スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
岡本 啓毅(おかもと ひろき、1986年 - )は、日本の実… 岡本 啓毅(おかもと ひろき、1986年 - )は、日本の実業家。株式会社UZUZ代表取締役社長。情報経営イノベーション専門職大学客員教授。 北海道旭川市出身。北海道立旭川北高等学校卒業後、米国へ渡米しアラバマ州立大学ハンツビル校にて宇宙物理学を専攻したのち、ベインキャリージャパン(現ギークス株式会社)へと入社。IT業界の営業として1年勤務した後、起業のため退職。2012年に既卒や第二新卒といった20代若手の就業支援のための株式会社UZUZを設立する。その後、YouTubeチャンネル「ひろさんチャンネル」を立ち上げ、2020年には、採用マーケティングの課題解決を目指すための株式会社WWW(ワロタ)を設立。
寺田 桜子(てらだ さくらこ、1984年5月17日 - )は… 寺田 桜子(てらだ さくらこ、1984年5月17日 - )は、北海道空知郡南富良野町出身の日本の女性カーリング元選手で、社団法人日本カーリング協会(JCA)の強化指定選手だった。北海道旭川北高等学校、青森公立大学卒業。身長162cm、体重57kg。血液型B型。右利き。趣味はバレーボール、サイクリング、水泳、ショッピング、料理、ドライブ、ダンス。2006年トリノ冬季オリンピックカーリング競技女子日本代表。現在、札幌カーリング協会事務局次長。
春見 朔子(はるみ さくこ、1983年5月2日 - )は、日… 春見 朔子(はるみ さくこ、1983年5月2日 - )は、日本の小説家。 1983年5月2日、北海道旭川市に生まれる。北海道旭川北高等学校、北海道大学薬学部卒業。 小学校の卒業アルバムに将来の夢として小説家と書いていたが、薬剤師への道を歩む。 2015年4月に友人らと食事をしていた際に小学校の卒業アルバムの話となり、今からでも小説家になれると言われ、翌5月30日から執筆を開始し、同年6月末が締め切りだった第40回すばる文学賞に応募した『そういう生き物』が受賞作となった。歌人・小説家の加藤千恵とは高校の同級生で友人である。
久保倉 里美(くぼくら さとみ、1982年4月27日 - )… 久保倉 里美(くぼくら さとみ、1982年4月27日 - )は、日本の陸上競技選手、陸上競技指導者。 1982年4月27日、北海道旭川市出身。 北海道旭川北高等学校で陸上を始め、3年では100mハードルで岐阜インターハイに出場する。インターハイと別開催だった全国高校選手権には400mハードルと七種競技に出場している。国体では400mハードルで5位入賞。卒業後は福島大学に進学する。 福島大学では400mハードルを専門としたが、オールラウンドな身体能力を生かして400m、100mハードル、400mリレー、1600mリレーでも活躍。1600mリレーは4年連続で日本インカレに出場し、1年で2位、2年から4年までは3年連続で優勝を遂げた。
岡和田 晃(おかわだ あきら、1981年 - )は日本のゲー… 岡和田 晃(おかわだ あきら、1981年 - )は日本のゲームデザイナー、翻訳家、および文芸評論家、SF評論家、編集者、詩人。 「ナイトランド・クォータリー」編集長、AGS(アナログ・ゲーム・スタディーズ) 主催。日本近代文学会、日本SF作家クラブ、日本文藝家協会、遊戯史学会、日本デジタルゲーム学会、日本詩人クラブ、茨城県詩人協会、日本ペンクラブ各会員。SF Prologue Wave編集部所属。 北海道上富良野町出身。北海道旭川北高等学校英語科、早稲田大学第一文学部文芸専修卒業、筑波大学大学院人文社会科学研究科一貫制博士課程修士取得退学、共愛学園前橋国際大学非常勤講師、東海大学非常勤講師、法政大学兼任講師。
