金子 裕(かねこ ゆたか、1962年(昭和37年)10月8日… 金子 裕(かねこ ゆたか、1962年(昭和37年)10月8日 - )は、日本の政治家。栃木県佐野市長(2期)。元栃木県議会議員(4期)、元佐野市議会議員(4期)。 栃木県佐野市生まれ。栃木工業高等学校を卒業後、日本国有鉄道、東京電力社員を経て佐野市議会議員、栃木県議会議員を歴任。 2005年2月28日、旧佐野市と田沼町・葛生町が新設合併し、新市制の佐野市が誕生。合併に伴い同年4月17日に行われた市長選挙に立候補したが岡部正英に敗れる。 2021年、佐野市長選挙に再挑戦、現職の岡部を破り、初当選。4月17日、市長就任。 2025年4月の市長選挙では元県議ら4人を破り、再選。
岡部 正英(おかべ まさひで、1938年〈昭和13年〉9月2… 岡部 正英(おかべ まさひで、1938年〈昭和13年〉9月22日 - 2025年〈令和7年〉10月9日)は、日本の政治家。元栃木県佐野市長(4期)、元栃木県議会議員、元佐野市議会議員。 栃木県佐野市生まれ。学生時代陸上競技中長距離走者として活躍、1500メートル競走高校日本記録を樹立。佐野市立城東中学校、栃木県立佐野高等学校卒業。佐野市議会議員、栃木県議会議員を歴任。 2005年(平成17年)2月28日、旧佐野市と安蘇郡田沼町・葛生町が新設合併し、新市制の佐野市が誕生。合併に伴い同年4月17日に行われた市長選挙に立候補し、旧佐野市長の飯塚昭吉、元市議の金子裕を破り初当選した。 全国生涯学習市町村協議会会長、栃木県市長会副会長、社団法人栃木県水道協会会長、栃木陸上競技協会副会長などを務めた。
寺澤 芳男(てらさわ よしお、1931年10月3日 - )は… 寺澤 芳男(てらさわ よしお、1931年10月3日 - )は、日本の実業家、政治家。 野村證券副社長、ローンスタージャパン会長、東京スター銀行会長、多数国間投資保証機関長官(初代)、参議院議員(1期)、経済企画庁長官(第49代)、参議院外務委員長等を歴任した。 栃木県佐野市生まれ。早稲田大学高等学院、早稲田大学政治経済学部卒業。 大学卒業後、野村證券に入社。入社後、フルブライト奨学生としてアメリカ合衆国ペンシルベニア大学大学院に留学し、ウォートン・スクールで経営学修士(MBA)を取得した。帰国後、野村證券外国部次長を経て、1968年にニューヨーク支店長に就任。翌1969年、ニューヨーク支店は現地法人格を有する米国野村證券(Nomura Securities International Inc.)に再編され、寺澤は同社の初代代表取締役社長に就任した。
寺澤 芳男(てらさわ よしお、1931年10月3日 - )は… 寺澤 芳男(てらさわ よしお、1931年10月3日 - )は、日本の実業家、政治家。
小泉 善一郎(こいずみ ぜんいちろう、1892年(明治25年… 小泉 善一郎(こいずみ ぜんいちろう、1892年(明治25年)10月11日 - 1977年(昭和52年)5月15日)は、日本の政治家。栃木県(旧)佐野市長を務めた。 安蘇郡佐野町に生まれる。実家は織物業を営んでおり十代で家業を継ぐ。1929年(昭和4年)、佐野町議会議員に就任し以後14年間務める。また、1935年(昭和10年)9月から1939年(昭和14年)9月まで安蘇郡選出の県会議員を務めている。この他に、佐野織物工業組合理事長や日本綿織物工業組合連合会監事なども歴任している。 1942年(昭和17年)、佐野町長に就任。当時の佐野町は周辺の自治体との合併による市制施行を検討しており、小泉はその実現に向けて主導的役割を果たした。
藤沼 庄平(ふじぬま しょうへい、1883年(明治16年)2… 藤沼 庄平(ふじぬま しょうへい、1883年(明治16年)2月17日 - 1962年(昭和37年)1月2日)は日本の官僚、政治家。位階は従三位。勲一等瑞宝章。 栃木県安蘇郡堀米町(現・栃木県佐野市)に生まれる。10歳の時に実父・若田部友造が亡くなったため、長兄が相談して町長・藤沼友次郎の養子となる。1902年(明治35年)栃木県立栃木中学校(現栃木県立栃木高等学校)卒業、旧制一高を経て1909年(明治42年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業、内務省に入省する。 奈良県、鹿児島県、京都府、大阪府の警察部長を務め、1923年(大正12年)10月に茨城県知事に就任するが、虎ノ門事件により辞職する。この後内務省警保局長として摂政の関西行啓に井上孝哉、荒木貞夫と同道、唐沢俊樹を内務省参事官に起用する。
