茶谷 義隆(ちゃたに よしたか、1965年〈昭和40年〉9月… 茶谷 義隆(ちゃたに よしたか、1965年〈昭和40年〉9月6日 - )は、日本の政治家、税理士。石川県七尾市長(2期)。 石川県七尾市出身。七尾市立御祓中学校(現・七尾市立七尾中学校)卒業。1984年(昭和59年)3月、石川県立七尾高等学校卒業。同年4月、金沢国税局総務部に採用される。1985年(昭和60年)4年、大阪国税局に勤務。 1990年(平成2年)3月、近畿大学法学部卒業。2010年(平成22年)7月、金沢国税局七尾税務署に勤務。2013年(平成25年)7月、金沢国税局を退職し、税理士となる。 2020年(令和2年)6月15日、七尾市長の不嶋豊和は、年内の改装オープンを目指していた複合商業施設「パトリア」について、新型コロナウイルスの影響でテナント誘致に遅れが出ていることを市議会定例会で明らかにした。
不嶋 豊和(ふしま とよかず、1949年(昭和24年)8月2… 不嶋 豊和(ふしま とよかず、1949年(昭和24年)8月27日 - )は、日本の政治家。前石川県七尾市長(2期)。 石川県七尾市出身。石川県立七尾高等学校、中央大学法学部卒業。1973年(昭和48年)4月、石川県職員に採用される。2009年(平成21年)4月、七尾市副市長に就任。 2012年(平成24年)10月28日に行われた七尾市長選挙に前市長武元文平の後継者として立候補し初当選。11月7日、市長に就任。2016年(平成28年)10月、無投票で再選。 2020年(令和2年)の市長選に、衆議院議員の西田昭二、自民党県議の清水真一路、市議会第一会派「灘会」の市議らの支援を受けて立候補。「パトリア」への「ドン・キホーテ」の確実な誘致、2021年4月の子ども医療費完全無料化、能越自動車道の整備促進などを公約に訴えるが、衆議院議員の近藤和也、自民党県議の和田内幸三、市議会第二会派「新政会」などの支援を受けた税理士の茶谷義隆に敗れ落選した。
桑原 豊(くわばら ゆたか、1945年10月14日 - )は… 桑原 豊(くわばら ゆたか、1945年10月14日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、石川県議会議員を歴任。
瓦 力(かわら つとむ、1937年〈昭和12年〉4月1日 ‐… 瓦 力(かわら つとむ、1937年〈昭和12年〉4月1日 ‐ 2013年〈平成25年〉1月13日)は、日本の政治家。位階は正三位。旧姓は戸島。 衆議院議員(12期)、防衛庁長官(第45・62・63代)、建設大臣(第65代)、内閣官房副長官(政務担当・鈴木善幸内閣)、自由民主党国会対策委員長(第38代)を歴任した。 石川県七尾市出身。石川県立七尾高等学校、中央大学法学部卒業。 益谷秀次の秘書を経て地盤を後継。いわゆる防衛族議員とされる。岳父は元カワラ金属社長の瓦辰二。 1988年、潜水艦なだしお事件の責任をとって防衛庁長官を引責辞任する。辞任の翌日から日本中の三十数遺族すべてを線香を持って訪ね歩いた。
大森 玉木(おおもり たまき、1886年(明治19年)3月2… 大森 玉木(おおもり たまき、1886年(明治19年)3月20日 - 1964年(昭和39年)2月19日)は、日本の政治家、興行師。衆議院議員(6期)、石川県議会議員。 石川県鹿島郡七尾町(現在の七尾市)生まれ。西湊村尋常小学校卒業。 当初は大相撲に入り、雷部屋に入門したが、間もなく廃業。その後は帰郷し、草相撲で活動。四股名は最初は「玉椿」と名乗り、その後「唐戸山」と改め、大関まで上がった。のちに興行師として活躍。1930年(昭和5年)、浅草公園六区で安来節を上演していた御園座を改築し、玉木座を開業。チェロ奏者だった佐々木千里を支配人として経営を任せる一方、劇団プペ・ダンサントを発足させて榎本健一などが活躍した。
三井 清一郎(みつい せいいちろう、慶応3年6月19日(18… 三井 清一郎(みつい せいいちろう、慶応3年6月19日(1867年7月20日) - 1949年11月30日)は、石川県出身の日本の陸軍軍人・政治家(貴族院議員)である。階級位階勲等功級は陸軍主計中将従三位勲一等功四級。宇垣一成陸相の下で宇垣軍縮を断行した陸軍省経理局長である。 能登国鹿島郡笠師村(現石川県七尾市中島町地区)に生まれる。兄には石川県会副議長となった三井亥三郎などがいる。 陸軍士官学校本科を卒業(士官候補生第6期)し、明治28年(1895年)に陸軍歩兵少尉に任じられる。その後、陸軍歩兵大尉となり、近衛歩兵第1連隊中隊長に補せられる。明治35年(1902年)には、歩兵科から経理部に転科し、陸軍一等副監督(大尉相当官)に転ずる。
関野 善次郎(せきの ぜんじろう、1853年6月20日(嘉永… 関野 善次郎(せきの ぜんじろう、1853年6月20日(嘉永6年5月14日)- 1935年(昭和10年)11月15日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員、富山市長。旧姓は神野、幼名は太三郎、旧名は彦兵衛。族籍は富山県平民。 能登国鹿島郡八幡村(現石川県七尾市八幡町)で、豪農・神野太平次の六男として生まれる。元治元年(1864年)富山東堤町(現富山市)の呉服商・関野善右衛門の養子となり彦兵衛と改名。その後、家督を相続して善次郎と改名し、富山藩より長町人(おとなちょうにん)に任じられ、さらに呉服物御用方、藩金融通所手添役を務めた。 明治維新後は、戸長、富山連合町会議員、同議長を務め、1882年、越中改進党の結成に参画し、1884年、山野清平と『中越新聞』を発刊するなど、富山県の改進党系の指導者として活動した。
神野 良(かんの りょう、1851年(嘉永4年3月)- 19… 神野 良(かんの りょう、1851年(嘉永4年3月)- 1910年(明治43年)7月15日)は、明治時代の政治家。衆議院議員(1期)。 能登国鹿島郡、のちの石川県鹿島郡徳田村(現七尾市)に生まれる。地租改正総代を経て、1876年(明治9年)啓明学校(のち中学師範学校)に入り、同副塾長に抜擢される。鹿島郡山林改租総代、農事通信委員を経て、中山長吉らと共に七尾町(現七尾市)にて勧業博覧会を開催した。1879年(明治12年)居村外12箇村戸長に就任し、ついで石川県会議員、村会議員、連合会議員を経て、石川県に出仕し1881年(明治14年)まで務めたのち再び県議に当選した。1882年(明治15年)3月、県会副議長に挙げられ、常置委員、郡内連合町村会議員、学区会議員を兼ねた。
津田 嘉一郎(つだ かいちろう、1845年(弘化2年2月)-… 津田 嘉一郎(つだ かいちろう、1845年(弘化2年2月)- 1914年(大正3年)6月1日)は、明治から大正初期の実業家、政治家。衆議院議員。 能登国鹿島郡七尾町(石川県鹿島郡七尾町を経て現七尾市)で生まれた。物品依託販売業、倉庫業を営む。七尾銀行頭取、中島商業銀行頭取などを務めた。 1890年(明治23年)9月、石川県会議員に当選し、1891年(明治24年)10月まで在任した。1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙(石川県第3区、自由党)で当選し、衆議院議員に1期在任した。