射水川 健太郎(いみずがわ けんたろう、1894年5月10日… 射水川 健太郎(いみずがわ けんたろう、1894年5月10日 - 1956年2月3日)は、富山県高岡市出身で稲川部屋、高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は松崎 健次(まつざき けんじ、旧姓:麻井)。最高位は小結。元幕内鯱ノ里の養父。現役時代の体格は身長173cm、体重90kg。得意手は上突っ張り、右四つ。 1911年6月初土俵。小兵だが、動きの速さと回転の速い上突っ張りに加え、足取りの奇襲や引き技を見せた。1920年1月新入幕。しばらく下位に低迷したが、1924年5月場所6日目には当時最強の呼び声高い横綱栃木山を突っ張りから足取りを繰り出したのち突き出しで破り金星を獲得、喜びの余りに我を忘れて二字口へ躍り出た。
堀田 くに(ほった くに、1890年4月26日 - 1985… 堀田 くに(ほった くに、1890年4月26日 - 1985年8月10日)は、日本の女性運動家。富山県高岡市出身。石川県立金沢第一高等女学校卒業。 廻船問屋堀田善右衛門の娘として生まれる。堀田家は、南北朝時代に後醍醐天皇第8皇子宗良親王を奉じて越中に落ち延びた朝臣の子孫で、親王を守り立てるために廻船問屋業を始めたという。 この廻船問屋は、くにの代で廃業となる。大正14年(1925年)、船荷を運ぶ女性労働者の子どもたちが浜辺に放置されるままであるのを見かねて、くには富山県初の託児所である伏木託児所(現在の伏木保育園)を開設した。1942年に厚生大臣表彰、1954年に藍綬褒章、1964年に勲五等宝冠章を受けた。
土倉 宗明(つちくら そうめい、1889年(明治22年)9月… 土倉 宗明(つちくら そうめい、1889年(明治22年)9月2日 - 1972年(昭和47年)6月16日)は、日本の政治家で立憲政友会→民主自由党→自由党所属の衆議院議員。 富山県東礪波郡中田町(現在の高岡市)出身。早稲田大学政治経済科に学んだ後、著述業に従事した。1913年(大正2年)第一次護憲運動に際して普選運動に取り組み、翌1914年(大正3年)普選運動期成同盟会が再興されると直ちに入会。その後立憲政友会院外団に入り大野伴睦とともに政友会院外団員として活動、第二次護憲運動にも政友会院外団員の一員として大野とともに参加。牛込区会議員、東京市会議員、同参事会員を歴任した。 1930年(昭和5年)、政友会公認で第17回衆議院議員総選挙に出馬し初当選。
館 哲二 (たち てつじ、1889年8月18日 - 1968… 館 哲二 (たち てつじ、1889年8月18日 - 1968年9月27日)は、日本の内務官僚・政治家。参議院議員(3期)、府県知事。旧姓・木津。 富山県高岡市出身。木津太郎平の二男として生まれ、後に館萩江の入夫となり改姓。富山県立高岡中学校、第一高等学校を経て、1914年(大正3年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、内務省に入り岐阜県属として内務部学務兵事課に配属された。1917年(大正6年)10月、文官高等試験に合格した。 1918年(大正7年)4月、岐阜県警部となる。以後、同県警視・警務課長兼工場課長、同県内務部産業課長、神奈川県外事課長、茨城県知事官房文書課長兼内務部社会課長、内閣書記官、内閣官房記録課長、同総務課長などを歴任。
山田川 清太郎(やまだがわ せいたろう、1886年3月2日 … 山田川 清太郎(やまだがわ せいたろう、1886年3月2日 - 1951年7月24日)は、現在の富山県高岡市出身で稲川部屋に所属した大相撲力士。本名は山田 清太郎。最高位は西前頭13枚目。168cm、92kg。 1908年1月、幕下付出で初土俵。1911年6月新十両。1912年5月場所、宇都宮新八郎と6勝1預かりと6戦全勝の土つかず同士で千秋楽に対戦、これに勝って7勝1預かりで十両優勝を果たす。翌1913年5月場所では宇都宮とともに新入幕となるが、直前の東西合併相撲で大坂相撲の力士2名に暴行され重傷を負ってしまう。このため新入幕場所は初日から休場、5日目から途中出場するも1勝2敗1預かりで9目から再休場。
