榊原 翼(さかきばら つばさ、1998年8月25日 - )は… 榊原 翼(さかきばら つばさ、1998年8月25日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 日本人の父親とタイ人の母親の間に生まれたハーフ。銚子市立高神小学校4年生時に高神スポーツ少年団で野球を始め、銚子市立第二中学校では同校の軟式野球部に所属した。 高校は、埼玉県さいたま市緑区の浦和学院高校に進学。2年春の第87回選抜高等学校野球大会ではベンチ入りを果たし、チームはベスト4に進出するも、登板機会は無かった。2年秋の秋季埼玉大会では優勝し、秋季関東大会に進出するが、準々決勝で桐生第一に敗れ、2年連続の選抜出場はならなかった。3年春は、春季埼玉大会を制覇したが、夏の第98回全国高等学校野球選手権埼玉大会では、4回戦で市立川越に0対1で敗れた。
澤井 良輔(さわい りょうすけ、1978年3月9日 - )は… 澤井 良輔(さわい りょうすけ、1978年3月9日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手(内野手)。 小学生の頃は運動が苦手だったが、仲間はずれになりたくないとの理由で4年から野球を始める。元々は右打ちだったが、中学3年の時に左打ちを試したところ右打ちより飛んだという。憧れだった篠塚利夫と同じ銚子商業高に進学し主軸として大活躍。3年生時に春夏連続甲子園出場。第67回選抜では準優勝、第77回全国選手権は3回戦敗退。そのパワーとスター性はプロ級と評判になり、「西の福留・東の澤井」とまで言われた。福留孝介とは交友関係があったが、2人をライバルとして扱うマスコミには不快感を覚えていた。 1995年度ドラフト会議では福留のハズレ1位としてロッテから指名を受けた。
窪田 淳(くぼた あつし、1978年〈昭和53年〉2月20日… 窪田 淳(くぼた あつし、1978年〈昭和53年〉2月20日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)。 市立銚子高では一塁手兼第2投手であった。第1投手は長谷川昌幸。 大学は帝京大学に進学し、硬式野球部に所属。3年生まで首都大学リーグ戦未登板であったが、スリークォーターから投じる140km/h台のストレートと鋭く曲がるスライダーを武器にして、4年生時に大学エースとなる。当時の監督が日産自動車コーチ時代に川尻哲郎を指導しており、その川尻と近い投球フォームにして開花したという。通算10試合登板、5勝2敗。1学年先輩に愛敬尚史、里崎智也がいた。 1999年11月19日に開催されたドラフト会議にて6巡目で阪神タイガースから6位指名を受け、入団。
石毛 博史(いしげ ひろし、1970年7月13日 - )は、… 石毛 博史(いしげ ひろし、1970年7月13日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。 市立銚子高では、2年生の時、1987年夏に行われた千葉大会準決勝に進むが、東海大浦安高に7回コールドで敗退。秋は県大会準優勝したが、関東大会で初戦敗退。 ドラフト会議前には読売ジャイアンツから打診があったが、結局指名はなく内定していた社会人野球の住友金属鹿島へ進むことを決意するも、城之内邦雄スカウトから接触があり、1988年オフにドラフト外で巨人に入団。 肘の故障があったため、専らリリーフ投手として活躍。東京ドームで行われた1990年のジュニア日本選手権で中日ドラゴンズの清水雅治にサヨナラ本塁打を浴びている。
八木 政義(やぎ まさよし、1969年4月14日 - )は、… 八木 政義(やぎ まさよし、1969年4月14日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手(投手)。 銚子商業高では1年春からベンチ入り、3年春は県大会で2試合連続14奪三振、ベスト4。3年夏は5回戦で優勝した習志野高に敗れた。住友金属鹿島に内定していたが1987年のプロ野球ドラフト会議で阪急ブレーブスから3位指名を受け入団。武器はカーブ、フォーク。 1年目の1988年に2試合に登板しただけで、その後は一軍登板がなく1991年に現役を引退。 背番号51は、入団前は福良淳一(八木入団時に1に変更)が着用し、八木の引退後はイチローに引き継がれた。
