大友 孝徳(おおとも たかのり、1962年7月17日 - )… 大友 孝徳(おおとも たかのり、1962年7月17日 - )は日本の政治家、経営者。由利本荘市議会議員(1期目)。 本名は大友 孝徳(読み同じ、政治家としては本名名義)。秋田県本荘市(現:由利本荘市)出身。18歳で上京し、32歳でアパレル系の企画会社を経営。廃業後の2017年、37年ぶりに帰郷。その後、2018年5月に自己破産し、大友商店の屋号で再スタートを切る。大友商店では、「鳥海山麓ごっつぉ蕎麦」や秋田県の物産を扱うECサイトを開設。 大友商店に加え、「ゆりぷらざ」や「自由食堂」を次々と開業させ、子供たちのために子ども食堂も開業している。 また本荘駅前市場で「昼市」「夜市」「さいかい市」などを開催し、地域の賑わいに努めている。
あべ 十全(あべ じゅうぜん、1950年6月15日 - )は… あべ 十全(あべ じゅうぜん、1950年6月15日 - )は、日本のローカルタレント、歌手、政治家。秋田県由利本荘市議会議員(2期)。ボランティアサークル「ビーンズ会」会長。 本名は阿部 十全(読み同じ、政治家としては本名名義)。秋田県本荘市(現:由利本荘市)出身(生まれは旧由利郡東由利町)。1973年、フォークグループ『田吾作』としてデビュー。『田吾作音頭』がヒットした。1987年10月15日から2017年9月18日まで、秋田放送の人気ラジオ番組『歌謡曲ふれあいリクエスト』に出演、親近感のある秋田弁トークが人気を博す。 2017年10月22日に由利本荘市議会議員選挙に当選。2021年10月17日の市議選にも再選。
小番 宜一(こつがい よしかず、1933年8月10日 - 2… 小番 宜一(こつがい よしかず、1933年8月10日 - 2021年1月24日)は、日本の政治家。秋田県本荘市長(2期)、秋田県議会議員(1期)、本荘市議会議員(3期)、由利本荘市議会議員(1期)。 秋田県由利郡子吉村(のち本荘市、現・由利本荘市)出身。1949年、子吉村立子吉中学校卒。1971年、本荘市議に当選、3期務める。市議会副議長も務めた。 1983年、本荘市長選挙に立候補して、無投票の8選を目指した現職の佐藤憲一をわずか9票差で破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 1987年に再選を果たした。1991年には3期目を目指したが、元秋田県職員の柳田弘に敗れた。
村岡 兼造(むらおか かねぞう、1931年〈昭和6年〉8月2… 村岡 兼造(むらおか かねぞう、1931年〈昭和6年〉8月27日 - 2019年〈令和元年〉12月25日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲一等旭日大綬章。秋田県本荘市(現・由利本荘市)出身。血液型はB型。 衆議院議員(9期)、郵政大臣(第50代)、運輸大臣(第64代)、内閣官房長官(第62代)、自由民主党国会対策委員長(第34代、第42代)、自由民主党総務会長(第42代)、平成研究会会長代理を歴任した。 秋田県議会議員を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙に立候補し初当選。1976年の総選挙で落選したが3年後の1979年の衆院選で政界復帰を果たす。 宇野内閣で郵政大臣で初入閣、第2次海部改造内閣で運輸大臣を務めた。
大井 直之助(おおい なおのすけ、1895年(明治28年)8… 大井 直之助(おおい なおのすけ、1895年(明治28年)8月3日 - 1973年(昭和48年)11月29日)は、大正から昭和前期の農業指導者、政治家。衆議院議員、秋田県由利郡矢島町(現・由利本荘市)長。 秋田県由利郡矢島町で生まれる。1914年(大正3年)秋田県立秋田中学校(現秋田県立秋田高等学校)を卒業した。 1921年(大正10年)矢島町会議員に選出され4期在任。1934年(昭和9年)から1943年(昭和18年)まで秋田県会議員、矢島町長に在任。その他、本荘税務署所得調査委員、矢島町産業組合長、秋田県農業会由利支部長・理事、同県森林組合連合会理事、帝国在郷軍人会由利郡連合会分会長などを務めた。
丸山 修一郎(まるやま しゅういちろう、1890年(明治23… 丸山 修一郎(まるやま しゅういちろう、1890年(明治23年)3月9日 - 1965年(昭和40年)1月1日)は、明治末から昭和前期の教育者、政治家。衆議院議員、秋田県由利郡亀田町長。 秋田県由利郡亀田町字六呂田(岩城町亀田字六呂田を経て現由利本荘市)で生まれる。1911年(明治44年)秋田県師範学校本科を卒業した。 秋田県公立小学校訓導となる。築山小学校に勤務していた1919年(大正8年)5月、秋田県青年教育者同志会(小原國芳系)を結成し、飯坂兵治の白楊会(手塚岸衛系)と共に秋田県の大正自由教育運動を主導した。1920年(大正9年)4月、秋田県女子師範学校附属小学校長に転任。自由教育運動の実践のため1921年(大正10年)10月、金浦小学校長に左遷された。
猪股 謙二郎(いのまた けんじろう、1889年〈明治22年〉… 猪股 謙二郎(いのまた けんじろう、1889年〈明治22年〉12月9日 - 1975年〈昭和50年〉6月10日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。初代本荘市(現:由利本荘市)長。 秋田県由利郡石沢村(本荘市を経て現由利本荘市)出身。旧制秋田県立本荘中学校(現在の秋田県立本荘高等学校)を経て、明治大学予科で学ぶ。帰郷後、営農し、石沢村議、同助役、同村長、由利郡会議員などを歴任した。1922年11月、秋田県会議員補欠選挙に由利郡選挙区から立候補して当選した。その後、1923年、1927年にも当選した。1930年2月に県議を辞職した。同年の第17回衆議院議員総選挙において秋田2区(当時)から立憲民政党公認で立候補して初当選。
須藤 善一郎(すどう ぜんいちろう、1863年10月30日〈… 須藤 善一郎(すどう ぜんいちろう、1863年10月30日〈文久3年9月18日〉- 1937年〈昭和12年〉4月10日)は、明治から昭和初期の畜産家、実業家、政治家。衆議院議員、秋田県由利郡本荘町長。幼名・広太郎。雅号・寿堂、松園。生涯、馬産改良に尽力した。 出羽国由利郡本荘中町(秋田県由利郡本荘町、本荘市を経て現由利本荘市中町)で、大地主・須藤善太郎、ナオの長男として生まれた。長安寺の寺子屋、本荘藩藩校を経て、1877年(明治10年)小学校を卒業した。以後、自宅に招いた教師から歴史、漢学、英語を修めた。1879年(明治12年)9月、父が死去して家督を相続し善一郎に改名した。1880年(明治13年)ころに同志を募って夜学講習会を立上げ会長に就任した。
佐藤 敏郎(さとう としろう、1853年3月2日(嘉永6年1… 佐藤 敏郎(さとう としろう、1853年3月2日(嘉永6年1月23日)- 1912年(明治45年)6月19日)は、明治時代の政治家。衆議院議員(1期)。 出羽国由利郡の矢島藩領内(秋田県由利郡矢島町を経て現由利本荘市矢島町)で平治衛門の二男として生まれる。矢島藩校・日新堂で学んだ。1874年(明治7年)上京し、慶應義塾に入る。のち秋田県会議員に当選し、常置委員となり、副議長、議事課長を歴任した。ほか、秋田県文書、地方、財務各課長を歴任した。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では秋田県第3区から出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。在任中は弥生倶楽部に所属した。