藤田 和輝(ふじた かずき、2001年2月19日 - )は、… 藤田 和輝(ふじた かずき、2001年2月19日 - )は、新潟県新潟市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・アビスパ福岡所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。 アルビレックス新潟の下部組織出身。2018年8月31日にトップチームへの昇格内定および2種登録が発表された。 2019年より早稲田大学人間科学部eスクール健康福祉科学科に在籍。 2020シーズンは、大分から期限付きで加入し、開幕戦も先発出場を果たしていた小島亨介が新型コロナウイルスによる中断期間中に負傷。再開後の第2節からベテラン大谷幸輝などを抑えて、レギュラーを獲得した。さらに同年11月4日のJ2第31節・モンテディオ山形戦での出場により、通算試合出場時間がプロA契約締結条件である900分を満たし、2020年12月3日にプロA契約を締結した。
本間 至恩(ほんま しおん、2000年8月9日 - )は、新… 本間 至恩(ほんま しおん、2000年8月9日 - )は、新潟県新潟市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・セレッソ大阪所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 小学校5年生の時に新潟市立南中野山小学校から村上市立神納東小学校に転校した。朝日サッカー少年団を経て、アルビレックス新潟U-15に加入した。2015年、U-15日本代表に選出されてタイ遠征などに参加した。新潟U-18へ昇格し、高校2年時の2017年4月にはトップチームに2種登録された。同年5月31日のルヴァンカップ・グループステージ第7節ヴィッセル神戸戦に途中出場し、クラブ史上最年少で公式戦に初出場した。 2018年も継続して2種登録選手としてトップチームに在籍し、同年7月30日にトップチーム昇格内定が発表された。
白井 ひめ乃(しらい ひめの、2000年5月25日 - )は… 白井 ひめ乃(しらい ひめの、2000年5月25日 - )は、新潟県新潟市出身の女子サッカー選手。ノジマステラ神奈川相模原所属。ポジションはミッドフィールダー。 アルビレックス新潟レディースU-15、U-18を経て、2018年12月に翌2019年からトップチーム昇格が内定。 2020年1月に新潟医療福祉大学への期限付き移籍(2021年1月31日まで)が発表された。 2021年2月、新潟医療福祉大学への期限付き移籍が1年延長された。 2022年3月、新潟医療福祉大学への期限付き移籍がさらに1年延長された。同年10月には期限付き移籍中のまま、特別指定選手としてアルビレックス新潟レディースへ登録され、12月には翌2023年2月からアルビレックス新潟レディースへ正式加入することが発表された。
落合 毅人(おちあい たけと、2000年4月27日 - )は… 落合 毅人(おちあい たけと、2000年4月27日 - )は、新潟県新潟市出身のプロサッカー選手。エリース豊島FC所属。ポジションはディフェンダー。 小・中学時代はアルビレックス新潟のアカデミーに所属していた。その後、新潟明訓高校を経て法政大学に進学した。2021年シーズンには総理大臣杯優勝を果たした。2022年5月26日、2023年シーズンからの清水エスパルス加入内定が発表された。 2023年より清水エスパルスに正式加入。4月19日、ルヴァンカップ・グループステージの川崎フロンターレ戦でプロデビューを飾った。 2024年、沖縄SVに期限付き移籍で加入した。 2025年、エリース豊島FCに期限付き移籍で加入した。
和田 涼花(わだ りょうか、2000年4月12日 - )は、… 和田 涼花(わだ りょうか、2000年4月12日 - )は、新潟県新潟市出身の女子サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 アルビレックス新潟レディースのユースチーム、新潟医療福祉大学でプレー。 2023年1月に伊賀FCくノ一三重に加入した。 2024年12月24日、スペランツァ大阪への完全移籍が発表された。しかし翌2025年7月1日、2025シーズン途中で退団。 同年8月5日、大和シルフィードへの加入が発表された。2025シーズン終了後の同年12月12日、退団。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
唐橋 万結(からはし まゆ、1999年8月4日 - )は、新… 唐橋 万結(からはし まゆ、1999年8月4日 - )は、新潟県出身の女子サッカー選手。ASハリマアルビオン所属。ポジションはミッドフィールダー。 2017年2月の高校2年次にアルビレックス新潟レディースのユースチームからトップチームに昇格を果たした。 2020年1月に新潟医療福祉大学女子サッカー部に期限付き移籍(2021年1月31日まで)が決まった。 2021年2月に期限付き移籍期間が2022年1月31日まで延長された。同年9月に特別指定選手としてWEリーグ・ちふれASエルフェン埼玉に登録された。 翌2022年1月にちふれASエルフェン埼玉への完全移籍が発表された。 2025年6月、ASハリマアルビオンに加入。
