井野 俊郎(いの としろう、1980年〈昭和55年〉1月8日… 井野 俊郎(いの としろう、1980年〈昭和55年〉1月8日 - )は、日本の政治家、弁護士。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、経済産業副大臣兼内閣府副大臣。 防衛副大臣兼内閣府副大臣、法務大臣政務官兼内閣府大臣政務官、自由民主党国会対策副委員長、伊勢崎市議会議員(1期)を歴任。 群馬県伊勢崎市生まれ(現住所は伊勢崎市田中町)。伊勢崎市立宮郷小学校、伊勢崎市立宮郷中学校卒業、東京農業大学第二高等学校、明治大学法学部卒業。 2004年、司法試験合格。2007年(平成19年)、弁護士登録。 2010年1月、伊勢崎市にて井野法律事務所を開設。同年4月、伊勢崎市議会議員選挙初当選。 2011年1月17日、自民党群馬県連が公募している群馬2区支部長の選考に応募。
森村 隆行(もりむら たかゆき、1973年7月20日 - )… 森村 隆行(もりむら たかゆき、1973年7月20日 - )は、日本の政治家。都民ファーストの会所属の東京都議会議員(3期)。都民ファーストの会代表(5代)。都民ファーストの会東京都議団団長。ファーストの会代表(2代目)。 群馬県伊勢崎市出身。東京大学経済学部卒業。伊藤忠商事・プルデンシャル生命保険を経て、保険見直し本舗取締役に就任。 2017年7月2日投開票が行われた東京都議会議員選挙では、青梅市選挙区で都民ファーストの会公認で出馬し、31,603票を得て初当選。2021年7月4日投開票が行われた東京都議会議員選挙では、青梅市選挙区で都民ファーストの会公認で出馬し、26,344票を得て再選。2022年11月1日に都民ファーストの会の代表選が行われ、森村が無投票で当選。
斉藤 優(さいとう まさる、1959年〈昭和34年〉11月1… 斉藤 優(さいとう まさる、1959年〈昭和34年〉11月14日 - )は、日本の政治家。群馬県議会議員(2期)。過去には、伊勢崎市議会議員(4期)などを務めた。 群馬県佐波郡境町(現在の伊勢崎市境町)に米穀商の長男として生まれる。伊勢崎市立境小学校、伊勢崎市立境南中学校、群馬県立前橋高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。卒業後も政治・法律の勉強を継続。 1982年、父親の発病にともない、東京より帰郷。自分の勉強部屋で小・中・高校生に勉強を教え始める。 1990年、有限会社優伸ゼミナールを設立し、代表取締役に就任(パソコン教室も経営)。 1997年、群馬学習塾協同組合理事長、境町商工会青年部長を務める。
臂 泰雄(ひじ やすお、1952年(昭和27年)12月11日… 臂 泰雄(ひじ やすお、1952年(昭和27年)12月11日 - )は、日本の政治家。群馬県伊勢崎市長(2期)。過去には、群馬県議会議員(3期)、伊勢崎市議会議員(2期)などを務めた。 群馬県伊勢崎市生まれ。伊勢崎市立北小学校、伊勢崎市立北中学校(現:伊勢崎市立第三中学校)、群馬県立前橋高等学校、筑波大学第一学群自然学類卒業。 2006年伊勢崎市議会議員初当選、市議員通算2期目後、2011年群馬県議会議員当選、県議議員通算3期目。 2020年10月23日、翌年実施予定の伊勢崎市長選挙(1月10日告示・同月17日投開票)に出馬する意向を正式に表明した。同月29日に県議会本会議で臂の辞職願が許可され県議を辞職。
田島 雄一(たじま ゆういち、1949年〈昭和24年〉1月1… 田島 雄一(たじま ゆういち、1949年〈昭和24年〉1月13日 - 2014年〈平成26年〉3月19日)は日本の政治家。群馬県議(8期)、第68・69代群馬県議会副議長、第72代群馬県議会議長を歴任した。 1949年1月13日、佐波郡采女村(現伊勢崎市)に生まれる。1967年、群馬県立前橋高等学校卒業。1972年、芝浦工業大学工学部工業化学科を卒業し、大洋工業に入社した。1975年、大洋工業社長となる。同年4月13日、群馬県議会議員選挙に佐波郡選挙区から立候補して初当選を果たした。1986年6月、衆議院選挙に立候補するため県議を辞職した。同年7月6日、旧群馬1区から無所属で第38回衆議院議員総選挙に立候補したが次点で落選した。
