真壁 賢守(まかべ けんじ、1986年5月3日 - )は、宮… 真壁 賢守(まかべ けんじ、1986年5月3日 - )は、宮城県柴田郡村田町出身の元社会人野球選手。 東北高校時代はダルビッシュ有と共にチームを支え、黒い眼鏡が話題となり「マカベッシュ」、「メガネッシュ」と呼ばれた。 村田町立村田第一中学校時代にはエースとして全国大会に出場。東北高校へと進学し、2年生であった2003年に当時監督であった若生正廣の助言でサイドスローに転向した。同年の第85回全国高等学校野球選手権大会に背番号18で出場し、1回戦の筑陽学園戦でエース・ダルビッシュ有の腰痛による早期降板のあと3番手として甲子園初登板を果たし、1点差に迫られながらも最後まで投げ切り、勝利へと導いた。その後もダルビッシュとの2枚看板で近江、光星学院などの強豪校を破り、決勝へ進出するも登板機会はなく、チームも2-4で常総学院に敗れ、東北勢初の優勝とはならなかった。
小室 希(こむろ のぞみ、1985年5月29日 - )は、宮… 小室 希(こむろ のぞみ、1985年5月29日 - )は、宮城県村田町出身のスケルトン選手。 俊足を生かしたスタートダッシュが武器の選手であり、これは村田町立村田第三小学校・村田町立村田第一中学校時代に取り組んだ陸上競技の練習が基礎となっている。 宮城県白石女子高等学校時代はソフトボールをしていた。仙台大学進学後に誘われてスケルトンを始める。 2006年11月、スケルトンワールドカップに初参戦。同年12月の全日本スケルトン選手権大会で初優勝した。2008年2月、世界ジュニアスケルトン選手権で6位。仙台大学卒業後は同大学大学院に進学。 2009年6月にソリ系競技の宣伝とスポンサー募集のため、リュージュの原田窓香、ボブスレーの本間南と共にユニット・「L☆BS」(エルビス)を結成した。
佐藤 博信(さとう ひろのぶ、1967年4月25日 - )は… 佐藤 博信(さとう ひろのぶ、1967年4月25日 - )は、宮城県柴田郡村田町出身の日本の柔道家、体育学者。関西学院大学人間福祉学部准教授。 長男はプロ野球の阪神タイガースに所属する佐藤輝明。 仙台育英学園高等学校柔道部から、日本体育大学に進学。日体大では「平成の三四郎」古賀稔彦と同期入学。日本体育大学2年の時に全日本学生柔道優勝大会の準決勝 天理大学戦で当時、小川直也(明治大)と並び学生重量級のホープであった中谷弘を終始攻め、背負投で破る大金星を挙げる。チームは敗れたが3位進出の原動力となる。その後、無差別で争われる全日本学生選手権では86kg級の選手ながら3位となった。4年の時には日体大柔道部の副キャプテンとなる(キャプテンは古賀稔彦)。
三宅 義行(みやけ よしゆき、1945年(昭和20年)9月3… 三宅 義行(みやけ よしゆき、1945年(昭和20年)9月30日 - )は、日本の重量挙げ選手、陸上自衛官。1964年東京オリンピック・メキシコシティオリンピックの重量挙げ金メダリスト三宅義信は実兄、ロンドンオリンピック重量挙げ銀メダリストリオデジャネイロオリンピック重量挙げ銅メダリスト・三宅宏実は娘、全日本女子ヘッドコーチを務めた三宅敏博は次男。長男も競技経験者。
三宅 義信(みやけ よしのぶ、1939年11月24日 - )… 三宅 義信(みやけ よしのぶ、1939年11月24日 - )は、宮城県柴田郡村田町出身のオリンピックにも出場した元重量挙げ選手、元陸上自衛官。現在は東京都在住。
桂田 利吉(かつらだ りきち、1901年(明治34年)10月… 桂田 利吉(かつらだ りきち、1901年(明治34年)10月5日 - 1992年(平成4年)2月6日)は、日本の英文学者。法政大学教授、実践女子大学第6代学長。コールリッジ研究の第一人者。 宮城県柴田郡村田町生まれ。1929年東北帝国大学法文学部卒。1930年高等学校英語科教員免許取得。 1930年、宮城県立女子専門学校教授、1941年同校依願退職。同年横浜専門学校教授、1945年同校依願退職。 1945年、法政大学専門部教授、1946年同大文学部講師、1959年同教授、1960年「コウルリッヂ研究」で文学博士。 1969年実践女子大学教授。1972年、勲三等瑞宝章。1974年から78年まで学長。
田山 利三郎(たやま りさぶろう、1897年1月26日 - … 田山 利三郎(たやま りさぶろう、1897年1月26日 - 1952年9月24日)は、日本の地質学者。 宮城県柴田郡村田町生まれ。父は村田町長、宮城県会議員、城南軌道社長等を歴任した田山孫八。1916年、宮城県師範学校を卒業。1921年、東京高等師範学校を卒業。札幌中学校の教員となり、教え子に佐々保雄などがいた。その後は師範学校などでの訓導を勤めた。 1924年、東北帝国大学理学科地質学古生物学教室にすすみ、矢部長克のもとで学び、1927年、同教室を卒業した。卒業後東北大学で働き、1937年に南洋庁技師兼東北大学助教授、1944年依願免兼官、1945年東北大学講師、1949年に同大学教授となった。