スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
小川 祥志(おがわ しょうし、1970年4月27日 - )は… 小川 祥志(おがわ しょうし、1970年4月27日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(内野手)。 印旛高時代は、1年次からエースピッチャーとなり、夏は2学年上の土橋勝征らと県大会決勝へ進むが、決勝では先発登板するも拓大紅陵高の佐藤幸彦に本塁打を浴びるなど途中降板して敗退。打者としても通算48本塁打を放つ。 1988年オフ、ドラフト外で中日ドラゴンズへ入団。ファン感謝デーでの落合博満のものまねで有名。 1992年10月5日に戦力外通告を言い渡され、同年限りで現役を引退した。
増田 政行(ますだ まさゆき、1969年4月13日 - )は… 増田 政行(ますだ まさゆき、1969年4月13日 - )は、茨城県北相馬郡利根町出身の元プロ野球選手(投手)。1993年から1996年までの登録名は増田 康栄(ますだ やすひで)。 印旛高では3年時捕手を務め、1学年上にプロでも同僚となる土橋勝征がいた。国士舘大学では東都大学2部リーグで通算12勝。 1991年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから3位指名を受け入団。 1992年から一軍登板を果たした。 1996年には自己最多の22試合に登板する。 1998年以降は一軍登板がなかった。 1999年シーズン終了後に退団。 退団後は、社会人野球の鷺宮製作所に在籍した。
名洗 将之(なあらい まさゆき、1969年1月3日 - )は… 名洗 将之(なあらい まさゆき、1969年1月3日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手(外野手)。 印旛高では土橋勝征と同期で、3年次の夏には4番として千葉県大会で準優勝。 1986年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから3位指名を受け入団。 一軍出場のないまま、1991年に現役を引退。引退後は、家業の水産加工業に就いた。
土橋 勝征(どばし かつゆき、1968年12月5日 - )は… 土橋 勝征(どばし かつゆき、1968年12月5日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手、プロ野球コーチ。妻は女優の白島靖代。 中学の時は投手だった。 印旛高校の時代は長打力に長け、高校3年夏の千葉大会は準決勝で本塁打を放ち、先発登板した1年生・小川祥志の後を受けて救援して勝利。決勝戦で、飯田哲也を擁する拓大紅陵高校に敗れたが、この時に記録した1大会5本塁打は、現在も千葉大会の最多本塁打記録である。1986年のドラフト会議でヤクルトに2位指名され入団。背番号は38。 入団後は打撃面で伸び悩み、試合終盤の守備固めの控え選手的な存在だった。また、内野守備でもイップスにかかり、監督の野村克也の指示で外野手にコンバートされる。
渡久地 聡美(とぐち さとみ、1968年11月27日 - )… 渡久地 聡美(とぐち さとみ、1968年11月27日 - )は、日本のプロボクシングジム会長、旧姓生田(いくた)。千葉県出身。 千葉県立印旛高等学校卒業後、プロボクサーになって間もない渡久地隆人(後のピューマ渡久地)と知り合う。渡久地がボクシングから離れているブランクの頃より交際を始め、1993年8月5日入籍。渡久地の現役時代から、渡久地のダイエットメニューを管理し、食事法、栄養学、スポーツ心理学、筋肉学など、体作りの研究を続ける。渡久地の引退後、東京都内に「ピューマ渡久地ボクシングジム」を立ち上げるがストレスが絶えず、2006年に離婚。その後、渡久地は記憶障害を発症して、故郷の沖縄に帰って療養することになる。
山中 律俊(やまなか のりとし、1965年10月14日 - … 山中 律俊(やまなか のりとし、1965年10月14日 - )は、茨城県北相馬郡利根町出身の元プロ野球選手(内野手)。 印旛高時代は、1982年の第13回明治神宮野球大会に出場。翌1983年夏の第65回全国高等学校野球選手権大会に遊撃手で出場し、チームは3回戦まで進出した。この大会の県予選で三試合連続本塁打を記録している。 プロ野球ドラフト会議で南海ホークスから4位指名を受け入団。 4年間在籍したが、一軍未出場のまま1987年限りで現役を引退。 引退後は少年野球のコーチや、2012年に出身地の利根町に開学した日本ウェルネススポーツ大学軟式野球部のコーチとして活動し、野球の指導に当たっている。 息子の山中裕貴は2016年に大相撲の式秀部屋に入門した。
月山 栄珠(つきやま えいじゅ、1964年2月19日 - )… 月山 栄珠(つきやま えいじゅ、1964年2月19日 - )は、千葉県柏市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 中学までは投手だったが、印旛高進学後に捕手に転向した。高校では、後に阪神タイガースに同期入団する佐藤文男とバッテリーを組む。1981年のセンバツに出場し3番打者として活躍、準決勝の上宮高戦でレフトラッキーゾーンに本塁打を打った。決勝戦ではPL学園高に敗れたが月山は超高校級捕手として注目を集めた。 元々は、早稲田大学へ進学する予定だったが、1981年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから3位指名を受け入団。この後、佐藤はドラフト外で阪神に入団している。またチームメイトで1番打者の二塁手の村上信一は阪急ブレーブスに入団した。