渡邊 泰基(わたなべ たいき、1999年4月22日 - )は… 渡邊 泰基(わたなべ たいき、1999年4月22日 - )は、新潟県新潟市中央区出身のプロサッカー選手。Jリーグ・横浜F・マリノス所属。ポジションはディフェンダー(DF)。 新潟県出身でアルビレックス新潟U-15から前橋育英高等学校に進学。2年時の第95回全国高等学校サッカー選手権大会では左SBとして決勝まで進んだが青森山田高等学校に敗れてしまったが、大会の優秀選手に選出。3年時の第96回大会も決勝まで勝ち進み、流通経済大学付属柏高等学校との対戦において、左サイドでオーバーラップを繰り返して優勝に貢献した。 2018年よりアルビレックス新潟に加入。新潟ジュニア(現U-12)出身の選手としては初のプロ契約選手となった。
梶山 幹太(かじやま かんた、1998年4月24日 - )は… 梶山 幹太(かじやま かんた、1998年4月24日 - )は、新潟県新潟市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・名古屋グランパス所属。ポジションはミッドフィールダー。
佐藤 喜生(さとう よしき、1997年11月6日 - )は、… 佐藤 喜生(さとう よしき、1997年11月6日 - )は、新潟県新潟市出身のサッカー選手。J3・栃木シティFC所属。ポジションはディフェンダー。 地元北越高等学校卒業後、桐蔭横浜大学に進学し同校のサッカー部でプレー(同期にイサカ・ゼイン、眞鍋旭輝)。2019年12月27日、2020年シーズンからのギラヴァンツ北九州加入内定が発表された。 2020年12月16日、J2第41節のモンテディオ山形戦でプロデビュー。しかし2シーズンで公式戦5試合の出場にとどまる。 2021年12月15日、関東サッカーリーグ1部の栃木シティFCへの完全移籍が発表された。
高橋 智子(たかはし ともこ、1997年4月7日 - )は、… 高橋 智子(たかはし ともこ、1997年4月7日 - )は、新潟県新潟市出身の女子サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 アルビレックス新潟レディースU-18を経て新潟医療福祉大学女子サッカー部に加入。 2016年3月、特別指定選手としてアルビレックス新潟レディースへ加入。 2017年1月、アルビレックス新潟レディースに正式加入。 2026年5月22日、契約満了に伴い2025/26シーズン限りで新潟を退団することが発表された。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
有田 光成(ありた こうせい、1993年9月6日 - )は、… 有田 光成(ありた こうせい、1993年9月6日 - )は、新潟県新潟市出身の元サッカー選手。ポジションは、ミッドフィールダー。サッカー選手の有田光希は実兄。
平松 宗(ひらまつ しゅう、1992年11月20日 - )は… 平松 宗(ひらまつ しゅう、1992年11月20日 - )は、新潟県新潟市出身のサッカー選手。ポジションはFW。 2015年、アルビレックス新潟に入団。ポストプレーと高さを生かしたヘディングが得意なセンターフォワード。 2016年7月より水戸ホーリーホックへ期限付き移籍。2017年シーズンから期限付き移籍期間満了により新潟へ復帰。 2017年8月、V・ファーレン長崎へ期限付き移籍。 2019年より新潟に復帰した。同年8月にカターレ富山へ期限付き移籍した。 2021年、SC相模原に完全移籍で加入した。 2022年、ザスパクサツ群馬に完全移籍で加入した。5節のジェフユナイテッド千葉戦で移籍後初ゴールを決め、9節いわてグルージャ盛岡戦、12節大宮アルディージャ戦、13節横浜FC戦、29節ヴァンフォーレ甲府戦、38節レノファ山口戦、41節いわてグルージャ盛岡戦でゴールを決めチーム最多の8ゴールでシーズンを終えた。
渡辺 泰広(わたなべ やすひろ、1992年10月4日 - )… 渡辺 泰広(わたなべ やすひろ、1992年10月4日 - )は、新潟県新潟市出身の元プロサッカー選手。サッカー指導者。現役時代のポジションはGK。 ジュニアユース(現アルビレックス新潟U-15)時代からアルビレックス新潟に所属している、地元出身の生え抜き選手。プロ入り前から各世代の日本代表に選出され、2009年には2009 FIFA U-17ワールドカップに出場するU-17日本代表にも選出された。また、この年から2種登録選手としてトップチームの練習に参加しており、Jサテライトリーグの控えとしてベンチ入りを経験したほか、トップチームのGKに怪我人が続出していた2010年にはJ1の試合のベンチ入りも経験している。