大橋 八郎(おおはし はちろう、1885年12月19日 - … 大橋 八郎(おおはし はちろう、1885年12月19日 - 1968年6月4日)は、日本の政治家、逓信官僚、俳人。岡田内閣の法制局長官、林内閣の内閣書記官長、社団法人日本放送協会第4代会長、日本電信電話公社第2代総裁。現在の富山県高岡市出身。 日本放送協会会長時、終戦時の玉音放送に携わった。戦後の通信事業近代化に貢献。おじは漢詩人の大橋十右衛門。 富山縣高岡中學校、石川縣尋常中學校を経て、1906年(明治39年)7月に第四高等學校を卒業。 1910年(明治43年)7月に東京帝国大学法科大学を卒業した後、逓信省に入省。同年11月、高等文官試験に合格する。1925年(大正14年)10月に郵務局長、1928年(昭和3年)7月に経理局長となる。
南 慎一郎(みなみ しんいちろう、1885年(明治18年)2… 南 慎一郎(みなみ しんいちろう、1885年(明治18年)2月8日 - 1965年(昭和40年)8月17日)は、日本の弁護士。富山県高岡市長。勲五等双光旭日章。 富山県高岡市出身。1912年(明治45年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業。三共株式会社秘書・泰昌製薬株式会社取締役を務め、1921年(大正10年)に退職した。同年、弁護士を開業した。 1926年(大正15年)、高岡市長に選出され、1930年(昭和5年)まで在任した。 退任後は日本興業銀行取締役、高岡土地株式会社監査役を務め、1932年(昭和7年)より再び弁護士を開業した。1940年(昭和15年)から検事に転じ、岡山地方裁判所検事、横須賀区裁判所検事を務めた。
大井 義昌(おおい ぎしょう、1876年(明治9年)3月6日… 大井 義昌(おおい ぎしょう、1876年(明治9年)3月6日 - 1952年(昭和27年)9月9日)は、日本の政治家。富山県氷見市長(1期)。 富山県砺波郡西部金屋村(のち砺波郡北般若村→東砺波郡北般若村→西砺波郡戸出町、現在の高岡市)生まれ。1900年(明治33年)富山県師範学校卒。東砺波郡内の小学校の校長を務める。その後、氷見郡と婦負郡の視学となり、1920年(大正9年)11月6日氷見町長に就任する。在任中は氷見漁港改修や富山県立氷見中学校(現在の富山県立氷見高等学校)の設立などに力を入れた。町長は1930年(昭和5年)8月18日まで務めた。 戦後は日本社会党に入り、県連副会長、氷見郡支部長、日本農民組合富山県連会長などを歴任した。
上埜 安太郎(うえの やすたろう、1866年1月27日(慶応… 上埜 安太郎(うえの やすたろう、1866年1月27日(慶応元年12月11日) - 1939年(昭和14年)4月4日)は、日本の政治家・衆議院議員(立憲政友会→政友本党→立憲政友会)。富山県高岡市長。富山市長。族籍は富山県平民。 越中国礪波郡上向田村(富山県西礪波郡西五位村、福岡町を経て現高岡市福岡町)出身。上埜次平の長男。家は農を業とし、蚕業を営んでいた。自由党に加入して、富山県内の党勢拡大に貢献した。養蚕業を営み、県下の大地主であり、1887年(明治20年)、初めて富山県会議員に当選、副議長、議長を歴任し、庄川改築工事や富直鉄道建設計画に尽力した。また北陸公論を創刊してその社長となり、さらに越中新報社、東洋漁業会社などの経営に当たった。
2代 高広 次平(たかひろ じへい、1859年2月19日(安… 2代 高広 次平(たかひろ じへい、1859年2月19日(安政6年1月17日) - 1920年(大正9年)8月26日)は、明治時代後期から大正時代の政治家、銀行家、実業家。貴族院多額納税者議員。 越中国礪波郡福岡町(富山県西礪波郡福岡町を経て現高岡市)に生まれ、高広彦八の長男彦造の婿養子となり、のち襲名する。福岡町会議員を経て、1889年(明治22年)初代福岡町長に就任する。1895年(明治28年)福岡同盟銀行を創業し頭取に就任。ほか、北陸海上保険社長、広通、高岡共立銀行、中越鉄道各取締役などを歴任した。 1900年(明治33年)富山県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年6月13日から1903年(明治36年)2月6日まで在任した。