村上 眞一(むらかみ しんいち、1963年7月13日 - )… 村上 眞一(むらかみ しんいち、1963年7月13日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投左打)・コーチ。1993年までの登録名は「村上 信一」(読み同じ)。 印旛高では、同期の佐藤文男、月山栄珠のバッテリーを擁し、一番打者、二塁手として1980年秋季関東大会決勝に進出。高崎高を5-2で破り優勝。 翌1981年春の選抜への出場を決める。選抜では準決勝に進み、笘篠誠治のいた上宮高を降す。決勝ではエース西川佳明をはじめ吉村禎章、若井基安らを擁するPL学園高を相手に9回まで1点リードするが、土壇場で同点に追いつかれ、西川の右前打でサヨナラ負けを喫する。同年夏も県予選準決勝に進むが、銚子商に敗退。
村上 信一(むらかみ しんいち、1963年7月13日 - )… 村上 信一(むらかみ しんいち、1963年7月13日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。1994年からの登録名は「村上 眞一」(読み同じ)。
菊池 総(きくち さとし、1960年4月2日 - )は、日本… 菊池 総(きくち さとし、1960年4月2日 - )は、日本の野球選手(投手)。投手としては小柄ながら、キレの良いスライダーとシュートを駆使しソウル五輪代表にも選ばれた。 印旛高校では1977年秋季関東大会県予選でエースとしてチームを支え、同校に初優勝をもたらした。続く関東大会でも決勝で前橋高を完封し優勝。春の選抜初出場を決め、防御率0.38の成績で、江川卓にも匹敵するとの高評価を得ている。翌1978年の第50回選抜高等学校野球大会に出場。1回戦で西田真次、木戸克彦のバッテリーを擁するPL学園と対戦し、緊張もあって4点を奪われ完封負けに終わった。同年夏の甲子園県予選では準々決勝で小川史を擁する浦安高に延長10回サヨナラ負け、甲子園には出場できなかった。
豊田 俊郎(とよだ としろう、1952年〈昭和27年〉8月2… 豊田 俊郎(とよだ としろう、1952年〈昭和27年〉8月21日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(2期)、参議院政治改革に関する特別委員長。国土交通副大臣、財政金融委員会委員長、自民党政務調査会副会長、内閣府大臣政務官、千葉県八千代市長(第11 - 13代)、千葉県議会議員(1期)を歴任した。 千葉県千葉郡睦村(現・八千代市)出身。1971年、印旛高校卒業。1972年、中央工学校卒業。 1999年、千葉県議会議員に八千代市選挙区から無所属で立候補し初当選。 2003年、八千代市長選挙に立候補し初当選。2006年、2選。2010年、3選。 2013年3月14日、自由民主党が第23回参議院議員通常選挙の千葉県選挙区で豊田を公認すると発表。
山﨑 山洋(やまざき さんよう、1950年(昭和25年)8月… 山﨑 山洋(やまざき さんよう、1950年(昭和25年)8月1日 - )は、日本の政治家。元印西市長。千葉県印西市出身。「﨑」はJIS X 0208で未定義の文字であり、正字の「崎」を使った山崎山洋が使われることもある。
山﨑 山洋(やまざき さんよう、1950年8月1日 - )は… 山﨑 山洋(やまざき さんよう、1950年8月1日 - )は、日本の政治家。元印西市長。千葉県印西市出身。「﨑」はJIS X 0208で未定義の文字であり、正字の「崎」を使った山崎山洋が使われることもある。
伊藤 利明(いとう としあき、1933年(昭和8年)11月1… 伊藤 利明(いとう としあき、1933年(昭和8年)11月13日 - 1996年(平成8年)6月10日)は、昭和から平成時代の政治家。千葉県印西市長。印西市名誉市民。 千葉県印旛郡印西町戸神(現印西市戸神)に生まれる。1952年(昭和27年)千葉県立印旛高等学校卒業。 1971年(昭和46年)水野清の公設秘書を経て、同年から3期12年にわたり印西町議会議員を務め、1981年(昭和56年)千葉ニュータウン駅前センタービル社長。1982年(昭和57年)印西町長に当選。以来3選し、1996年(平成8年)の市制施行と同時に印西市初代市長に就任したが、任期途中に急逝した。 1996年(平成8年)11月、印西市名誉市民に推挙された。
秋本 衛久(あきもと もりひさ、1925年〈大正14年〉11… 秋本 衛久(あきもと もりひさ、1925年〈大正14年〉11月30日 - 1999年〈平成11年〉11月26日)は、日本の政治家。白井町長、白井町議会議長、白井町議会・白井村議会議員(5期)。位階は従五位。 白井町生まれ。千葉県立印旛実業学校(現・千葉県立印旛明誠高等学校)卒業。1963年(昭和38年)4月から1980年(昭和55年)11月まで、白井村・白井町議会議員を務めた。この間、議長も務めた。また、同年12月から1996年(平成8年)11月まで第3代白井町長を務めた。