矢内 一雄(やない いちお、1931年〈昭和6年〉1月14日… 矢内 一雄(やない いちお、1931年〈昭和6年〉1月14日 ‐ )は、群馬県出身の政治家。元伊勢崎市長、群馬県議会議員、伊勢崎市議会議員。 1931年、群馬県伊勢崎市の農家の長男として生まれる。 旧制佐波農業学校(後の群馬県立佐波農業高等学校、現在の群馬県立伊勢崎興陽高等学校)を1948年に卒業、しばらく農業に従事したが、父義雄の友人の薦めで米穀検査官となる。 検査官は2年ほどで辞め、農業に戻る。その後、前橋市立工業短期大学(現:前橋工科大学)建築工学科の聴講生となる。同短大には当時勤労学生を対象とした夜間コースしかおかれていなかった。 聴講を開始して半年ほどで二級建築士の試験に合格したため退学、地元の協働建設に建築士として入社。
五十嵐 吉蔵(吉藏、いがらし きちぞう、1901年〈明治34… 五十嵐 吉蔵(吉藏、いがらし きちぞう、1901年〈明治34年〉10月1日 - 1959年〈昭和34年〉6月24日)は、大正・昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(5期)。蚕糸の第一人者。 群馬県佐波郡豊受村大字上蓮沼(現・伊勢崎市上蓮町)で、農業・五十嵐栄三郎の長男として生まれる。1918年(大正7年)群馬県立安中蚕糸学校(現・群馬県立安中総合学園高等学校)を卒業し、明治大学に進んだが中退。 組合製糸群馬社副社長、同代表理事、全国共栄蚕糸組合副理事長、日本蚕糸業会理事、刀洋織物社長、群馬県蚕種協同組合長などを務め、蚕糸行政に尽くした。 政界では、1933年(昭和8年)群馬県会議員に当選し3期在任。
山田 悟六(やまだ ごろく、1898年〈明治31年〉8月21… 山田 悟六(やまだ ごろく、1898年〈明治31年〉8月21日/31日 - 1964年〈昭和39年〉5月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、群馬県佐波郡采女村長。 群馬県佐波郡采女村(現・伊勢崎市)に、群馬県会議員・長沼宗雄の六男として生まれる。13歳の時叔父・山田沢吉の養子となる。群馬県立勢多農林学校卒。 1929年(昭和4年)采女村長に就任。経済安定本部事務嘱託、言語文化研究所嘱託、采女剛志、大正用水各耕地整理組合長、采女農業協同組合長、伊勢崎鉄工代表社員、伊勢崎重工業、伊勢鉄航空工業、日本樽材工業、山田不動産各社長などを務める。 1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙において群馬県から日本進歩党公認で立候補して当選する。
菊池 重作(きくち じゅうさく、1897年(明治30年)7月… 菊池 重作(きくち じゅうさく、1897年(明治30年)7月14日 - 1980年(昭和55年)12月9日)は、日本の社会運動家、実業家、政治家。衆議院議員。 群馬県佐波郡茂呂村(現伊勢崎市)で生まれる。織物製造業、養蚕販売業を営む。 1923年、群馬共産党事件を契機に社会運動に加わり、日本労農党に加入し小作争議の指導を行う。全国農民組合茨城県連合会書記長、同会長、日本農民組合茨城県連合会執行委員長、社会大衆党茨城県連合会書記長などを務め、1936年、水海道町会議員となるが、1938年、人民戦線事件で検挙され、懲役3年・執行猶予5年の判決を受けた。 戦後、日本社会党に入党し、1947年4月の総選挙に茨城県第三区から出馬して当選し、衆議院議員を一期務める。
細野 次郎(ほその じろう、1862年8月27日(文久2年8… 細野 次郎(ほその じろう、1862年8月27日(文久2年8月3日) - 1916年(大正5年)6月15日)は、日本の政治家、衆議院議員(3期)。 上野国佐波郡伊勢崎町(現在の群馬県伊勢崎市)の里正細野時敏と、渋沢栄一の従兄弟である渋沢喜作の姉の次男として生まれる[要出典]。東京帝国大学法科大学選科に学ぶ。鉱山業を営み、群馬県会議員、臨時治水調査会委員、群馬商工銀行、百工商会各(株)監査役となる。 1902年の第7回衆議院議員総選挙において群馬県郡部から壬寅会公認でで立候補して初当選した。1903年の第8回衆議院議員総選挙は不出馬。1908年の第10回衆議院議員総選挙では無所属で立候補してトップ当選した。