太田 有香(おおた ゆか 1980年1月25日 - )は北海… 太田 有香(おおた ゆか 1980年1月25日 - )は北海道旭川市出身のピアニスト。北海道旭川北高等学校普通科卒業。東京芸術大学音楽学部器楽科卒業。イタリア・ボローニャ国立G.B.マルティーニ音楽院大学院を首席で修了。イタリア・イモラ国際ピアノアカデミーフォルテピアノ科、ボローニャ国立音楽院チェンバロ科にも在籍した。
赤松 俊理(あかまつ しゅんり、1979年2月26日 - )… 赤松 俊理(あかまつ しゅんり、1979年2月26日 - )は、NHKのアナウンサー。 北海道雨竜郡秩父別町出身。北海道旭川北高等学校を経て、北海道大学文学部卒業後、2002年4月、NHK札幌放送局に入局。
谷口 直樹(たにぐち なおき、1976年7月5日 - )は、… 谷口 直樹(たにぐち なおき、1976年7月5日 - )は、北海道テレビ放送(HTB)の社員。元アナウンサー。大学時代はモスラというバスケサークルに所属。 北海道鷹栖町出身。身長177cm。北海道旭川北高等学校、北海道大学文学部卒業。2000年にHTB入社。 2003年11月、第2回ANNアナウンサー賞を高校野球実況部門で受賞。 現在はアナウンサー業務の他、スポーツ部のデスクや『FFFFF』のプロデューサーも兼務する。
岩本 賢一(いわもと けんいち、1972年5月12日 - )… 岩本 賢一(いわもと けんいち、1972年5月12日 - )は、北海道日本ハムファイターズの球団職員。役職はチーム統轄副本部長兼国際グループ長。身長170cm。北海道旭川市出身。 北海道旭川北高等学校時代は野球部に所属していたが、膝を痛めて挫折。アスレティックトレーナーを志して、ケンタッキー大学に留学。その後オレゴン州立大学に編入し、卒業する。ヒューストン・アストロズで期間限定のトレーナーをしていたときの統括ディレクターに誘われ、日本人高校生とマイナー契約を結んだニューヨーク・メッツに通訳として入団する。 1998年から2002年にかけて新庄剛志や小宮山悟のアメリカでの通訳を務めた。 2003年から日本ハムに所属となり、2007年にかけて監督であったトレイ・ヒルマンの通訳を務める。
青山 美保(あおやま みほ、1972年1月30日 - )は、… 青山 美保(あおやま みほ、1972年1月30日 - )は、テレビ岩手の元アナウンサー。 北海道旭川市出身。北海道旭川北高等学校、新潟大学卒業。 1994年に大学を卒業後、テレビ岩手に入社。同局のアナウンサーになり、9年半にわたって『ニュースプラス1いわて』のキャスターを務めた。 2006年3月31日をもって番組を卒業。同時にテレビ岩手も退社し、旭川へ帰郷した。
小川 勝也(おがわ かつや、1963年7月7日 - )は、日… 小川 勝也(おがわ かつや、1963年7月7日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(4期)、内閣総理大臣補佐官(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣・菅直人改造内閣)、防衛副大臣(菅直人第2次改造内閣)、参議院総務委員長・農林水産委員長・国家基本政策委員長、参議院会派「民主党・新緑風会」政策審議会長、民進党参議院幹事長などを歴任した。 北海道上川郡和寒町西町出身。実家は小さな鉄工所で、「鍛冶屋のかっちゃん」と親しまれた。和寒町立和寒小学校、和寒町立和寒中学校、北海道旭川北高等学校を経て、日本大学法学部卒業。日大法学部在学中は新聞奨学生だった。 大学卒業後、鳩山邦夫衆議院議員の秘書を経て、1995年に新進党公認で第17回参議院議員通常選挙に北海道選挙区(定数2)から出馬し、初当選。
