吉田 浩之(よしだ ひろゆき、1962年(昭和37年)6月1… 吉田 浩之(よしだ ひろゆき、1962年(昭和37年)6月12日 - )は、日本の政治家。長野県伊那市長(1期)。元伊那市議会議員(1期)。 長野県伊那市生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、伊那市役所に入庁。秘書広報課長、行政改革推進室長などをつとめ、2019年3月に退職、農業に従事。 2022年の伊那市議会議員選挙に立候補し初当選、総務文教委員会副委員長などを務めたが、1期目の途中、2025年9月30日付で市長選出馬のため辞職。2026年4月19日投開票の市長選挙では、現職の白鳥孝らと争う。地元選出の自民党県議が吉田、白鳥双方に分かれて応援に回るなど、保守分裂の選挙戦となったが、現職を破り初当選を果たした。
伊藤 祐三(いとう ゆうぞう、1960年(昭和35年)8月5… 伊藤 祐三(いとう ゆうぞう、1960年(昭和35年)8月5日 - )は、日本の政治家、新聞記者。長野県駒ヶ根市長(2期)。 長野県伊那市生まれ。駒ヶ根市立赤穂小学校、駒ヶ根市立赤穂中学校、長野県伊那北高等学校、中央大学法学部卒業。 1984年(昭和59年)、毎日新聞社に入社。和歌山支局、鳥取支局、大阪本社社会部、同経済部で勤務した。1993年(平成5年)、共同通信社に転職。論説委員を務めた。 2019年(令和元年)6月末、共同通信社を退社。同年8月30日、任期満了に伴う駒ヶ根市長選挙に立候補する意向を表明。中学高校時代の同級生を中心に「応援団」を設け、草の根の運動を展開した。 2020年(令和2年)1月26日に行われた市長選挙に立候補。
小坂 樫男(おさか かしお、1935年(昭和10年)8月16… 小坂 樫男(おさか かしお、1935年(昭和10年)8月16日 - )は、日本の政治家。元長野県伊那市長。旭日小綬章受章。 現在の伊那市出身。長野県上伊那農業高等学校卒業。長野県庁に入庁し、土地対策課長、医務課長、長野県公衆衛生専門学校長を経て、伊那市助役を歴任し、平成8年(1996年)市長選挙に当選した。平成の大合併では、上伊那郡2町村との新設合併を推進し、同18年(2006)年、伊那市の初代市長となった。2014年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
唐澤 茂人(からさわ しげと、1928年(昭和3年)9月20… 唐澤 茂人(からさわ しげと、1928年(昭和3年)9月20日 - 1995年(平成7年)12月6日)は、日本の政治家。長野県伊那市長。 現在の伊那市出身。上伊那農林学校卒業。東春近村役場職員、伊那市助役から、平成6年(1994年)市長選挙に当選したが、翌年7月、肺がんにより信州大病院で手術を受ける。退院後、自宅で療養しながら公務をこなしていたが、風邪をこじらせて体調を崩し、市議会を欠席。小坂樫男助役を職務代理者に任命し療養に専念していた。12月6日肺がんにより死去。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
三澤 功博(みさわ こうはく、1910年〈明治43年〉2月1… 三澤 功博(みさわ こうはく、1910年〈明治43年〉2月16日 - 1998年〈平成10年〉6月22日)は、昭和から平成初期の政治家。長野県上伊那郡西春近村長、伊那市長。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 長野県上伊那郡西箕輪村(現・伊那市)で、三澤舜平、はく の長男として生まれた。1927年(昭和2年)上伊那農業学校(現・長野県上伊那農業高等学校)卒業。西春近村議会議員となり2期在任し、1954年(昭和29年)同議長となる。1960年(昭和35年)2月に西春近村長に就任し、1965年(昭和40年)3月まで2期在任した。西春近村の伊那市編入後に、伊那市議会議員を1期務めた。 1970年(昭和45年)4月、伊那市長選挙に自民党公認で現職の田畑五郎司を破って当選した。
有馬 浅雄(ありま あさお、明治17年〈1884年〉2月15… 有馬 浅雄(ありま あさお、明治17年〈1884年〉2月15日 - 昭和18年〈1943年〉10月6日)は、日本の政治家。衆議院議員。 長野県上伊那郡伊那部村(現伊那市)生まれ。明治41年(1908年)に上京し、東京府北豊島郡滝野川町役場の吏員となる。後に助役、町長に推挙され、東京府会議員となる。 東京府税務協議会長、東京府五郡町村互助会長、大日本消防協会理事、帝都教育会理事など各種団体の役員、顧問、相談役に就任して奔走し、九十九里漁業会社などの企業重役も務める。 昭和7年(1932年)第18回衆議院議員総選挙に長野県3区から出馬し当選、同年東京市会議員に当選。同11年(1936年)に政界を引退し、大政翼賛会東京支部常務員となったが、太平洋戦争中の同18年(1943年)に没した。
三沢 寛一(みさわ かんいち、1882年(明治15年)9月 … 三沢 寛一(みさわ かんいち、1882年(明治15年)9月 - 1968年(昭和43年)7月15日)は、日本の文部・内務官僚、政治家。北海道札幌市長、山形県知事、島根県知事、札幌観光協会長。
豊島 恕平(とよしま じょへい、1862年〈文久2年〉 - … 豊島 恕平(とよしま じょへい、1862年〈文久2年〉 - 1920年〈大正9年〉9月29日)は、信濃国伊那郡高遠(現・長野県伊那市高遠町)出身の医師・実業家・政治家。高遠電灯社長、高遠電気軌道創立者。立憲政友会所属。長野県会議員(2期)。 文久2年(1862年)、信濃国伊那郡高遠(現・長野県伊那市高遠町)に生まれた。父親は高遠藩士の亀井則義であり、恕平は九男だった。親戚の豊島篤次は長崎県で官吏(裁判所刑事部)を勤めており、亀井恕平は豊島家に養子に入った。1878年(明治11年)4月には長崎中学校を卒業して長崎医学校に入学した。 1884年(明治17年)には医術開業試験に合格して医師開業免許を受け、三菱会社の高島炭鉱病院に勤務した。
中村 弥六(なかむら やろく、安政元年12月8日〔1855年… 中村 弥六(なかむら やろく、安政元年12月8日〔1855年1月25日〕 - 昭和4年〔1929年〕7月7日)は日本の林学者・農商務官僚・政治家(代議士)。号は「背水」または「背山」で、通称「背水将軍」。 日本初の林学博士の一人で、原敬首相暗殺犯中岡艮一の大叔父(中岡の父・精の叔父)にあたる。歴史学者の中山久四郎元東京文理科大学教授は養子で、その長女二三子は、南洋拓殖社長を務めた下田文一の妻。 信濃国伊那郡高遠城下(現在の長野県伊那市)に儒学者・中村元起(黒水と号す)の二男として生まれる。中村家は代々高遠藩の藩儒の家柄。明治2年(1869年)上京し安井息軒に学んだのち、翌年貢進生として開成学校に入学する。