本間 三郎(ほんま さぶろう、1859年4月12日(安政6年… 本間 三郎(ほんま さぶろう、1859年4月12日(安政6年3月10日) - 1928年(昭和3年)12月27日)は、日本の剣術家、政治家。流派は本間念流。称号は大日本武徳会剣道範士。衆議院議員(3期)。 上野国佐波郡赤堀村(現・群馬県伊勢崎市)の本間千五郎の三男。家伝の念流剣術(本間念流)を修行する。 明治時代に榊原鍵吉が撃剣興行で前橋を訪れ、その後榊原に入門。山岡鉄舟にも師事する。 1893年(明治26年)、警視庁の各警察署に撃剣試合を挑み、門奈正、内藤高治、佐々木正宜、夏目又之進、得能関四郎、柴田衛守ら撃剣世話掛を連破する。 1915年(大正4年)、第12回衆議院議員総選挙に当選。 1917年(大正6年)、第13回衆議院議員総選挙に当選。
初代 本間 千代吉(ほんま ちよきち、安政3年12月20日〈… 初代 本間 千代吉(ほんま ちよきち、安政3年12月20日〈1857年1月15日〉 - 1917年〈大正6年〉2月26日)は、明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員。幼名・源四郎、名・応家。 本間千五郎応次、たに子の二男として上野国佐位郡市場村(赤堀村、赤堀町を経て現伊勢崎市)に生まれる。佐渡国の戦国武将、本間高統の後胤。幼少期に文学に目覚め、足立春英(竹陰)に漢学などを学ぶ。 慶応元年7月(1865年)亡兄十四松の跡を継いだ。1880年(明治13年)市場村外五箇村戸長に就任。ついで連合村会議員を経て、1885年(明治18年)3月、最多票数を獲得し佐位郡選出の群馬県会議員となる。1887年(明治20年)12月、満期退職後、佐波郡会議員、同参事会員などを歴任した。
中島 祐八(なかじま ゆうはち、3代祐八、諱教愛、幼名又輔、… 中島 祐八(なかじま ゆうはち、3代祐八、諱教愛、幼名又輔、嘉永7(安政元)年7月18日(1854年8月11日)- 大正2年(1913年)11月14日)は、日本の衆議院議員(自由党→立憲革新党→憲政本党→立憲国民党)。 上野国佐位郡赤堀村(現在の群馬県伊勢崎市)出身。豪農・先代中島祐八(2代祐八、諱周教、幼名逸作、利根郡奈良村石田家より養子)の長男として生まれ、1874年(明治7年)に副区長、1877年(明治10年)に学区取締、1881年(明治14年)に県会議員に就任した。1883年、「上野新聞」を発刊。1888年、上毛民会を組織するが、秘密集会の容疑で逮捕されてしまう。結局無罪となり、改めて群馬公議会を結成した。
中島 行孝(なかじま ゆきたか、天保5年8月28日〈1834… 中島 行孝(なかじま ゆきたか、天保5年8月28日〈1834年9月30日〉 - 1914年〈大正3年〉5月1日)は、明治から大正初期の大蔵官僚、実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・桐生。 上野国佐位郡、のちの群馬県佐波郡赤堀村(赤堀町を経て現伊勢崎市)で、桐生儀兵衛の長男として生まれ、その後、中島家の養子となる。 1869年(明治2年)大蔵省に入省し、大蔵省一等属となる。牛込で私塾を開き、塾生には郷誠之助らがいた。1882年(明治15年)に退官し実業界に転じた。東京株式取引所理事、前橋電気軌道社長、東京府農工銀行取締役、同農工貯蓄銀行頭取、帝国商業銀行監査役などを務めた。 政界では、東京市会議員、同参事会員、東京府会議員に在任。
小暮 英三郎(こぐれ えいざぶろう、天保14年9月〈1843… 小暮 英三郎(こぐれ えいざぶろう、天保14年9月〈1843年〉 - 1926年〈大正15年〉1月24日)は、明治時代の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。号・梅園。 小暮清之、房子の長男として上野国佐位郡太田村(佐波郡三郷村を経て現伊勢崎市)に生まれる。矢野正任、市川左近に儒学を、尾高高雅、海上胤平に国学を学ぶ。1871年(明治4年)旧伊勢崎藩主の酒井忠彰により副戸長を、同年8月には伊勢崎県庁より太田村正心学校頭取を命じられた。1874年(明治7年)伊勢崎町製糸共研究会頭取となり、訓導を経て、群馬県会議員、所得税調査委員、三郷村長などを歴任した。ほか、伊勢崎銀行頭取を務めた。和歌を能くし万葉集の研究をした。