内藤 久夫(ないとう ひさお、1954年〈昭和29年〉2月2… 内藤 久夫(ないとう ひさお、1954年〈昭和29年〉2月25日 - )は、日本の政治家、実業家。山梨県韮崎市長(2期)。父親は1978年から4期韮崎市長を務めた内藤登。 山梨県韮崎市出身。山梨県立韮崎高等学校卒業。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。日立金属に就職後、1980年(昭和55年)、家業の段ボール製品製造業、内藤製材所(現・株式会社内藤)に入社。1987年(昭和62年)、同社社長に就任。 2012年(平成24年)5月、韮崎市商工会長に就任。 2014年(平成26年)11月9日告示、11月16日投票の韮崎市長選挙に無投票で初当選した。11月28日、市長就任。 2018年(平成30年)、無投票で再選。
横内 公明(よこうち こうめい、1944年(昭和19年)3月… 横内 公明(よこうち こうめい、1944年(昭和19年)3月22日 - )は、日本の政治家。山梨県韮崎市長(2期)、山梨県議会議長(第107代)、山梨県議会議員(4期)などを歴任した。旭日小綬章受章。 山梨県知事の横内正明は兄。元山梨県韮崎市長の横内要は父。 山梨県韮崎市生まれ。日本大学理工学部卒業。1961年、大洋紡績に入社。1968年、韮崎紡績に入社。1987年に横内商事を設立し、同社代表取締役に就任。 1991年4月、山梨県議会議員選挙に出馬し、初当選を果たした。1995年、1999年、2003年にも山梨県議に再選され、4期連続当選。県議時代は自由民主党に所属した。2000年10月11日に山梨県議会議長に就任し、翌2001年6月26日まで務める。
横内 正明(よこうち しょうめい、1942年〈昭和17年〉3… 横内 正明(よこうち しょうめい、1942年〈昭和17年〉3月2日 - 2020年〈令和2年〉4月21日)は、日本の政治家、建設官僚。山梨県知事(公選第16・17代)。衆議院議員(3期)、法務副大臣(第1次小泉内閣)を務めた。 都留文科大学前理事長。父は元山梨県韮崎市長の横内要。弟は元山梨県韮崎市長の横内公明。 山梨県韮崎市生まれ。山梨県立韮崎高等学校、東京大学法学部卒業。1964年、建設省(現国土交通省)に入省した。1990年、建設大臣官房審議官に就任。1993年、建設省を退官。 1993年の第40回衆議院議員総選挙に、金丸信元自由民主党副総裁の地盤を引き継いで山梨県全県区から無所属で立候補し、初当選を果たした(金丸は前年、東京佐川急便事件により衆院議員を辞職)。
輿石 東(こしいし あずま、1936年〈昭和11年〉5月14… 輿石 東(こしいし あずま、1936年〈昭和11年〉5月14日 - ) は、日本の政治家。 参議院副議長(第30代)、参議院議員(3期)、衆議院議員(2期)、参議院国土交通委員長、旧立憲民主党山梨県連合最高顧問、民主党参議院議員会長、民主党幹事長(第12代)、民主党幹事長職務代行、民主党代表代行、民主党参議院幹事長、民主党参議院国会対策委員長を歴任した。 山梨県韮崎市出身。山梨県立韮崎高等学校卒業。在学時には柔道部に所属。都留市立都留短期大学(現:都留文科大学)初等教育科卒業。在学時には、小学校教員免許取得を目指して勉強しながら空手や相撲などのスポーツにも取り組む。後に都留文科大学同窓会長や同窓会顧問をつとめる。
穴水 要七(あなみず ようしち、1875年(明治8年)1月1… 穴水 要七(あなみず ようしち、1875年(明治8年)1月19日 - 1929年(昭和4年)1月3日)は、明治後期から昭和初期の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓は小野。 山梨県巨摩郡、のちの北巨摩郡旭村(現韮崎市)で、小野八左衛門の二男として生まれる。甲府市金手町の穴水嘉三郎の店に奉公し、1898年(明治31年)7月、嘉三郎の養子となる。米相場で失敗して破産した。 1901年(明治34年)横浜に移り米穀、肥料、食塩商を営む。1908年(明治41年)上京して富士製紙に入社し、実績を積み1918年(大正7年)専務取締役に就任した。製紙業に重要な電力に関心を向け、1921年(大正10年)北海道電燈(のち大日本電力)を設立して社長となる。
小林 一三(こばやし いちぞう、1873年(明治6年)1月3… 小林 一三(こばやし いちぞう、1873年(明治6年)1月3日 - 1957年(昭和32年)1月25日)は、日本の実業家、政治家。阪急電鉄をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者。 鉄道を中心とした都市開発(不動産事業)、流通事業(百貨店・スーパーなど)、観光事業などを一体的に進め相乗効果を上げる私鉄経営モデルの原型を独自に作り上げ、後に全国の大手私鉄や民営化したJRがこの小林一三モデルを採用し、日本の鉄道会社の経営手法に大きな影響を与えた。これらの事業は後に阪急百貨店、宝塚歌劇団、東宝として阪急東宝グループを形成する。その過程で阪急沿線での六甲山麓の高級住宅地の開発、学校法人関西学院等の高等教育機関の誘致や温泉、遊園地、野球場など娯楽施設の整備を行い、日本最初の田園都市構想を実現した。
小林 七朗(こばやし しちろう、1856年1月9日(安政2年… 小林 七朗(こばやし しちろう、1856年1月9日(安政2年12月2日)- 1909年(明治42年)10月31日)は、明治期の地主、醸造家、実業家、政治家。衆議院議員。 甲斐国巨摩郡河原部村(山梨県北巨摩郡韮崎町を経て現韮崎市)で、大地主で屋号「布屋」として知られた豪商の家に生まれた。醤油醸造業、酢味噌製造業を営んだ。 1884年(明治17年)山梨県会議員に選出された。峡北政界で反自由党の中心となり、県内の地主派の指導者として活躍した。1898年(明治31年)3月の第5回衆議院議員総選挙で山梨県第1区から無所属で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。 実業界では、韮崎銀行取締役、第十銀行監査役などを務めた。