村井 八郎(むらい はちろう、1886年(明治19年)12月… 村井 八郎(むらい はちろう、1886年(明治19年)12月24日 - 1970年(昭和45年)10月11日)は、日本の内務官僚、政治家、実業家。衆議院議員、福島県知事、郡山市長、川崎市長、会津若松市長を歴任した。旧姓・阿部。位階は従四位。 福島県岩瀬郡須賀川町(現・須賀川市)出身。阿部又吉の五男として生まれ、村井半之助の養子となる。会津中学、第一高等学校を経て、1912年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。内務省に入省し福島県属兼警部となる。1914年11月、文官高等試験行政科試験に合格。 以後、新潟県東蒲原郡長、同三島郡長、同理事官、長野県警察部長、大分県警察部長、熊本県書記官・警察部長、山形県書記官・内務部長、大阪府書記官・警察部長、北海道庁部長・土木部長などを歴任。
澤田 半之助(さわだ はんのすけ、1868年7月27日(慶応… 澤田 半之助(さわだ はんのすけ、1868年7月27日(慶応4年6月8日) - 1934年6月17日)は日本の実業家、労働運動家。洋服の仕立職人としてアメリカ合衆国に在住中に高野房太郎と知り合い、帰国後の1897年に高野らとともに労働組合期成会を結成した。また、銀座に洋服店を開いた。のち、米友協会幹事として横須賀市久里浜のペリー上陸記念碑の建立に関わった。 1868年に現在の福島県須賀川市で生まれる。後述する在米時代以来の友人だった米山梅吉によれば、生家は須賀川でも有数の資産家の本家で、父は澤田喜兵衛だった。しかし、幼少期に父と死別し、遺産を欲する親族の意向から彼らの後見を受け、進学できずに寺子屋に学ぶなど不遇な環境に置かれた。
鈴木 万次郎(萬次郎、すずき まんじろう、1860年3月24… 鈴木 万次郎(萬次郎、すずき まんじろう、1860年3月24日(万延元年3月3日)- 1930年(昭和5年)2月26日)は、明治から昭和初期の医師、政治家、実業家。衆議院議員。愛国生命保険創立者。 陸奥国岩瀬郡、のちの福島県岩瀬郡須賀川町 (現須賀川市)で、医師、自由民権家・鈴木俊安の長男として生まれる。会津藩の儒者・橋爪信次郎に漢学を、二本松藩・堀江半峯に詩文を師事した。福島県師範学校予科を経て、1879年(明治12年)に上京し 岡鹿門から詩文を学んだ。訓蒙学舎や外国語学校でドイツ語を学び、さらに東亜医学校で医学を修め、1886年(明治19年)開業試験に合格し医師となった。その後、東京府神田区に神保病院を開設した。
吉田 定之助(よしだ さだのすけ、1857年10月1日(安政… 吉田 定之助(よしだ さだのすけ、1857年10月1日(安政4年8月14日)- 1918年(大正7年)9月20日)は、明治から大正前期の実業家、政治家。衆議院議員、福島県会議長。 陸奥国岩瀬郡、のちの福島県岩瀬郡須賀川町(現須賀川市)で、吉田勝太郎の長男として生まれる。私塾で学んだ。 1889年(明治22年)2月、家督を相続し、以降、須賀川町会議員に8期在任。岩瀬郡会議員、福島県会議員、同議長、破産管財人、所得税調査委員なども務めた。1912年(明治45年)5月、第11回衆議院議員総選挙(福島県郡部、立憲政友会)で当選し、1915年(大正4年)3月の第12回総選挙(福島県郡部、立憲政友会)では次点で落選し、衆議院議員に1期在任した。