池田 充男(いけだ みつお、1932年〈昭和7年〉- )は、… 池田 充男(いけだ みつお、1932年〈昭和7年〉- )は、日本の作詞家。 茨城県稲敷郡岡田村東猯穴(牛久町を経て、現在の牛久市東猯穴町)出身。岡田国民学校(現在の牛久市立岡田小学校)、岡田農業青年学校(後の牛久町立岡田中学校)、県立取手第一高等学校に進む。高校生の時に作詞家を志す。テイチクレコードより黒田春雄(後のアイ・ジョージ)歌唱の「心の十字路」で作詞家デビューし、現在も現役で活動している。 1992年の第34回日本レコード大賞歌謡曲・演歌部門で、大月みやこの『白い海峡』が大賞、1999年には服部浩子の『旅路の花』が第32回日本作詩大賞、2006年には香西かおりの『最北航路』が第39回日本作詩大賞を受賞するなど多くの作品で日本作詞家大賞を受賞する。
中島 清治(なかじま きよじ、1931年〈昭和6年〉- 20… 中島 清治(なかじま きよじ、1931年〈昭和6年〉- 2015年〈平成27年〉)は、日本の作詞家。茨城県稲敷郡牛久村(現在の牛久市)出身。 茨城県稲敷郡牛久村(現在の牛久市)大字新地(現在の新地町)出身。牛久国民学校(現在の牛久小学校)を卒業後、学徒動員されて地元の軍事工場で働く。終戦後、高等科を卒業し、東京都に働きに出る。その後に板倉文雄に誘われて作詞家となる。1963年に日本クラウンレコード専属歌手となった津田耕次のデビュー作「お聞き下さい皆様よ」を作詞する。15年以上に渡り東京で作詞活動をするが、医者に進められて自身と家族の体調を考え牛久に里帰りした。平成22年には牛久市立ひたち野うしく小学校の開校に伴い、校歌の作詞を手掛けた。
板倉 文雄(いたくら ふみお、1922年〈大正11年〉- 1… 板倉 文雄(いたくら ふみお、1922年〈大正11年〉- 1989年〈平成元年〉)は、日本の作詞家。茨城県稲敷郡岡田村(現在の牛久市)出身。 茨城県稲敷郡岡田村(現在の牛久市)大字東大和田町(現在の東大和田町)出身。 昭和25年、26年、27年ごろに板倉が書いた「泪の夜汽車・泣くな片妻」を作曲平川浪竜(後に岸壁の母を作曲した)が手掛け、大ヒットを記録した。昭和57年には牛久市立下根中学校の開校に伴い、校歌の作詞を手掛けた。 門下に小樽のひとよを作詞した池田充男やうしくかっぱ祭りの河童ばやしを作詞した中島清治などがいる。作詞家として活躍した石本美由起(2009年逝去)は、若き日に同じく作詞家である板倉文雄を「胸中ひそかに生涯のライバルとしていた」という。