中込 直樹(なかごみ なおき、1978年5月25日 - )は… 中込 直樹(なかごみ なおき、1978年5月25日 - )は、日本の実業家。香港在住。 ウィングファットインターナショナル代表取締役、夢創貿易発展有限公司董事長。 山梨県南アルプス市出身。2015年より地元山梨県のプロサッカークラブ、ヴァンフォーレ甲府のオフィシャルスポンサー(メインスタンドコンコース)、2017年より日本プロ野球選手会ベースボールクラシック山梨大会の冠協賛を行っている。 東北大学 (中国)法学部卒業後、キャラクターライセンスを扱う香港日系商社に勤務。2007年、ウィングファットインターナショナル創業。キャラクターを使用した玩具や雑貨、ベビー商品の企画製造を得意とし、2018年、販売会社Dream Creation Trading Co.,Ltd を立ち上げる。
小林 喜光(こばやし よしみつ、1946年11月18日 - … 小林 喜光(こばやし よしみつ、1946年11月18日 - )は、日本の実業家。東京電力ホールディングス取締役会長、日本生産性本部会長。元三菱ケミカルホールディングス代表取締役会長、元経済同友会代表幹事。山梨県南アルプス市生まれ。 2019年12月15日、小林はNHK日曜討論で、博士後期課程の大学院生や若手研究者の減少、日本の科学研究の在り方について、自らも大学院出身であるにもかかわらず、「大学院はモラトリアム」、「ガッツが必要」などと発言した。 ウィキメディア・コモンズには、小林喜光に関するカテゴリがあります。
功刀 亀内(くぬぎ きない、1889年(明治22年)9月16… 功刀 亀内(くぬぎ きない、1889年(明治22年)9月16日 - 1957年(昭和32年)12月30日)は、山梨県出身の実業家、郷土史料蒐集家、研究家。蒐集した山梨県に関する郷土資料群は「甲州文庫」と命名されている。 山梨県中巨摩郡豊村(現在の南アルプス市上今井)出身。生家は蚕糸業者で父は六蔵、亀内は三男。豊村高等小学校卒業後、家業を手伝う。 1919年(大正8年)1月には結婚し、甲府市穴切町に転居する。戦後に行われた対談の証言に拠れば、30歳頃には当時の最先端の流行であったオートバイを愛好し、本業の蚕糸業に活用し、趣味のツーリングを行ったという。「甲州文庫」の史料の一つである「山梨県下写真貼込帳」には、1916年(大正5年)の長野県諏訪(諏訪市)へのツーリングの写真が残され、群衆の中に亀内も写っているとされる。
大崎 清作(おおさき せいさく、1876年(明治9年)8月2… 大崎 清作(おおさき せいさく、1876年(明治9年)8月22日 - 1957年(昭和32年)11月23日)は、明治後期から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・村松。 山梨県巨摩郡南湖村(中巨摩郡南湖村、甲西町東南湖を経て現南アルプス市東南湖)で、村松泰造の二男として生まれる。上京して1899年(明治32年)陸軍砲兵工科学校(のち陸軍兵器学校)を卒業。日露戦争に従軍し、陸軍砲兵上等工長に進んで除隊した。 小石川白山で貸家業などを営む大崎家に奉公してその才幹を認められ、1907年(明治40年)4月、先代・大崎としの入夫となり家督を相続した。小石川貯蓄銀行取締役、春日銀行取締役、江戸川青果社長、共済商工社長、大正製材社長、東洋製氷社長などを務めた。
河西 豊太郎(かさい とよたろう、1874年(明治7年)2月… 河西 豊太郎(かさい とよたろう、1874年(明治7年)2月18日 - 1959年(昭和34年)6月27日)は、日本の政治家・実業家。号は嘯月、三江。子に河西俊夫。息子の岳母の兄は貴族院議員 小林八右衛門。弟の岳父は貴族院議員 市川文蔵。 山梨県巨摩郡十日市場村(現・南アルプス市十日市場)に生まれる。十日市場村は近世から毎年2月には市立が行われ各地から商人が集った地で、河西家も十日市場村の「山久」の屋号を称する有力商家で、長百姓として村政にも携わっている。父は河西家当主の兵一郎。豊太郎は次男であるが長男は豊太郎出生の前年に死去しており、豊太郎は長男として育てられた。 幼少期に父の兵一郎は死去し、豊太郎は三恵小学校、東八代郡南八代村(現・笛吹市八代町南)の加賀美平八郎の私塾成器社に学ぶ。