名洗 将之(なあらい まさゆき、1969年1月3日 - )は… 名洗 将之(なあらい まさゆき、1969年1月3日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手(外野手)。 印旛高では土橋勝征と同期で、3年次の夏には4番として千葉県大会で準優勝。 1986年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから3位指名を受け入団。 一軍出場のないまま、1991年に現役を引退。引退後は、家業の水産加工業に就いた。
岩井 美樹(いわい よしき、1955年4月6日 - )は、日… 岩井 美樹(いわい よしき、1955年4月6日 - )は、日本のアマチュア野球指導者、体育学者(国際武道大学教授)である。 1955年4月6日、千葉県銚子市出身。 1971年に千葉県立銚子商業高等学校に入学。銚子商時代には斎藤一之の指導を受け、3年生だった1973年の第55回全国高等学校野球選手権大会では六番・一塁手として出場。大会2回戦では江川卓擁する作新学院高等学校と対戦して、雨中の熱戦の末に延長戦で勝利した試合にフル出場した選手でもあった。 高校卒業と同時に東海大学に進学し、硬式野球部に入部。同期には遠藤一彦、石井昭男がいた。大学3年及び4年時には首都大学野球リーグ戦の2年連続春秋連覇を経験した。
岩井 美樹(いわい よしき、1955年4月6日 - )は、日… 岩井 美樹(いわい よしき、1955年4月6日 - )は、日本の体育学者(国際武道大学教授)、アマチュア野球指導者である。
根本 隆(ねもと たかし、1954年6月14日 - )は、千… 根本 隆(ねもと たかし、1954年6月14日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手(投手)。大洋ホエールズ、西武ライオンズに所属した。引退後は西武の打撃投手、スコアラーを務める。 銚子商では1971年、2年の時にエースとして夏の甲子園に出場。1回戦で竹内広明投手を擁する深谷商、2回戦で鶴崎茂樹投手を擁する筑紫工を、いずれも延長10回サヨナラ勝ちで降し準々決勝に進むが、郡山高に9回サヨナラ負け。この大会の県予選準決勝(東関東大会県代表決定戦)では、勝浦高を相手にノーヒットノーランを記録。 秋の県大会準決勝では成東高の鈴木孝政と投げ合って完封勝利すると決勝も延長12回を完封して優勝。続く関東大会でも全3試合を投げ切って1失点で優勝に貢献した。
渡辺 進(わたなべ すすむ、1952年8月25日 - )は、… 渡辺 進(わたなべ すすむ、1952年8月25日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)、コーチ。 銚子商業では1970年、四番打者、遊撃手として夏の甲子園予選東関東大会に進出。準決勝で鉾田一高の、後にプロで同僚となる梶間健一を打ち崩し、決勝ではエース鵜沢達雄を擁する成東高に9回サヨナラ勝ち。夏の甲子園に出場し、高知商を破って2回戦に進出するが、この大会に準優勝したPL学園の新美敏に完封負け。 1971年のドラフト4位でヤクルトアトムズに入団。 1976年には開幕から遊撃手として起用され、69試合に先発出場。その後も水谷新太郎、永尾泰憲とレギュラーを争う。 1978年の阪急ブレーブスとの日本シリーズは2試合に出場した。