要 ゆうじ(かなめ ゆうじ、本名非公表。1962年3月28日… 要 ゆうじ(かなめ ゆうじ、本名非公表。1962年3月28日 - )は、日本の脚本家・劇作家・ライター・俳優・声優・ナレーター。北海道旭川市出身。北海道旭川北高等学校卒業。 高校時代より、伝説のサブカルチャー雑誌「ビックリハウス」(パルコ出版)の常連投稿者として活動する(当時のペンネームは“かなめゆうじ”)。投稿時代の同期には、大槻ケンヂ、渡辺いっけい、犬童一心、常盤響などが常連投稿者だった。 18歳でアメリカに留学。帰国後上京し、同郷の作家である窪田僚に師事。1982年、窪田の紹介で雑誌ライターとしてデビューする。 1980年代前半の雑誌創刊ブームに乗り、主に芸能雑誌のインタビュアーとして活躍。
橋本 裕志(はしもと ひろし、1962年2月5日 - )は、… 橋本 裕志(はしもと ひろし、1962年2月5日 - )は、日本の脚本家。北海道出身。北海道旭川北高等学校、小樽商科大学卒業。 大学時代は演劇部で活動。上京して孫家邦主宰の劇団に所属し、荒戸源次郎に浦沢義雄を紹介される 。1989年、『とっておき Virgin Love! 童貞物語3』(バンダイ)で脚本家デビュー。その後浦沢の紹介で、アニメの脚本・シリーズ構成などに携わる。1998年の『ショムニ』以降は実写作品中心となる。
山川 広行(やまかわ ひろゆき、1956年(昭和31年)12… 山川 広行(やまかわ ひろゆき、1956年(昭和31年)12月10日 - )は、日本の実業家。北海道銀行取締役副頭取を経て、札幌ドーム代表取締役社長。 北海道旭川市出身。北海道旭川北高等学校を経て、1979年北海道大学経済学部卒業、北海道銀行入行。入行同期に堰八義博(のち頭取)、笹原晶博(同)がいる。 1998年栄町支店長。2001年法人推進グループ調査役。2002年清田支店長。2004年札幌駅前支店長。2005年執行役員地区営業担当兼帯広支店長。2009年常務執行役員地区営業担当兼旭川支店長。2012年常務執行役員地区営業担当。2013年常務執行役員石狩・札幌地区営業担当。同年専務執行役員本店営業部本店長。
二階堂 裕(にかいどう ゆたか 、1954年 - )は、日本… 二階堂 裕(にかいどう ゆたか 、1954年 - )は、日本の自動車専門誌編集者・自動車評論家・経営者。北海道旭川市生まれ。 アールブイフォーワイルドグース株式会社代表取締役社長、エスエスシー出版有限会社代表取締役社長、絵本作家、作家。日本ジムニークラブ会長。盛和塾元横浜塾生。現フィロソフィー経営実践塾(横浜)。神奈川県隊友会員。厚木市法人会員。日本赤十字社員。NPO法人 四駆レスキュー隊副理事長。NPO法人 山梨県地震対策四駆隊顧問。 旭川市立六合中学校卒業。北海道旭川北高等学校卒業。1973年、海上自衛隊に第25期航空学生として入隊。4年間のパイロット生活を送るが、病気のために地上勤務となり、厚木基地の航空集団司令部、音響解析室に勤務。
白井 芳夫(しらい よしお、1948年5月1日 - )は、日… 白井 芳夫(しらい よしお、1948年5月1日 - )は、日本の技術者、実業家。日野自動車代表取締役社長や、豊田通商代表取締役副会長を務めた。藍綬褒章受章。 長野県小諸市で出生後、北海道旭川市に移住。北海道旭川北高等学校を経て、1973年北海道大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程修了、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。技術畑で商品開発部門を担当し、1997年第2ボデー設計部長に就任。2001年取締役第2開発センター長に昇格。2002年士別車両実験部長。2003年常務役員第1トヨタセンター長。2005年専務取締役技術管理本部長兼商品開発本部長。2007年顧問、日野自動車取締役副社長。2008年から日野自動車代表取締役社長を務め、リーマン・ショック後の世界金融危機下での不況への対応を行った。
