石山 敬貴(いしやま けいき、1969年〈昭和44年〉12月… 石山 敬貴(いしやま けいき、1969年〈昭和44年〉12月18日 - )は、日本の農学博士、政治家。宮城県加美町長(1期)。 衆議院議員を1期務めた。 宮城県加美郡小野田町(現・加美町)出身。加美町立小野田中学校(加美町立鳴峰中学校)、宮城県古川高等学校、東北大学農学部卒。東北大学大学院博士課程修了。ワシントン州立大学博士研究員を経て、理化学研究所に研究員として勤務し、稲の研究に取り組む。2004年度日本植物細胞分子生物学会論文賞を受賞。 民主党の誘いを受け、理化学研究所を退職して2005年の第44回衆議院議員総選挙に民主党公認で宮城4区から立候補したが、小泉劇場による民主党への逆風や、公示直前の出馬表明による知名度不足もあり、自由民主党の伊藤信太郎に約35,000票差で敗れ落選。
髙階 恵美子(たかがい えみこ、1963年〈昭和38年〉12… 髙階 恵美子(たかがい えみこ、1963年〈昭和38年〉12月21日 - )は、日本の政治家、看護師、保健師。自由民主党所属の衆議院議員(2期)。 厚生労働副大臣(第4次安倍第1次改造内閣)、厚生労働大臣政務官(第2次安倍内閣)、衆議院東日本大震災復興特別委員長、参議院文教科学委員長、参議院議員(2期)、自由民主党政務調査会副会長、同文部科学部会部会長、同党女性局長などを歴任。選挙活動では「たかがい恵美子」と広報している。 宮城県加美郡中新田町(現・加美町)出身。中新田町立中新田小学校、中新田町立中新田中学校、大崎市古川(旧・古川市)にある宮城県古川女子高等学校衛生看護科卒業。埼玉県立衛生短期大学(卒業後、看護師国家資格を取得)。
伊藤 信太郎(いとう しんたろう、1953年〈昭和28年〉5… 伊藤 信太郎(いとう しんたろう、1953年〈昭和28年〉5月6日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)。自由民主党衆議院議員総会副会長。 環境大臣(第32代)、内閣府特命担当大臣(原子力防災)(第2次岸田第2次改造内閣)、外務副大臣(福田康夫改造内閣・麻生内閣)、外務大臣政務官(第3次小泉改造内閣)、衆議院東日本大震災復興特別委員長、同環境委員長、自由民主党国際局長を歴任した。この他、大阪大学大学院客員教授(国際公共政策研究科)や東北福祉大学教授を務めた。 父は第69代衆議院議長の伊藤宗一郎。 宮城県加美町で、後の衆議院議員伊藤宗一郎の長男として生まれる。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部経済学科卒業。
猪股 洋文(いのまた ひろぶみ、1952年3月28日 - )… 猪股 洋文(いのまた ひろぶみ、1952年3月28日 - )は、日本の政治家。元宮城県加美郡加美町長(3期)。 宮城県加美郡中新田町(現・加美町)出身。加美町立中新田中学校、宮城県古川高等学校、ユタ大学政治学部卒業。宮城県庁に奉職。県職員時代、2年8か月、韓国のソウルに駐在した。 2007年の加美町長選挙に宮城県職員を退職して出馬。新人5名中2位得票となるものの、1位だった佐藤澄男が法定得票を満たさなかったため、再選挙となり、最下位得票だった1名を除く4名が再出馬する中で、佐藤にわずかな差で敗れ落選。その後、社会福祉法人の役員となる。 2011年の町長選挙に出馬し、現職の佐藤を下して初当選。 2015年の町長選挙に出馬し、無投票で再選。
伊藤 宗一郎(いとう そういちろう、1924年〈大正13年〉… 伊藤 宗一郎(いとう そういちろう、1924年〈大正13年〉3月21日 - 2001年〈平成13年〉9月4日)は、日本の政治家。位階は従二位、勲等は勲一等。勲章は旭日桐花大綬章。衆議院議員を13期務め、在任中には科学技術庁長官、防衛庁長官や第69代衆議院議長などを歴任した。宮城県名誉県民。 宮城県加美郡中新田町(現加美町)で呉服屋を営む父・宗太郎と、母・ときの長男として生まれた。少年時代には陸軍歩兵第4連隊の一日連隊長を務める機会があった。宮城県古川中学校(現・宮城県古川高等学校)、旧制第二高等学校文科甲類を経て、1947年に東北大学法学部を卒業。高校在学中に太平洋戦争が勃発、大学在学中には1年間軍務に就いて陸軍少尉に任官されていた。
本間 俊一(ほんま しゅんいち、1912年11月18日 - … 本間 俊一(ほんま しゅんいち、1912年11月18日 - 1958年8月20日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。中新田町長、宮城県知事を務めた本間俊太郎は長男。 宮城県加美郡中新田町(現・加美町)出身。古川中学校(現・宮城県古川高等学校)、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。大学卒業後、1935年に中外商業新報社、1939年に読売新聞社に入社し社会部記者となる。その後、郷里に戻り、1945年8月に中新田町(現在の加美町)長となる。 1946年(昭和21年)第22回衆議院議員総選挙に日本進歩党から立候補し当選する。当選回数通算6回。第1次吉田内閣の農林参与官、第2次吉田内閣の通産政務次官、自由党副幹事長、衆議院決算委員長などを歴任した。
中島 鵬六(なかじま ほうろく、1885年(明治18年)2月… 中島 鵬六(なかじま ほうろく、1885年(明治18年)2月17日 - 1931年(昭和6年)2月17日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。 宮城県加美郡中新田村(現在の加美町)出身。中新田町長・中島金也の長男として生まれる。古川中学校(現宮城県古川高等学校)、第二高等学校を経て、1912年(大正元年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、弁護士となる。仙台産馬畜産組合長、大東銀行監査役を務めた。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。合計で3期務めた。この間、馬政委員会委員、帝国馬匹協会理事を務めた。