町田 公雄(まちだ きみお、1951年3月5日 - )は、千… 町田 公雄(まちだ きみお、1951年3月5日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(外野手)。 銚子商では1968年の春の甲子園に出場、準々決勝に進出するが倉敷工に敗退。同年夏の県大会でも決勝に進むが、千葉商に敗れ甲子園出場を逸する。高校の同期生に市原明、杉山茂がいる。 卒業後は日本石油に進み、1969年から都市対抗野球大会の常連として活躍。1971年の同大会ではチームの準々決勝進出に貢献。1972年の日本産業対抗野球大会は五月女豊の好投もあって勝ち進み、決勝で鐘淵化学を降しチームの初優勝に貢献、優秀選手に選出された。この時のチームメイトに秋元国武、磯部史雄らがいた。1973年の産業対抗は準決勝で熊谷組に敗退。
杉山 茂(すぎやま しげる、1950年4月23日 - )は、… 杉山 茂(すぎやま しげる、1950年4月23日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(捕手)。 銚子商では捕手として1968年の春の甲子園に出場、準々決勝に進出するが倉敷工に敗退。同年夏の甲子園県予選でも決勝に進むが、千葉商に敗れ甲子園出場を逸する。高校の同期生に市原明、町田公雄がいる。 同年のドラフト6位で読売ジャイアンツ入団。1971年にはジュニアオールスターに出場する。しかし一軍では森昌彦、吉田孝司ら捕手陣の層が厚く、活躍の機会は少なかった。1977年にはシーズン終盤に吉田が欠場したこともあり、15試合に先発マスクを被る。同年の阪急ブレーブスとの日本シリーズでも3試合に出場した。翌1978年には福島知春の台頭、山倉和博の入団により出場機会が激減し、1982年限りで現役を引退。
阿天坊 俊明(あてんぼう としあき、1948年1月27日 -… 阿天坊 俊明(あてんぼう としあき、1948年1月27日 - )は、千葉県銚子市出身の元社会人野球の選手(内野手)。 銚子商業高校では、1965年夏の甲子園に三番打者、遊撃手として出場。同期の木樽正明の好投で順調に勝ち進み、準決勝ではエース牧憲二郎を擁する高鍋高に9回裏2-1でサヨナラ勝ち。決勝では三池工と対戦するが、上田卓三に0-2で完封を喫し準優勝にとどまった。同年の岐阜国体では、決勝で岐阜短大付の淵上澄雄を打ち崩し優勝。同年秋の第1回プロ野球ドラフト会議で南海ホークスより2位指名を受けるも入団を拒否。 立教大学に進学。東京六大学野球リーグでは、入学直後の1966年春季リーグから二番打者として起用され、同季は槌田誠、谷木恭平、秋山重雄らとともに7年ぶりの優勝を飾る。
木樽 正明(きたる まさあき、1947年6月13日 - )は… 木樽 正明(きたる まさあき、1947年6月13日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督。 銚子商業1年次の1963年、夏の甲子園に一塁手として出場し、準々決勝に進むが今治西高に敗退。2年上のチームメートに三塁手の田中達彦がいた。2年次の1964年は夏の県予選は3回戦で東金商に敗れ、秋季関東大会県予選では決勝に進むが市銚子高に完封負け。3年次の1965年には夏の甲子園でエース・4番打者として順調に勝ち進み、準決勝で高鍋高の牧憲二郎と投げ合い2-1で逆転勝ち。決勝では三池工と対戦するが上田卓三に0-2で完封を喫し、準優勝にとどまった。同年の岐阜国体では、決勝で岐阜短大付の淵上澄雄に投げ勝ち優勝。
田中 達彦(たなか たつひこ、1945年8月27日 - )は… 田中 達彦(たなか たつひこ、1945年8月27日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 銚子商では1年生の時、1961年夏の甲子園に控え内野手として出場するが、2回戦で浪商に敗退する。最上級生となった1963年には、三塁手、四番打者として夏の甲子園に再び出場。1回戦では柳川商に12-1で大勝、大会第1号本塁打を放つ。2回戦では静岡高に勝利、この試合では2年生エース勝浦完(サッポロビール)をリリーフし甲子園初登板を果たす。準々決勝に進出するが今治西高に0-3で完封負けを喫した。2年下のチームメートに、この大会では一塁手として出場した木樽正明がいる。8月末からは全日本高校選抜の一員としてハワイ遠征に参加した。