石川 慧(いしかわ けい、1992年9月30日 - )は、新… 石川 慧(いしかわ けい、1992年9月30日 - )は、新潟県新潟市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・清水エスパルス所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。 2011年にベガルタ仙台に加入。しかし、林卓人が守護神として君臨していたため公式戦での出場機会は無かった。2013年3月7日、金子進が怪我のため控えのGKが1人となったソニー仙台FCに緊急で期限付き移籍となった。 2014年シーズンはJ3リーグに参入するブラウブリッツ秋田へ期限付き移籍。GKコーチが不在の中、元仙台の熊林親吾や島川俊郎からコンディショニングを学び、ラグビー・秋田ノーザンブレッツの選手と筋トレをするなど自立した練習を重ねる。
有田 光希(ありた こうき、1991年9月23日 - )は、… 有田 光希(ありた こうき、1991年9月23日 - )は、新潟県新潟市出身のサッカー選手。JFL・ラインメール青森FC所属。元サッカー選手の有田光成は実弟。 2010年にヴィッセル神戸へ入団。第3節の清水エスパルス戦に途中出場しリーグ戦デビューを果たすが出場はこの1試合にとどまる。2011年は先発出場はなかったが、ゲーム中盤から出場する試合が増えた。2012年、試合経験を積むため愛媛FCへ期限付き移籍。37試合に出場しチームトップの14得点を挙げた。シーズン後契約満了のため神戸に復帰。2013年、開幕戦に先発出場したが、その後は田代有三からポジションを奪うことができず出場機会が激減。古巣対戦となった愛媛戦では神戸での初得点を含む2得点を挙げたが、年間9試合2得点に終わった。
長谷部 彩翔(はせべ あやと、1990年2月6日 - )は、… 長谷部 彩翔(はせべ あやと、1990年2月6日 - )は、新潟県新潟市出身の元サッカー選手。ポジションはMF。 2008年、大野和成と共にアルビレックス新潟トップチームに昇格。2009年、JAPANサッカーカレッジに移籍。2010年、新潟に復帰しツエーゲン金沢に期限付き移籍して試合経験を積む。2011年に新潟に復帰したが、リーグ戦1試合に途中出場したのみで出場機会に恵まれず、2011年シーズン終了をもって契約満了となった。 2012年、東北社会人サッカーリーグ2部のFCガンジュ岩手に移籍。2015年1月、契約満了により退団。岩手ではサッカーのオフシーズンを利用して北信越フットサルリーグ所属の新潟モナルカ(現新潟レガソン)でプレーをしていた。
川村 優理(かわむら ゆうり、1989年5月17日 - )は… 川村 優理(かわむら ゆうり、1989年5月17日 - )は、新潟県新潟市出身の女子サッカー選手。現在はNWSLのノースカロライナ・カレッジに所属。新潟医療福祉大学出身。サッカー日本女子代表。ポジションはディフェンダーまたはミッドフィールダー。
田中 亜土夢(たなか あとむ、1987年10月4日 - )は… 田中 亜土夢(たなか あとむ、1987年10月4日 - )は、新潟県新潟市東区出身のプロサッカー選手。ポジションは攻撃的ミッドフィールダー。FCコーテーペー所属。 兄はサッカー審判員の田中玲匡。既婚。 10歳の頃からサッカーを始める。中学卒業前にサンフレッチェ広島ユースのセレクションを受けたが、最終選考で落選した。中学卒業後は新潟を離れて前橋育英高校に進学したが、全国高等学校サッカー選手権大会には出場できなかった。2005年にアルビレックス新潟の特別指定選手となり、リーグ戦2試合に出場した。 高校卒業後の2006年に新潟に入団。リーグ戦22試合に出場し、J1第33節名古屋戦でプロ初得点を記録した。
吉田 正樹(よしだ まさき、1984年4月10日 - )は、… 吉田 正樹(よしだ まさき、1984年4月10日 - )は、新潟県新潟市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。 法政大学を経て2008年に横浜FC入団。シーズン当初こそ出番に恵まれなかったが、徐々に出場数を増やしシーズン後半は右SBのレギュラーとして活躍。2009年も主力として42試合に出場した。2010年からは大学時代の恩師である川勝良一が指揮を執る東京ヴェルディへ移籍。しかし、東京Vでは出場機会には恵まれなかった。 2012年からはJリーグに昇格した松本山雅FCに移籍したが出場機会に恵まれず、同年7月にFC琉球へ期限付き移籍。7月29日のJFL第23節、対SAGAWA SHIGA FC戦でJFL初出場。
高橋 聡(たかはし さとし、1984年3月11日 - )は、… 高橋 聡(たかはし さとし、1984年3月11日 - )は、新潟県出身のサッカー選手。 ポジションはFW。
