生田目 翼(なばため つばさ、1995年2月19日 - )は… 生田目 翼(なばため つばさ、1995年2月19日 - )は、茨城県那珂郡大宮町(現:常陸大宮市)出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。 常陸大宮市立村田小学校3年から常陸大宮リトルで硬式野球を始め、投手兼捕手で4番を務めた。常陸大宮市立第二中学校では軟式野球部に所属し、内野手を経て、2年秋からはエースで3番を打っていた。 水戸工業高等学校では1年秋から「4番・遊撃手」、2年秋からはエースとして県8強、3年夏も県8強に進出したが甲子園出場はできなかった。 流通経済大学では1年春から救援でベンチ入り。 翌2年春のリーグ戦でエースの座を獲得し、4勝3敗、防御率2.59で投手十傑入りを果たす。
小林 正寿(こばやし まさとし、1988年9月22日 - )… 小林 正寿(こばやし まさとし、1988年9月22日 - )は、日本の気象予報士。茨城県常陸大宮市出身。株式会社ウェザーマップ所属。 特技は野球(下述の通り中学校時代に野球部に所属)、趣味は動物園・水族館巡り、野球観戦。苦手なのは早起きである。 気象予報士を目指すきっかけとなったのは、中学校の野球部のとある練習日に雪の予報を部員に伝えたところ、その日は晴れだったため予報は外れ、以来「デマ」と渾名されるまでとなったことから。 茨城県立水戸桜ノ牧高等学校を経て、専修大学文学部人文学科環境地理学専攻を卒業後、2012年に気象予報士となり、2013年よりウェザーマップに所属。2019年3月までTBSニュースバード→TBS NEWSに気象キャスターとして出演した。
NIKIIE(ニキー、1987年10月12日 - )は、日本… NIKIIE(ニキー、1987年10月12日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。茨城県常陸大宮市出身。茨城県立那珂高等学校卒。 もともとは本名で活動していたが、「もっと自分の可能性を広げていける名前を付けたい」ということで、「自分の人生の第“二期(ニキ)”」という意味合いを込めて“NIKIIE”というアーティスト名にした。 3歳の時に兄を迎えに行った保育園で先生がピアノを弾いているのを見て、自分も弾きたいと思ったのが音楽との出会い。ピアノを習いたいと1年間両親に懇願し続け、近所にピアノ教室が出来たのをきっかけに、4歳のときにピアノを始める。クラシックだけでなくポップスなども自由に弾かせてくれる先生だったので、カーペンターズやビートルズ、映画やゲームの音楽、ノンフィクションのテレビ番組の曲など、いろいろな曲を弾いていた。
白石 美帆(しらいし みほ、1978年8月8日 - )は、日… 白石 美帆(しらいし みほ、1978年8月8日 - )は、日本のタレント、女優である。過去にスポーツキャスター経験もあり。 夫はV6・長野博。
野上 修(のがみ おさむ、1974年4月4日 - )は、日本… 野上 修(のがみ おさむ、1974年4月4日 - )は、日本の野球選手(内野手)、野球指導者。シドニー五輪代表。 小学校3年の時に地元のソフトボールクラブに入り、その後野球に転向した。大宮中学校から水戸商に進み、2年夏には遊撃手のレギュラーを務めて茨城大会準決勝で竜ヶ崎一高に1点差で惜敗。秋からは主将を務め、関東大会で準優勝して3年春の第64回選抜高等学校野球大会に出場し、初戦で自らの送球が走者に当たる不運もあって和歌山県の南部高に1対2で敗れた。3年夏の県大会は準々決勝で常総学院に敗れている。 高校卒業後は明治大学に進み、同級生に橿渕聡や筒井壮がいた。3年春からレギュラー遊撃手となり、同季の六大学リーグ戦でリーグ3位の打率.367を記録してベストナインを獲得。
鈴木 定幸(すずき さだゆき、1967年(昭和42年)1月1… 鈴木 定幸(すずき さだゆき、1967年(昭和42年)1月12日 - )は、日本の政治家、実業家。茨城県常陸大宮市長(2期)。元茨城県議会議員(3期)。 茨城県常陸大宮市出身。茨城県立水戸第一高等学校卒業。防衛大学校卒業。コスモ石油に勤務したのち、石油販売会社の代表取締役を務める。 2010年(平成22年)12月の茨城県議会議員選挙に立候補し初当選。県議時代は自由民主党に所属した。 2020年(令和2年)2月27日、任期満了に伴う常陸大宮市長選挙に出馬する意向を表明。同年4月5日告示、4月12日投票の市長選で無投票により初当選した。4月23日、市長就任。 2024年(令和6年)4月44日の市長選で2度目の当選をした。