6代 菅野 伝右衛門(すがの でんえもん、1859年(安政6… 6代 菅野 伝右衛門(すがの でんえもん、1859年(安政6年3月) - 1900年(明治33年)10月10日)は、明治時代の政治家、銀行家、実業家。貴族院多額納税者議員。本名は友次郎。 のちの富山県高岡市木舟町に生まれる。1889年(明治22年)、正村五平と共に高岡銀行を設立。1893年(明治26年)には高岡紡績を創立した。さらに翌年、高岡経済会を組織し、1896年(明治29年)高岡商業会議所初代会頭に就任した。ほか、高岡市参事会員、同学務委員、富山県会議員などを歴任した。 1897年(明治30年)には富山県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1900年(明治33年)3月19日まで在任した。
大橋 十右衛門(十右衞門、おおはし じゅうえもん、1858年… 大橋 十右衛門(十右衞門、おおはし じゅうえもん、1858年4月14日(安政5年3月1日)- 1940年(昭和15年)2月2日)は、明治から昭和前期の農業経営者、政治家、漢詩人。衆議院議員、富山県会議長。号・二水(にすい)、鹿陽(ろくよう)。 越中国射水郡掛開発村(富山県射水郡掛開発村大字掛開発村を経て現高岡市)で、町年寄・鷲塚屋七右衛門の息子として生まれた。1879年(明治12年)京都の草場船山に師事し漢文学を修めた。その後、東京で英学を学び、犬養毅らと交友した。 1881年(明治14年)帰郷して海内果から示唆を受け、高岡町片原横町に中等教育塾・越中義塾を設立して教育を行うが、1883年(明治16年)旧制富山中学校(現富山県立富山高等学校)が開校して生徒数が減少し、1884年(明治17年)に塾を閉じた。
猫又 三吉(ねこまた さんきち、1855年1月8日(嘉永7年… 猫又 三吉(ねこまた さんきち、1855年1月8日(嘉永7年11月20日) - 1909年(明治42年)10月9日)は越中国射水郡横田村(現・富山県高岡市横田)出身の大相撲力士。本名は江川三吉(のち八島姓)。大阪相撲で活躍し最高位は大関。珍名で知られる。 9代小野川に入門。初名を小猫 三吉と名乗り1873年(明治6年)7月中相撲四段目が初見。1876年(明治9年)の紛擾で脱走、高越山谷五郎一派に参加し猫又 三吉と改めた。 1878年(明治11年)9月の和解本場所には姿を見せず翌1879年(明治12年)9月いきなり前頭筆頭に出た。1883年(明治16年)8月小結、1884年(明治17年)9月関脇、1886年(明治19年)11月31歳で大関となった。
高峰 譲吉(たかみね じょうきち、嘉永7年11月3日(185… 高峰 譲吉(たかみね じょうきち、嘉永7年11月3日(1854年12月22日) - 大正11年(1922年)7月22日)は、日本の化学者、実業家。工学博士号と薬学博士号を受ける。タカジアスターゼ、アドレナリンを発見し、アメリカ合衆国で巨万の財を成した。日本人による開発型ベンチャー企業やスタートアップの先駆者とされる。理化学研究所の設立者の一人。1912年帝国学士院賞受賞、1913年帝国学士院会員。 現在の東京大学工学部の前身の一つである工部大学校卒、応用化学を専攻し、社会人となってから3年間、官費で留学。 1854年に越中国高岡(現:富山県高岡市)の山町筋と呼ばれる御馬出町(おんまだしまち)の漢方医高峰精一の長男として生まれる。
橘 清治郎(たちばな せいじろう、1850年6月29日(嘉永… 橘 清治郎(たちばな せいじろう、1850年6月29日(嘉永3年9月25日)- 1928年(昭和3年)5月30日)は、明治から大正期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。旧姓・吉田。 越中国礪波郡中田町(富山県東礪波郡中田町を経て現高岡市)で吉田要蔵の二男として生まれる。射水郡、のちの守山村(現:高岡市)の米穀商・砂紋四郎家に住み込みで奉公し、同村の農業・安右衛門の養子となり、文久2年3月(1862年3-4月)家督を相続。1872年(明治5年)橘姓で戸籍の届け出を行った。 米の仲買人として成功して一代で財産を築いた。越中物産取締役、北越人造肥料取締役、高岡銀行取締役、高田共立銀行監査役なども務めた。