上山 博康(かみやま ひろやす、1948年 - )は、日本の… 上山 博康(かみやま ひろやす、1948年 - )は、日本の脳神経外科医。社会医療法人禎心会特別顧問、禎心会脳疾患研究所所長、旭川赤十字病院脳神経外科顧問、札幌北脳神経外科顧問、コスモ脳神経外科顧問。 1948年(昭和23年)、青森県三戸郡五戸町生まれ。 幼い時から絵が得意で、北海道旭川北高等学校時代には美術の教師に画家を目指すべきではと言われるほどだった。しかし高校時代には画家と飛行機を作る技術者という夢があり、進路に悩んでいた。そんな時に週刊誌に「交通事故の多発により脳を損傷し死亡する人が多くなっており、日本にはもっと優秀な脳外科医が必要」と書いてあったのを読み、脳外科医を目指した。 1967年に北海道大学医学部に入学。
風間 昶(かざま ひさし、1947年5月6日 - )は、日本… 風間 昶(かざま ひさし、1947年5月6日 - )は、日本の政治家。公明党所属。 参議院議員(3期)、参議院法務委員会委員長、参議院災害対策特別委員会委員長、環境副大臣(第1次小泉内閣)などを歴任。
中島 尚俊(なかじま なおとし、1947年(昭和22年)2月… 中島 尚俊(なかじま なおとし、1947年(昭和22年)2月11日 - 2011年(平成23年)9月中旬)は、日本の会社役員で北海道旅客鉄道(JR北海道)の元代表取締役社長。 北海道旭川市の旭川鉄道管理局職員の家に生まれる。北海道教育大学附属旭川小学校、北海道教育大学附属旭川中学校、北海道旭川北高等学校(15期)を経て、1969年(昭和44年)に東京大学経済学部を卒業し、日本国有鉄道(国鉄)に入社した。同期は20人。石原進、小池明夫、垣内剛は国鉄および東京大学での同期である。 入社後は営業職を中心に勤務。国鉄旅客局営業課時代には商品造成を研究する若手職員中心グループのリーダーをしていた。このグループの議論で『フルムーン夫婦グリーンパス』『ナイスミディパス』が発案された。
藤井 邦夫(ふじい くにお、1946年11月22日 - 20… 藤井 邦夫(ふじい くにお、1946年11月22日 - 2025年10月12日)は、脚本家、小説家、元監督。北海道旭川市出身。別名義に相里修がある。 北海道旭川北高等学校を経て、日本大学藝術学部卒業。1970年に東映テレビプロダクションに助監督として入社。もともとは脚本家志望ではあったが、本を書くための勉強として割り切ったと本人は後に語っている。同期に映画監督の辻理がいた。 数多くの作品で助監督を務める傍ら、『特別機動捜査隊』(第799話「娘の思春期」)で脚本家としてデビュー。後番組『特捜最前線』では、助監督兼脚本家として活躍した。オープニングナレーションは藤井が考案している。第235話「少女売春・夢を掘る男!」で監督に昇進。
保坂 一夫(ほさか かずお、1941年6月19日 - )は、… 保坂 一夫(ほさか かずお、1941年6月19日 - )は、ドイツ文学者、東京大学名誉教授、元日本大学教授。 北海道上川郡東鷹栖村(現・旭川市)生まれ。北海道旭川北高等学校を経て、1966年東京大学文学部独文科卒業、テュービンゲン大学留学。新潟大学講師、玉川大学助教授、1981年東京大学教養学部助教授(ドイツ語)、1990年教授、2002年定年退官、日本大学文理学部教授。2012年定年退職。 クリスタ・ヴォルフ選集全7巻を訳した。ほかエルンスト・ブロッホなどを研究。
神田孝夫(かんだ たかお、1937年6月3日 - )は、日本… 神田孝夫(かんだ たかお、1937年6月3日 - )は、日本の法学者(民法)、弁護士。学位は、法学博士(北海道大学・論文博士・1989年)。小樽商科大学名誉教授、元北海学園大学大学院法務研究科教授。北海道斜里郡斜里町出身。