高野 守(たかの まもる、1959年7月22日 - )は、日… 高野 守(たかの まもる、1959年7月22日 - )は、日本の政治家。民主党所属の元衆議院議員(1期)。 茨城県常陸大宮市出身。茨城高等学校卒業後、成蹊大学法学部政治学科に進学し、1985年に卒業した。 卒業後は塚原俊平の公設第1秘書を務め、2005年衆院選に茨城4区から出馬するも梶山弘志に敗れ落選。2009年衆院選では梶山に6,980票差で惜敗するも、比例北関東ブロックで復活し初当選。2012年衆院選では三たび梶山に敗れ、比例復活もならず落選した。2014年衆院選では梶山に敗れ、落選。 常陸大宮市の三浦杉・吉田八幡神社の神主でもある。また、桜田門外の変の桜田烈士・海後磋磯之介(かいご さきのすけ)は、自身の高祖父・高野粂之介(たかの くめのすけ)の実弟にあたる。
三次 真一郎(みつぎ しんいちろう、1948年(昭和23年)… 三次 真一郎(みつぎ しんいちろう、1948年(昭和23年)5月20日 - )は、日本の政治家。元茨城県常陸大宮市長(3期)。 茨城県那珂郡山方町(現在の常陸大宮市)出身。水戸第一高等学校を経て、早稲田大学教育学部を卒業。その後山方町長に就任し、常陸大宮市発足後の2008年の市長選挙で初当選。2012年、2016年とともに無投票当選。常陸大宮市長を3期務め、2020年に退任した。
高野 之夫(たかの ゆきお、1937年〈昭和12年〉12月2… 高野 之夫(たかの ゆきお、1937年〈昭和12年〉12月25日 - 2023年〈令和5年〉2月9日)は、日本の政治家。東京都豊島区長(6期)、豊島区議会議員(2期)、東京都議会議員(3期)、公益財団法人としま未来文化財団理事長などを歴任した。 東京市豊島区西池袋に生まれる。生家は古書店を営んでいた。 1945年4月13日、池袋を含む城北地域が空襲を受けたとき(城北大空襲)、茨城県常陸大宮市出身の父親は徴兵されて満州に行っており、姉は集団疎開で長野県にいた。高野は栃木県城山村(現:宇都宮市古賀志町)の親戚の家に疎開中だった。そこから、東京の空が真っ赤に燃えているのが見えたという。母と当時3歳くらいだった妹は東京に残っていたが、命からがら逃げた。
武藤 武雄(むとう たけお、1916年(大正5年)3月20日… 武藤 武雄(むとう たけお、1916年(大正5年)3月20日 - 1978年(昭和53年)10月20日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員、初代日本労働組合総評議会(総評)議長。 茨城県那珂郡山片村(山方町を経て現常陸大宮市)出身。1930年(昭和5年)茨城県小貫農業公民学校を卒業した。 入山炭鉱(のち常磐炭鉱)に入社し坑内夫として勤務。労働運動に加わり、常磐炭鉱労働組合長となり、1946年(昭和21年)常磐地方炭鉱労働組合連合会の初代組合長に就任。1947年(昭和22年)炭労(のちの日本炭鉱労働組合)中央執行委員長となり、1950年(昭和25年)総評が結成されると初代議長に就任した。1952年(昭和27年)の炭労の労働ストでの対応を巡り、炭労臨時大会で不信任となり委員長を解任され、総評議長も退任した。
野沢 白華(のざわ はっか、1845年9月15日〈弘化2年8… 野沢 白華(のざわ はっか、1845年9月15日〈弘化2年8月14日〉- 1904年〈明治37年〉1月29日)は、明治時代の文人画家(南画家)。本名は龍(りゅう)。白華は号。 常陸国久慈郡辰ノ口村(現在の茨城県常陸大宮市辰ノ口)で出生。父は平重、母は義(よし)。野沢家は清和源氏の末裔を自称する家で、中世は甲斐武田氏に仕えていたと伝わる。永禄・天正年中(1558年-1592年)に辰ノ口村に移住土着し、以降は常陸佐竹氏に仕えたという。慶長7年(1602年)に佐竹氏が出羽国へ移封されると帰農し、近世は代々同村の庄屋を務めた。白華の大叔父にあたる野沢四郎兵衛は「白仙」の号をもつ歌人、俳人であった。祖父の野沢新衛門は漢学者であり、居村に私塾を開いていた。
香川 敬三(かがわ けいぞう、1839年12月20日〈天保1… 香川 敬三(かがわ けいぞう、1839年12月20日〈天保10年11月15日〉- 1915年〈大正4年〉3月18日)は、江戸末期の水戸藩出身の勤皇志士で、明治から大正期の日本の宮内官僚。位階勲等爵位は従一位勲一等伯爵。東山道軍総督府大軍監・皇后宮大夫・皇太后宮大夫・枢密顧問官などを歴任し、美子皇后(昭憲皇太后)に長きに渡って仕えた。 諱は広安。旧姓は蓮田。幼名は、了介または徳松。旧名、鯉沼 伊織(こいぬま いおり)。変名は、小林彦次郎。明治になり香川広安、のちに敬三に改名。士族だったが、後に華族の子爵、ついで伯爵に列する。生年は1841年(天保12年)という説もある。 下伊勢畑(現在の常陸大宮市)の水戸藩郷士蓮田重右衛門孝定・袖の3男に生まれる。
矢数 道明 は、昭和期の漢方復権に尽力した代表的な日本の医師… 矢数 道明 は、昭和期の漢方復権に尽力した代表的な日本の医師。医史学者。学位は医学博士。文学博士(慶應義塾大学)。東洋医学の発展に貢献した業績により日本医師会より最高優功賞を受賞。