市川 文蔵(いちかわ ぶんぞう、1864年12月19日(元治… 市川 文蔵(いちかわ ぶんぞう、1864年12月19日(元治元年11月21日)- 1935年(昭和10年)5月4日)は、明治時代の山梨県の政治家、実業家である。現在の山梨中央銀行の前身の一つである富士銀行の頭取で、多額納税者として貴族院議員にもなった。また衆議院議員にも選出された。 甲斐国巨摩郡荊沢村(山梨県中巨摩郡五明村、甲西町を経て現在の南アルプス市)に市川太右衛門の長男として生まれる。市川家は山梨県屈指の大地主であり、明治16年(1883年)10月に家督を相続。明治24年(1891年)8月に中巨摩の郡会議員、郡参事会員、山梨県会議員等の職に就く。明治27年(1894年)に所得税調査員となり、数年勤務する。
2代 若尾 幾造(わかお いくぞう、1858年1月22日(安… 2代 若尾 幾造(わかお いくぞう、1858年1月22日(安政4年12月8日)- 1928年(昭和3年)4月29日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、貴族院多額納税者議員。幼名は隣之助、旧名・林平。 甲斐国巨摩郡在家塚村(のち山梨県中巨摩郡、現南アルプス市在家塚)で、初代若尾幾造の長男として生まれる。 家業の生糸貿易業に従事し、1896年(明治29年)に家督を相続し幾造(2代)と改名した。神奈川県高座郡藤沢町(現藤沢市)と埼玉県児玉郡本庄町(現本庄市)に生繭乾燥所を、また、高座郡鵠沼村(現:藤沢市)に製糸機械場、同郡明治村(現:藤沢市)に第二製糸場を設置して良質の生糸を製造し、海外に本邦蚕糸の優秀性を示して輸出の拡大に貢献した。
斎藤 卯八(齋藤、さいとう うはち、1853年1月17日(嘉… 斎藤 卯八(齋藤、さいとう うはち、1853年1月17日(嘉永5年12月8日)- 1912年(明治45年)2月9日)は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員。 甲斐国巨摩郡上今諏訪村(山梨県中巨摩郡今諏訪村、白根町を経て現南アルプス市上今諏訪)で、名主の家に生まれる。巨摩郡西野村の宮浦東谷から普通学を学び、徽典館で漢学を修め、さらに甲府育英舎で学んだ。農業を営む。 1873年(明治6年)10月、上今諏訪村副戸長に就任。以後、同戸長、巨摩郡第13区戸長、今諏訪村会議員、中巨摩郡豊村外三ケ村連合村会議員、同郡御影村外三十八ケ村組合村会議員、同郡在家塚村外二ケ村連合村会議員などを務めた。1890年(明治23年)末、立憲自由党に入党した。
初代若尾 幾造(わかお いくぞう、1829年(文政12年12… 初代若尾 幾造(わかお いくぞう、1829年(文政12年12月)- 1896年(明治29年)10月10日)は、幕末から明治期の実業家。 甲斐国巨摩郡在家塚村(のち山梨県中巨摩郡在家塚村、現南アルプス市在家塚)で、若尾林右衛門の息子として生まれる。分家して農業に従事した。 商業に興味がなかったが、異母兄若尾逸平の熱心な勧誘を受け、安政6年(1859年)横浜に出て生糸売込業、綿花・水晶・砂糖の取引業に従事。1875年、兄弟で財産を分割して、横浜本町で生糸売込業を開業した。1880年、横浜商法会議所設立に伴い初代常議員となり、1893年、若尾銀行を設立して頭取となった。
若尾 逸平(わかお いっぺい、文政3年12月6日(1821年… 若尾 逸平(わかお いっぺい、文政3年12月6日(1821年1月9日) - 大正2年(1913年)9月7日)は日本の実業家・銀行家・政治家。貴族院議員、初代甲府市市長。従六位。 根津嘉一郎・雨宮敬次郎らとともに、郷土意識で緩やかな資本連合を持ち、中央経済界で影響力を持った甲州財閥と呼ばれるグループのひとりで、若尾家はその中核にあたる。 甲斐国西郡筋在家塚村(現在の山梨県南アルプス市在家塚)に生まれる。生家は百姓で、父は若尾林右衛門。逸平は長男。若尾逸平の来歴や逸話などは、1914年に内藤文治良の記した伝記『若尾逸平』に記されている。十代の頃、江戸に出て材木奉行の清水新右衛門に仕えたもののうまくいかず帰郷。