喜充らと共に、心疾患や悪性腫瘍、胎児等の早期発見や診断を目的に超音波療法の実験に携わった。
佐々木 愚山(ささき ぐざん)は、江戸時代末期から明治時代前… 佐々木 愚山(ささき ぐざん)は、江戸時代末期から明治時代前期の儒学者。名は溥(ひろし)。字(あざな)は子淵。号は愚山の他、十二峰、小陰など。身長六尺、容貌魁偉で声が大きいと言われ、奇人として知られた。 文政6年(1823年)1月11日、仙台藩領の陸奥国牡鹿郡蛇田村(現・宮城県石巻市)に生まれる。父は同じく儒者である中田三平(名は謙、号は淡斎)。父は仙台大町に住んで門弟に学問を教え、豪商・佐藤助五郎(のち仙台藩郡奉行)の顧問として親しく交わったが、文政11年(1828年)に死去した。祖先を佐々木盛綱であると称するが詳細は不明[要出典]。 仙台を離れて下野国の足利学校の訓導となった後、上野国に移り安中藩校・造士館で学問を講じた。