野本 安啓(のもと やすひろ、1983年6月25日 - )は… 野本 安啓(のもと やすひろ、1983年6月25日 - )は、新潟県新潟市出身の元サッカー選手。ポジションは、DF。 2002年から千葉大学工学部夜間コースに入学し、2005年春にシンガポール移籍を機に休学。復学と同時に岡山大学に編入し転校。2010年3月岡山大学経済学部卒業。
相澤 貴志(あいざわ たかし、1982年1月5日 - )は、… 相澤 貴志(あいざわ たかし、1982年1月5日 - )は、新潟県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー。 小学生の頃は剣道少年だったが、進学した新潟大学教育学部附属新潟中学校に剣道部がなかったことからサッカー部に入部し、2年生からフォワードとして抜群なシュート力を発揮した。新潟江南高等学校ではインターハイ出場なども経験した。卒業後、練習生を経て2000年に川崎フロンターレに入団した。 2001年、J2リーグ初出場。2002年からの3年間は浦上壮史・吉原慎也の前に公式戦での出場は無かったが、川崎がJ1に昇格した2005年シーズン途中から先発出場の機会が増え、チームの上位進出に貢献した。
小林 浩孝(こばやし ひろたか、1981年7月18日 - )… 小林 浩孝(こばやし ひろたか、1981年7月18日 - )は新潟県新潟市出身のサッカー選手、サッカー指導者。
小林 大輝(こばやし だいき、1980年11月6日 - )は… 小林 大輝(こばやし だいき、1980年11月6日 - )は、新潟県新潟市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード、ディフェンダー。 日本文理高校在学中の1997年にU-17サッカー日本代表に選出されるもその後伸び悩み、高校卒業後Jリーグからのオファーはなし。1999年、当時JFLだった水戸ホーリーホックに入団。 2001年、FC刈谷に完全移籍。4年間フォワードの主力としてチームに貢献。 2005年、アルビレックス新潟シンガポールに期限付き移籍で加入し、翌年に完全移籍。2006年にはキャリアハイとなる1シーズン10得点を記録。2007年シーズンをもって契約満了。 その後アジア各国のクラブを転々とし、2015年に現役引退。
石栗 建(いしぐり たつる、1971年10月16日 - )は… 石栗 建(いしぐり たつる、1971年10月16日 - )は、新潟県出身のサッカー指導者。日本サッカー協会公認Proライセンスを有する。 新潟明訓高等学校を経て、一浪の末筑波大学へ進学。同大蹴球部でセンターバックとしてプレーし大槻 毅と最終ラインを組む一方で、同大ゼミにてスポーツ医学を学び大学院に進学、卒業した。 当初教員を志していたが大学院在学中より指導者としてサッカーに携わりたいとの想いを強め、1998年にヴェルディ川崎のユースでフィジカルコーチとして指導者のキャリアをスタート。コンサドーレ札幌、東京ヴェルディ、清水エスパルスなどでフィジカルコーチを歴任した。 浦和レッドダイヤモンズの強化スタッフを務めていた大槻から「一緒に仕事をしないか」と熱心な誘いを受け、妻の実家が浦和にあり妻の家族が浦和レッズの熱烈なサポーターだった縁もあり、2013年に浦和レッドダイヤモンズユースでフィジカルコーチも兼ねたコーチに就任。
神田 勝夫(かんだ かつお、1966年6月21日 - )は、… 神田 勝夫(かんだ かつお、1966年6月21日 - )は、新潟県新潟市出身の元プロサッカー選手、大学教授。兄(昭夫・日立)と弟(勝利・NKK)は共にJSLでプレーした経験を持つ。 NKK在籍時まではフォワードであったが、1994年に移籍したセレッソ大阪で左サイドバックに転向。同年JFLのベストイレブンに選出される。アウトサイドのプレーヤーとして中盤でもプレーした。 1995年に新潟県出身者として初めて日本代表に選ばれ、1995年5月28日のキリンカップ・エクアドル代表戦で1キャップを記録。1998年より横浜F・マリノス、2000年よりアルビレックス新潟でプレーし、2003年をもって現役を引退した。
古俣 健次(こまた けんじ、1964年7月15日 - )は新… 古俣 健次(こまた けんじ、1964年7月15日 - )は新潟県新潟市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。サッカー解説者。 新潟工業高校から大阪商業大学を経て、1987年に日本サッカーリーグ(JSL)のヤマハ発動機(現ジュビロ磐田)に入団。1987/88年シーズンで全試合に出場し、新人王を受賞。日本代表合宿に招集され、松永成立、武田修宏、黒崎久志、菊原志郎らと共にマラハリムカップに出場し、優勝に貢献した。ジャパンフットボールリーグを経て、ジュビロがJリーグ昇格後の1994年まで主力の一角としてプレーしたが、1995年は頸椎の骨折や、同じポジションのドゥンガ加入などが原因でわずか1試合の出場に留まり、オフに戦力外通告を受けて退団した。