渡辺 松男(わたなべ まつお、1955年5月13日 - )は… 渡辺 松男(わたなべ まつお、1955年5月13日 - )は、日本の歌人。短歌結社「かりん」所属。 群馬県伊勢崎市生まれ。群馬県立前橋高等学校、東京大学文学部卒業。公務員のかたわら1990年に短歌結社「歌林の会」に入会し、馬場あき子・岩田正に師事する。1999年から2010年まで、上毛新聞歌壇選者を務める。同じく1999年より5年間、群馬県立土屋文明記念文学館に勤務した。2010年より筋萎縮性側索硬化症(ALS)で闘病している。 口語やオノマトペを自在に使ったやわらかな文体で、人間が生き物一般と等価に立つような、独特の自然観の短歌を詠む。
板垣 好樹(いたがき よしき、1933年〈昭和8年〉8月20… 板垣 好樹(いたがき よしき、1933年〈昭和8年〉8月20日 - 1993年〈平成5年〉6月26日)は、日本の俳人。群馬県伊勢崎市生まれ。本名・好昭。月刊『俳句人』編集長(1973 - 1975年)、第6回新俳句人連盟賞受賞。 1933年、群馬県伊勢崎市に生まれる。19歳で結核に罹り、国立療養所大日向荘(現在の国立病院機構西群馬病院)で療養の日々を送る。1954年、療養所で俳句を知り、翌年古沢太穂の結社「道標」に入会、同時に太穂の推薦で新俳句人連盟の会員となる。1956年に療養所を退所、印刷工となり、1962年には現代俳句協会の会員となる。1971年、新聞『赤旗』俳壇時評、翌年日曜版俳句欄選者、1973年には岩間清志の死を受けて月刊『俳句人』編集長となる。
宮崎 利秀(みやざき としひで、1919年 - 1982年1… 宮崎 利秀(みやざき としひで、1919年 - 1982年1月1日)は、日本の教員で俳人。 杉森久英の小説『黄色のバット』のモデルになったことで知られる。 群馬県伊勢崎市に生まれる。生後すぐに埼玉県妻沼町(現・熊谷市)に転居した。 熊谷中学校(現・埼玉県立熊谷高等学校、1937年卒業)を経て、横浜高等工業学校(現・横浜国立大学工学部)を卒業した。熊谷中学校では金子兜太と同窓だった。1942年に東京工業大学機械工学科を卒業すると、陸軍兵技将校として相模造兵廠監督課に勤務した。陸軍航空本部付技術少尉として満州派遣されている際に敗戦となる。 敗戦後は占領軍の英語通訳を務めながら、1946年に『東京ジョー』を刊行した。
森村 浅香(もりむら あさか、1912年〈明治45年〉3月4… 森村 浅香(もりむら あさか、1912年〈明治45年〉3月4日 - 2011年〈平成23年〉8月6日)は、歌人。夫は作家の豊田三郎と、長女は森村桂。 群馬県伊勢崎市の旧家の生まれ。東京府立第五高等女学校卒。女子高等学園で西角井正慶に和歌の教えを受ける。同人誌『海石榴』を発行。1946年『鶏苑』に参加。1953年加藤克巳を中心に『近代』を創刊。1954年に『古今』に入会。1960年北沢郁子らと同人誌『藍』を創刊する。現代歌人協会会員。
大木 雄二(おおき ゆうじ、1895年〈明治28年〉5月7日… 大木 雄二(おおき ゆうじ、1895年〈明治28年〉5月7日 - 1963年〈昭和38年〉7月21日)は、日本の歌人、児童文学者。本名・大木 雄三。 群馬県佐波郡赤堀村(現・伊勢崎市)に生まれる。郷里で小学校の教員を勤めたのち、20歳の時に上京。 1932年から雄二を名乗る。1919年「こども雑誌」の編集者となる。「少年雑誌」「金の星」などに童話を発表した。1927年(昭和2年)童話作家協会に入会し、幹事を務める。1928年(昭和3年)プロレタリア系の新興童話作家連盟の結成に参加。反戦童話「可愛い敵め」を発表する。1932年(昭和7年)右翼的な日本文化連盟を結成、戦時中はファシズム作家であった。