堀内 宗平(ほりうち そうへい、1878年(明治11年)9月… 堀内 宗平(ほりうち そうへい、1878年(明治11年)9月10日 - 1943年(昭和18年)6月13日)は、日本の海軍軍人(大佐)、実業家である。官位は従六位。 1878年(明治11年)9月19日、山梨県東八代郡、のちの黒駒村(現:笛吹市)に、堀内藤右衛門の三男として生まれる。1892年(明治25年)、兄の堀内良平に連れられて上京。1898年(明治31年)、海軍兵学校に入学(第29期)。 日露戦争において、浅間に第一分隊長として乗艦。仁川沖海戦に参加した。 1904年(明治37年)、連合艦隊第六艦隊に所属、旅順港口閉塞作戦に水雷艇付としての武勲により功五級金鵄勲章受賞。 1908年(明治41年)、陸奥湯長谷藩の第13代藩主であった内藤政養の次女、房子と結婚。
田村 守衛(たむら もりえ、1871年4月7日(明治4年2月… 田村 守衛(たむら もりえ、1871年4月7日(明治4年2月18日) - 1923年6月13日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 山梨県東山梨郡相興村中尾(現:笛吹市一宮町)に宮司・田村義事の息子として生まれる。1894年(明治27年)7月、陸軍士官学校(5期)を卒業。同年9月、騎兵少尉任官。1901年(明治34年)11月、陸軍大学校(15期)を首席で卒業。参謀本部編制班に配属された。 日露戦争に大本営参謀として出征し、さらに満州軍参謀に転じた。1914年(大正3年)1月、歩兵大佐に昇進し関東都督府高級参謀に就任。1917年(大正6年)4月、陸大幹事となり、1918年(大正7年)7月、陸軍少将に進級。
田村 沖之甫(たむら おきのすけ、1865年8月27日(慶応… 田村 沖之甫(たむら おきのすけ、1865年8月27日(慶応元年7月7日) - 1919年4月11日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 甲斐国東山梨郡相興村中尾(現:山梨県笛吹市一宮町)に宮司・田村義事の息子として生まれる。陸軍士官学校(旧10期)に入り、1888年(明治21年)7月28日、砲兵少尉に任官。1899年(明治32年)12月、陸軍大学校(13期)を卒業。陸軍省総務局勤務となる。 日露戦争に第4軍参謀として出征した。1908年(明治41年)12月、砲兵大佐に昇進し野砲兵第4連隊長に就任。1910年(明治43年)10月、ドイツ駐在武官に発令された。1913年(大正2年)2月、軍務局砲兵課長に転じた。
田村 怡与造(たむら いよぞう、1854年11月30日(嘉永… 田村 怡与造(たむら いよぞう、1854年11月30日(嘉永7年10月11日) - 1903年(明治36年)10月1日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将、位階・勲等・功級は従四位・勲二等・功三級。 甲斐国東山梨郡相興村中尾(現山梨県笛吹市一宮町)に田村義事の長男として生まれる。田村家は中尾神社宮司の家系で、祖は武蔵七党の西党に属していたという。弘綱の代で田村姓を名乗り、室町時代に武蔵国から甲斐へ移る。一宮の私塾で学び、塾頭となる。1872年(明治5年)に学制が敷かれると中尾学校(のちの一宮北小学校)の校長となる。早川七良の娘・伝子を妻に迎えて養子となり早川姓を名乗る。 1875年(明治8年)2月に上京し、東京府市谷の陸軍士官学校の旧2期生として入学。