清水 愼一(しみず しんいち、1948年12月1日 - )は… 清水 愼一(しみず しんいち、1948年12月1日 - )は日本の観光学者、実業家。JR東日本で取締役や仙台支社長などを務めた。 長野県小諸市出身。東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1972年 国鉄(1987年4月からJR東日本)に入社。2000年6月 同社取締役兼鉄道事業本部営業部長委嘱。2002年6月 仙台支社長。2004年6月 退社。 同年6月 JTB常務取締役。2008年4月 立教大学観光学部観光学科特任教授。
白井 芳夫(しらい よしお、1948年5月1日 - )は、日… 白井 芳夫(しらい よしお、1948年5月1日 - )は、日本の技術者、実業家。日野自動車代表取締役社長や、豊田通商代表取締役副会長を務めた。藍綬褒章受章。 長野県小諸市で出生後、北海道旭川市に移住。北海道旭川北高等学校を経て、1973年北海道大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程修了、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。技術畑で商品開発部門を担当し、1997年第2ボデー設計部長に就任。2001年取締役第2開発センター長に昇格。2002年士別車両実験部長。2003年常務役員第1トヨタセンター長。2005年専務取締役技術管理本部長兼商品開発本部長。2007年顧問、日野自動車取締役副社長。2008年から日野自動車代表取締役社長を務め、リーマン・ショック後の世界金融危機下での不況への対応を行った。
大池 文雄(おおいけ ふみお、1928年 - )は、日本の実… 大池 文雄(おおいけ ふみお、1928年 - )は、日本の実業家、マルクス主義者。 長野県小諸市生まれ。1947年旧制水戸高等学校文科甲類入学、梅本克己に師事。同校中退後、日本共産党水戸市委員長、同国際派全国委員会委員、同国際派・所感派統一後茨城県常任委員。1956年のハンガリー事件をめぐり中央と対立、58年同党除名。一方で、新茨城タイムス社、出版社論争社、日本ソノサービスセンター、太陽グリーンランド、裾野カンツリー倶楽部等を設立する。2005年事業から引退。同人誌『丁卯』主宰。
与良 松三郎(よら まつさぶろう、明治5年3月23日(187… 与良 松三郎(よら まつさぶろう、明治5年3月23日(1872年4月30日) - 昭和13年(1938年)10月17日)は、日本の実業家・教育者。名古屋新聞社主筆・社長。与良ヱの父。旧姓は上野。 長野県佐久郡小諸(現小諸市)生まれ。長野県師範学校を卒業すると、岩村田・小諸・上田の各小学校の訓導、南安曇郡視学を務めた。1902年文部省の推薦でウラジオストクに日本人小学校の校長として赴任するが、1904年の国交断絶により学校が閉鎖されたため、日露戦争にロシア語通訳官として従軍し、1906年帰国。同郷の小山松寿が名古屋新聞を経営するにあたり、その主筆に迎えられ、普選運動推進の論陣を張った。1930年に社長に就任した。
塩川 賢三(しおかわ けんぞう、1870年4月5日〈明治3年… 塩川 賢三(しおかわ けんぞう、1870年4月5日〈明治3年3月5日〉 - 没年不明)は、日本の実業家。深志倉庫社長。六十三銀行常務取締役。軽井沢ホテル、東西商事各取締役。佐久貯蓄銀行監査役。族籍は長野県平民。 長野県北佐久郡三岡村(現・小諸市)出身。長野県平民・塩川仁助の二男。塩川幸太の弟。塩川三四郎の兄。後分家して一家を創立する。銀行会社の重役である。住所は長野県北佐久郡三岡村(現・小諸市)。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
塩川 幸太(しおかわ こうた、1864年4月8日〈元治元年3… 塩川 幸太(しおかわ こうた、1864年4月8日〈元治元年3月3日〉 - 1936年〈昭和11年〉1月21日)は、日本の実業家、政治家、長野県の大地主。佐久銀行頭取。衆議院議員(長野県郡部選出、当選1回)。勲四等。族籍は長野県平民。 信濃国佐久郡森山村(現・長野県小諸市)生まれ。塩川仁助の長男。郡会議員、県会議員に選ばれる。1915年(大正4年)の第12回衆議院議員総選挙に出馬し当選する。立憲政友会に所属。実業界では佐久銀行頭取、長野農工銀行取締役、長野貯蓄銀行監査役などをつとめる。 1883年、家督を相続する。住所は長野県北佐久郡三岡村。 塩川家は代々農業を営む。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
小山 久左衛門(こやま きゅうざえもん、1862年5月30日… 小山 久左衛門(こやま きゅうざえもん、1862年5月30日〈文久2年5月2日〉- 1918年〈大正7年〉7月21日)は、日本の実業家、政治家、篤志家。小山家23代当主。諱は正友、幼名は邦太郎。信濃国佐久郡出身。政治家小山邦太郎・画家小山敬三の父。 出自には諸説あるが、源義光の曾孫である安田義定を祖とする説が小諸市内の小山姓において存在する。義定は甲斐源氏の一族であったため、その勢力を警戒した源頼朝により粛清されるが、子孫の安田義知が武田信虎に仕え、村上義清に備えて信濃国佐久郡に与良城を築城し、安田氏から与良氏へ改称したという。その後、その庶流の一族が同国高井郡小山郷を所領とし、与良氏から小山氏に改称したといわれている。