島田 孝之(しまだ たかゆき、嘉永3年5月3日(1850年6… 島田 孝之(しまだ たかゆき、嘉永3年5月3日(1850年6月12日) - 明治40年(1907年)1月15日)は、日本の衆議院議員(立憲改進党)、実業家。字は維則、号は克堂・湘洲・鴎東など。 越中国礪波郡島新村(現在の富山県高岡市)出身。明治8年(1875年)に新川県教務監督となるが、翌年に新川県が石川県に吸収されて廃県になると、県令山田秀典の新たな赴任先の青森県に随行し、野辺地警察署長に就任した。明治14年(1881年)に辞任して郷里に帰り、自由民権運動に参加し、北辰社を結成した。翌年、北辰社は他の結社と合同して越中改進党となり、幹事の島田は石川県会議員に選出された。明治16年(1883年)に富山県が置かれると、富山県会議員となり、3期務めた。
服部 嘉十郎(はっとり かじゅうろう、弘化2年(1845年)… 服部 嘉十郎(はっとり かじゅうろう、弘化2年(1845年) - 明治13年(1880年))は、越中国高岡(現在の富山県高岡市)の文化・教育などに功績のあった江戸時代・明治時代の町役人・政治家。高岡城址を公園として整備した「高岡古城公園」の創設者である。 高岡由緒町人天野屋の13代目として、弘化2年(1845年)8月9日に生まれる。父は高岡町藩政時代最後となる総町年寄、服部三郎左衛門元業、母は同じく由緒町人富田家(横町屋)8代善五郎の長女、民子である。名は元善、初め嘉十郎を通称とし、のちに伝兵衛、再び嘉十郎と改めた。姉に正子、妹に利久子がいたがいずれも夭折したため、嘉十郎は一人息子と同じように育った。
阿波加 脩造(あわか しゅうぞう、1836年1月30日(天保… 阿波加 脩造(あわか しゅうぞう、1836年1月30日(天保6年12月13日)- 1916年(大正5年)5月12日)は、幕末から明治期の医師、教育者、政治家。衆議院議員。旧姓・佐渡、幼名・捨五郎、通称・正頴、字・士栗。号・酔夢、六無斎。衆議院議員としては野村脩造を名乗った。 越中国射水郡高岡(現富山県高岡市)で、漢方医・8代佐渡養順の息子として生まれる。魚津町(現魚津市)の漢方医・阿波加家の養子となる。春日寛平、緒方洪庵、華岡鹿城、山岡民部などに師事し、医学、蘭学を修めた。 1858年(安政5年)魚津で開業し、コレラの治療に従事した。1872年(明治5年)病院・好生舎を設立。1876年(明治9年)新川県新川郡医務取締に就任。
福田 かおる は、日本の政治家、農林官僚。自由民主党所属の衆… 福田 かおる は、日本の政治家、農林官僚。自由民主党所属の衆議院議員(2期)、文部科学大臣政務官。戸籍名は北口 かおる。
三浦 健人(みうら けんと)は、日本の実業家。トムソン・ロイ… 三浦 健人(みうら けんと)は、日本の実業家。トムソン・ロイター株式会社にて、代表取締役社長を務める。 トムソン・ロイター参画前は、Apple Japanにて、iPhone、Apple Payなど日本国内でのサービスや製品の立ち上げに長く携わった後、パーセフォニ(脱炭素ソリューション関連の米企業)のジャパン・カントリーマネージャーに就任していた。 富山県高岡市出身。富山県立高岡高等学校、東京大学工学部卒業。 トムソン・ロイター株式会社の代表取締役社長に2024年7月に就任。 トムソン・ロイター参画前は、パーセフォニにて日本法人代表を務め、AIなどのテクノロジーを活用し、企業や金融機関の脱炭素を促進した。
上田 洸太朗 は、富山県西礪波郡福岡町 出身の元プロ野球選手… 上田 洸太朗 は、富山県西礪波郡福岡町 出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
古賀 栄美 (こが えみ) は、日本の検察官。 富山県高岡市… 古賀 栄美 (こが えみ) は、日本の検察官。 富山県高岡市出身。京都大学法学部を卒業後、1993年に検事任官。 金沢地方検察庁次席検事、京都地方検察庁特別刑事部長、大阪地方検察庁総務部長、大阪高等検察庁総務部長、大阪地方検察庁堺支部長、最高検察庁検事、鹿児島地方検察庁検事正を経て、2024年熊本地方検察庁検事正、2025年退官。