荒川 高三郎(あらかわ たかさぶろう、慶応2年1月4日〈18… 荒川 高三郎(あらかわ たかさぶろう、慶応2年1月4日〈1866年2月18日〉- 1935年〈昭和10年〉12月23日)は、明治から昭和初期の農業経営者、政治家。衆議院議員、群馬県邑楽郡三野谷村長。旧姓・島田。足尾鉱毒問題における田中正造の同労者。 下野国足利郡村上村(栃木県足利郡村上村、吾妻村を経て現佐野市村上町)で島田次郎次の三男として生れ、群馬県邑楽郡三野谷村上三林(現館林市上三林)の豪農・荒川家の養子となる。漢学、国学を修めた。 1889年(明治22年)三野谷村収入役に就任。以後、三野谷村会議員、学務委員などを務めた。1896年(明治29年)群馬県会議員に選出され、1907年(明治40年)9月まで在任。
4代 蓼沼 丈吉(たでぬま じょうきち、1862年8月23日… 4代 蓼沼 丈吉(たでぬま じょうきち、1862年8月23日(文久2年7月28日)- 1919年(大正8年)7月1日)は、明治から大正前期の実業家、政治家。衆議院議員、栃木県多額納税者、栃木県安蘇郡三好村長。幼名・勝蔵、千代吉。田中正造の支援者の一人。 下野国安蘇郡岩崎村(栃木県安蘇那岩崎村、三好村、田沼町を経て現佐野市岩崎町)で、地主、呉服太物業・2代丈吉、智恵の二男として生まれる。16歳から家業に従事。1886年(明治19年)6月、兄・3代丈吉の死去に伴い家督を相続し4代丈吉を襲名した。 1887年(明治20年)下野石灰監査委員に就任。以後、葛生銀行幹事、同取締役、佐野鉄道社長、佐野銀行取締役、下野新聞取締役、栃木県農工銀行監査役などを務めた。
津久居 彦七(つくい ひこしち、1854年4月11日(嘉永7… 津久居 彦七(つくい ひこしち、1854年4月11日(嘉永7年3月14日)- 1929年(昭和4年)6月29日)は、日本の政治家、衆議院議員、貴族院多額納税者議員。栃木県安蘇郡佐野町(現・佐野市)出身。足尾鉱毒事件解決のために奔走した田中正造をバックアップした人物としても知られる。 佐野町会議員、同町区長、同町名誉町長を歴任。1908年(明治41年)の第10回衆議院議員総選挙で栃木県郡部区から衆議院議員に当選(憲政本党)。立憲国民党員時代には上越線敷設運動にも参加した。 安蘇郡(現・佐野市一帯)の教育向上にも力を入れ、1899年(明治32年)には第四中学校創立期成会を設立。この運動の結果、旧制栃木県第四中学校(現・栃木県立佐野高等学校・附属中学校)が創立された。
田村 耕平(たむら こうへい、1848年(嘉永元年1月) -… 田村 耕平(たむら こうへい、1848年(嘉永元年1月) - 1901年(明治34年)2月4日)は、明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員。 豪商・田村太平の二男として下野国安蘇郡並木村(旗川村を経て現佐野市)に生まれ、1872年(明治5年)分家する。1875年(明治8年)並木村会議員となる。一時上京するが、1888年(明治21年)帰郷し、翌年栃木県多額納税者に列す。1892年(明治25年)村内小学校建築委員を務め、1895年(明治28年)3月、旗川村助役兼収入役に就任。 その後、安蘇郡会議員を経て、1897年(明治30年)栃木県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から務めるが、在任中に暴漢に襲われ打撲傷を受け死去した。
奥村 亀三郎(おくむら かめさぶろう、龜三郎、1844年(弘… 奥村 亀三郎(おくむら かめさぶろう、龜三郎、1844年(弘化元年2月)- 1901年(明治34年)11月3日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員、茨城県会議長。 下野国安蘇郡天明町(栃木県安蘇郡天明町、佐野町を経て現佐野市)で生まれた。茨城県結城郡結城町(現結城市結城町)の奥村清八の養嗣子となる。漢学を修め、商業を営む。結城藩土地開拓掛を務めた。結城銀行を設立した。 自由民権運動に加わり、結城町会議員を務めた。1886年(明治19年)茨城県会議員に選出され、1898年(明治31年)まで在任し、同常置委員、第12代県会議長も務めた。 1898年(明治31年)3月の第5回衆議院議員総選挙(茨城県第4区、山下倶楽部)で当選し、衆議院議員に1期在任した。
田中 正造(たなか しょうぞう、天保12年11月3日(184… 田中 正造(たなか しょうぞう、天保12年11月3日(1841年12月15日) - 1913年(大正2年)9月4日)は、日本の幕末から明治時代にかけての村名主、政治家。日本初の公害事件と言われる足尾鉱毒事件の解決に奔走し、明治天皇に直訴しようとしたことで有名。衆議院議員選挙に当選6回。幼名は兼三郎。下野国安蘇郡小中村(現・栃木県佐野市小中町)出身。足尾銅山鉱毒事件の被害者でもあり、救済を政府に訴えた。日本の公益活動家の嚆矢となった人物。 父の跡を継いで小中村の名主となり、幕末から村民らと領主である高家六角家に対して政治的要求を行っていたが、このことがもとで明治維新直前の慶応4年(1868年)に投獄された。