十川 信介(とがわ しんすけ、1936年12月21日 - 2… 十川 信介(とがわ しんすけ、1936年12月21日 - 2018年11月18日)は、日本文学研究者。専門は日本近代文学。学習院大学名誉教授。 北海道旭川市出身。北海道旭川北高等学校を経て、1960年京都大学文学部国文学科卒、1966年、同大学院文学研究科博士課程満期退学。1967年京都府立大学講師、1968年同助教授を経て、1978年学習院大学教授。2007年、定年退職、学習院大学名教授。2008年日本近代文学館副理事長。2010年より花園大学客員教授。 京大で中村光夫の教えを受け、二葉亭四迷研究を始める。1981年、『島崎藤村』で亀井勝一郎賞受賞。 2018年11月18日、虚血性心疾患のため、死去。
小林 恵(こばやし けい、1933年 - 2016年9月30… 小林 恵(こばやし けい、1933年 - 2016年9月30日)は、キルトを紹介した日本のジャーナリスト。 北海道旭川市出身。本名小林恵子。北海道旭川北高等学校卒、専門学校北海道ドレスメーカー学院で学び、上京して杉野学園デザイン科・製帽科卒。ベルモード、アンディンケンで帽子デザイナーとして勤務ののちケイシャポーアトリエを主宰。 1964年にニューヨークに渡り、装身具の販売店を起こす。1983年に店を撤収、フリーのライターとなり、アメリカの暮らしの文化を日本に紹介し、キルトなどを普及させた。
島岡 丘(しまおか たかし、1932年9月7日 - 2024… 島岡 丘(しまおか たかし、1932年9月7日 - 2024年4月)は、日本の英語学者。筑波大学名誉教授。専門は英語教育・英語音声学。 奈良県奈良市生まれ、北海道旭川市育ち。1951年北海道旭川北高等学校卒業。1955年東京教育大学文学部英文科卒業。日本で初めてフルブライト奨学生(アメリカ)・ブリティッシュ・カウンシル奨学生(イギリス)の両方で留学を経験。サンフランシスコ大学、ロンドン大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校、レディング大学に留学。1994年「中間言語の音声学:英語の「近似カナ表記システム」の確立と活用」で筑波大学より博士(言語学)の学位を取得。東京教育大学助教授、筑波大学教授。1994年定年退官、名誉教授となり、茨城キリスト教大学教授。
鍵谷 幸信 (かぎや ゆきのぶ、 1930年7月26日 - … 鍵谷 幸信 (かぎや ゆきのぶ、 1930年7月26日 - 1989年1月16日)は、日本の英文学者・詩人・音楽評論家。 北海道旭川市出身。北海道旭川北高等学校を経て慶應義塾大学文学部英文科卒。慶應義塾大学法学部助教授、教授。現代英米文学を専攻し、「エリオット詩集」「ウィリアムズ詩集」などの翻訳や研究書を発表。西脇順三郎門下の詩人で、西脇の全集編集にも携わる。 現代美術・現代音楽、ジャズにも造詣が深く、エッセイも多数執筆、「コーシンさん」の愛称で親しまれた[要出典]。
遠藤 啄郎(えんどう たくお、1928年12月4日 - 20… 遠藤 啄郎(えんどう たくお、1928年12月4日 - 2020年2月7日)は、日本の劇作家・演出家・舞台用の仮面作成者。横浜ボートシアター代表。本名は遠藤 琢郎。
山本 むつみ(やまもと むつみ)は、日本の脚本家。北海道旭川… 山本 むつみ(やまもと むつみ)は、日本の脚本家。北海道旭川市出身。 北海道旭川北高等学校から北海道大学教育学部に進学し、卒業後は、東京のアスキーなどで編集者をしながら、シナリオ・センター「シナリオ作家養成講座」を受けた。2001年、『川留め騒動始末』の脚本がBKラジオドラマ脚本賞佳作に選ばれ、翌2002年、四国放送公募の入選作『阿波藍の唄が聴こえる』が開局50周年記念ラジオドラマとして放送された。 2003年、第31回NHK創作ラジオドラマ脚本懸賞に『唐木屋一件のこと』で応募し、最優秀賞を受賞。その受賞をきっかけに翌2004年、『御宿かわせみ』でテレビドラマの脚本家デビュー。その後も編集者と脚本家を兼業したが、2006年の『結婚式へ行こう!』より脚本家専業に。